笹田高嗣の場合 4
お前は誰だって思うぐらいに陽実が化けた理由はわかった。そしてそれだけ聡明になった陽実がこれほど苦しんでいた核心がこれかと、高嗣も唾を飲み込む。
向こうの世界に帰る。
一体それがどういうことなのか、高嗣には全てを理解できなかった。それでも一つだけ予感がする。とびきりの悪い予感が。
「帰っちゃったらもう、ハルには会えないのか?」
震える声で聞いてしまう。聞きたくないし答えないでほしい、本心ではそう思っているのにこの口はままならない。ここで嫌だ、嫌だと喚き散らせばハルが帰らないというのなら、もしかしたら高嗣は躊躇わずにそうしたかもしれない。けれど高嗣の頭が余計なことをグルグルと巡らせている間に陽実は答えてしまった。
「ごめん、わからない」
陽実がそう言うのならそうなんだろう。今しがた見たばかりの魔法的な問題ならば、高嗣に口を挟む余地などない。
でも、本当の問題はそこじゃない。
向こうに行ったきりになるかならないかではなく、行ったきりになる可能性がある状態で、それでも陽実が行きたいかどうかだ。
自分の唇がやけに渇いているなとそぐわないことを思いながら、高嗣はまた聞いた。もう、声は震えていなかった。
「ハルは、帰りたい?」
あの日の体育館を彷彿とさせる沈黙の後に、陽実は弱々しく頷いた。
「ずっとね、高嗣とお父さんのことを見てて。私のお父さんとお母さんのことも見てて、思ったの。こんな、当たり前に思い合える家族ってすごい、いいなって。それでね、向こうで私は、ある国のお姫様で、隣の国と戦争中だった。向こうの私の両親は、私を逃がすために魔法を使ってこの世界に送ったの」
「……優しい人たちだったんだな」
「うん、そう、優しかった。そんなことも忘れてた。それで、どんどん魔力が強くなってるのがわかって、もしかしたらって思って魔法のことも勉強したの、独学で最初から。そしたらね、もうちょっと魔力が強くなれば、帰れるって結論は出たんだ。あくまでまだ、理論だけなんだけどね」
「でもやっぱり、せめて試すだけでも、ハルは」
「うん。このまま何もしなかったら絶対、後悔するから。だから、私は」
ああ、俺はこの目を知っている。
もう何度だって見てきた。ずっと隣で見てきたんだ。
何があっても揺るがない、抗うと決意したときに決まってこいつはこの目をしていたじゃないか。
陽実のことならいちばん知っているという自信を、高嗣はもう疑わない。陽実のことなら信じるって気持ちは既に固めた。だったら高嗣にできることは、最初から一つだけだった。
「……俺さ、ハルがすごくなってから、何でこいつは彼氏作らないんだろって思ってた。て言うか、何でまだ俺に付きまとうんだろって」
「それは私が、」
「だから最初は嫌がらせだって思ってた。小さい頃からずっと隣でブツブツぼやいてた俺に対する嫌がらせ。そんで嫌でも俺に意識させて、そうなったところでポイッて島を出て行くんだって」
「違うよ! そんなこと思ってない、考えたこともない!」
思わず前のめりに否定する陽実に、高嗣は弱く笑った。これまでの自分が如何にバカだったかを知って、陽実は自分の想像よりもずっとすごい女になっていたことがわかって。
「知ってる。てか、今知ったばっかだけど」
「遅い。ほんとに全っ然遅い!」
「うん、だからさ」
ならばもう、言いたいことはこれだけだ。
「最後にさ、たくさん思い出作ろうぜ。あとちょっと掛かるんだろ、帰れるようになるまで。ならそれまで、二人で一緒に居よう。俺がそうしたい。もう勝手にハルのこと見誤らないように、いちばん近くで見てたい」
陽実が思い残すことがないように。
笑ってさよならと言えるように。
きっと自分は陽実の背中を押すためにこの島に来たんだと高嗣は、それだけは間違ってないと胸を張って言える。もしも陽実に会うために生まれてきたのなら、これほど誇れることはなかった。
「……ありがど、ゴウ、ありがどう……!」
「お姫様がなんつー顔してんだよ」
月明かりが差すことでできた二つの影が重なり合うのに時間は要らなかった。




