エピローグ
「レナルド様が、本っ当にすみませんでした!」
その声とともに下げられる三つの頭に、シェーラは苦笑いを浮かべた。栗色の髪をハーフアップにして美しく着飾った女性が、両腕を使って王太子とルイスの頭を押さえつけ、同じように謝らせている。王太子は謝る気はあるのだろうが意外にも女性の力は強いらしく、「痛い痛い」と喚いていた。ルイスは身長差のためそれほど苦ではないのか、無言で女性に従っている。
王太子を助けるつもりで、シェーラは「もう大丈夫ですから、顔を上げてください」と告げた。
女性はゆっくりと顔を上げ、申し訳なさそうな瞳でこちらを見つめる。解放された王太子は首の辺りをさすっており、ルイスは無言で体を起こすと黙り込んだ。
「ですけど……」と女性がまたも謝ろうとするのを、失礼だが遮り、シェーラはにっこりと笑って言った。
「アイリーン様、本当に大丈夫ですから。このようにちゃんと王宮で休ませていただきましたし」
それでもアイリーンは謝りたそうにしていたが、シェーラは視線を逸らすことによってそれをかわした。窓の外では名前の知らない二羽の鳥が仲良さげに寄り添って飛んでいる。シェーラはゆるりと目を閉じると、今までのことに思いを馳せた。
シェーラがイアンといたいと決めると、ローリーはそんなはずないと暴れかけた。けれど動揺のためかシェーラを拘束する腕が緩んでいたためなんとか逃げ出し、彼は衛兵らによって連行されていった。
その後、シェーラとユリアナは事情聴取のため王宮に連れてこられ、色々なことを聞かれた。その際に、母親を亡くしたユリアナはリウカマー侯爵によって拾われて育てられたため、彼の望みを叶えるために頑張っていたのだと知った。シェーラに前世の記憶があるか確かめるために近づき、そう出ないと判明したから利用をしたらしく、そのことについてその場で謝られた。
それは気にしなくていい、とシェーラはユリアナに告げた。好きな人のために頑張りたい気持ちは分かるし、たとえ嘘をつかれていたとしても、その間に築いた絆は、少しくらい彼女のつけていたアルーの花の効果はあったとはいえ、全てが嘘ではないのだから。
あと、シェーラがイアンに恋心を抱いていたと知らなかったとはいえ、彼とキスをしたことも謝られた。それもリウカマー侯爵の命令だったらしい。彼はユリアナに王太子と結ばれて欲しかったそうだが、イアンとの『イベント』も見たかったのだとか。それに関しては曖昧に笑ってごまかした。それを見ていて、あまつさえその後シェーラも彼とキスしたことを、衛兵らもいる場所でつまびらかにする勇気は、話してくれたユリアナには申し訳ないが、さすがになかった。
事情聴取が終われば、二人は別々の部屋に入れられた。そして医師がやってきて、体調に問題がないのかを調べられる。シェーラはまだ香水の効果が抜け切れていないのか僅かに頭がぼうっとしたものの、それ以外は特に問題はなく、数日の安静と経過観察と診断された。その頃にはもう外は暗くなっており、今から帰るよりも泊まった方がいいと王太子が判断したためか王宮に部屋が用意され、その晩は眠りについた。
そして今朝目覚めれば、これだ。以前シェーラが王太子と抱きあっているのを見た女性が現れ、クロフォード侯爵家の長女のアイリーンだと自己紹介をすると、王太子とルイスとともに謝罪をしたのだ。
アイリーンは幼い頃に王太子と口約束ではあるが、結婚の約束をしたらしい。だけど王太子がシェーラと婚約したためかなりのショックを受けていたそう。王太子の部屋に現れたのは、怪我をしていてもたってもいられず、強引にやって来てしまったのだとか。つまり彼女も、王太子とルイスが何をしているのか知らなかったらしい。昨晩弟であるルイスから告げられ、今朝こうしてやって来たそう。
シェーラはふぅ、と息をつく。王太子との婚約が決まってからこれまで、本当にたくさんのことがあった。ユリアナと出会って、イアンとも……。
「さて、」と王太子が言った。
「シェーラ嬢、さすがにあなたが何も知らないのは申し訳ないから、疲れているだろうが、俺の分かっている範囲で説明をさせてもらう」
「分かりました」
シェーラが頷くのを確認して、王太子は今までのことを話し始めた。
王太子は宰相の権力を失墜させるために、あえて『乙女ゲーム』となるべく同じようにしてきたのだとか。それで宰相が襲撃犯を雇ったのだと思い宰相邸に行けば、実はリウカマー侯爵が黒幕だったらしい。しかし罪状がなければ捕らえることができないと困っていた頃、危険なアルーの花を所持していることが明らかとなったので潜入。そこでリウカマー侯爵が王太子と同じように前世の記憶を持ち、私欲のために色々手を回していたことが発覚したとのこと。
「――それで、マドック子爵のことだが」
その名前に、シェーラの体は思わず固まる。だけど王太子は口の動きを止めない。
「彼はリウカマー侯爵に未来を教えられたらしい。……シェーラ嬢、このまま俺と婚約すればあなたが不幸になる、というものだ。あなたが『乙女ゲーム』通り俺のことが好きだったのならば、不幸にするのは当のリウカマー侯爵なのだがな……」
そう言って、王太子は眉を寄せた。ということは、ローリーはただ騙されただけで、特に誰にも害を与えていないから、罪に問われることはないかもしれない。
シェーラがほっと息をつくと、「だが」と王太子が続ける。
「彼はその未来を信じきり、アルーの花を取ることに対して反対した父に毒を盛ったらしい。やけになったのか、本人が話してくれたよ」
「え……」
思わず声を漏らす。それくらい衝撃的なことで、理解が追いつかなかった。――ローリーが自らの父を殺した? あんなに仲良さげだったのに……。
そんなシェーラを追い詰めるように、王太子はさらなる言葉を紡ぐ。
「それに、アルーの花は危険なものだ。今後のことも考えて、法律で規制をすべきだから、罪は免れないだろう」
「そう、ですか……」
シェーラはそっと目を伏せた。幼い頃の知り合いが罪を問われ、牢に入れられる。それは仕方のないことだろうが、ひどく胸が苦しくて、辛いことだった。
重たい沈黙が辺りに満ちる。それをもたらしたのが自分だということで、シェーラは余計にいたたまれなくなった。
……やがて、はぁ、と王太子がため息をつく。
「そこでコソコソと聞き耳を立てているのなら、さっさと出てこい」
どういうことなのか意味が分からず首を傾げると、部屋の扉がゆっくりと開く。そこにいたのはイアンだった。気まずげに視線を宙へやり、だけどやはり色々と気になるのか、チラチラとこちらを見ていた。
王太子はイアンに近づくと、何かを囁き、シェーラに対しては「では、あとは二人でごゆっくり」と言うと、そのまま部屋を出ていった。アイリーンとルイスの姉弟も若干あたふたとしながら出ていく。
そして、二人きりになった。
何を言っていいのか分からず、シェーラは視線を窓の外へやる。勢い余って何故かあの場で告白してしまってから今まで、ずっと話していなかった。それゆえ、かなり気まずい。
そもそも、本当にイアンが恋愛的な意味でシェーラのことを好いてくれているのかも、よく分かっていなくて――。
「シェーラ」
耳に心地よい声で名前を呼ばれ、シェーラはどきりとする胸を宥めながら、イアンの方を見た。彼は真剣な瞳でこちらを見ていて、その深い瞳に、またもや胸が跳ねる。
うう、と心の中で呻きながらも、きちんとイアンの瞳を見つめれば、彼はゆっくりと口を開いた。
「その……改めて、君のことは好きだよ。最初に会ったときから、ずっと。――君と殿下の婚約は破棄される。だから、僕と……」
そこから先は緊張のためか、聞き取りづらかった。だけど流れと唇の動きから言いたいことは分かって、シェーラはゆるりと微笑んだ。
「はい、喜んで、お義兄様。私も、お義兄様のことが初めて会ったときから、好きでした」
その言葉にイアンは目を輝かせ、抱きついてこようとする。だけど直前、何を思ったのか体を離すと、ゆっくりと跪いた。そしてシェーラの左手を恭しく取る。
「僕、イアン・アルハイムは、生涯、シェーラ・アルハイムを守り、愛すると誓います」
そう言って、口づけを手の甲に落とした。それはかつて、初めて会ったとき、シェーラを泣き止ませるためにしてくれた誓いとほぼ同じ文言で。
シェーラの胸がどきどきと早鐘のように鳴り響く。頬に熱も集まって、どうにかなってしまいそう。
そんなシェーラを見て、イアンは真面目な表情を浮かべる。
「――昔もこの誓いをしたけど、ちゃんと守れたのかは断言できない。だけど、今度こそ、この誓いは絶対に守り抜くから。二人で前を向いて、生きていこう」
「はい」
万感の思いが溢れてきて、シェーラは目元が熱くなるのを感じながら、笑みを浮かべて頷いた。
これにて完結です。ここまでお付き合いしてくださり、ありがとうございました!
回収できていない伏線もあるので、年内にはユリアナ視点と王太子視点、そしてできればアイリーン視点の番外編を更新したいとは思っていますが、他にも書きたい作品があるのでどうなるのかは分かりません。すみません。
とりあえず感想くださると嬉しいです!(直球)




