第十節 継承と新生②
「代理さんよ、聞いてるのか!?」
不死鳥の月二十三日、時刻は午後の六つの鐘が鳴り終わったあたり。
怒号とともに振り下ろされた拳がテーブルの天板を粉砕して樫の破片が散らばった。
「約束は果たしたはずだ、早くリーリアを解放しろ! あいつはもう臨月に入っているんだぞ!?」
唾を飛ばす勢いでまくし立てたのは普段の冷静さがかけらも見あたらないフォートである。
妻のこととなると性格が変わると城内でも評判の彼は妊娠中のリーリアを、よりによって血縁のワール公にさらわれていたのだ。
「ふん、キンディを取り逃がしておいて約束を果たしたなどと、よく言えたものだ」
「そんな指示は受けていない! 連中を招き入れて桜花を捕まえるだけだったはずだ!」
「そんなものは手段であり目的ではない。私が何を望んでいるか分からぬほど無能ではなかろう?」
「自分の作戦がうまく行かなかった責任を押しつけるな!」
話が違うと憤り、魔槍を握る左手に力を込めたときだった。
殺気に首筋を撫でられた彼は反射的に身構えると部屋の隅に向き直る。
「どうした、続けろ」
「くっ……!」
強者のごとく振る舞うバストゥークの手には浮き出た文様が血管のように脈打つ召喚術書があり、漏れ出す瘴気が濃くなるほどに部屋の空気が重くなる。
常人なら卒倒、気の弱い者だったならば魂を抜かれてしまう威圧を全身で跳ね返すフォートは強制的に戦闘態勢に移らされていた。
「……雑な手配書を作らせたことを見逃してやろうと言うのだ。文句はあるまい」
「絵師が勝手にやったことだ。確認を怠ったことはすまんと思っている」
知らぬと思うたかとワール公が割って入ってきたので、先に緊張を解いたフォートは内心舌打ちしながらしらばっくれた。
絵師はすでに逃がしてあるので確認がとれるはずないし、見え見えのはったりに引っかかるほど愚かではない。
「まぁ、そう言うことにしてやろう」
「甘いのではないですか。なんなら捻り上げてやりますよ?」
「おまえが口を挟む必要はない」
深く追求しない大臣―――今は国王代理を名乗っている―――は、白黒つけてやりましょうかと口の端をゆがめて笑う息子に首を振った。
抱き込んだフォートとはお互い灰色だから今の関係が保たれているのであり、わずかでもバランスが狂えば破綻する。
それが分からないバストゥークは上位魔眼種の力と恐怖を絶対視しており、最近では父のやり方が生ぬるいとあからさまに批判することも増えているのだ。
禁書が放つ圧力に恐怖して逃げ出したり、気絶したメイドに言いがかりをつけて起こした問題の数も多く、完全に魅入られてしまったのは誰の目にも明らかなほど。
事と次第によっては隙をついてバストゥークを殺し召喚術書を回収せよと、よりによって奴の実の親から密命を受けているフォートはだからこそ姪に対する血縁の情も期待できないと分かっていた。
「くくく、体は弱いわこんなことに巻き込まれるわで、お前もとんだ外れ女を引いたもんだな」
「貴様の従姉妹だろうが……!」
親が親なら息子も息子、血縁であろうともただの手駒としか思っていない男に愛する妻を蔑まれたフォートは憤る。
しかしほとんどの場合において自由恋愛が認められていない貴族の娘に対する認識など、バストゥークと変わらないのも確かなのだ。
ワール公の姪であるリーリアに裏がないのなら、敵対派閥同士の二人の恋愛結婚は本当に珍しいことと言っていいはずなのである。
―――あるいは武官派閥の一員であったフォートとの婚姻にリーリアの父が異を唱えなかったのは、王位簒奪のため彼に首輪をつけたかったワール公の介入があったから、と言うのは詠い手の考えすぎだろうか。
「やめんか、馬鹿どもめ」
にらみ合う二人を黙らせたワール公は大仰にため息を吐くと、出て行けとフォートに手を振った。
「お前はバストゥークから離れずに目を光らせておけばよい」
「チッ」
目を光らせるというのは何に対してだ、とぶちまけてやろうかと考えたフォートはしかし、舌打ちをしただけで戸口を振り返る。
と、扉に手を伸ばしたところでバストゥークが言った。
「親衛騎士同士で殺すのが難しくとも、葛葉の小娘を使えば引き入れられただろうに」
まるで最後に何か言った方が勝者だと言わんばかりの挑発だったが、まったく刺さる部分のなかったフォートはさすがボンクラ息子と鼻で笑ってしまう。
「ククッ、どうかな? アルは俺などよりよほど騎士向きだぞ」
見かけはおちゃらけているが、死地に向かう騎士の覚悟に打たれて同じ道を目指したアーレニウスは、跡目を継げない貴族の次男坊が爵位を欲して騎士になったのとは訳が違う。
普段の態度は照れ隠しであり、芯が強く内に熱いものを秘めているとギルモアも認めていたのだ。
裏切り者の俺と一緒にするなとやり返した彼は今度こそ廊下に出たのだが。
向こうの曲がり角で息を潜めてこちらの様子を窺っている視線に眉を動かすと、ぴっと魔槍の穂先を向けて調子に乗るなと警告した。
「そこの鼠。あんまりうろちょろしてると狩っちまうぞ」
「!」
素人ではないようだが親衛騎士の探知能力を誤魔化せるほどではなく、数日前からときどき監視されていたのは知っている。
エンサイド司祭に情報を流したのと同様、使える手は何でも使って妻を、宿った命を取り戻したいフォートはワール公への揺さぶりになるのならと捕らえるつもりがなく、しばらく息を呑んでいた気配はやがて遠ざかっていった。
「……行ったか」
今度こそ城内勤務者立ち入り禁止区画に静寂が満ち、いつも通りワール親子の話し合いは時間がかかるだろう、と肩の力を抜いた彼は月を見上げながら妻を想う。
(リーリア。お前は今、どこにいる? 同じ月を眺めているだろうか?)
どうしようもない状況から何とか抜け出そうとあがき続けているが、リーリアが監禁されている場所すら分かっていない。
地方にある実家からついてきてくれた信頼できる執事をはじめ、ルース子爵家の者達は頑張って情報を集めてくれているものの、しょせんは素人で結果は芳しくなかった。
貧乏子爵家では大々的に外部の手を借りることもままならず、かろうじてこまめに場所を移されていることだけが判明している。
(重荷になっているなどと思いこんでいなければいいが)
心労や移動が、あまり体の強くない妻や胎児に大きな負担をかけていることは想像に難くない。
彼女は常日頃から、文官を退職してルース子爵家に嫁入りした自分は騎士を夫に持つ武官派閥の一員になったと、いざというときの覚悟はできていると言っていたのだ。
覚悟ができなかったのは夫のほうである。
いや、覚悟が揺らいでしまったと言うべきかもしれない。
独身時代は剣を捧げた主君と国のために死ぬのなら仕方がないと思っていたのだが、リーリアを娶ってからは彼女が一番大切になってしまったのだ。
(王女、申し訳ありません。団長、みんな。すまない)
しかし、いざというときに家族を退避させられるギルモアやブライアンと、彼の事情が異なっていたのも確かだった。
なにしろリーリアはワール公の姪である。
奴の簒奪計画が事前に露呈しても失敗しても一族郎党処刑は免れず、リーリアに罪が無くても間違いなく巻き込まれる血縁なのだ。
しかもワール公はフォートから逃げると言う選択肢を奪うため、あらかじめリーリアをさらってから裏切りを持ちかけたのである。
(だが、貴様の思い通りにはならん)
ただ、このままワール公が主権者になったとしても、また別件で良いように操られるのは目に見えている。
飼い犬にされるつもりはないフォートは、なにを使ってでも妻を救い出して逃げようとできうる限りのことをしていたが、まだどれも期待できるような効果は生み出せていなかった。
(聖地が動くのが一番だが、王女が復権するのは厄介だな)
後者はかなり難しいと思うのだが、なぜだか可能性がないとも思えない。
その場合、裏切り者の自分は捕らわれて処刑されるだろうし、さきに妻の身柄を確保されても詰みなのだ。
(せめて……せめて、お前の居場所さえ分かれば……)
寒空に浮かぶ月はなにも語らないまま雲に隠れ、窓辺が一気に暗くなる。
魔法使いが明かりを付与した棒はおろか燭台一つない廊下は闇に包まれてしまい、それが自分の未来を暗示しているように思えてしまったフォートは、抗うように何度も何度も壁を殴りつけた。
◇
「なんて未熟……!」
人気のない廊下に呟きが漏れた。
拳を震わせて悔しがるのは立ち入り禁止区域に忍び込んでいたモニクであり、メイド服を着ている今でも足音を立てないよう底に魔獣の毛皮を張り付けた特別製のブーツを履いている。
ちなみにこの毛皮。
正目は素手で撫でても平気なほど滑らかなのに、逆目だと針山のように硬く逆立つため、滑り止めとして戦士達の足装備にも使われることの多い人気素材だ。
当然、普通のメイドに支給されるものではなくブライアンが彼女のために用意した特注品であり、このほかにも体術用の拳鍔を袖口に仕込んだり自決用の短剣を懐に忍ばせているほか、結った髪を纏めているのは絞殺紐だったりする。
「申し訳ありません、フォレスト様……」
だが道具はあるものの、扱う彼女が一流かと言えばそうではない。
もともと彼女はとある事情で抜け忍となった両親のもとで護身術程度に学んだだけで、三神の隠れ里でつらく厳しい専門教育を受け難しい試験に合格したわけではないのだ。
三神独自の技能職の中でも道場で学べる侍などと異なって、独自性の強い忍者は余所者への技術流出を許しておらず、それぞれの里には凄腕の上忍で組まれた抜け忍狩り専門の部隊まで存在する。
護国三家とは別の、象徴ではあるが政治には関わらない血族のお庭番衆でも有数の使い手だったらしい両親は十年以上も大陸各地を転々としながら追っ手をかわし続けていたのだが。
任務に忠実で執念深い抜け忍狩りは決して諦めず、とうとう二人とも殺されてしまい隠れていた娘だけが生き残ったのだ。
現場はアトゥムの北下町で、通報を受けて調査にきたのが当時まだ小隊長補佐だったブライアンであり、そこから始まった二人の縁は十年以上続くことになる。
それから本当にいろいろあって、名前を変えていた少女は極秘任務を与えられたメイドとして城にはいることとなった。
危険なのでは、実は三神の送り込んだ間者なのではと考える者もいたが、ブライアンは自分が気づけたものを抜け忍狩りか分からなかったとは思えず、見逃されたのだろうと判断したのである。
念のためと改名を助言された少女はそれでそばにいられるのなら、なんだかんだと面倒を見てくれたブライアンに恩を返せるのならと受け入れて新しい人生を歩んできた。
「必ずやあなた様の、皆様のかたきをとります。いただいた、この名にかけて……!」
与えられた幸せな生活を。
尊敬と感謝だけと言うには少し甘酸っぱい、胸に秘めているだけでよかった想いを引き裂き、恩人に汚名を着せた簒奪者達は絶対に許さない。
ぐっ、と拳を握りしめるモニクの瞳に撤退戦の時のような弱気は残っていなかった。
宿るのは暗い憎しみを押し殺して任務を全うしようとする冷徹さと、差し違えてでもと言う覚悟を併せ持った決意の炎だった。
いつも読んでくださってありがとうございます(´・ω・`)




