第一節 冒険者の少年と貴族の少年⑦
6/26 改行位置の調整をしました
2/13 推敲
「リョウ! なぜ君が戦わなければならないんだ! 今からでも交代を―――」
渡り廊下を行く途中。
今からでも交代するんだと腕を揺すってくるギルガメシュを落ち着かせるよう、リョウはゆっくりと囁き返した。
「いま試合をして負けたら、それこそブライアン様の顔に泥を塗ることになるぞ」
「でも、昨日騒ぎを起こしたのは僕だ! それに試合に負けたところで死ぬわけじゃない!」
「そうかもしれない。けどさ、ギル」
そんなことは慣れているとあまりに悲しいことを言われた彼は苦笑いを浮かべたが、目はまったく笑っていない。
「いざ本番でそんな事言ってられないだろう?」
「で、でも! 今は試合で……」
今は試合だから。
父や大勢の騎士が見ていて安全なはずだから。
だから負けても平気なんだ。
ギルガメシュはそう言おうとして、深く沈むような瞳に呑まれた。
「それに俺は、友達があんな奴にやられるのを見たくない」
「……!」
初めてだった。
誰かから友達と言われたのは。
彼から友達だと言われたのも。
逆の立場だったら、同じことを考えただろうという確信が生まれてしまったので言葉を失っていると。
「そんなわけだ。また、ちょっとだけ手伝わせてくれ」
「リョウ……」
首を突っ込むのが生き甲斐だからさ、と惚けるように囁いた彼は感激している友の脇腹をどんと拳で突くと、真っ直ぐに見つめて言った。
「だから、見逃すなよ?」
男であるギルガメシュですらはっとするほどの強い眼差し、そして胸を突き抜ける声。
将来、英雄と呼ばれる存在の有無を言わせぬ圧力と、何らかの意図を感じさせる言葉に貫かれた少年は、もうそれ以上言うことができなかった。
◇ ◇ ◇
一行が到着した鍛錬の間はかなり広く、多くの騎士が汗を流していた。
騒がしかった室内だが入ってきたのが団長二人と知り、見物していた騎士も、試合をしていた騎士も手を止めて敬礼をしてくる。
「フォレスト団長! マッセ団長! おはようございます!!」
「皆ご苦労。済まないが少しばかり試合場を借りる」
あまり聞き覚えがないほど低いブライアンの声に、何人かの騎士達は顔を見合わせた。
何事かと訝しんでいると、入ってきた五人の後ろ、入り口から顔をのぞかせたマーカスがポールの背中を右手で指さし、ダミアンの背中を左手で指さし、ゲーと舌を出しながら自分の首を両手で絞める真似をしたので、大体の事を察してばたばたと片付けを始める。
その後彼らが試合場の端に整列してみれば、なんのことはない全員が第一騎士団所属の者、つまりブライアン直属の部下だった。
この時間は第一専用なので当たり前のことだが、逆側のマッセ親子のまわりには誰も近づこうとせず、これだけで味方と敵陣が分かたれた形になってしまう。
「この中から好きな武器を選びたまえ」
「では、これで」
ブライアンに案内された棚には刃を潰された訓練用の武器が各種並んでおり、いつも使っている物に似た大きさの両手剣を選び出した彼は軽く振り回して問題有りませんと頷き返す。
「またしても君の力を借りる事になった。この恩義は必ず……」
「要りません、ギルは俺の友達ですから」
途中で遮った彼は感激するような、困ったような、苦しいような、複雑な表情のブライアンに任せてくださいと片目を瞑る。
「任せてください。相手の癖、得意技、弱点、組み立て、体力、全部暴いてやります」
「リョウ、君は……!」
それでやっと、ギルガメシュは彼の真意を理解することができた。
リョウは自分が避けられない相手であるダミアンと先に戦う事で相手を分析しようとしている。
そして試験までの短い間にそれを教えようとしているのだ。
(このまま試験を迎えたら確実に負ける…から、か)
今日負けたところで死にはしないと簡単に考えていた自分の浅はかさが恐ろしい。
たとえば多くの受験生や試験官の騎士が見ている前でダミアンに負け、向こうだけが合格したとき、果たして自分はダミアンのいる騎士団に入るための気力を持ち続けていられるのだろうか。
もし自分の噂を知られたり負け癖を見抜かれたら、何年経っても合格させてもらえないのではないか。
(簡単に諦める騎士が、誰かを守れるはずがない………)
今日負けても死にはしない。
今日負けてもまた次がある。
果たしてその思考は、国を守る騎士に許されるものなのか。
そして誰かのために戦うことがどんなに勇気の要ることか少しだけわかり始めていた彼にとって、さも当然のように前に立ってくれたリョウの背中はとても大きく見えた。
(僕は弱い、何故だ。彼は強い、何故だ?)
彼の想いをはき違えてはならない、とギルガメシュは思う。
リョウは強いから自分を護ったのではない。
誰かを護りたいから、強くあり続けようとしているのだ。
(僕は強くなりたい。リョウみたいに、誰かを護れるように強くありたい!)
昨日、彼に助けられてから感じていた心の中のくすぶりが今、燃え上がる。
これまで仕方がないと思っていた自分の弱さが恨めしい。
それを当然と受け止めていた自分の未熟さがもどかしい。
思うとおりに、護りたいものを護れるリョウの強さが羨ましい。
いままで地面を指していた未来に向かうための道しるべが、いつの間にか友の背中を指し始めていることを、ギルガメシュはおぼろげながらに自覚し始めていた。
◇ ◇ ◇
一方、試合場を挟んでの反対側では。
フォレスト親子をやり込めるはずが、途中から逆に翻弄されるだけだったマッセ親子が残忍な笑みを向かい合わせていた。
「ダミアン、なんなら本気を出して構わない」
「当たり前だ! あの野郎、絶対にぶっ殺してやる! ……試合中に相手が死んでも罪には問われないんだよな?」
いかに刃を潰してある訓練用でも鋼鉄の塊であり、当たれば怪我をするし、下手をすれば死に至る事もある。
事実、数日前には第二騎士団の訓練中に死人が出たほどだ。
そして『予定通りに起こった不幸な事故の犠牲者』の相手をしていたポールは、遺族に支払われる補償金を国庫に任せ、いまものうのうと城内を闊歩している。
「なに、やつもブライアンの知り合いの様子。最悪でも再起不能にしてくれるとこの父としてもやりやすい」
「任せろよ。だから魔剣、頼んだぜ?」
「ああ、分かってる」
もしも誰かがこのやり取りを聞いたなら試合のはずなのに何を考えていると咎められただろうが、第一騎士団にとって鼻つまみ者の親子に近づく者などおらず、怪しい二人の不吉な相談は宙に消えていくだけだった。
◇ ◇ ◇
時間が経つにつれて注目は柔軟するリョウと、そのリョウを睨んでいるダミアンの二人に集まっていった。
腕組みをして微動だにしないブライアンの横には、はらはらしながらも友の勝利を信じているギルガメシュがいる。
正反対側ではこれから起こるはずの事故を想像したポールが一人でにやついていた。
「マーカス、審判を頼む。二本先取だ」
「はっ!?」
そろそろか、と周囲を見回したブライアンはすぐ側にいた騎士に指示を出した。
彼は自分の部下なので少なくともリョウに不利な判定をすることはないだろうと思ってのことだ。
「ダミアンは知っているな? こちらの少年はリョウだ。公平に頼む」
「は、はい!」
驚いたのはマーカスである。
昼食大盛りのためになるべく近くで見ようと真後ろに立っていたところ、審判役を仰せつかってしまったのだ。
とはいえ、団長の指示に逆らうわけにもいかないのでうわぁと言う顔のまま試合場へと駆け上がる。
「ダミアン! リョウ! 両名とも試合場に上がれ!」
呼ばれたダミアンは周囲を威圧するようにどすん、どすんと四段を踏みならして試合場へ上がった。
対してリョウは軽やかに、腰の高さほどもあるそこに予備動作なしでとっ、と跳び乗ってしまう。
「防具なしだからな、本気で当てずに止められたら止めるんだぞ。武器を落とすか台から落ちるか、気絶しても負けとする。ああ、降参宣言の後に攻撃を当てたら反則負けだ。それから……えっと、危なさそうなら途中で俺が止めるからな」
険悪な雰囲気の少年たちが頷いて了解の意を示したので、彼はほっと安心し右腕を振り上げた。
「二本先取の試合である! 開始場所は自由! ……六秒後より開始!五!四!三―――」
試合の開始条件はさまざまで、開始線で向かい合わせになることもあれば、開始時間まで自由に位置取りをさせる事もある、その指定は秒数を含め審判の自由だ。
二、のかけ声と共に|長剣《ロング・ソードを構えたダミアンは右回りに試合場を動き始め。
一、のかけ声で大体このぐらいかと相手に『合わせ』たリョウは、さらに一割ほど設定を下げる。
「ゼロ!」
審判の腕が振り下ろされたとき、一本目が始まった。
二人は最初、お互いの出方を探るように間合いを取っていたが、なるべく長い間ダミアンの剣術を見せておきたかったリョウが先手を取って突きかかる。
「はっ!」
「遅い!」
反応速度を探るための完全な基本形で突いた剣をダミアンは軽々と弾き、殺気を込めた薙ぎ払いを返してくる。
見かけはなんとかかわしたリョウは、急所を狙っており、寸止めする気が欠片も感じられなかった攻撃で相手が自分を殺そうとしていることに気がついた。
(あれ、そう言うつもりなのか)
どうやら相手は審判の注意を無視して偶然の事故を起こしたいらしい。
それはこの場だけでなく、本番の試験でギルガメシュが同様に狙われる可能性を示してもいる。
(そっちがその気なら、俺にも考えがあるぞ?)
友を害しようとするものに手加減など不要。
わずかに目を細めた彼はとりあえず癖を探るのが先とダミアン比一割減の力で剣を合わせていった。
「はっ!」
「ふんっ!」
「せいっ!」
「オラァ!!!」
タンタンタタンと足が舞い、ギンッ、ギンッ、ガギンッと剣がぶつかって火花が散る。
リョウは今朝復習となった基本の型で攻撃を繰り返し、相手の癖を探るために一定の呼吸を崩さないでいるため、本当にダンスを踊っているかのようで。
詩人の楽曲があったなら優雅に剣舞をしているようにさえ見えただろう。
「はっ!」
「くっ!?」
右からの袈裟斬りを身体を回転させてかわし、そのままくるりと一周して遠心力を乗せた薙ぎ払いを叩き付けると、剣で受けたダミアンも受け流した勢いごと回って同じような斬撃を返してくる。
それをリョウが下から打ち上げて軌道を逸らし、お互いが二歩離れたところで膠着状態となった。
まだ荒削りだが、少年同士とはとても思えない攻防に思わず凄いと呟いたのは壁際の騎士だったろうか。
(人を斬った経験はあるだろうな。でも実戦経験を積んだと言えるほどじゃない)
おそらく砂を握って目潰しをしたり、体が残った軸足を払うといった、本当に命をかけた泥臭い戦いの経験はないだろうと分析した彼が横目で見ると、ギルガメシュは瞬きすら忘れた様子で試合を見守っていた。
(そう、見るんだギル。その全てを頭にたたき込め)
目がいいというのは半分才能、半分経験に基づく技能である。
その半分、剣士として得難い資質を先天的に備えていた彼は誉められたこと、そして見逃すなとの助言により全身全霊で見ることに集中していた。
瞳孔すら開く程の集中力で試合を見続けるギルガメシュの中で、今までこつこつと続けてきた基礎訓練と、今朝方見たリョウの影剣闘とが大きな意味をもちはじめる。
その間にある一つが相手を見て、分析し、対応策を考える事だとわかったのだ。
(頭が痛い……けど!)
訓練もなく、最適化もされていない急な過負荷で頭痛を覚え始めていた彼はしかし、それでも一瞬でも目を離すまいと集中を保ち続けた。
試合開始から五分も経っただろうか。
よほど拮抗した同士か、上手な手加減がなければなかなかここまで戦いが続く事はないため、目に見えてダミアンの動きが悪くなり、肩で息をつくようになっていた。
「ゼーッ、ゼーッ、くそ…」
剣を握る手も下がり気味だし、見ているギルガメシュの集中も限界のようなので、一度休憩を挟もうと考えたリョウは鈍い斬り下ろしを不格好に防御し、その勢いで剣を後ろに放り投げる。
「く、しまった!」
試合場の端に転がった両手剣と、武器を失ってがっくりと座り込んだ彼を見比べたマーカスは無念そうにダミアンの勝ちを宣言し。
「そこまで! 一本目、ダミアン!」
「あ………?」
「十分の休憩のち、二本目を始める!」
どうして勝てたのかがよく分からないダミアンにばっ、と手を挙げた審判の声に続き、見物の騎士達の無念そうなため息が室内に満ちた。
「くそっ! 手が滑っちまったか?」
「体力切れが見えていたのに惜しい!」
「いけるいける! 次はいけるよ!」
応援してくれる彼らに軽く頭を下げて次は勝つからさと呟いたリョウは、落ちていた剣を拾うと試合場の外に戻り、目頭を押さえているギルガメシュに尋ねる。
「どうだ? あいつの剣は見えたか?」
「見えている、と思う。……けど、君の言うように活かせているかは分からない」
「今はそれでいい。ではブライアン様」
「ああ、任せる」
よし、と微笑んだリョウが確認するように見ればブライアンもこくりと頷いた。
我慢の時間はもう終わり、とばかりに右手を左の手のひらに打ち付けた彼は試合場にあがるとポールとダミアンに視線を向ける。
「あいつ、なんだあの体力。化け物か、くそっ」
一本目の拮抗した戦いに違和感を覚えながらも、基本的で多段の組み立てをしないリョウをポールは見誤った。
芽のでない騎士にありがちな『基礎しか出来ない体力バカ』と勘違いしたのである。
「二本目は開始と共に本気で行け。相手は基礎と体力はかなりのものだ、疲れたら危ないかもしれん」
「ああ、分かってる」
当初の目的であった『基礎しか出来ない』ギルガメシュと比べれば面倒な相手だが、剣技を覚えている息子の敵では無いと作戦を授けると。
無理に呼吸を整えるダミアンも同様の感想だったので涙目ながら何とか頷き、それから静かな八分が経過した。
「では二本目を始める! 二人とも、開始線に!」
マーカスの指示に従って、再び試合場で対峙する二人。
「二本目、両名とも開始線にて向かい合え! 三秒後より開始! 三!」
「はぁぁぁぁぁぁ!」
開始条件が告げられた瞬間、開始線に立ったダミアンが動いた。
準備の間に剣に気を込め始めたのである。
「よし、勝ったな」
元からダミアンの狙いを知っていたポールは良い条件を拾ったと勝ちを確信するが―――予備動作を見せた時点で相手が何を狙っているかリョウには分かってしまっていた。
(踏み込もうとしたらカウンターで剣技かな。待ったら待ったでこっちの防御ごと叩きつぶすつもりなんだろう)
「二! 一!」
二秒の間に十を超える展開を読んだ彼は、ゼロの合図と共に間合いを詰める。
「ゼロ!」
「死ねえぇぇぇぇぇ!!!!」
なるほど、確かに剣技を名乗っても良い威力、速度、気力だっただろう。
ポールが作戦の裏付けとして期待できる程の実力をダミアンは備えていた、性格はどうあれ剣については真面目に修行しているに違いない。
だが。
さらに加速したリョウはダミアンに肉薄すると、伸ばした左手で相手の剣の柄頭を押さえんでしまったのである。
ロング・ソードの柄を両手で握って万歳をするような格好のダミアンは、まるでぶら下がり棒のように空中に固定されてしまった剣に驚くしかなかった。
「な!?」
「なあダミアン。殺すつもりできたってことは、殺される覚悟もあるってことだよな?」
「は、はあっ!?」
至近距離で目を合わせてくる相手の言葉にダミアンは耳を疑った。
こいつは何を言っているんだ、殺されるつもりなんかあるはずがないだろう。
絶対的有利で殺すのはいつだって自分でなければならないし、一方的に殺されるのは相手でなければならない。
声には出さなかったが、ダミアンの困惑した表情からそれがありありと読み取れた。
「同じ騎士団長の息子でも、ここまで性根が違うものかね」
「!?」
剣を使うまでもない、と呟いた彼が終わりにするべく『合わせ』るのを止めると、猛烈な殺気を叩き付けられたダミアンの意識が闇に沈む。
肉体や精神が死を直感したと言うより、あまりの威圧に死んだと思い込まされたのだ。
―――その時のことを一番近くで見ていたマーカスはのちに、大盛りご飯を食べながらメイド達にこう語る。
どうやったのかは分からん。
だが、突風が吹いたかのような圧力を感じたと思った次の瞬間には、失禁したダミアンがぐるんと白目を剥いていたんだ、と。
糸の切れた操り人形のように、くんにゃりと床に倒れ込んだダミアンは試合場に小便の染みを作りながらびくんびくんと全身を痙攣させており、何があったか分からずに顔を見合わせていた騎士達からの嘲笑が巻き起こる。
「おいおい、アレ見ろよ」
「うへぇ、小便漏らしてら」
戦意喪失という次元ではない姿にゴクリと唾を飲み込んだマーカスは宣言を、というリョウの声に我に返ると右手をばっと振り上げた。
「勝者、リョウ!」
結局。
こうなっては三本目の勝負をすることもできず、一方的に試合はもう終わりだと吐き捨てたポールはダミアンの首根っこを引っ張って鍛錬の間から逃げ出してしまう。
「おのれブライアン! おのれ小僧!! この恨みは忘れんぞ!!」
点々と続く粗相の跡と、逆恨みも甚だしい呪詛を呟く背中を見送ったリョウはお疲れ様でした、と審判に頭を下げてからブライアンとギルガメシュのところに戻った。
「終わりました」
彼が目的もなしに他人を脅したり攻撃するような人間ではない事は、知り合ってまだほんの少しであるブライアンにも分かっていた。
あそこまでしたのは自分の想像通りの目的かと尋ねると、リョウは頷いてそれを認める。
「後のために仕込んだようだな」
「はい。こちらに苦手意識を持てば実力も発揮できないでしょうし」
「少々やり過ぎではとも思うが」
「どうでしょうね。時間をかけずにいったので、それほどではないかも知れません」
へし折られ、すり潰された心に刻み込まれた恐怖というのは簡単に消し去れるものではないが、長時間の拷問や威圧ではなく、ほとんど記憶には残らないため再起不能とまではいかないだろう。
ポール達の企みを打ち砕くどころか次のための効果的な一手を放った彼に、ブライアンは内心で頭を下げることしかできなかった。
「……君は本当に凄いんだな」
便所に行っておいた方がいいと言われた時の事を思い出したギルガメシュが、なんとか小さく笑みを浮かべたときだった。
周りにいた騎士達がわっとリョウを取り囲んでしまったのである。
「やった! 凄いな君は!」
「見たかよ!? 髭男爵の顔をよ! 緑色になってたぜ!」
「ダミアンもこれで大きな顔は出来ないだろ! なんつったってお漏らし小僧なんだからな!」
「なんだ、皆さんあの親子の事、嫌いなんですね」
「当たり前だ!」
彼らも今まで相当腹に据えかねるものがあったに違いない。
リョウの肩を叩き、よくやった、ざまあみろ、すかっとしたぜなど爽快に思う騎士ばかりで、マッセ親子を心配する声は一言も上がらなかったのはひとえに彼らの普段の行いが悪かったせいなのだ。
そんな中、難しい表情のブライアンが息子に向き直って言った。
「ギルガメシュ。経緯はどうであれ、お前がダミアンと戦う事は避けられないようだ」
「はい」
「勝てるか、彼に」
「僕には無理です。……今のままでは」
勝てない、それは事実だ。
しかし、これまでの彼だったなら無かったはずの言葉が続いたので、ブライアンの口の端がすこし緩む。
「ならば、どうするべきか?」
「修行します! 募集試験までのあいだ!」
「私の下で、たった九日間修行して……それで、勝てるようになるか?」
「それは……」
口ごもるギルガメシュは、理屈で考えれば無理だろうと思った。
これまでの修行を、自分としては真面目に取り組んできたと胸を張ることはできる。
けれど現在の実力は遠くダミアンに及ばない。
九日間で奴に追いつき、追い越すことが出来るのだろうか。
不安になったギルガメシュであるが、それでも諦めてはならない、やらなければならないと決意の炎を瞳に燃やして父を見据える。
「出来るか出来ないかじゃない、やるんだ!」
息子の決意を確かめたブライアンは大きく頷くと、リョウの手を握りしめ父親の表情で頭を下げた。
「我が儘なのは十分承知している。だが、君ならばギルガメシュを鍛え上げられるとこのブライアン、確信している。どうか頼まれてはくれまいか」
手を握りしめる強さ、そしてその表情。
父親を見つめるギルガメシュと懇願するブライアンとを見比べたリョウは、迷う事なくその手を握り替えして任せてくださいと言った。
「あんなどら息子に負けるようなギルではありませんよ。試験日には見違えたギルをお約束します」
彼が約束する、と言葉にした瞬間だった。
それが自信の現れだったのか、積み重ねてきた実績なのかは分からなかったが、まるで言霊であるかのように体に染み込み、不思議なほどの安堵が心に生まれたブライアンはほっとした表情で頭を上げる。
「ギルガメシュ。聞いての通り、今からリョウの下で修行に励むのだ」
「はい! 僕のもてる力の全てを費やします!」
ギルガメシュの方にも内心、父ではなくリョウに教わればと言う思いがあったのは確かだった。
されど尊敬する父親を否定するようなことも言えないと悩んでいた彼は、渡りを付けてくれた父に感謝し、頼まれてくれた友にも感謝し、全力で取り組むことを誓う。
「頑張るのだぞ。大きく成長したお前を、私は期待して待っている」
「は、はいっ!」
一瞬、息子は聞き間違いかと立ち尽くした。
父親から期待されていると言われたのは初めてだったのだ。
ブライアン自身も言っていなかった事は自覚している。
その言葉をが重荷になって、息子が潰れてしまうことを懸念していたのだ。
どうやら私は剣を教えるのに向いていないなと苦笑した彼が見れば、信頼できる友と固い握手を交わした息子は不退転の決意を表明していた。
「絶対に弱音なんか吐かない、びしびししごいてくれ」
「任せておけ、九日もあれば釣りが出るさ」
「でも、君のお父さんみたいな修行は勘弁してくれよ?」
ギルガメシュが冗談交じりにそう言うと、さすがにそれはないとリョウは笑ったのだが。
「ははは、さすがに毒と解毒の霊薬を交互に飲ませたりはしないって」
「な、なんだそれ!?」
何だと言われても毒物についての勉強だったのである。
微毒から劇毒まであらゆる種類を用意した彼の父は、繰り返し飲むことで耐性もついて一石二鳥と言ったとか。
では他の話はあり得るのかと悪寒を感じたギルガメシュが硬直していると、彼の二の腕をがっしと掴んだリョウは目を丸くしているブライアンに頭を下げる。
「それではギルをお預かりします」
「う、うむ。その……なんだ。ほどほどで勘弁してやってくれ」
「大丈夫です、お約束はかならず守ります」
「リョウ? 僕は無事で済むんだろうな? おい!?」
明言しない彼が約束したのは自分の教育であって身の安全ではない。
そのことに気づいたギルガメシュはブライアンの背中に隠れたかったのだが、がっちりと捕まれた腕をふりほどくことはできなかった。
「大丈夫、回復の霊薬ならたくさん持っているから」
「そう言う問題じゃない、絶対にそう言う問題じゃないぞ! ま、待ってくれ、まずは落ち着いて話そう! ……父上! 助けてください、父上ェーーーーーッ!!!」
結局、悲鳴を上げるギルガメシュはそのまま圧倒的な力に引きずられていってしまい、残されたブライアンやマーカスたちはただ、踵を揃えた最敬礼にてそれを見送ったのだった。
次回から第二節に入ります。