世界の理と下級婬魔
「そっちはどう?」
「居ないわ」
「今度はこっちよ」
変わらぬ町並みは、今だけはものものしい空気が漂っていた。数人の婬魔が町のあちこちを駆け回っている。
婬魔達が過ぎ去っていくことを確認して影から姿を現す者が一人。
(やっぱり、メイヴィスはここに居る可能性が高い)
一人の大切な人を思う婬魔。
メイヴィスとリーチェが一緒に暮らしていることは婬魔達の全員が知っている。彼だけがこの町に来ており、彼を探す婬魔達がリーチェを見かけたら、当然捕まり利用されるだろう。それらを考慮した上で彼女は隠れながら町を進んでいた。
この町の何処かに居る。だがリーチェはある程度推測できた。
(私を置いて出ていくくらいだもの……絶対に店に居る)
リーチェの為に行動するのがメイヴィスという人物だ。だから絶望的な彼女を放っておくはずはない。必ずジュリアンヌと交渉している。
そう確信して彼女は足を進めた。
◆◆◆
血眼になるほど探しているのか、同業者達はあまりリーチェを気にしていなかった。タイミング悪くリーチェは鉢合わせてしまったのだが、無視されたのだ。
その婬魔達がチャームに掛かっている事を彼女が知るよしもない。
なので、難なく店にたどり着くことができた。店の雰囲気はいつもより人気が少なく寂しい空間に化していた。ほとんどの婬魔が出払っているのだろう。
普段は全快の入口の扉は閉まり、取っ手に準備中の看板が掛けられ、店自体は休みのようだ。
鍵は開いている。意を決してリーチェは中へと入る。
「なんでお前がここに居る、リーチェ」
「っ…! ……ぁ…………ぁぁ…」
中央階段上層からの婬魔の声にリーチェは怖じ気づいた。店の婬魔を統べる者ジュリアンヌは意気地の無いリーチェを見下ろす。
そしてゆっくりと一段一段降りる。その度にリーチェは逃げ出したい気持ちになる。
「さては仕事のことか? 何にも出来ないお前がか? ええ! 言ってみな、お前は何が出来る?」
ジュリアンヌは相当怒っており、もはやリーチェにやつ当たりとなり罵声を受ける。
彼女の心は限界に近い。だがそれでも自我を保てているのは探している大切な人がいるから勇気を出せた。
「わ、私のことは……何も出来ない婬魔です。ですがジュリアンヌ様、メイヴィスだけは手を出さないでください!」
「誰に向かってその口聞いてんだぁぁ!」
「十分理解しています。私の処分は如何様にでも構いません。ですからメイヴィスだけは…………私は何も出来ません。そんな私を、ダメは私の面倒を見てくれたメイヴィスを巻き込みたくないんです!」
リーチェの悲痛の叫びがロビーに響き渡る。ジュリアンヌを遮るくらい彼女は必死に想いを伝えた。
ジュリアンヌは階段を降りきり、何も喋らずリーチェへ近づいた。覚悟をしたリーチェはジュリアンヌを目の前にしてもたじろいたりはしなかった。
無言の圧力を前に一歩も引かない彼女の様子を見たジュリアンヌは彼女の頭に手を乗せた。
「出来てるじゃないか」
「え……?」
「婬魔として何も出来てなくても、魔族として想う人にそこまで出来る覚悟が出来てるということさ」
他人からの客観視というものリーチェにその真意は読み取れない。だが彼女の言葉は確実にジュリアンヌに届いた。ジュリアンヌは間を開け呟く。
「メイヴィスはお前の予想通りここに居る。おそらく……」
「ナターシャさんの……」
リーチェの答えにジュリアンヌは頷いた。しかしジュリアンヌは顔をしかめて考えるしぐさをする。
「だがメイヴィスがナターシャの奴の言いなりになるとは思えないんだが……」
「どういう事ですか?」
「そのままの意味だが、メイヴィスには私のチャームが効かなかった。だからナターシャのチャームも効かないはずだ」
「メイヴィスはそんな人ではありません」
「分かってる。だがもしものことがある」
「なら私が行ってきます」
リーチェはそう言うと急いで階段裏へ向かっていった。
「どれたけ我が身よりメイヴィスを優先するんだいあいつは……」
しかし、ナターシャの暴走を止められるのはリーチェだけだろうとジュリアンヌは考えていた。
むしろ知っていた。リーチェとメイヴィスには特別な絆があり、それを誰にも断ち切れはしないと。
(リーチェの強さを見向きもしなかったからなぁ…)
どれだけ他人に罵られようと我慢を続けられたリーチェの強さを。それを支えたメイヴィスの想いを。他者が口を出して良い訳がなかったのだった。
「ただ、婬魔としての力はもっと着けて欲しいものだがねぇ」
文句はあるも、リーチェを信頼に値する者として認めた。後はリーチェに任せれば良いと、そう思った矢先……
「ん? お前………っ! がっ…!」
ジュリアンヌはある者が近づいて来ることに気がつくや否や、傷一つ無い綺麗な腹部を鋭いもので引き裂かれ倒れた。
◆◆◆
「あはは、これがメイヴィス様の肉体♪ なぁんとたくましい♪」
部屋で一人喋るナターシャ。上半身の服を脱がされ、両手をベッドの端に縛られ十字の形で横になるメイヴィスの肉体美に彼女は身体を寄せている。
彼は何の抵抗もせず彼女のされるがままになっていた。
「ナターシャさん居ませんか!」
二人だけの空間に邪魔が入る。ドアを叩く音と同時に女性の声が聞こえてきた。
(え? リーチェ? どうしてここに……まあいいか)
「どうぞ入ってもいいわよ~」
ランプだけの明かりで照らされた部屋にドアのあちら側から光が入ってくる。
「っ! メイヴィス!」
光と共に足を踏み入れたリーチェが現状の様子に思わず驚愕する。その顔をナターシャは笑みする。
「残念でした~。もうメイヴィス様はあたしだけのものになったわぁ♪ だからリーチェはどっか行って」
他人の不幸は蜜の味。ナターシャは他者の絶望の顔を見るのが好きだった。リーチェはその性癖にちょうどイイ相手。なのでメイヴィスの存在が一番良い素材でもあった。
「め、メイヴィスを返してください!」
「ん~、ま、いっか。良いわよ~」
「え!」と予想外の答えにリーチェは不安に思いながらもメイヴィスに近寄った。
(あたしのチャームを解けられたらねぇ♪)
ナターシャは心の中で意地悪くまたリーチェをからかった。
「メイヴィス、ねぇメイヴィス! 目を覚まして!」
リーチェはどこを見ているのかも分からない人形に話しかける。縛られた腕をほどこうと手をかけるが彼女の力では不可能だった。
必死な彼女をナターシャは嗤う。
「あっははは、無駄よ無駄。今のメイヴィス様は特別な思いを乗せたチャームが掛かってるんだもの。リーチェ如きが破れるわけないじゃない♪」
「それは『霊呪の珠』! どうしてそれを持って……」
ナターシャは見せつけるように腰につく装飾品を揺らす。リーチェもさすがに気がつき状況を理解する。
「以前ジュリアンヌから一部を貰ったのよ。使い捨てなのがネックだったけどメイヴィス様の為なら惜しまないわ♪」
「どうしてそこまでするの…ですか……」
「あんたそれでも本っ当に魔界の魔族? ここがどんな世界だか分かるでしょ」
「っ………」
世の理にリーチェは心底恨みそうになる。なにが弱肉強食だ。弱者も強者も同じ命を持っている。弱者を陥れて何が面白いというのだ。どうして何も思わない。
「いやだ……そんなの私はイヤだ。間違ってる!」
「なにを言い出すかと思えば………本っっっ当にバカね。救いようが無いわ。素直に生きられる世界じゃ無いのよ。ワガママなあんたを今ここで消し去ってやろうかしら」
リーチェを心底見損い軽蔑しきったナターシャは雰囲気が豹変する。リーチェの肌がピリピリと何かに刺される。これは殺気だと感じ取れた。
ナターシャは本気で殺そうとしてきている。これが世の中だと、現実だと、思わせるように。
「それでも、私は認めない」
注がれる殺気にもリーチェは怯えず、親指を爪で少しだけ傷つけた。その傷から赤い血がにじみ出る。
「……はっ! ちょっと待ちなさい!」
真意をナターシャは気づき止めようとするが、メイヴィスを好きにして良いと言ったのは本人である。
メイヴィスのすぐ側にいたリーチェは彼の口に傷ついた指を咥えさせた。