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【01】蟇の姫君




 気をつけろ 殺しがあるぞ みっともない蛆虫ババアより 間抜け


 ――メアリー・ベル



 ……あるところに、ゴブリンのお姫さまがいた。

 ゴブリンとは闇の種族に属する小鬼の事だ。

 人間やドワーフ、エルフたち、光の種族から忌み嫌われ冒険者たちに狩られる存在である。

 ゴブリンたちは雄ばかりで他種族の雌を借り腹にして繁殖すると思われているが、これは大きな誤解だ。ゴブリンにも雌はいる。

 そもそも、ゴブリンはゴブリンとしか子をなす事はできない。

 少なくとも、この世界ではそうなのだ。

 ともあれ、そのゴブリンのお姫さまはとてつもなく強く、狡猾だった。

 光の種族たちの記録によれば、彼女は冷酷で無慈悲で、残酷であったと言われている。

 何人もの冒険者を手にかけ、光の種族から恐れられる存在だった。

 あの“竜殺しの英雄ドラゴンスレイヤー”リック・バーンに退治されるまで、わかっている限りでも千人を越える者が彼女の犠牲になったのだという。

 目撃情報によると、常にひきがえるの仮面をかぶり、赤いケープをまとってフードを目深にかぶっていたらしい。

 そのため、ゴブリンのお姫さまの正体は謎に包まれている。

 一説によると、彼女の容姿は世にもおぞましいものであったらしい。その醜さを隠すために仮面で顔を隠していたといわれている。

 同族のゴブリンたちですら恐れおののくほどの醜悪さだったのだとか……。

 彼女の素顔に関して、“竜殺しの英雄ドラゴンスレイヤー”リック・バーンはのちにこんな風に述べた。

 

 「あまりにもおぞましい。思い出したくもない……」


 彼はそれきり、この件について口を閉ざし、何も語らなかった。

 人々は、あの“竜殺しの英雄ドラゴンスレイヤー”が言葉を濁すのだから余程なのだろうと噂しあった。

 彼女の素顔を見た者は石になるとも、あまりの恐ろしさに気が狂うとも……。

 これは、そんなとてつもなく醜かったと云いつたえられる、ゴブリンのお姫さまゴモリー・ベールゼブフォの物語である。




 薄暗闇の中に揺れる燭台の炎。

 閉ざされたカーテンに赤い絨毯じゅうたん

 大きな百鳴琴ピアノに、古めかしい調度品。

 そこは広大な廃墟の中央付近にある館の一室であった。

 地獄の門のような飾り棚に囲まれた暖炉の前の長椅子で、気だるげな声をあげたのはゴブリンのお姫さまゴモリーである。

「ねえ……ココ」

「何でしょう、姫さま」

 ココと呼ばれたエプロンドレス姿の雌ゴブリンは、飾り棚の上を拭き掃除しながら答える。

「わたしは醜いわ」

 また始まった……と、ココは心の中でうんざりした。

 ココはあるじであるゴモリーの事を尊敬していたし、嘘偽りなく大好きだった。

 しかし、自らの容姿に強い劣等感を持っており、こうして時おり鬱に入る。

 それだけは、本当にどうにかして欲しかった。

 だが、放っておく訳にはいかないので、ココはいつも通りの慰めの言葉を口にする。

「……姫さま。ゴブリンとして大切なのは心です。この町の全ゴブリンが姫さまの事を尊敬していますし、心根のお優しいゴブリンであることは存じあげております」

 その言葉が終わる直前に、応接卓に飾ってあったはずの花瓶が飛んで来る。

 これも、いつものことなのでココは片手で平然と受け止める。

 すると、これまた、いつも通りの罵倒が飛んで来る。

「あなたみたいな可愛いゴブリンが、そんなことを言っても説得力なんて全然ないのよ!」

 ココはゴモリーの率いるひきがえるの部族の中では、もっとも美しい雌であった。雄からの人気も高い。

 お堅い性格であるため、特定の相手はまだいないのだが……。

「申し訳ありません」

 ココは淡々と頭をさげる。

 そして花瓶を飾り棚の上にそっと置いた。

 ゴモリーは、この世に絶望しきったかのような溜め息を吐く。

「ねえ、ココ……」

「何でしょう?」

「……わたしは一生ひとりなのかしら。わたしとつがいになってくれる雄は現れるのかしら」

 ココは溜め息を吐いて一拍の間を置く。これは、いつになく重症だ。そう感じたからからだ。

「……ところで、姫さま。前から疑問に思っていたのですが」

「何よ?」

「姫さまは、どういったタイプの殿方がお好きなので?」

「タイプ、ねえ……」

 ゴモリーは、ぼんやりと天井を見あげながら考える。

 しかし、なかなか言葉が出てこないようだった。ココは更に質問を重ねて答えをうながそうとする。

「緑ゴブリン? 黒ゴブリン? 茶ゴブリン?」

「うーん……ちょっと黙ってて。今、考えてるから」

「承知しました」

 ココはしばらくゴモリーの返答を待ったが、やはり答えは返って来ない。

 やがて、ゴモリーは髪の毛を両手でぐしゃぐしゃとかき乱し、うなり声をあげる。

「うわーっ!」

如何いかがなされましたか?」

 不安に感じたココが尋ねる。

「雄のタイプとか……良く解らないわ。そんなの……」

「左様ですか」

「何かね。雄のゴブリンを見ても、ピンと来ないのよ。かっこいいかな、と思うゴブリンはいるけど、つがいにまでなりたいかっていうと別に……」

 ゴモリーの頬が赤らむ。

 それを見たココは盛大な溜め息を吐いた。

「……ちなみに、姫さまが格好いいと思う雄って、誰なんです?」

 ココの問いにゴモリーは端的に答えた。


「ボルゾ」



 その廃墟の裏路地でココは壁を背負いながら、一匹の屈強な体躯のゴブリンと向き合っていた。

 狼の部族の戦士長であるボルゾだった。人間の勝手な分類ではホブゴブリン種に属する。

 族長の息子で棍棒グラブの名手だ。いかにもゴブリン的な野性味溢れる顔をしており、雌ゴブリン人気も高かった。

 家柄よし、見た目よし、狩りの腕も良しの非の打ち所がない美丈夫ハンサムゴブリンである。

 そのボルゾに向かってココは話を終える。

「という訳なんです……姫さまはどうも繁殖期に入ったのかもしれません」

「ふうむ」

 ボルゾはたくましい両腕を組み合わせて唸る。

「どうですか? ここはひとつ姫さまと……」

「ちょっ……まて」

 ぐいぐいと迫るココにたじろぎながらボルゾは苦笑する。 

「姫がオレを評価してくれているのは、光栄なのだが……」

「何か問題でも?」

「いや。姫の事は尊敬しているし素晴らしい雌だと思う。頭も良いし、お優しいし、何より冒険者を狩るのが、この町で一番うまい」

「ですよね! 私もそう思います」

 自分の事のように、誇らしげに胸を張るココだった。彼女はゴモリーの事が大好きなのだ。

 ゆえに時おり色々と暴走する。

「だが、つがいになれるかというと、ちょっと……」

 そのボルゾの言葉を聞いたココがうんざりとした調子で天を仰ぐ。

「あなたっていうゴブリンは……姫さまのどこがダメなんですか!」

「やっぱり……雌として見れないっていうか……」

「あなた、最低ですね」

 ココは半眼でボルゾを睨みつけた。

 ボルゾはしどろもどろになりながら、言い訳を展開する。

「いや、姫も、別にオレの事はつがいになりたいほどでもないんだろ?」

「……それは、姫さまは、己の容姿に自信がないから遠慮しているのですよ。きっと、あなたの事が大好きに決まっています」

「本当かなあ……」

 これは完全にココの誤解で、ゴモリーはボルゾの事を頼りになる歳上のお兄さん的ゴブリンとしか思っていない。

 そういった意味で彼の事をかっこいいと言ったのだ。

 しかし、そんな事は知るよしもないココは、更に話を続ける。

「……あなたならば、家柄良し、見た目良し、狩りの腕良しで……姫さまのお相手には相応しい。姫さまの相手があなただというなら、この私も認めましょう」

「そ……そうか」

 ココに褒められて内心では嬉しいボルゾだった。彼は「おほん」と咳払いをする。

「……でもな。残念だが、オレには、心に決めたゴブリンがいる」

「へー。それは初耳です。誰なんです?」

 ココは何気ない調子で小首を傾げ、両生類のようなつぶらな瞳を瞬かせた。

 ボルゾは急に緑色の頬を赤らめ目線を泳がせる。

「そっ、それはだなあ……」

「それは?」

「それは……その……」

「何ですか、らしくないですね? はっきりとおっしゃってください」

 ボルゾが生唾を飲み込む。

「オ、オレの心に決めたゴブリンは……」

 彼は非の打ち所のない雄ゴブリンであったが、少しヘタレだった。

 なぜか言葉を濁す彼に若干の苛立ちを感じながら、ココは答えをうながす。

「あなたの心に決めたゴブリンは?」

「お……」

 そのときだった。

 ふたりのいる路地の入り口に手斧ハンドアックス小盾バックラーを持った黒い肌のゴブリンがやって来る。

 蟇の部族の戦士長をつとめるガマトーだ。何故か右頬が腫れている。

「ボルゾさん……それにココさんも、大変ですよ!」

「何だ、騒々しい」

 どこかほっとした様子でボルゾはガマトーに視線を向けた。

 ガマトーは泡を食った様子でまくし立てる。

「冒険者が……冒険者が出ました」

「何だと?!」

 ボルゾとココは大きく目を見開く。

 それは闇の種族を殺し回る殺戮者たち。

 ゴブリンにとっての天敵。

 それが冒険者――。

「数は五匹。町の南です。この町に着いたばかりの流れゴブリンの家族が逃げ遅れてられたようです。現在、外周区南から北上している模様」

 冒険者はパーティという五人前後の群れを作って狩りをする。戦士や魔術師など様々な種類がおり、狡猾な連携を見せる。

「わかった。今行く」

 ボルゾが動き出す。

「私も行きます」

 ココも後に続こうとする。

 そして、次のガマトーの言葉を聞いてふたりは凍りつく。

「それから……姫さまが、憂さ晴らしに丁度良いと武器も持たずに、ひとりで出陣しました」

「何ですって?!」

 ココが目をむいて驚く。ゴモリーは強い。戦闘の天才と言って良い。しかし、それでも丸腰は流石に無茶苦茶である。

「どうして、止めなかったのですか?!」

「……止めたのですが、殴られました」

 頬を擦るガマトー。

 ココはひきつった笑みを浮かべた。

 普段は大人しい癖に機嫌が悪いときはえらく凶暴になる。それがゴモリー・ベールゼブフォという雌だった。

「兎も角、いくら姫でも五匹の冒険者を丸腰で相手にするのは危険すぎる……」

 ボルゾが背中に担いでいた樫の棍棒グラブを手に取った。

「急ぎましょう」

 ココの言葉にボルゾとガマトーは頷いた。

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