一章(3)
さんさんと照る太陽にざわざわと揺れる草木、そして遠くから微かに聞こえる喧騒。
そんな、まるで外界と隔たれたような屋敷の庭で、シェーラはお茶会の用意がされたパラソルの下、一人紅茶を飲んでいた。フリルのたくさんついたドレスが風に揺れる。
……少し遠くから話し声が聞こえてきた。そして次に足音。シェーラが音を立てないようティーカップをテーブルの上に置くと、「シェーラ!」と名前を呼ばれた。顔を上げると、侍女に先導されたユリアナがこちらへ向かってきていた。
小さく笑みを作りながら、シェーラは「ユリアナ」と呟くように言う。
「お待たせ。さぁ、始めましょ」
ユリアナはそう告げて、シェーラの反対側にあった椅子に腰掛ける。そして早速テーブルの中央にあったスコーンに手をつけ、それを一口でぱくりと口に含んだ。そのことに小さく笑いながら、シェーラもスコーンに手を伸ばすと、侍女たちから困惑したような空気を感じた。
それもそう。本来お茶会を始める際には手順がある。例えば、主催者――今回の場合はシェーラ――がいいと言うまで招待者は着席をしないことや、まず最初は紅茶から、というもので、それをシェーラとユリアナは無視してお茶会を始めたのだ。まだ貴族になったばかりのユリアナはともかく、シェーラまで……。きっと侍女たちはそう思っていることだろう。
だけど、そんなこと気にしない。ユリアナが相手なのだから。そう思いながら、シェーラはスコーンを咀嚼する。今日も美味しい。
……しばらく紅茶と菓子に舌づつみを打ち、ポツポツと会話をする。と言っても二日前にも会ったため、雑談の内容はあまりない。すぐに本題に入ることとなった。
ユリアナが小さく音を立てながらティーカップを置く。「それで、」と口を開いた。
「どうだった? 王太子殿下との顔合わせ」
シェーラは口の中のスコーンを飲み込むと、少しだけ顔を顰めた。
「ちょっと、ね……。殿下は私とそれほど親しくなる気はないみたい。だからどうにかして仲良くなりたいんだけど……」
「そうなのね……」とユリアナは言って、考え始める。何も頼まずともさりげなく協力してくれるのは、ユリアナの良いところだ。ほとんどの場合、貴族は自分の利益に繋がらないことには手を出さないから。
ユリアナにだけ考えさせるのは悪いので、シェーラも考える。どうにかして、王太子と顔を合わせて話す機会を再び……いや今後、何度でも設けたい。だけど、それでは王太子殿下の執務の邪魔になるかもしれない、と考えると、気が引けて行動するのを躊躇してしまう。
それに婚約が未だ正式に発表されてない今、シェーラは王宮に入れないため、王太子と顔を合わせることなどできやしない。たとえ水面下では婚約者となったことが知られているとはいえ、あまり大っぴらに行動するのは良くないはずだ。あと数週間後、五月のシェーラの社交界デビューのときに発表するそうだから、それまで待った方がいいのかもしれない。
シェーラがそう考えていると、「あ!」とユリアナが声を上げた。
「そうよ、手紙はどう?」
「手紙?」
「ええ。シェーラが手紙を書いて、それをイアン様に届けてもらうのよ。あんまり頻繁だと鬱陶しがられるから――だいたい三日おきくらいかしら? 返事を求めるのもダメ。来なくても一方的に送り続けるのよ! 内容は簡潔にして、空き時間にぱぱっと読めるのがいいわね」
そう、ユリアナは語る。「へぇ……」とシェーラは感嘆のため息をついた。それなら顔を合わせなくて済むし、イアンは王太子と親しいからさりげなく届けてくれそう。
「確かに、それならいいかもしれない」
「でしょう?」
ユリアナは得意げに笑う。嬉しそうな笑顔に、シェーラも自然と笑みが零れた。
「さっそく後で書いてみるね」
「ええ。王太子殿下と仲良くなれるといいわね」
「――そうね」
シェーラは笑顔で紅茶を啜った。「ねぇ、」とユリアナが声をかける。「シェーラ、あなた――」
だけどそれを遮って、「そういえば、」とシェーラは言った。
「ユリアナがお義兄様と仲良くなるための……『イベント』? って具体的にどういうものかしら? 詳しい話を聞いてなかったから……」
「そういえばそうね」
ユリアナは少しだけ顔を歪めながらも、丁寧に答える。話を逸らすためのものだとは、多分丸分かり。だけど何も言わずに話を逸らしてくれるユリアナが有難くて、胸が温かくなった。
――それに、本当に疑問に思っていたし。『イベント』の意味も分からないから、どういうものを指しているのか全く想像もつかなかった。
「『イベント』は、これよ」
ユリアナはそう言って、テーブルをコンコン、と指先で叩く。
シェーラは首を傾げた。
「……テーブル?」
「違う違う。お茶会よ、お、ちゃ、か、い!」
ああ、とシェーラは声を漏らす。なるほど、お茶会。
そう納得しながら、先日聞いた『イベント』についての話を思い返す。確か、ユリアナはその『イベント』を『クリア』したらイアンと結ばれると言っていたはず。
ならば――。
「だったら、私たちはお茶会をしていればいいの?」
そう言うと、ユリアナはにっこりと微笑んだ。
「そうよ。そしたら、いつかイアン様がこの場にやって来るわ」
「いつかって……」
「仕方ないじゃない。この『イベント』が起こるか起こらないかは、完全に運なんだもの」
ユリアナはむっと顔を顰める。これはユリアナにもどうしようもないことなのだろう。クスクスと笑いながら謝ると、「もう!」と言われた。本気にしていないのはお互い様で、しばらくするとユリアナも破顔する。和やかな雰囲気が辺りに流れた。
「ちなみに、『ゲーム』開始時の方が発生確率は高いとの噂よ」
「ええっと……じゃあ、なるべく今のうちにお茶会を開いた方がいいってこと?」
シェーラが尋ねると、「そう」とユリアナは言った。それだったらなるべく毎日お茶会をした方がいいのだろうが、これからシェーラには王太子妃、王妃になるに向けての教育が始まる。ある程度の教育は今までにも受けていたが、それ以上の教育だ。あまり時間は取れない。
うーん、と戸惑いながら、シェーラは訊いた。
「あんまり時間は取れないし、今後の予定が掴めないから前日に誘うことになるかもしれないけど……大丈夫?」
その質問に、ふふん、とユリアナは笑う。
「どうせ私の受ける教育なんてシェーラほどじゃないから、お茶会ついでにシェーラが教えてくれれば大丈夫よ!」
「それ大丈夫じゃないから」
シェーラの言葉に、ユリアナはクスクスと笑う。つられてシェーラも笑い始めた。
少女たちの笑い声が庭に響く。木に止まった鳥がコロコロと楽しげに鳴いた。
△▼△
芳しい香りが鼻腔をくすぐる。夕食を食べに向かう道すがら、シェーラは間違えることのない銀の髪を見つけた。思わず声が零れる。
「お義兄様」
呼びかけるとイアンはシェーラの方を振り返り、柔らかな笑みを浮かべた。
「シェーラ。一緒に行く?」
「はい」
シェーラがイアンの傍まで小走りで行くと、手を差し出された。男性らしい、硬い皮膚。いつものように手を重ねようとして――。
「あ、そうでした」
シェーラは慌てて手を引っ込め、すぐ傍にいた侍女に自室から封筒を持ってくるように頼んだ。侍女は一礼して下がると、しばらくして戻って来て、シェーラに差し出す。王太子に向けて書いた手紙だった。シェーラは「これを」と言って、イアンの手に乗せる。
「王太子殿下に。返事はいりません」
「――そっか。分かったよ。ちゃんと届ける」
「ありがとうございます」
イアンが懐に手紙をしまうのを見ると、シェーラはほっと息をついた。――これでもう、後戻りはできない。そのことに、ひどく安心した。
ふと義兄の方を見ると、彼はどことなく浮かない表情をしていた。「お義兄様?」呼びかけると、慌てて笑みを浮かべる。けれど、なんとなくぎこちないような気がする。
「どうかなさったので?」
心配に思ったシェーラが尋ねるけれど、イアンは首を振って「何でもないよ」と告げる。少しだけ気まずい沈黙が落ちた。
……しばらくして、イアンが口を開く。
「……行こっか。今日の晩餐は何かな」
「確か今日はいい肉が手に入ったと料理長が興奮していましたわ」
「そうなんだ」
――表面上は穏やかな会話。
だけど、どこか今までとは違った。