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ユリアナ(2)

 家から一歩踏み出す。外は暗く、ほとんど何も見えなかった。煌々(こうこう)とした明かりと、ぼんやりと壁が浮かび上がる程度。そのことに、ユリアナは少しだけモヤモヤした。せっかく初めて外に出たのに、それを見られないなんて、少し悲しい。

 そう思いながらリナに続いて真っ直ぐ行ったり曲がったりしていると、やがてランタンを持った男性が見えた。彼はやって来たリナを見て「閣下」とほっと息をつき、そしてユリアナに視線をやった。それは冷たく、どこか蔑むようなもので、母のものと似ていた。自然と体が強ばる。


 そんなユリアナのことに気づいたのかは分からないが、リナが「ちょっと」と、厳しい声で言った。そろそろ、と彼の方を見上げれば、その視線も鋭いものとなっていて、またもや胸が高鳴る。かっこいい。そんな言葉が思い浮かんだ。キリッとした表情に、声色、凛々しい瞳。少なくとも、ユリアナにはそう見えた。


「ブライアン、そんな表情しないの。この子はヒロインよ」

「…………そーですか」


 ふふん、と鼻を鳴らしながら言ったリナの言葉に、ブライアン、と呼ばれた男性はうんざりしたように返事をした。彼の方を見て、ユリアナは首を傾げる。確か母がある男性に対して「閣下」という呼び方をしていたはずだ。そのとき母は、その人に対しては敬語で、「偉い方なのだから、絶対に逆らわないでよ」とユリアナにも言っていた。だからブライアンよりもリナの方が偉いはずなのに、彼からはリナを敬うような気配を感じない。それがとても不思議だったのだ。


 だけどユリアナのその疑問には二人とも気づかないようで、「じゃあ行くわよ」とリナが言い、ブライアンはそれに「はい」と短く応え、先導するようにユリアナらの前を歩き始めた。

 ランタンがほのかに辺りを照らす。今日はどうやら月のない夜のようで、ランタンがあってもほとんど周りが見えない。だけどブライアンはまるで全てが見えているかのようにすいすいと進み、そしてある場所で立ち止まった。


 暗闇の中、ぼんやりとブライアンの前にある物が浮かび上がる。それは車輪のついて、地面からわずかに浮いた〝部屋〟だった。風変わりな家ね、と、心の中で呟いた。それくらいヘンテコで、見たことなかった。もしかしたら、ユリアナが知らないだけで、これが普通なのかもしれないけれど。というよりそちらの可能性の方が高いけれど。

 ブライアンが〝部屋〟の扉を開け、リナの方を振り返って言った。


「ではどうぞ、閣下。段差にお気をつけて」

「そう毎回言わなくても分かってるわ」


 リナはぶすっとした声を出して階段を上り、その〝部屋〟に入る。ユリアナは手を繋がれていたため、転げそうになりながらも、おそるおそる階段を上った。三段だけのそれを上がりきれば、そこは〝部屋〟の中だった。

 とても簡素で、小さな空間だった。両側面の壁にソファーがとりつけられていて、入り口の向かい側にカーテンの締め切られた小さな窓がぽつん、とあるだけ。広さは手を伸ばしたユリアナが二人いれば両の壁につく程度で、とてもじゃないがここで暮らせそうにはなかった。


 偉い方なのに、どうしてこんなところで暮らしているのかしら? と思うと、突如背後で扉が閉められた。驚いている間にリナに導かれ、ユリアナは左手にあるソファーに腰かける。彼が隣に座って、どきりと胸が跳ねた。何故だかそわそわして、落ち着かない。心の中で呻いていると、〝部屋〟が僅かに揺れた。えっ、と動揺して困惑する間も、〝部屋〟が上下に、そして時々左右に揺れる。初めての感覚。混乱して、だけど何をすることもできずただただじっとしていると、次第に気持ちが悪くなってきた。目の前がぼやける。


 リナの声が、微かに届いた。


「大丈夫よ、ユリアナ。あなたをちゃんとしたヒロインにしてあげるから」


 ――また、ヒロイン。結局その言葉の意味は何だろう、と思い、口を開きかけたけれども、声が出ない。静かにまぶたが落ちていく。

 そのまま、ユリアナの意識は闇に包まれた。



△▼△



 目が覚めると、そこは見たこともない部屋だった。初めて見る純白のシーツに、ふかふかのベッド。何故か天井が低くて、ユリアナは首を傾げた。うちの天井はこんなに低くなかったはずだけれど……そもそもどうしてここにいるのかしら?

 そこに思い至り、ユリアナは記憶を手繰(たぐ)った。確か、リナという男(女?)がやって来て、ユリアナをあの家から連れ出したのだ。そこで何やら〝部屋〟に入って……。


 そこまで思い起こし、ん? と、またもや首をひねることとなった。記憶にある〝部屋〟とはまた違う。あそこが家ではなかったのだろうか? いやそもそも、あの〝部屋〟にいたときに感じた揺れはなんだったのだろう? 分からない。初めてあの家の外に出て、しかも夜で何も見えなかったから、情報が圧倒的に不足していた。


 ううん、と心の中で唸り、とりあえずはベッドから降りることにした。柔らかくて不安定なベッドの上をそうっと四つん這いで進み、足を床につける。床一面に絨毯が敷かれているようで、ふわふわとした感触が足の裏に伝わってきた。そのことに驚きながら、ユリアナは足に体重をかける。ギシ、と、ベッドが鳴った。


 そろそろと立ち上がり、ユリアナは辺りを見回した。今までベッドにいたため気づかなかったが、何故かベッドに天井がついていて、部屋の天井はさらに上にあった。意味が分からない。どうして天井が二つもある必要があるのだろう?


 そう思って首を傾げていると、ガチャリと扉の開く音がした。そちらを見れば、見慣れない黒と白の服を纏った女性がいた。年齢は母と同じくらいで、銀色の腰の高さまである台(?)を持っていた……いや引いていた。それは動くようで、音を立てることなく床を滑る。上には皿が置いてあった。


 見たことのない物がさらに増え、ユリアナがじっとそれを見つめていると、女性がこちらを見た。「まぁ!」と声を上げる。


「お目覚めになられたのですね! 良かった、未来の奥様に何かがあってはどうしようかと……」


 女性はそう言うと、うう、とうめき声を上げる。どうやら泣いているようで、ユリアナはぎょっとあとじさった。どうして泣いているのかもよく分からず、どうすればいいのか分からない。


(ええっと……)


 彼女の言葉を思い返す。未来の奥様。……奥様、という言葉は知っていた。確か、そう、屋敷の女主人のことだと誰かが言っていた気がする。ということは、ユリアナが屋敷の女主人になるのだろうか? なら、夫は? 旦那様は? ここに連れてきたのはリナだから、もしかして彼が……?


 そう思うと、胸の底から何か温かいものが溢れ、身を包む。それはかつて、母の元を訪れる男性の一人に頭を撫でられたときに感じたことのあるものだったけれど、これほどまでではなかった。こんなに温かくはなかった。そのことに戸惑う。ユリアナは完全に気持ちを持て余していた。


 そのとき、いつの間にか近づいていたのか、女性がユリアナの体に触れた。ピクリ、と肩が跳ね、思わず一歩足を下げる。女性はきょとん、としたものの、すぐに表情を歪め、「そうね、ごめんなさい」と言った。


「暴力を受けていたのでしょう? 知らない人に触られるのは嫌よね……。気づかなくてごめんなさいね」

「いえ……」


 よく分からないけれど、なんとなくいたたまれなくなって声を絞り出すと、「まぁ!」と女性が表情を一変させ、嬉しそうな声を上げた。ふふ、と幸せそうに微笑んでいて、ユリアナは首をかしげる。何かしたのか、と思っていると、女性は心底嬉しそうに言った。


「お医者様から、あまり心の傷が深いと、喋られなくなる方もいると聞いていましたから……本当に良かったです。旦那様はそれでも気にしないとは思われますが――何しろ自ら連れ帰ったほどですものね――、世間の目は厳しくなってしまいますから」


 ユリアナは彼女の言葉の一部を拾いとり、目を見開いた。――〝旦那様〟が、私を連れ帰った。ならきっと、〝旦那様〟はあの方――リナ様で、私はあの方の妻になれるのだわ。

 確信を持てて、思わず笑みをこぼした。幸せだった。



 ――このときは、まだ。

アルファポリスで、恋愛小説大賞に参加中です。投票してくださるとありがたいです。

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