【07】鉱山の戦い
天と地の狭間に牙のような山脈が稜線を描いている。
朝日と共に、その山脈を目指して狼乗りたちが綺麗なくさび型の陣を作って赤茶けた大地を駆ける。
狼たちは通常よりもずっと大きく冷気属性にも強い西大陸種である。
“何もない町”のゴブリンたちは、この狼をまるで馬のように操る。
その群の先頭を走るのは、年老いた白狼に股がり、赤いケープをなびかせるゴブリンのお姫さま――ゴモリーであった。
そして、蟇の仮面越しに前方を見据える彼女のうしろには、ココと長弓を背負った黒肌の雌ゴブリン――毒茸の部族の戦士長キキが並走していた。
「……で、最近、どうなのよ?」
「何がですか?」
ココがむすっとした顔で前を見ながら、キキに言葉を返す。
キキが半眼でにやにやと笑う。
「……カレとよ。ボルゾ戦士長」
キキは、ココとはタイプが違うが、こちらも雄の人気が高いゴブリンである。いわゆるお色気系のお姉さんゴブリンだ。
しかも、お堅いココとは違い、かなり奔放な性格であった。
何度か露骨にボルゾへと誘いを掛けているところ見たことがある。
ゴモリーとボルゾをくっつけたいココとしては、面白くない相手だった。
なおゴモリーは何故か彼女を“先生”と呼び慕っている。因みに何の先生なのかココは知らない。少なくとも武術や学問の先生ではない。
ともあれ、そんな彼女に向かってココはきっぱりと言う。
「良い感じですよ。彼も気にかけてくれていますし」
これはゴモリーとボルゾの事であり、当然ながら嘘である。
ボルゾに対するキキの動きを牽制しようという狙いがあった。
ただ、この前の会議のときにボルゾがゴモリーの肩を持っていたので、まったくの嘘ではないとココは思っていた。
「へえ……奥手そうなのにやるじゃない」
キキは意外そうに目を見開く。そんな彼女の反応に気を良くしたココは、得意気に鼻を鳴らす。
「ええ。でも、もう少し彼の方からぐいぐい来て欲しいものですね」
もちろん、ゴモリーとボルゾの事である。
「そういう強引なのが好きなんだ?」
キキの質問にココは答える。
「そうですね。きっと悪い気分にはならないと思います。むしろ多少、強引に来られた方が積極的になれるんじゃないでしょうか」
もちろん、ゴモリーとボルゾの話である。
「そうなんだ。でも何か意外」
「何がですか?」
「もっと堅物だと思っていたけど、そういう激しいのが好みなのね」
キキがにやにやと笑う。するとココは、さも当然というように言った。
「それは、女子としては殿方の方から迫って欲しいものじゃないですか」
当然、ゴモリーとボルゾのことである。
そこで、キキは、ふと遠い目で微笑む。
「……でも、そういう事なら仕方ないわね」
「何がですか?」
「あたし、カレの事は良いなって、少し本気で思ってたんだけど……大人しく身を引くわ」
その言葉を聞いたココは、ふっ、と勝ち誇った会心の笑みを浮かべる。
「彼との恋は順調です。……あなたごときが付け入る隙などありませんよ?」
当然ゴモリーとボルゾの事である。
キキは「うわぁ……」という顔をした。
こうして、彼女らのまったく噛み合わない会話はひとまず終息した。
そのふたりのうしろ辺りには、コボルトの使者のフントが不安げな表情のまま狼に股がっていた。
狼に乗りなれていない事もあるが、それよりも彼の表情を曇らせているのはゴブリンたちが出した援軍の数である。
たったの二十騎。
“何もない町”のゴブリンたちが二十年前にヴァンパイアロードの軍勢を退けた手練れぞろいである事は、フントも良く知っていた。
しかし、荒くれた狂戦士であるドワーフ百人を相手にするのに、たったの二十騎では流石にこころもとない。
彼らはゴブリンなのだ。
更にそのゴブリンを率いている雌が奇妙な仮面を被っている事も引っ掛かった。
狼の乗り方を見るに、堂に入ってはいるのだが、腕が立ちそうには見えない。
しかも、においが人間ぽいのが、どうにも解せない。
ともあれフントは天を仰ぎ、ろくな援軍を連れて帰れなかった事を、隙を作って自分を逃がしてくれた同胞たちに向かって心の中で詫びた。
コボルトたちの暮らしている廃鉱は山に囲まれた盆地にあった。
そこは元々は人間たちの土地で、“何もない町”と同じ時期に打ち捨てられていた。
最早、人間にとっては役に立たない鉱石ばかりしか採れなくなってしまっている。
そして現在、この廃鉱に興味を示す勢力は周囲にはいない。存在すらあまり知られていない、忘れ去られた場所であった。
ゴモリーたちは“何もない町”から三日をかけて、その盆地を見下ろせる南の山肌の岩場へと辿り着いた。岩影に隠れながら様子を窺う。
山肌を降りた正面に高い外壁と大きな門があった。
門の左側には櫓があり、そこには弩を持ったドワーフの見張りがひとりだけ立っている。
門前から外壁に沿って西側へと道が延びている。
その先は南北に横たわる大きな街道に繋がっているのだという。
柵の向こう側には簡素な建物がひしめく鉱山街の廃墟が広がっている。
その奥に坑道や製錬所があり、そこで囚われたコボルトたちが強制労働に従事させられているのだという。
「……司祭の読み通り、南側の守りは手薄ね」
ゴモリーは岩影から様子を窺いながら言った。
暗黒司祭のドグロは、この鉱山に興味を示しそうな勢力が周辺にいない事から門の守りは手薄であろうと読んだ。
これが、南にある廃墟の町でゴブリンたちが暮らしている事を知っていれば、もう少し警戒もあっただろうが……。
それを知らないドワーフたちは、コボルトたちの反乱や脱走を警戒し、南門とは反対側の坑道や製錬所、北西の門付近に兵力を集中させていた。
しかし、門扉は頑丈そうな丸太で出来ており攻城戦で使われる衝車でも使わなければ討ち破れそうになかった。
柵も高く乗り越える事は難しいだろう。
「門を突破する方法は兎も角、敵の大将の位置は?」
ゴモリーはフントに尋ねた。
作戦は単純明快で、機動力を行かして一気に大将首を獲るというものだ。
「門からまっすぐ行った先にある広場沿いの酒場にいます。西方文字で“岩喰い亭”と書いた看板があります。そこでいつも数人の仲間と酒を飲んでいます」
「どんなやつ?」
「赤髭で右目を眼帯でおおっています。得物は両手戦鎚です」
と、そこでココがゴモリーに尋ねる。
「どうします? 姫さま」
その直後だった。
門扉がゆっくりと開き始めた。
「これは、僥倖かも」
ゴモリーはほくそ笑むと、キキに向かって命ずる。
「先生! 馬車の荷台が半分出たらやって!」
「あいよ!」
キキが勇ましく返事をする。肩に掛けていた長弓を手に取った。
半分以上開いた門扉の向こうから馬車を牽いた二頭の馬が鼻先を出す。
ドワーフたちが良く使う、短足で馬力のある種類だ。
馬車には数名の護衛がついているようだった。
馬が歩き始め、門の外に出た。
そこでタイミングを見計らっていたキキが岩影から立ちあがり、素早く矢を射った。
見事に馬の頭に命中する。続けてもう一発。馭者が首筋に矢を受けて地面に落下する。
キキは“何もない町”で暮らすゴブリンたちの間では、もっとも弓の扱いが上手い。
元々は流れの傭兵ゴブリンであったが“何もない町”が気に入り、毒茸の部族に恭順した。
そんな彼女の射撃により、馬車の護衛についていたドワーフたちが騒ぎ始める。同時に櫓の見張りがキキに気がつき弩の照準を合わせた。
その瞬間、燃え盛る炎が見張りのドワーフに命中する。顔面を燃えあがらせながら躍り狂い、櫓から落下する。
ココの放った炎の矢の魔法だった。
更にもう一匹の馬の頭に、キキの放った矢が突き刺さった。
ドワーフたちは門扉を閉めようとするが、半分だけ外にはみ出た馬車の荷台が邪魔をしてままならない。
更に馬車を引き入れようとするが、二体の馬の死体が枷となり、もたついている。
すぐさま、護衛のドワーフが馬具を切り離そうとするが、そこにキキとココの矢と魔法が降り注ぐ。
ドワーフたちは慌てて門の中に引っ込もうとする。
そして、ゴモリーたちはすでに、その少し前に狼を駆って斜面をくだり、門へと突っ込んでいた。
「いやあああああっ!」
ゴモリーは雄叫びをあげながら背負っていた戦斧を手に取る。そのまま突っ込んだ。
馬車の近くにいた数人のドワーフが慌てて、ゴモリーの突進をかわす。
彼女のうしろに続いていたゴブリンの狼乗りたちが次々と、突撃をかわしたドワーフたちに長槍の穂先を突き刺してゆく。訓練された動きだった。
ゴモリーを乗せた白狼は半開きになった扉板を頭突きと前脚で押し開き、門を潜り抜ける。
その後ろを狼乗りのゴブリンたちが続く。
更にココ、キキ、フントが最後尾に続いた。
フントはあまりの手際の良さに呆気に取られ、舌を巻く思いで言葉を詰まらせたのだった。




