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一章(1)

 シェーラが自室にいると、コンコン、と扉が叩かれた。刺繍の手を止め、扉を見やる。


「なに?」

「ユリアナ・イシュタール様がお見えになられて、お嬢様と話をしたい、とおっしゃっていますが……」


 ああ、そういえば、と思い出す。今日会う約束をしたことを、メイドたちに告げるのを忘れていた。昨日は少し、呆然としていたから……。

 シェーラはそっと目を伏せる。胸がズキズキと痛い。だけど、本来は痛んではいけないもの。無視しなければ。

 一度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、扉の外へ向けて言った。


「今から行くわ」


 まだ途中の刺繍を机に置く。図案は月桂樹と鳥で、完成したら義兄に渡そうと思っているものだ。込められた意味は……『あなたの栄光と幸福を願っています』。その思いを込めて、ひと針ひと針、丁寧に縫ってきた。

 胸が苦しくなる。零れてしまいそうな想いを、必死に押さえ込んだ。

 ――私は、お義兄様のことが好き。だけど、それは親愛の情なのよ。そう自らに言い聞かせてシェーラは刺繍から目を逸らし、部屋を出る。

 こんな想いを、抱いてはならないのだから。




「シェーラ!」


 応接室に入ると、ユリアナがぱぁ、と顔を輝かせ、僅かに腰を浮かせた。だけどその程度で、すぐに椅子に座る。

 そんな彼女を見て、部屋に残っていた侍女――おそらくユリアナの監視をしていたのだろう――が目を釣り上げる。口を開いたところで、シェーラが視線をやってそれを制した。シェーラも貴族らしくないユリアナに最初こそそれほど良くは思っていなかったが、今はそうではなく、むしろユリアナのさっぱりとした性格を好ましくすら思っていた。貴族間の会話は、 明言を避けて曖昧に伝えあうものだから、正直めんどくさい。それをしなくていいのはとても楽で、ありがたかった。


 シェーラは椅子に座ると「昨日ぶり」と声をかけた。すると、ユリアナはあからさまにほっとため息をつく。


「はー、ちゃんと来られて良かったわ。友達の家に行くなんて初めてだったから」


 へらっと笑うユリアナ。気の抜けた笑顔に、シェーラも自然と笑みを浮かべる。


「そうだったんだ。私が行っても良かったんだけど……」

「それはさすがにダメよ。シェーラの方が身分が高いんだから」

「でも……」

「いいの。早く話しましょう? 昨日はあまり話できなかったしね」


 ユリアナの言葉に渋々頷くと、シェーラは目線で侍女たちに退出を促した。気乗りしない様子で、侍女たちは部屋から出る。静かに扉が閉められると、ユリアナはふぅ、と息をついて姿勢を崩した。


「あー、もう、ドレスって何でこんなに動きづらいのかしら。シェーラはすごいわよね……どうやったらこんな窮屈な服着たまま、ずっと綺麗な姿勢でいられるのよ……」


 若干半目になりながらこちらを見るユリアナに、シェーラはクス、と笑みを零す。「慣れ、かな」と言うと、ユリアナは「うわぁ……」と尊敬とも呆れとも言えない、なんとも不可思議な声を上げた。シェーラの用事が詰まっていたために昨日はあまり話ができなかったが、もしかしたらそのときユリアナは内心ドレスを着る時間が長引かなくて喜んでいたのかもしれない。そう思うと、よりいっそうユリアナのことを好ましく思えてくる。


「じゃあ、話をしましょうか」


 真面目な顔でユリアナがそう告げた。少しだけ姿勢が正されたのは、彼女の一生がかかっているからだろう。そう予想して、シェーラも気持ちを引き締めた。この話には、ユリアナの一生はもちろん、シェーラの一生もかかっているのだから。

 ユリアナがゆっくりと口を開く。


「まずは昨日の話をまとめるわね」


 その言葉にシェーラは頷いた。


「私は前世の記憶がある『転生者』で、ここは私が前世で『プレイ』した『乙女ゲーム』の世界。その『乙女ゲーム』では、私がヒロイン、そしてシェーラが『悪役令嬢』だった。だから私には、おおよその未来が分かるのよ。大枠は掴めた?」

「ええ。昨日よりも断然」

「昨夜、どうやったら分かりやすく伝えられるか、考えたんだもの」


 ユリアナはふふん、と笑いながら口端をつり上げる。だったら、また『プレイ』とかいう意味の分からない単語が出てきたことは流そう。それを言うと、きっと彼女は気まずそうにするだろうから。そう思い、シェーラは小さく口元を緩めた。


「じゃあ続けるわ。その『乙女ゲーム』――『君の指先に誓いのキスを』は、誰と結ばれるかを決めることができるの。その、いわゆる『攻略対象』は二人。レナルド王太子殿下と、イアン・アルハイム――あなたのお義兄様よ」


 ズキリ、と胸が痛む。思わず胸元に手をやろうとして、それを止めた。ユリアナから見えないところで、ぎゅっと手を握りしめる。

 ――お義兄様……大好きな、お義兄様。彼が他の誰かと結ばれるなんて、考えるだけでおかしくなってしまいそう。

 だけど、これは避けては通れないことだ。私とお義兄様は、決して結ばれないのだから。

 波打つ心を必死に鎮め、シェーラはユリアナを見る。


 ふわふわとしたピンクゴールドの髪は、昨日と同じように二つに括ってあった。その髪がシェーラ含めた他の貴族令嬢と比べて短いのは、おそらく彼女が元平民だからだろう。それでも不思議とはしたないとはあまり感じないのは、きっと、彼女がそのことを何も気にしていないから。

 そのことが、少しだけ羨ましかった。きっと彼女は周囲の視線や非難なんて気にしない。自分というものをしっかりと持っている。――シェーラにはそんなことはできなかったし、自分の柱も持っていなかった。だから、羨ましい。


 そんな考えを振り払うように首を振る。――他人を羨むなんて、見苦しいことよ。この世には、私よりも不幸な人なんていっぱいいるのだから。


「シェーラ?」


 黙りこくったシェーラに、ユリアナが心配そうに声をかけた。


「……何でもないわ。続けて」


 そう告げてもユリアナの不安は払拭できていないようだったが、説明を続ける方が大事だと思ったのか、ゆっくりと口を開く。


「そう。えっと……『乙女ゲーム』ではヒロインは必ず攻略対象と結ばれなければならないの。この世界は『乙女ゲーム』の世界。前世で色々『Web』小説を読んできたけど、大抵の場合強制力が働くから、きっと――」

「ちょっと待って。どういうこと? 『Web』小説って?」


 シェーラが尋ねると、ユリアナはしまった、とでも言うような表情を浮かべ、うーん、と唸り始めた。分かりやすい説明を考えているのだろう。


「んーと……ちょっと違うけど、とりあえず今は、私みたいに『乙女ゲーム』の世界に転生した人たちの物語って理解しといて。分かる?」

「何となく……」


 つまりユリアナの前世では、彼女のように転生した人の物語があった、ということだろう。とても変わっているのね、とシェーラは思った。転生したら前世の記憶があったなんて、想像さえしたことなかった。そんな発想をできるのは、やはりこちらの世界と文化や生活が違うからだろうか?

 シェーラが心の中でそんなことに思いをめぐらせていると、ユリアナが「ならいいわ」と言った。


「その『Web』小説だと、大体『乙女ゲーム』通りのストーリーになるように強制力が働くの。例えばある『イベント』でヒロインが転ぶのならば、私もその時になったら必ず転ばなければならないってね。だから私もきっと、王太子殿下かイアン様と結ばれなくちゃならないんだわ。普通の『乙女ゲーム』なら攻略対象と結ばれない『ノーマルエンド』とかあるんだけど、この『乙女ゲーム』のスローガンは、必ず『プレイヤー』を幸せにする! だったからね……」

「そう、なの……」


 ――胸が痛い。普通の『乙女ゲーム』のことはよく分からないけれど、彼女が王太子かイアンと結ばれることは決定事項とのこと。それならば、シェーラは必ず彼女に奪われることになるのだ。王太子妃の座か、愛する義兄を……。

 そっとシェーラが目を伏せると、「それで、」とユリアナが口を開いた。


「イアン様と結ばれるためには、必ずある『イベント』を『クリア』しなきゃいけないの。その『イベント』はこの伯爵邸内で起こって、しかも起こるか起こらないかは完全に運で……。だから、ね、シェーラに協力してほしいのよ。お願い!」


 そう言って、ユリアナは勢いよく手を合わせ、ぎゅ、と目を瞑った。眉根が寄っており、心の底からの願いだと分かる。真剣なのだろう。自らの一生がかかったお願いなのだから。

 そんな彼女を前にして、シェーラに言える言葉はたった一つしか残されていなかった。


「――もちろんよ」

「ありがとう、シェーラ! あなたは王太子妃を目指して、私はアルハイム伯爵夫人を目指して、共に頑張るわよ!」

「ええ、そうね」


 胸の痛みを無視して、シェーラはニッコリと笑顔を浮かべた。

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