第八節 選択⑫
システィーナが二階に行ってしまってから数分。
戸板の向こうから時々伝わってくる酔っぱらいの大声の他は、誰かの深呼吸やランプの燃える音だけが伝わる酒場でギルガメシュは考え込んでいたのだが。
不意に顔を上げ、もし分かるなら教えてほしいとリョウに問いかける。
「……なあ、リョウ」
「うん?」
「父上は、どうして自ら犠牲になるような真似を……」
ブライアンに助け出された一人であるラピスもはっと顔を上げ、真剣な表情の彼はそうだなと一拍おいて。
「騎士だから、じゃないか」
「騎士、だから……」
曖昧な答えに眉をしかめるギルガメシュは、では騎士とは何なのだと問いかけそうになるも、その定義は父の中にあり、自分の中にあるものだと気がついてテーブルの上で手を組んだ。
主君にその身を捧げよ。
数多の犠牲、屍を踏み越えてなお忠誠の為に生きよ。
最後の別れの時に伝えられたのは代々騎士として生きてきたフォレスト子爵家の家訓だった。
あのときすでに、父が死を覚悟していたのなら。
主君への忠誠にその身を捧げるつもりであったなら。
犠牲を、屍を踏み越えてなお忠誠に生きよと言うのは自分への伝言だったのではないだろうか。
「……そうだな。父上は最後まで真の騎士として戦った。そういう…事なんだな……」
ラピスから本当の話を聞けたのも良かった。
敵に貶められてしまったが、騎士として立派に戦い、親友と二人で上位巨人を撃破したという武勲もあったと知ることができたのだ。
だからなのか、処刑されたと聞いたあの日からずっと拒絶し続けていた父親の死を、息子はいまようやく受け入れ始めたのである。
◇
再び酒場が静まりかえってからそれなりの時間が経ったというのに誰も口を開かない。
あまりに間が持たないので怪物図鑑のページをめくっていたセラスはそうだ、と椅子から立ち上がっていた。
「ロナちゃんを部屋に追いやったままでした。ちょっと飲み物を差し入れてきます」
テーブルで冷めたお茶を入れ直し、ロナの分をトレーに載せたセラスが自分の部屋に行ってみると、待ちくたびれた少女は椅子に座って寝息をたてている。
「あはは、そりゃ眠くなっちゃうよね」
ベッドから取った毛布をかけてやったセラスは人差し指の背で、もう痩せこけてはいない頬をそっと撫でてみた。
(あの子も元気にしてるかなあ)
村を焼かれたときに生き別れになってしまった妹分の生死は定かではないけれど。
自分もなんとか生きているのだから、彼女も生きて元気にしていてほしいなと思うのだ。
起こしてはかわいそうなのでそっと部屋を出たセラスが一階に戻ってみても、王女はまだで全員黙りこくったままである。
「そ、そう言えば。ラピスさん、怪我一つ残っていないようですが、神殿に寄ったのですか?」
このまま待つのは辛いと気になっていた事を聞いてみると、目を開けたリョウが答えてくれた。
「ああいや、霊薬を飲ませたんだ」
「霊薬ってそんな強い効果があるんですか? 服に着いていた血もかなり多かったですし、歯とかも……」
「再生の五枚だからな。たいていの事はなんとかなる」
「ごっ……!?」
さらりと告げられた言葉にむせ込んだのはタッシュである。
冒険者向けの店を営むだけあって再生の相場を知っているせいもあるが、一流でも三枚を作るのがせいぜいのところに五枚と言われて驚いたのだ。
「『五枚』って事は値段も五倍じゃ済まんじゃろ!? 希少価値も含めれば金貨二、三十万はしたんじゃないのか!?」
腕のいい薬師の作る霊薬には倍効果、三倍効果と言った高品質なものもあるのだが、値段の方は倍々で膨れ上がっていく。
再生の場合は主要素材にとある葉が含まれており、それの必要枚数が効果と比例する事から二倍を二枚、三倍を三枚と言い換えることもあった。
「あ…あの……いま、なんと……?」
当然、耳を疑ったのは使ってもらった当のラピスである。
今まで見せたことのない表情で二十万?三十万?と聞き返すも、顎に手を当てたリョウはそんなものだったかなと簡単に頷いてしまった。
「あいにく再生はそれしか残ってなくてさ。ま、大した値段じゃないさ」
―――二十万枚と言っても、実際はそれだけの枚数を取り扱うことも難しいので宝石払いや白金貨、さらにその上の大白金貨などを使うことになる。
物の価値が金貨換算で話されることが多いのは平民が白金貨以上を目にする機会がなく馴染みがないからだ。
銅貨、銀貨が繰り上がる三桁以上となるとぱっと出てこなくなる平民が多い中、数万、数十万の会話がなめらかにできるのはこの国の教育が行き届いている証でもあるだろう。
「いや大した値段ですって! ほんと何なんですか、あなたのその金銭感覚は!?」
住み込み三食付きの見習いとはいえ、十八時から夜半過ぎまで働いてやっと銀貨二十枚の日当を得られるセラスが金貨二十万枚を稼ぐには単純に二千年以上かかる計算になる。
人間はもちろんのこと、主物質界の人の中で最長の寿命を持つハイエルフですら間に合わない。
思わず立ち上がった彼女と同意見だったラピスはずるずると椅子から滑り落ち、床に額を擦り付けて平伏した。
「申し訳ございません! 申し訳ございませんリョウ様! あなた様の奴隷としてこの身この魂を捧げ絶対服従を誓いますので、なにとぞ、なにとぞ……!」
主人や雇用主の資産に損害を与えるなんてメイド失格だ。
たとえば貴族の屋敷で国王から賜った家宝の壷を割ったりしたら、腹いせに殺されるか鉱山送りになるか、借金奴隷として違法な闇商人に売られて当然の大失態であるし、霊薬に比べてけた違いに安いとはいえ自分の過失で神殿の治療を受けたらその分の費用は支払わなければならない。
この場合、アーレニウスの指示でテンペに来た彼女の怪我が業務上のものなのか過失にあたるのかの判断は微妙だったが、ラピスは過失ととらえていたようだ。
しかし、どちらであっても関係ないリョウはひらひらと手を振って気にしなくて良いと言った。
「まず立って、これ命令。それから返さなくて良いし気にしなくて良い。これも命令」
「し、しかし……!」
「あれ? ご主人様の命令だぞー?」
「ですが……!」
「アルからの伝言を持ってきたんだから業務の一環だろう?」
「自分からお役目に名乗りをあげておりますし、見つかったのは私の過失ですので……!」
困惑する顔を上げたものの、さすがに簡単には分かりましたと言えない彼女が哀れなぐらい震えているので、呆れたようにやりとりを見ていたギルガメシュも言ってやった。
とんでもない鎧をさらりと買うのを見たわ、魔剣をそのおまけでもらうわ、この町にくる間も霊薬をがぶ飲みしたわで感覚が狂ってしまった者からすれば、どうせそのうち慣れるに違いないのだ。
「大丈夫だラピス。リョウは無限の財布を持っているから気にする必要はない」
それで五枚が冗談でないことを知ったタッシュは、超一流と感じた少年をさらに見極めようと髭をしごく。
(ふーむ?)
大きな仕事を終えた冒険者や、大当たりを引いた遺跡探索者がうまく換金して大金を得ること自体はこれまで何回も目にしてきた。
しかし、まだ少年と言っても差し支えない年齢の彼がけた違いの財産を持っている事や、大金を得た者のように引退して平穏優雅に暮らしたり、商売を始めたりしていない事に疑問を覚えたのだ。
かといって、戦いに明け暮れていないと満たされない戦闘狂でもなさそうなので、つまりその大金でも彼の夢が買えないと言うことなのだろう。
「リョウ君はすでに大成功者に見受けられるが、どこでそのような大金を? 引退は考えないのかね?」
「えーっと、あははは」
その気になれば一生贅沢して安穏と暮らせるどころか、金の使い方のうまい参謀さえいれば国や地域を経済支配できてしまう少年は苦笑いでごまかそうとしたのだが。
ここがチャンスとばかりに突っ込んだのは、前々からお金の出所が気になっていたギルガメシュだった。
「この際だ、なぜそんなに金を持っているのか教えてくれないか。後ろめたい金ではなく、二十万枚が君の資産にどの程度の影響を与えるかが分かればラピスの気持ちだって軽くなるだろう」
「……はうううぅ」
ぐんにゃりふらふらしながらも何とか椅子に戻ったが、テーブルに肘をつく形で頭を抱えているメイドを口実にしているのは分かっている。
分かってはいるのだが―――
「ったく。分かったよ、どうせ信じないだろうしな」
彼女に余計な重荷を背負わせたくはなかったリョウはやれやれと頭を掻くと、自分としても希有な経験だと思っているときの事を告白した。
「手つかずの古代遺跡を見つけて、そこで大量の貨幣やら魔法の道具やらを手に入れたり、白金の魔像と宝石の獣魔の集団を倒したことがあるだけだ」
「プ……!? ジュ、ジュエ………!?!?」
あまりにも現実離れした話過ぎて、知識のあるタッシュがまず最初に呆けた。
はがっ、と顎がはずれるほど大口を開けた主人の他は、それがなにを意味するのかすぐには分からなかったのだが。
「えーっと、プ、プ、プ……銀じゃない、金でもない、木違う、屍肉は気持ち悪い、石は普通……」
首を傾げたセラスが怪物図鑑を探してみたものの、白金の魔像や宝石の獣魔は見あたらない。
「あ、そっか。希少種編!」
オヤジさんの反応からして普通じゃないはずと思った彼女は図鑑があった場所に走り、それを非常に気まずそうに見送ったのは様々な材質の魔像のページを見て何となく想像がついてしまったギルガメシュとラピスである。
「……つまり、白金の塊やら……」
「宝石の塊を倒した、と言うことですよね……?」
「……『怪物食材レシピ(草原)』じゃない、『初心者向け迷宮探索手引き』でもない、『テンペ花街案な』……あったあった、希少種編!」
やがて伝説上や目撃例が数件のもの、死体の確認が取れていない怪物などがまとめられた怪物図鑑を見つけだしたセラスが戻ってきてしばし。
唖然、と開かれたページには、魔眼種の恐怖とは別の意味で目を覆いたくなるような事ばかり書かれていたのである。
「うわぁ……宝石の獣魔って八百年前に大陸北部で一回噂になっただけなのか。急に無欠点の原石が多く出回った為、それ以下の宝石の価値が大暴落したとか……」
「フォレスト様? 『一体で町ごと買い取れるのでは』って書いてありますよ……?」
「さっき、集団と言ってましたよね……?」
ギギギギ、と音が立つぐらいぎこちなく首を動かした三人の視線の先では、お茶を飲むリョウがだから言いたくなかったんだと呟いていた。
「いったい、どこでそんな物を見つけたんだ……」
「マース公国で坑道に現れた怪物を退治してくれって依頼を受けたんだよ。掘り進む内に遺跡に当たってたらしくてさ」
坑道で目標を倒したと思ったら、同じのがさらに二体現れて挟み撃ちをされてしまい、大騒ぎで戦っていたら床が抜けてしまったのである。
そして崩落した先は、貨幣の山やら魔法の武具やらの他に、遺失となった魔法書、錬金術の技術書や魔法の武具、魔具、そしてお宝怪物だらけの広大な宝物庫だったのだ。
難解な暗号や字列変換で読めない物、未鑑定で素性がわからない物、使い方がわからない魔具が多い上にその後の冒険で手に入れたものもあるため、もはや台帳を隅から隅まで見直さないと魔法の道具入れに何がどのくらいあるのか本人も分からない規模になっていたりする。
「わ、罠とか無かったのか?」
「本来の出入り口にはあったと思う。俺は裏口というか、天井から入ったようなものだから」
「なんて強運ですか……」
―――そのときセラスは運がいいと評したそうだが、詠い手の解釈は少々異なった。
強運だの豪運だの激運だのと、運がいいことを意味する二つ名はこの数年後に名を上げ始める『勇者』にこそ相応しいものであり、彼の場合は良いこと悪いこと関係なく特異な事象を引きつける体質と考えたほうがしっくりくるのである。
なお伝説級、神話級のお宝怪物とか価値を示す記述ばかりに目がいって気にとめる者はいなかったのだが、どちらも決して弱かったわけではない。
古代魔法文明期の高級ゴーレムにはだいたい硬質化がかけられているし、宝石の獣魔に至っては素体となる宝石の体に魔界から召喚された魔族の精神体が合成されていたらしいのだ。
討伐対象二体に加えて大量のゴーレムと魔族もどきが加わった波状攻撃はすさまじく、ゴーレムを盾代わりに使ったり鏡面のような反射を利用して周囲を把握できなければ、いかに彼といえども命を落としていたに違いない。
現地調達の魔具も使って辛勝の辛勝もいいところ、命からがら剣を杖代わりに脱出したときには手持ちの霊薬や魔具も枯渇し、装備も傷だらけでしばらく戦えるような状態ではなかったそうだ。
「はっはっはっはっは。やはり君にとって金貨二十万枚なんてはした金じゃないか」
聞いたことを心底後悔してしまったギルガメシュであるが、ラピスの気持ちを軽くするというそもそもの目的を思い出したので目の光が消えたまま乾いた笑い声をあげると、湯飲みを置いたリョウは勘違いするなと言った。
「別に俺は金持ちだから霊薬を使った訳じゃない。どんな対価を支払ってでも、大切なものは守ると決めているだけだ」
「リョウ様……!」
「リョウさん……」
別に家族とか恋人と言う意味でないのは分かっている。
それでも、改めて大切と言われ頬を赤らめてしまうラピスと、やっぱり変な人だと笑みがこぼれて仕方がないセラスの隣では、タッシュがワシはなーんも聞かなかったと耳を塞いでいた。
(……リョウ君の話を聞いていると感覚がおかしくなりそうだわい)
場合によっては目利きが狂ってしまい、普通の冒険者に不相応な依頼を任せてしまうかもしれない。
そうなったら店を畳まねばなるまいとため息をついた主人が不安になるほど、この夜の出来事はこの場にいた者達の価値観を大きく揺るがしたのであった。
―――ちなみに後年の研究では。
彼が見つけた遺跡は古代魔法文明末期、上級民族が竜種の猛攻にさらされて滅亡が濃厚になったとき、いつか文明を再興させる為にと世界中からかき集められた物が保管された宝物庫だったのではないかと分析されている。
宝物庫の存在は魔法文明が滅びた直後から噂されていたものの場所を示す文献は残っておらず、唯一それを口伝する四王家の末裔が何らかの事件に巻き込まれたか記憶を失ったかして手がかりが完全に失われてしまったらしいのだ。
そのため確証ではないのだが、何千年も続いた鋼の時代を終わらせ、高度な技術力で四百年にわたり世界を支配していた文明の遺産を手に入れたのならば、一部から『無限の財布』の二つ名で呼ばれるようになるのも当たり前だった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次回で八節終わり予定です(´・ω・`)




