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一章(2)

 翌日。小さく揺れる馬車に乗って、シェーラとイアン、そしてアルハイム伯爵は王宮へと向かっていた。表向きの目的は、アルハイム伯爵とイアンは仕事、シェーラは二人に連れられて。

 しかし、それは事実ではなかった。

 王宮に着いて馬車から降り、三人は中へと向かう。近くにいた衛兵に王宮からの手紙を見せると、王宮の中でも奥の方にある部屋に通された。


 パタン、と扉が閉められて衛兵が出ていき、シェーラはほぅ、とため息をつく。初めての王宮で、少しだけ手が震えていた。

 この国では、十五歳になって迎える初めての五月に社交界デビューするのが決まりだ。シェーラは十五歳なものの、まだ四月。それゆえ本来ならば、社交界デビューするまで王宮の敷居を跨ぐ機会など、普通の伯爵令嬢ならばなく、あと一月(ひとつき)待たなければ王宮へ来ることなどなかった。


 なのに、今日、シェーラが王宮にやって来ることになったのは、王太子との婚約が内定したものの、二人に面識は一切ないので、顔合わせを行うためだ。

 それゆえ、シェーラはいつになく緊張していた。

 そんな彼女の耳に、堪えきれない笑い声が届く。つられて左側を見れば、義父が面白おかしそうに笑っていた。優しく目を細めている。


「安心しろ、シェーラ。おまえは王太子妃なのだから」

「……はい」


 シェーラも笑みを浮かべる。……大丈夫。だって、お義兄様が尊敬しておられる方だもの。きっといい人に違いないわ。

 そう思い、シェーラが胸をなでおろしていると、反対側から硬い声が降ってきた。


「父上、口を慎んでください。まだ殿下の婚約者に内定しただけです。今日の顔合わせで二人の性格があまりにも合わないと、白紙に戻る可能性もあります。それに――」

「イアンは堅いなぁ。そんなことないだろうから安心したまえ」

「父上――」

「シェーラはこんなにもいい子なのだから、有り得ないさ」


 義父はそう言うと、シェーラの頭をポンポンと叩いた。そんな義父に、シェーラはむっとして言う。


「お義父さま、やめてください。髪型が崩れてしまいます」

「おお、それはすまないな」


 そう形だけ謝るけれど、義父に悪びれている様子は全くない。「もうっ」と言うと、シェーラは義兄の方を見た。イアンは唇を噛みしめて俯いており、シェーラは違和感を覚えた。――こんなに感情を露わにするなんて、お義兄様らしくない。何かあったのかしら? そう思って、シェーラが呼びかけようとしたときだった。


「王妃陛下、王太子殿下のおなりです」


 そう扉の向こうで衛兵が告げ、三人は慌てて椅子から立ち上がり、顔を伏せた。小さな足音が響き、王妃と王太子が入ってきたことが窺える。やがて足音が止まり、扉が閉まった。


「――顔を上げてください」


 柔らかで、落ち着いた声。シェーラたち三人は顔を上げた。

 目の前には王妃と王太子がいた。王妃は輝かしい蜜色の髪を豪奢に結い上げており、真っ白な肌、薄い水色のドレスがその髪の美しさをより強調している。彼女の右側――シェーラたちから見て左側――には王太子が立っていた。


(この方が、王太子殿下……)


 シェーラはじっと王太子を見つめた。整った、だけどどこか厳しい顔つきをしており、王妃よりも少し薄い金色の真っ直ぐな髪を首の後ろで括っている。珍しい、とシェーラは素直に思った。男性で髪を伸ばす人はあまりいない。だけど不思議と違和感がないのは、王太子がたいそう見目麗しい人物だからだろう。


(正直、お義兄様が髪を伸ばしても、王太子殿下のようにはならないでしょうね……)


 イアンが髪を伸ばした姿……。思い浮かべてみたものの、やはり違和感しかない。お義兄様はこのままのお義兄様で完成されているからかしら?

 そんなふうに考えながら王太子を見つめていると、王妃が「あら」と楽しげな声を出した。


「どうぞお座りくださいな。……うふふ、そういうことね……」


 何やら小さく呟きながら、王妃は微笑む。座りながら、何だろう? とシェーラは首を捻った。けれど尋ねることなく、ただ静かに王妃と王太子を見つめる。


「すみませんね。陛下は執務がおありで……代わりに私が来ましたの。けれど正直、私なんかいらないと思うのよね……ということで、」


 王妃はちらりと王太子の方に視線をやった後、シェーラの方を見やった。その瞳はとても楽しそうに細められていて、不敬だが、なんとなく嫌な予感を覚える。


「若い二人を残して、私たちは去りましょうか」

「母上」

「あらあら、そんなに怖い顔しなくても大丈夫よ。うふふ、さすがあの人の息子ねぇ。隅に置けないわ」


 そう言うと、王妃はソファーから立ち上がった。予定外の行動だったのか、部屋に控えていた衛兵があたふたとし始める。だけどそんな衛兵のことなど構わず、王妃は義父と義兄の手を取って衛兵にも合図を送ると、「ごゆっくりー」と笑顔で部屋から出た。義兄は戸惑っていたが、義父は嬉々として王妃の後について出る。パタン、と乾いた音が部屋に響いた。


 ……しばらく沈黙が降りる。王妃が部屋の中にいた衛兵も連れて行ってしまったため、王太子とシェーラ、二人だけしかいない。

 じんわりと、手から汗が滲む。心臓がドキドキとして、指先が細やかに震えた。僅かに血の気が下がったのか、指先がいつもより白い。

 はぁ、と王太子のため息がやけに大きく響き、ぴくり、とシェーラの肩が跳ねる。


「母上がすまんな」

「い、いえ……」


 絞り出した声は、微かに震えていた。これは、緊張……?

 ――いや、違う。これは……怯えだ。

 シェーラは目を閉じた。……情けない。まだ、覚悟が決まっていなかったなんて。

 王太子と二人きりになるのに怯えてしまったのは、シェーラが未だ、王太子と結ばれる覚悟ができていなかったからだろう。お義兄様のため。そう言いながらも、今までは義兄と離れて王太子と結ばれるという未来は、どこかぼんやりとしていた。遠い場所の出来事のように、現実感がなかった。しかしそれは現実となり、目の前に現れ、ようやっと実感が湧き上がってきた。


「……シェーラ嬢? どうかしたのか? 体調が優れないのならば……」

「いえ、大丈夫です」


 シェーラはそう言ってゆっくりと目を閉じると、深呼吸をした。心臓を宥め、震えを抑え、――覚悟を決める。お義兄様に、嫌われてしまうかもしれない。それでも私は、お義兄様に幸せになって欲しい。

 ――シェーラ、そのためなら、何でもできるでしょう?

 目を開く。王太子は変わらない厳しい表情で、シェーラを見つめていた。


「王太子殿下」


 王太子はきゅ、と眉を寄せ、シェーラを見た。シェーラは笑顔を浮かべて、王太子に言う。


「これからよろしくお願いします」

「――ああ。良きパートナー(・・・・・・・)でいよう(・・・・)


 どうやら、王太子はシェーラと恋愛をするつもりはないらしい。でも、それでは確実に王太子妃になれるとは限らない。

 だったら――。


「ええ、そうですね」


 どうにかして、彼の懐に入り込まなければ。


 ――悲鳴を上げた心は、押し殺した。

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