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二章(6)

イアン視点です。

 王宮の中に入った途端、衛兵について人気のない廊下に消えていくシェーラの背を、イアンは静かに見送った。引き止めてどこかへ連れ去りたい、という思いはあったものの、手を握りしめて必死にその願いを心の底に沈める。これは報われてはならない恋だ。だから、決してそんなことはしてはならない……。


「イアン様、行きましょう?」


 イアンがじっとその場を動かないことにしびれを切らしたのか、ユリアナがそう言ってきた。短めの髪がふんわりと揺れている。義父はいつの間にかいなくなっていたことから、既に先に行ってしまったよう。相変わらずシェーラの前以外ではイアンに冷たい。

 ふぅ、と息をついて、イアンは作り笑いを浮かべた。


「そうですね」


 そう言って手を差し伸べると、ユリアナは手を重ねる。シェーラじゃないことにがっかりしながら、イアンはユリアナをエスコートして舞踏会の会場へ入場した。

 イアンたちが入った途端、いくつもの視線が刺さる。その視線には戸惑いが多く含まれていた。

 やっぱり、とイアンは心の中でつぶやく。やっぱり、こうなったか。


 元々イアンは宰相に付き従っていた。だけど次第に宰相ではなく王太子寄りの発言をするようになった。けれど、イアンの父である伯爵は相変わらず宰相側のまま。宰相にヘコヘコ頭を下げ、少しでもおこぼれに預かろうとしている。

 そのため、アルハイム伯爵家は父と息子で派閥が違う。それが世間による認識だった。


 けれど、それを今回の婚約がややこしくする。アルハイム伯爵がイアンと王太子派閥のユリアナとの婚約を許したということは、もしやアルハイム伯爵自身も王太子に下ったのでは? そんな疑念を人々に抱かせる。

 だけど――。イアンはホールに入ってすぐに見つけた自らの父の方に視線をやる。アルハイム伯爵の態度は以前と変わらず、宰相に頭を下げていた。だから、彼が王太子の派閥か宰相の派閥か分からず、皆がアルハイム伯爵やイアンと関わるべきか否か判断し損ねていたのだ。


 真実は、父が派閥とかを意識していないだけだけれど。


 イアンはこっそり心のうちでため息をつきながら、ユリアナを見やる。初めての舞踏会に緊張しているためか、彼女の表情がこわばっており、僅かに青ざめていた。




 ホールの中には多くの貴族や王宮の使用人、騎士がいるが、その中で最も人が集まる場所があった。イアンはその集団に視線をやる。そこにいるのは、王太子とシェーラだった。話しているのはもっぱら王太子で、シェーラは時折相づちを打つ程度。そんな二人は、傍から見ていい雰囲気とは言い難い。

 そのことにイアンは感情を持て余していた。いい雰囲気ではないのは、正直嬉しい。けれど、そのことでシェーラが悲しむのは嫌だった。


「イアン様」


 ユリアナに声をかけられ、イアンはふっと思考の底から浮かび上がる。慌てて表情を取り繕い、ユリアナを見た。


「はい、なんでしょう?」

「シェーラを見てたんですか?」

「……はい」


 あまり誤魔化すのも良くないと思い、正直に答える。するとユリアナもうんうん、と頷いた。


「分かります。シェーラ綺麗ですもんね。入場してきたとき、思わず見惚れちゃいました」


 軽い口調でそう言うユリアナに、僅かに苛立ちが湧き起こる。今抱いているのはそんな軽い感情なんかじゃない。そう言いたくなった。

 だけど何とか唾とともにその言葉を呑み込む。口に出してはいらぬ波紋を呼び、真実に――イアンがシェーラを愛していることに気づかれてしまうかもしれないからだ。それは絶対に避けなければならない。

 イアンがそんなふうに思いながら黙っていると、何を思ったのか、ユリアナが口を開いた。


「イアン様は……どうして私と婚約をなさろうと思ったのですか?」


 その言葉に、イアンは固まった。頭を急いで回転させる。考えをめぐらせる。

 本当は王太子に言われたからだが――そんなこと言えるはずがない。王太子に不信感を抱かれていると知られたら、たとえ彼女がシェーラに近づいたのになんの思惑もなくとも、気分を害するだろう。何らかの目的が胸にあった場合は考えるまでもない。


(ここはやっぱり――)


 定番の、好きだから、だろう。

 イアンはシェーラに対する想いをより胸の底に押しこみ、にっこりと貼りつけたような笑みを浮かべた。


「ユリアナ嬢がシェーラと親しいことは、うちの使用人から聞いてたので。それで興味を持って、会った瞬間に恋に落ちてしまったのです。……いわゆる一目惚れ、ですね」


 そう嘘を吐くと、ユリアナは俯く。「だったら……」と小さな声で告げた。


「だったら、……きす、してください」


 羞恥のためか、その声はか細く、震えていた。

 キス、とイアンは心の中で反芻する。キス――口づけ、接吻。

 反射的に嫌だ、と言いそうになる。シェーラ以外とするなんて……そんなの嫌だ。だけど咄嗟に口を噤んで、何とかこらえる。

 王太子はユリアナに探りを入れることを望んでいる。今ユリアナに先程の言葉が嘘だとバレて、警戒されるのはあまりよろしくない。小さく呼吸をして、頭を冷静にさせる。そして、にっこりと笑みを浮かべた。


「ここでは、人目がありますし……」


 人目があるというか、人目だらけだ。もう舞踏会も半ば。入場したときほどではないとはいえ、見られているのには変わらない。

 これで諦めるかな、と思ったイアンだったが、そうはいかなかった。

 ユリアナは「でしたら……」と言う。


「でしたら、テラスに行きましょう? そこで、その……」


 声が徐々に小さくなっていく。恥ずかしいのだろう。普通、はしたないと思われるため、こんなふうに女性からキスをせがむことなどない。何故はしたないと思われようとも、彼女がそんなにキスを望むのかがよく分からないが、ここで断ったら怪しまれると思い、イアンはにこにこと頷く。視線をめぐらせ、人がいなさそうなテラスへ向かって、ユリアナの手を引いて歩き出した。


 テラスに入ると偶然誰もいなかった。人がいたら断れたかもしれないのに……。そうイアンは内心で愚痴をこぼして、テラスの手すりに触れると、ユリアナの方を見た。彼女は俯いていて、表情を窺うことはできない。「ユリアナ嬢」と呼びかける。


「いいですか?」


 そう言いながらユリアナの手をそっと離し、空いた手を彼女の顎に添え、自らの方を向けさせた。緊張しているのか、ユリアナの顔は青白い。


「――はい」


 ユリアナはそう言って目を閉じる。――後戻りはできそうになかった。

 イアンはユリアナに顔を近づけ、息の吹きかかる距離までいくと、同じように目を閉じた。そしてそのまま、唇を押し当てる。


 ――初めてのキスは、ひどく、ひどく無感動なものだった。

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