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阿修羅螺 ーわたしは生きるために「ぼく」として生き残る-  作者: 朱崎
第二章 狂瀾怒濤 名隊五番隊
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第四話 司と日向の別れ



 一週間後、中部州全土から新たに選ばれた三〇〇人の名隊員が、名古屋城に集う日。



「日向、これから日本大陸がどうなるか、だれにもわからない。だからこそ、力をつけて、絶対に生き抜いてくれ」

「気をつけて、無理だけはしないで」

 父の慶次と、母の蘭に向き合って、日向はまっすぐな瞳でうなずいた。


「いままで、ここまで育ててくれて、ありがとう」

 照れくさいような、悲しいような気分になりながら、日向は口を開いた。

「ぼく……わたしは、朝日奈日向として、愛知国を守る立派な名隊員になってきます」

 慶次の表情は真剣だ。


「血に負けない、朝日奈日向として生きれるように、生き抜きます」

 そして、両親にニカッと笑ってみせた。

「いってきます!」

「いってらっしゃい」

「気をつけて」



 すでに寮に荷物を届けた日向は、中部州の戦学制の正装に黒刀を帯刀して名古屋城に向かう。


 中部州では正装に若草色をよく用いる。

 各州ごとにその国の特徴色があり、国民はその色の軍服や学制服を正装時に身に着けることが義務付けられている。

 中部州では若草色、関西州では紅。


 名古屋城の屋根の色を意識した、若草色のズボンに、編み上げのブーツ。

 白い生地を金糸で縁取ったシャツは着慣れなくて首元がむずむずする。


「はやく羽織着たいな」

 まだ肌寒い四月に、シャツ一枚では物足りないが、日向は名古屋城で受け取る羽織を着るために二の腕をさすって走った。


「本当に、名隊員になるんだ……」

 日向は、城下町を走りながら、ぼそりと呟く。

 名古屋城の大広間で行われる入隊式に向かっている今でさえ、実感がわかない。


 名隊員はほとんど戦学の卒業制から構成されている。

 多くの隊員はトップの成績で卒業し、その後に塾や派遣された戦争で様々な功績を成した者が入隊試験を受けて合格を勝ち取った者だけが入ることができる。

 名隊員になると専用の軍衣の支給、生活費援助、実績に応じた給料が支払われる。

 それほどまでに名隊は重要視されている。



 いま、三〇〇人の新隊員を一目見ようと、大通りには人があふれかえっている。

 名古屋城の天守閣には新隊員しか入ることができないため、城下町の住民はここで家族などとわかれることが多いようだ。



「日向―!」

 大通りの人混みのなかに、灰色の髪がぽつりと見えた。

「司!」

 日向はパアッと顔を輝かせて、司のもとに駆け寄った。

 黒色のパンツに、灰色の前重ねの上衣を着て、若草色の帯を締めている。

 淡い水色と薄灰色の渦巻き柄の羽織を着た司は、いつもより少し大人っぽかった。


「本当に、名隊員になるんだな」

 戦学制の正装の日向を見て、日向のひとりごとと同じことを呟く司。

「ふふ、すぐに実力を見せつけて、司が帰ってくるときには一番隊隊長になってるよ」

 胸を張って、腰に手をあてた日向に、司は苦笑交じりにうなずいた。

「来年の今頃に、日向が大出世してたら、なんか美味しいものでもおごってやるよ」

 名古屋城まで送ってくれる司は歩き出した。

「約束だよ! そうだな……有名なうなぎ屋で特上のひつまぶしを食べよう」

 ぽんっと手を叩く日向に、司がげっそりとした顔になる。

「医療部の学制の給料を考えろよ」

 そう軽口をたたくけど、日向も司もどこか無理に笑っているのは気づいている。


「……本当に、行っちゃうんだね」

 前を向きながら、こぼすように呟いた日向の言葉に、司はぐっと拳を握った。

「ああ、今日の午後には、ここを発つよ」

 日向が寮への移動準備をするなかで、司も留学の準備を進めていた。

 突然の留学でも、司は以前から予定をしていたかのように、すぐに準備を終えてしまった。


「ねえ司、留学って、やっぱりぼくが関係してる?」

 急すぎる司の行動に、疑問がぬぐえない。

 どう考えても、日向の行動が、司を動かしたに決まっている。

 それに気づいてても、深くは聞けなかった。


 日向の不安げに見上げる顔に、司は優しく微笑んだ。

「関係してないって言っても、どうせ日向は、責任みたいなのを感じるだろ?」

「……まあ」

 うなずく日向の頭をぽんっと叩くと、司は首を横に振った。

「前から……二年前から、行くつもりだったんだ。父さんと母さんが戦争で死んで、家を売った時から、留学はずっと考えてた」

 司の両親は、二年前の関西州と中部州の国境で起きた大きな戦争で亡くなった。

 優秀な医者として、医療部の最前線で奮闘した殉職だ。


「いままで、学ぶ機会を先延ばしにしてただけだ。あっちからも手紙はずっときてた」

 日向の見上げる横顔は、どこかいつもの、日向の知っている司とは違って見えた。

「日向と蘭さんや慶次さんたちに、一緒に住もうと言ってもらえたときは、すごい嬉しかったよ」

 そう言って笑う司の笑顔は、どこか悲しげだった。


「二週間前、手紙で催促があったんだ。それに、いま行かなきゃ、間に合わないかもしれないんだ」

 二週間前は、大阪国が天下統一を宣言した週だ。

「……そっか」

 日向は自分のつま先を見た。

 不安だ。

 日向は司が遠くに行ってしまうことがとても怖かった。

 九歳以前の記憶が全くないまま、朝日奈日向として生きるのを始めたときから隣にいた、一緒に成長した兄のような存在だったのだ。

 強い風が、まだ距離のある名古屋城にの桜の花びらをつれてくる。日向はいつも以上に寒さを感じた。

 二の腕をこする日向は、ふわっと温かいものに包まれた。


「え?」

 顔を上げると、司が顔をそらしながら自分の着ていた羽織を日向の肩にかけた。

「着てて」

 日向は、寒さを忘れた。

「ありがとう、司」



 名古屋城の東側に位置する巨大な二之丸庭園に入る。

 砂利の上を踏みしめて、何段も格式の上がった道を歩く。

 周りも、二、三人の塊で庭をあるく新名隊員が歩いている。

 警備のため、若草色の羽織を着た名隊員があちらこちらにいる。


 庭園を抜けると、本丸御殿と天守閣のある区域に入るための、東二之門の前についた。

 ここから先は、新名隊員しか入ることができない。

 門の前には、証明書を確認するための数十人の名隊員と、もう見なれた桜銀色の髪が見えた。


「司、ここまでありがとう」

 門の手前の大きな桜の木の下で、日向と司は向かい合う。

 頭一つ分高い司は、灰色の優しい瞳を日向に向ける。


「羽織もありがとう、返す――」

「もってて」

「え?」

 羽織を脱ごうとした日向に、司は首を横に振った。


「これから一年、日向のそばにいることはできないけど……寒いとき、羽織れるように」

 日向はきょとんとして、手を通した羽織を見た。

 淡い水色に薄灰色の渦巻き柄の羽織は、かなり質の良いものだった。

「まだ寒いもんね、風邪ひかないようにあったまるね」

 言葉通りに受け取った日向に、司は嬉しいような、少し悲しいような表情になって、日向の頭に手をおく。


「本当に、風邪とか病気には気をつけろよ」

 それから、と、かがんで、日向の首元に手を添えた。

「御守り、新しくしておいたけど、半年経つ前に変えてな、予備は三つ作っておいたけど、これからどんな生活になるのか分からないんだから」

 事前にもらった御守りは、すでに寮に届けてある。

「うん、ちゃんと確認するようにする」

「手紙で確認するからな」

 毎月手紙を書くと約束した司は、何度も御守りに念を押す。


 こくりとうなずいて、日向ははっと思い出したようにシャツの胸元に手をあてる。

「あ、着物じゃなかった」

 そうつぶやいて、パンツのポケットに手を入れる。

 いつも甚平の上衣のような前重ねを着て、懐にものをいれていたため、慣れない手つきでポケットを探る。


「これ、御守りはつくれないけど、司が無事に留学できるように、願掛けしたんだ」

 手のひらにおさまる小さな黒の布袋を司に渡す。

「開けてみて!」

 驚いている司に、日向はニヤニヤ笑う。

 布袋をひっくり返して、中のものをだす司は、嬉しそうに笑った。


「これなら、あっちでも使えるでしょ?」

 灰色の渦巻きが描かれた帯留がついた黒い帯紐だった。

「司はあんまり装飾品とかつけないし、あっちでもきっと勉強で大変になると思うから」

 他州から入ってくるパンツスタイルや洋服と着物を合わせるなど、中部州の服装は様々だ。

司の留学先の服装の流行はわからないが、正装や普段着で着物をよく着る司なら使ってくれるかもしれないと、引っ越し準備をしているときに買ったのだ。


「ありがとう」

 帯紐を握って、日向に微笑む司は心から嬉しそうだった。

「司からは、もらってばっかりだからさ。戦学制のお給料じゃこれくらいしかあげれないけど」

 司に渡した帯紐を見つめて言う日向に、司は深く息を吸うと、日向の目じりに手を伸ばす。


「日向……おれは――」

 日向は力こぶを作って、司を見上げた。

「名隊でガッポリ稼いで、初任給は、家族に! 父さんと母さんと、兄貴の司にプレゼントするね!」

 日向にとって、一緒に育った司は、兄として、家族だった。

 その言葉に、司は、伸ばしかけた手を止めた。


「……そうだな、おれも弟に負けないように頑張ってくる」

 日向は司に拳をだす。

「次に会うときは、司を驚かせるから!」

「ああ、楽しみにしてる」

 司は、日向の拳に自分の拳をあてた。

「いってらっしゃい」

 桜の木の下で、花びらととも揺れる灰色の髪は、同じように揺れる灰色の瞳を隠した。

「いってきます!」

 日向は笑顔で手を振ると、証明書をポケットから出して、東二之門へ向かった。




 司は、楓のもとに走り寄り、証明書を渡す日向の横顔を眺めた。

 五年前、司に生きる意味を与えた大切な人を。


 楓が、無表情で日向に声をかけ、日向が渋々といった表情で薄灰色の羽織を脱ぐのを、桜の木の下でただ見ることしかできない。

 日向は、もう声が届かないほど遠い。


 日向と楓が何か言い合いをして、羽織を抱えた日向の目じりのあざを、ぎゅっと押す楓を見たとき、いますぐにでも、日向を楓から引きはがしたい衝動に駆られた。

 日向を引き留めて、力いっぱい抱きしめて、どこにも行かないでいられたら……。

 そんなことを考えて、ぐっと自分の気持ちに蓋をする。


 日向は、女として生きるのをあきらめた。

「生きる」ことを選択した日向に、女としての扱いを求めてはいけない。


 そして、司には日向を抱きしめることは許されない。

 それを、司が一番わかっている。


「おれは、日向を守るために……」

 それだけのために生きると決めている。

 たとえどれだけ焦がれても、自分の気持ちは出してはいけない。

 いま司にできることは、かの地で学び、日向を生かしも殺しもできる楓について調べるだけだ。


「桜屋敷楓……」

 関西州の訛りに十七歳にして名隊の五番隊副隊長に就任し、見たこともない桜銀色の髪と瞳をもつ、謎の男。

 ふと、桜銀色の瞳と目が合った。

 その桜銀色の瞳は、ひどく冷たく、何かを探るようで、司の背筋をゾッとさせた。


「司―! いってきまーすっ!」

 門の前で大きく手を振って叫ぶ日向に、司はほっと息を吐く。


「いってらっしゃい、日向」

 日向に届くか届かないか、司は声を張って手を振りかえした。

 嬉しそうに笑った日向は、先を歩く楓に追いつくように、小走りで楓の背中を追いかけて、人ごみに消えていった。


 もう、日向の追う背中は、司ではなくなった。

 その光景に、その事実に、司は唇をかみしめた。



「いまのおれじゃ、日向を守れない」


 司は、門に背を向けて、名古屋城を去った。


 重たい一歩を踏み出して、立ち止まらないように、足を動かし続ける。


 

 日向が「生きる」ために日向の道を進むなら、

 司は日向を「守る」ために司の道を進む。


 もう、戻らない、戻れない。


 


 荷物を抱え、片道切符を握って、司は愛知国を後にした。







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