三章(1)
かなり長らくお待たせしました!徐々にですが、更新再開します!
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ゆっくりと意識が夢の世界から浮上し、シェーラは瞼を押し上げた。ぼんやりとした視界に映るのはいつもと変わらない自室の光景。ぼうっとそれらを見つめる。
何となく長い夢を見ていた気がして、そのためか、昨夜何があったのかも思い出せない。霞がかった思考で昨夜の記憶を手繰り寄せ……思わず顔を真っ赤にし、体を丸めた。
そう、昨夜部屋にイアンが突然訪れ、そして――キス、されたのだ。うう、と呻き声を漏らす。まだ感覚が残っているような気がして、唇が熱くて、胸がドキドキした。
はしたない、と分かりながらもベッドの上でゴロゴロと転がり、熱を発散させる。やがてふぅ、と息をついて体の動きを止めると、自然とその前のできごとも蘇ってきた。
そっと目を伏せる。昨夜の舞踏会で、シェーラは正式に王太子の婚約者となり、だけど派閥のことを知らされて本当に王太子の婚約者になって良かったのか、分からなくなって――そして、襲撃。王太子とイアンが負傷し、シェーラが王太子の元へ連れて行かれたら、王太子の恋人のような女性が現れたのだ。
(なにが、起こっているのかしら――?)
もう、何がなんだか分からない。どうするのが義兄にとって最も良い方法なのかも。
はぁ、とため息をつくと、コンコン、と部屋の扉が叩かれた。「なに?」と声をかける。
「ユリアナ・イシュタール様がお見えになられましたが、どうなさいますか?」
「え?」
その報告に今日会う約束なんてしてなかったはず、と驚きながらも、シェーラはすぐさま今日の予定を確認した。確か、午前中は休みだったものの、午後は講義がびっしりと詰まっていたはず。慌てて時計を確認すれば、もう既に十一時を指していた。どうやら侍女は初めての舞踏会で疲れているだろうと気を遣って起こしてくれなかったよう。だけど、今はその気遣いが恨めしい。
「応接室に通して、あんまり時間がないことも伝えて。あと、着替えを手伝ってくれる侍女を――」
「既にこちらに」
「じゃあ、入ってきて。急いで着替えるわ」
「承知致しました」
その返事とともに扉が開かれ、侍女が数名入ってくる。シェーラはいそいそとベッドから降りながら、侍女が着替えさせやすいように動き、ドレスへと着替えた。それから化粧を軽く施し、ユリアナの待つ応接室へ向かう。朝ご飯――というよりブランチは後回しだ。ユリアナは大切な友達なのだから、そんなことしている暇はない。
足早に移動して応接室に着くと、ユリアナはシェーラを見た途端にほっと胸をなでおろした。「良かった、シェーラ。無事だったの」と言う。おそらく、昨夜の襲撃のことだろう。情報規制のためあまり襲撃の詳細は周知されておらず、王太子の隣にいたユリアナも狙われたのだから、シェーラも狙われたのでは、と不安に思っていたのかもしれない。
シェーラは安心させるように微笑んだ。
「うん、大丈夫。ユリアナこそ目立った怪我はないようで良かった」
そう言うと、ユリアナはえへへ、と可愛らしくはにかむ。
「ええ、イアン様が庇ってくれたから。……不謹慎だけど、ちょっとだけ嬉しかったの、あのとき。イアン様、私のこと好きでいてくれてるんだって、ちゃんと分かったから」
ズキ、と胸が痛み、思わず手を握りしめた。昨夜、その彼にキスされたと伝えたら、ユリアナはどう思うのだろう? それに、彼女たちだって舞踏会のテラスでキスをしていて――。
シェーラはそっと目を伏せた。ユリアナは友達だけれど、彼女に対する嫉妬が胸から溢れて、どうしようもなくなってしまいそう。
だって、――それくらい、イアンのことが好きなのだから。
他の何とも比べられないほど好きで、大好きで、愛していて……。
ああ、とシェーラは心の中で嘆く。――たとえお義兄様に嫌われようとも、王太子殿下の懐に入って、好きになってもらおうと思っていた。覚悟を決めていた。だけどやっぱり、私はお義兄様のことが好きで……。
(……何をやっているのかしら、私)
もう、何も分からない。分かりたくない。考えたくない。
そう思っていると、ユリアナが「シェーラ?」と呼びかけた。慌てて顔を上げれば、心配そうな顔つきでこちらを見つめていて、急いで笑顔を取り繕った。
「ごめんね、ぼうっとしていて。それで、どうかした?」
そう尋ねると、ユリアナは顔を歪めながら言葉を発した。
「ねぇ、なにか不安でもあるの? 相談して。私とシェーラは友達でしょ?」
その言葉に、「うん、そうだね」とシェーラは頷く。だけど、心の中では別のことを思っていた。
――確かに、ユリアナは友達だ。彼女の隣にいると居心地がいいし、楽しい。だけどそれと同時に、憎き恋敵でもあって……シェーラの、彼女に対する感情は混迷を極めていた。
そんなシェーラを、ユリアナはじっと見つめる。それだったら相談してくれ、とでも告げているような瞳だが、さすがに正直な気持ちを言うわけにはいかない。友達であっても……いやだからこそ、こんな感情なんて知られたくなかった。
だけどユリアナは、シェーラが何か言わない限り引くことはない様子。必死になんとかごまかそうとして、ふと、昨夜の一場面を思い出した。
「えっと……『乙女ゲーム』? でも、王太子殿下に恋人っていたの?」
「……え? どういうこと?」
ユリアナが首を傾げる。シェーラは丁寧に、昨夜の光景を伝えた。自らに抱きつく栗色の髪の令嬢を、愛おしげに見つめる王太子。二人の醸し出す雰囲気は、恋人のそれだった。
シェーラの話すことを聞くと、ユリアナは唇に指を当て、「そんなことありえないわ」とうわ言のように呟く。
「『ゲーム』じゃ、そんな相手はいなかったはずよ」
「……じゃあ、どういうこと?」
もやもやとした不安が胸の内に広がる。思わずきゅ、と手を握りしめた。――ずっと、ユリアナの語る未来を信じていた。私はお義兄様と結ばれることは決してできず、王太子殿下と結ばれるしかないのだとずっと思っていた。なのに……。
ユリアナはゆっくりと、確かめるように言葉を紡ぐ。
「――この世界は、『ゲーム』から外れ始めている。そもそもイアン様と婚約できたところからおかしかったのよ。どうしてちゃんと考えなかったのかしら。これじゃあ……ちゃんと『ゲーム』通りに進んだとしても、結ばれる保証ができないわ。……特に、シェーラは」
その言葉に、シェーラは目の前が真っ暗になった気がした。――今までやってきたこと。それら全てが無駄になって……言いようのない虚無感に襲われた。姿勢を崩してソファーに深くもたれかかり、天井を見上げる。何百年、何千年も昔に突如この世に舞い降りたとされる聖女伝説の一場面が丁寧に、豪奢に描かれており、いつもはそれに感動するものの、シェーラの心は全く動かなかった。
ぼうっとしていると、ユリアナが「シェーラ」と呼びかける。のろのろと彼女の方に視線をやれば、ユリアナは厳しい瞳でこちらを見ていた。
「――今まであの方の意向で黙っていたけれど、実は、私には協力者がいるの。前世の記憶を持つ私を手助けしてくれる方よ。……この状況はもう私の手には負えないわ。だから、あの方も交えて、三人でこれからの作戦を練りたいの。……どう、会わない?」
ぼんやりとした頭で、シェーラは頷いた。――全てが全て、煩わしくてたまらなかった。