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レナルド(2)

 翌日、すっかり元気になったレナルドは、後遺症があるかもしれないと激しい運動をしないよう、侍女らの監視のもと教師陣から授業を受けていた。王太子の教育計画は綿密に組み立てられているはずだ。今後さらに不測の事態がある可能性を考え、それほど大事でないときはいつも通りの教育を受けるようになっているのだと推測できた。つい昨日まで体も精神も六歳児だったためよく分からないが、たぶんそう。


 そしてその一つ、社交界デビュー後にどう振る舞うのかを学ぶ授業で、担当教師に今いる貴族を知りたい、と伝えたところ、夜になって貴族の名前がズラッと書かれた紙束を持ってきた。その膨大な量に、一瞬意識が遠くなる。それを察したのか、教師も苦笑しながら、「覚えておかなければならない方には線を引きましたから」と言い、部屋を去っていった。


(こんなにもいるのか……)


 侍女が隅に控えた寝室で、レナルドはそっと紙に触れた。そこにはみっちりと名前が書かれている。ふと、なんとなくそれを手繰り寄せ、顔に近づけてみると、それは一つ一つ手書きだった。字が乱れている。もしや……と思って全ての紙の文字に目を通したところ、それはよく見慣れたかの教師のものだった。予想になるが、おそらく、貴族の名前を書かれたものがあったものの、それを持ち出すことができず、写したに違いない。


 申し訳ないことをした、と心の中で謝りながら、レナルドは目的の名前を探した。とりあえず赤い線を引かれた名前に全て目を通したが、見つからず、次は最初に戻ってじっくりと、線の引かれていない名前まで見ていった。

 そして半分くらいを過ぎ、目がチカチカし始めたところで、ようやっとその名前が出てきた。


 ――イアン・アルハイム。


 その上には彼の父だと思われる名前が書かれていて、横には――何もない。


(と、いうことは……)


 まだ、シェーラ・アルハイムはアルハイム伯爵家に引き取られていない、ということになる。そういえば、乙女ゲームではシェーラの過去は一切不明だったな、と思い出した。それはヒロインであるユリアナ・イシュタールもだし、攻略対象である王太子レナルドも、イアン・アルハイムも。

 所詮は無料のアプリ、というべきか、それとも何か理由があるのか。


(……まぁ、そんなこと考えても仕方がない)


 製作者に質問できるわけでもないし。しかし、――。

 はぁ、とため息をついた。ということは乙女ゲームの内容を利用して、いろいろと政治に役立てることは、今現在は不可能だ、ということだ。無駄なことをした、と落胆してしまう。

 心の赴くまま紙束を放り出そうとして――やめた。これは教師が自分の望みを叶えるために、必死で書いてくれたものだ。これを放り出すということは、彼の努力を無下にすることと同じだ。


 レナルドは再度紙に目を落とした。とりあえず線を引かれた人物だけでも覚えようと、名前を心の中で読み上げ、脳に刻み込んでいく。前世では暗記は大の苦手だったが、今は王太子だ。社交を円滑にするためにも覚えておくべきで、苦手だからと覚えようとしないのは許されない。

 そんなことを思いながら見ていると、「要注意!」と赤字でデカデカと書かれた名前があった。シェスティン・クロフォード。その傍には侯爵と、外務大臣という文字。つまり、彼は侯爵兼外務大臣ということだろう。権力者だから注意しろ、ということだろうか。


(いや、だが……)


 つい、とレナルドは視線を滑らせる。その紙の右上、クロフォード侯爵とは離れたところに、チェルノ・ツェザーリという名前があった。彼は公爵兼内大臣なものの、侯爵のように「要注意!」とは書かれていない。ということは権力者である、ということは関係ないはずだ。

 ということは、おそらく人としての器とか、人柄などによるものだろう。果たして、どうして彼は要注意なのだろうか。


 とりあえず明日教師に尋ねよう。そう思いながら、レナルドは紙をサイドテーブルに置き、ベッドに潜り込んだ。

 いい加減、隅にいた侍女の批判の視線が痛かったのだ。




 翌日。今日もまた昨日と同じ時間に社交の授業があったため、教師とそれぞれソファーに座って向き合ってクロフォード侯爵のことを尋ねると、彼は「ああ……」と遠い目をした。やはり彼には何かあるらしい。「教えてください」と言って教師を見上げれば、彼はわずかに躊躇った後、ゆっくりと、言葉を選ぶように口を動かした。


「ええーっとですね……かの侯爵閣下は、正直に言いまして、我々凡人には理解できない世界を見つめておられるのですよ。部下にある事件を任せたかと思えば、実はそれを起こしたのは自身で、しかも部下が対応できないと容赦なく罷免して……。しかも、外交に関わることですよ! 全くもって何を考えているのか分からないのです!」


 話しているうちに鬱憤が爆発したのか、教師が珍しく声を荒らげた。彼のこんな声を聞くのは初めてだ。よほど不満があるらしい。

「しかもですね!」と言って、彼は話を続ける。その内容をまとめれば、彼は何かと問題行動を起こす人物らしい。国王の許可を得ず、勝手に王宮内で茶会を開いたり、先に述べたように自分から事件を起こしたり……。


 とりあえずよく分からないが、彼が常人には理解できない人種だということが分かった。もしかしたらものすごい馬鹿なのかもしれないが、外務大臣という要職についていることからそうではないだろう。問題ばかりを起こしていても、国にとって何らかの益となる人物だから、その地位にいるに違いない。そんな人物だから「要注意!」と書かれたと推測できる。


 長い間しゃべり、疲れたのか、教師がふっ、と息をついた。それによって冷静になったのか、ハッ、と慌てた様子でこちらを見てくる。「すみません、殿下、こんな話をしてしまい……」と、申し訳なさそうに語った。

 そのような、滅多に見ない教師の姿に、レナルドは思わず苦笑する。


「いえ、俺が訊いたのですから。……それにしても、いろいろとすごい(・・・・・・・・)方なのですね、クロフォード侯爵閣下は」


 その言葉に、教師は力強く頷く。


「ええ、本当にそうなんですよ! 一時期部下だったことがあるのですが、何度も何度も問題を起こされて、その度に私が四方八方へ奔走して…………」


 彼は剣呑な眼差しで、そうつぶやくように言った。その発言に、レナルドは納得する。元部下で、いろいろと大変だったから、あのように感情をあらわにしてしまったのだろう。今でも思い出してはそうなってしまうくらい、侯爵の傍にいるのは大変だったに違いない。

 そっと彼に同情しながら、レナルドは教師との間にあるテーブルに置かれていた書類を手に取った。無駄話はこれで終わりにしよう。学ばなければならないことは多くある。


 そのとき、「そういえば、」と教師が口を開いた。彼の方を見る。

 教師は不思議そうに首をひねりながら言った。


「ユールくん、遅いですね」

「確かにそうですね……」


 言われてみれば、そうだった。いつもならこの時間にはレナルドの隣に座ってともに授業を受けているはずなのに、彼は一向に現れない。おかげで教師にクロフォード侯爵のことを訊くのに躊躇いがなかったのだが……遅すぎて心配になってくる。

 何かあったのだろうか、と、そう思ったときだった。

 ノックもなしに部屋の扉が開かれる。そちらを見れば、一人の侍女がいた。彼女は「申し上げます」と、急いで来たのか若干呼吸を荒くしながら言った。そして一拍置いた後、レナルドの許可を待たず口を開く。


「殿下の乳母の、リディア様が、お亡くなりに――」




 ――そして、十二年の月日が経った。

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