第八節 選択⑩
「ったく、いい気分だったってのに突然なんなんだよー?」
「食材切れったってなあ、いきなりすぎんだろ」
「申し訳ありません、仕入れの不手際で本日は閉店といたします! また明日のご来店をお待ちしております!」
「まあいいじゃん、こうして持ち帰りに高い酒とつまみを配ってくれたんだからよ。どっかで続きやろうぜ」
「あの飛び出していった兄ちゃん、何だったんだろうな」
「知らん知らーん! そんなことよりロナちゃんといいセラスちゃんと良い、可愛い子雇いすぎだろ! あんのスケベ爺め!」
「ガハハハハ! お前それ何度目だ!?」
酒場から追い出された酔っぱらいたちが騒がしい通りのちょうど反対側。
屋根から屋根へ飛び移り、暗い路地裏を越えたリョウは開け放しの窓から赤髭艇の二階へと飛び込んでいた。
「到着、と」
腕に抱いていたラピスをそっと廊下に立たせるなりの事である。
今の今まで乙女の表情でリョウの首にすがりついていたと言うのに、すっと三歩離れた少女は全身に満ちていた気持ちをどこかに押し込めて業務用に切り替わった。
「リョウ様、私などの為にお手を煩わせて申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる彼女が見えない壁を作って距離を置いたのが分かったので、着任当初のように感じた彼はそんなことはないと首を振る。
「そんなことはない、当然のことだ」
「いいえ。王族近衛騎士であらせられるご主人様は、なによりもまずシスティーナ様の御安全を優先すべきです。私などを助けるために衆人の注目を浴びるような真似は慎ま―――」
「ああ、そう言うの無理なんだ」
慎まれるべきでしたという言葉を遮り、あっさりと、しかし強く否定した少年は顔を上げたラピスの驚きに見開かれた目をまっすぐ見つめて宣言した。
「大切な誰かを守るために他の大切な誰かを、何かを切り捨てるなんて出来ない。俺は守りたいものを全部守ると決めた」
そう言って微笑む顔があまりにも眩しくて、張り付けた業務の仮面が剥がれ落ちそうになったラピスは黙ってもう一度頭を下げるだけ。
口を開いたら、仕える者としてあるまじき気持ちが溢れ出してしまいそうだったのだ。
「リョウ、戻ったか! 敵は!?」
突然奥の扉が開いたと思ったら、抜き身を持ったギルガメシュが廊下に現れる。
まともに会話をするのは久しぶりになるが、緊急事態と聞いて強制的に気持ちが切り替わったらしい。
「心配かけたな、俺もラピスも無事だ」
「知り合いと言うのはラピスだったのか……って凄い血糊じゃないか!?」
ほっとしたのもつかの間、メイド服以外を初めて見る少女が血と泥にまみれているので本当に大丈夫なのかと驚いていると、話し声を聞きつけたのか、泣き顔のセラスとフライパンを構えたタッシュが階段を駆け上がってくる。
「戻ったか! 客は全員追っ払ってあるぞ、下はどっちらかったままだがな」
さすがに大盛況だった酒場から酔っぱらい達を追い出すのは骨が折れただろう。
先ほど来店して無料のエールすらまだだった者を含めてほぼ全員が不満の声をあげたのだが、酒瓶やらつまみになる食べ物やらを持ちきれないぐらい押しつけながら強引に追い出したのだ。
店の前はちょっとした騒ぎになっておりロナがひたすら頭を下げているが、その内散って静かになると思われる。
「無事だったんですね! ……よかった、本当に良かったよう……!」
リョウの後ろに暴行を受けていたはずの少女が立っているので、泣きっぱなしだったセラスはぺたんと廊下に座り込んでしまった。
あの状況からどうやったら助けることができるのかはもちろん想像もつかなかったが、それでも拷問の様子を見ていた彼女はさぞ痛かったでしょうにと涙をこぼし続ける。
「セラスも良く知らせてくれた、本当にありがとう。おかげでラピスを助けることができた」
「ラピスと申します。王城でリョウ様の担当メイドをしておりました。この通り怪我もありませんので、どうか心配なさりませんように」
「その子が件のお嬢さんか。ひどい有様だが着替えはあるのかい?」
「あ、荷物は馬車に……」
自己紹介をしたラピスは路銀も着替えも駅馬車の中に残してきてしまった。
身元が割れるようなものは含まれていないものの、さすがに取りに戻るわけにはいかないので、改めて血みどろの自分を困ったように見回してしまう。
「セラスちゃんの服を借り……いや、女房の服が残ってるから着替えてくるといい。背格好が似とるから入るじゃろう。セラスちゃん、案内してやってくれるかな?」
「……は、い。ぐすっ、私セラスと、言います。ごめんなさい、私がもっと早くリョウさんに知らせていれば……」
二人の胸囲が余りにも違うので少し修正したタッシュに言われ、頷いたセラスが立ち上がって涙を拭うと、ラピスは微笑んで首を横に振った。
「いいえ、お気になさらず。悪いのは見つかった私なのですから」
それでもごめんなさい、いえいえを繰り返す二人がタッシュの部屋に消えた後。
システィーナがいる部屋とタッシュとを見比べたリョウは腰に手を当てて言った。
「腹減ったな。タッシュさん、厨房を借りてもいいですか?」
「おいリョウ! そんなことを言っている場合か!?」
「べ、別にかまわんが……」
当然ギルガメシュは、僕たちが潜伏していることが知られて時間はないんじゃないのかと驚き、さすがのタッシュも目を白黒させたのだが。
主人の手にあるフライパンに手を伸ばしたリョウは、余裕のある表情で大丈夫だと言った。
「そのぐらいの時間は稼いである。システィーナも下に呼んでくれ、ロナも含めて皆で夕食にしよう」
◇
場所を一階に移した後。
食べかけ飲みかけが放置されたまま台風が吹き荒れたような酒場の有様にリョウは凄いなと呟いてしまった。
「すみません、ご無理をさせたようで」
「なーに、想定内さ。すぐに片づけるからロナちゃんも手伝っとくれ」
「はいっ!」
「とりあえず皆が座れる分を確保してくれれば良いですよ」
「そうは言っても、周りが散らかっとると落ち着けんわい」
表から戻ってきたロナとタッシュが一階の片づけを始め、フライパンで肩をとんとんと叩いたリョウが厨房に入ろうとしたところで二つの足音が階段を下りてくる。
「リョウ! 怪我はない!?」
途中の手すりから乗り出すように声を出したのは、皆が廊下で会話しているときも扉に張り付いて聞き耳を立てていたほど気が気で無かったシスティーナだ。
「ああ、大丈夫。だが、この町に居るのが知られたので明日にはここを離れる必要がでてきた。ラピスの話を聞いたらこれからの事を決めるぞ」
「……分かったわ」
もともとまじめな顔をさらに引き締めた彼が言うので、逃亡と潜伏の時間が終わる事を知った王女は残りの数段をゆっくりと降りてきて近くの椅子に座り込む。
同じく降りてきたギルガメシュはそのまま入り口の前に立って外の警戒を始めたのだが、やはりこれからの事と聞いて迷うような表情だ。
「さて。なに作るかな」
背中の両手剣を下ろしたリョウはすぐ手の届くところに立てかけてから料理を始めたのだが、その頭の中ではこれまで得た情報とラピスから得られるであろう情報が忙しくかき混ぜられていた。
(アルがどうのと言っていたし、ラピスが来たのは騎士団の使いと考えて良いだろう。ブライアン様は本当に担当メイドたちを連れて行ってくれたんだな)
アマレットが提供してくれた情報のおかげで見えた三つの道筋はそれぞれ狭いのか広いのか。
情報は多ければ多いほど良く、危険を押して命がけでテンペまで来てくれたラピスのおかげでいろいろ見通せるようになるだろう。
結果、どのような道が選ばれても早期終息に繋がれば国や国民の被害はより少なく、不要な戦いや犠牲を減らすことに繋がるはずだ。
「くそっ、いい匂いをさせてくれるな」
非難めいた口調で言ったのはギルガメシュである。
厨房から漂ってくるにおいに空腹が刺激されてしまい、深刻に悩んでいた気分がどこかへ行ってしまったのだ。
「タッシュさんが作ってくれた食事をちゃんと食べないからだ」
「そうは言うが。……居場所も知られたというのに君の余裕が信じられないよ」
「休めるときに休み、食えるときに食えなきゃ冒険者はつとまらんからな。はっはっは」
憮然とするギルガメシュにそう笑ったタッシュは分かっていた。
決して図太いとは言えない二人が、食事も喉を通らなくなってしまうことを彼は懸念しているのだと。
つまりこの後、それほどの会話が控えているのである。
「いやいや。リョウは騎士の中の騎士、王族近衛騎士ですので」
「公的には剥奪されて無職だぞ。もちろんギルもな」
「そ、それを言ってくれるなよ……」
考えないようにしていたのに、とギルガメシュが肩を落としていたらセラスとラピスも降りてきたのだが、飛び上がって驚いたのはご主人様が料理をしていると知ったメイドである。
「あれ? リョウさんが厨房に入ってるんですか?」
「!? 申し訳ありませんリョウ様! すぐ私が……」
狭い階段で器用にセラスを追い越した彼女は厨房に向かったのだが、顔をのぞかせたリョウがこっちの手は足りていると言った。
「こっちは俺ひとりで十分だから。セラスとラピスも片づけを手伝ってくれ」
「はい!」
「し、しかし……」
「ご主人様の命令だぞー?」
「うっ……」
なぜか、命令と言われて顔を赤らめさせたラピスは不承不承ながらカウンターの上を片づけはじめ、その後ろ姿を見つめるリョウの表情は優しい。
「あ、あの。あちらに座ってる方が二階のお客様だったのですね」
「ああ、あとでロナちゃんにも紹介されるじゃろう。……びっくりせんようにな」
「び、びっくり?」
「セラス様、こちらのお皿はどちらに運べばよろしいでしょうか?」
「ちょ……! 様づけなんてやめてくださいよ!」
室内に飛び交う会話。
厨房から漂ってくる料理の匂い。
無言のシスティーナは全身でそれを感じ取っていた。
(きっと、多くの家庭でもこんな風景が見られたのでしょうね)
王都や城は荒れていないだろうか。
戦いがあった以上、失われた命や怪我をした者も皆無では無いはず。
残された者はどうしているのだろうか、負傷者は正しく治療を受けられたのだろうか。
リョウはまだなにも話してくれない。
―――いや、自分が目と耳を塞ぎ、見ないように、聞かないようにしていただけだ。
二階から町や道を歩く人たちの表情を見続けて直感では何となく感じていた。
父が守りたかった、人々の何気ない幸せが失われつつあると。
けれど命を狙われ、立場を追われかけ、何の力もない自分になにが出来るのかと王女は自問を繰り返していた。
「ラピスもこんなところでまでメイドじゃ無くてもいいのにな」
「なにを仰いますかリョウ様! 私は寝ても覚めても城でも外でもあなた様のメイドです! それが唯一無二の役目なのです!」
(ラピスが羨ましい)
一人でテンペまでやってきたメイドの胸中は、王女には分からない。
だが自分の侍女見習いだったころに比べて少女の眼差しは強く、言葉には決意があった。
おそらくその言葉通り、彼女は自分の役目を―――他人から与えられた役割ではなく、己を活かすあるべき姿を見いだしたのだ。
(じゃあ、私の役目は?)
父の後を継いでこの国を治め、子孫にそれを託す事が王家に生まれた唯一の継承者の役割なのは分かる。
だけどそれは、本当に自分の命を活かすあるべき姿なのだろうか。
平時ならなにを馬鹿なと笑い飛ばされる考えだろうし、彼女自身も城を出るまでそれが自分の与えられた立場だと疑わなかった。
けれども権力を失い、名ばかりの継承者となった今、自分のいる意味が分からない。
別の道もあるのではないかと。
別の道しかないのではないかと、その事ばかり考えてしまう。
「システィーナ」
「……な、なに!?」
厨房から出てきたリョウの声で堂々巡りの苦悩から呼び戻されたシスティーナは、いつの間にか閉じていた目を開け顔を上げた。
「まだ考え込む時間じゃない。情報が出揃ってないし、空腹だとろくでもない考えばかり浮かぶからな。今はただ、空きっ腹抱えて待っとけって」
「う、うんっ」
それが役目だとばかりに彼が笑う。
それだけで、彼女の中にあった重い気持ちが溶け消えた。
もうすぐ答えを出さなければならないのは分かっている。
いや、本当は選ぶことなど出来ない状況かも知れない。
それでもせめて、この食事が終わるまではまだ一人のシスティーナで居てもいいのだと笑顔を浮かべた彼女は、勢いよく椅子を立つと見よう見まねで片づけの手伝いを始める。
しばらくして。
「よーし出来たぞ。セラス、ロナ、運んでくれ! ラピスは水を頼む! 全員席に着いたら食事にしよう!」
酒場で一番大きい十人掛けのテーブルに着いた彼らの前に湯気の立つ料理が並んだ。
なんだかんだで時刻はすでに二十一時を過ぎており、夕食がまだで腹ぺこの彼らは見たことのない料理に興味津々だ。
「ふぅむ? こりゃ三神の料理かね?」
いろいろな客が来て他国の話を聞くことの多いタッシュには分かるようで、しばらく滞在して様々な食材や調味料を持っているリョウはそうなんですと頷いた。
「ええ、少し前まで食べ歩きをしてたもので」
「リョウさんって三神出身なのですか? そう言えばどことなく三神顔ですよね」
彫りが深く甘い色男のギルガメシュとは全く方向性が異なるものの、二人並んでも見劣りしないと思うのはセラスの贔屓目もあるのだろうか。
「いや、生まれはどこかは分からないんだ。親父はそんなでも無かったし」
「じゃあお母さんが三神の人なのかも知れませんね。名前もそれっぽいし」
母親のことは何一つ分からないが、そう言うこともあるかも知れないと頭の片隅に置いておいたリョウは、一人だけ居心地が悪そうなロナと二人を紹介する事にした。
「冷める前に簡単に紹介しておこう。この子はロナだ。赤髭亭の臨時雇い」
「初めまして、ロナです」
「で、こちらがギルガメシュとシスティーナ。俺の友達だ」
「よろしく」
「よろしくね」
「は、はい! こちらこそ! ……えっ?」
当然、王女誘拐犯や王女と同じ名前にロナは戸惑ったのだが、考える前にリョウが食事を促して思考はお流れとなってしまう。
「大地の女神の恵みに感謝します。それでは皆でいただこう!」
「「「いただきます!」」」
「……あら、このスープ美味しいわね」
「そいつは三神で言う味噌汁だ。味噌っていう発酵調味料と鰹節っていう魚を薫製にしたものを使ってる」
「ふぅん? お城じゃ食べたこと無いわ」
「料理担当の侍女に三神料理を学んだ者がいないせいだと思われます」
お隣の国なのに、と勿体なく思うシスティーナにラピスが答えるのを聞いて、目を見開いたロナはやっぱりと呟いた。
リョウだけなら偶然と片づけられたが、ほかの二人まで張られた手配書に登場する名とあってはそう思うなと言う方が無理だろう。
が、今は聞かなかった事にしなさいとタッシュに肘でつつかれてご飯で口に蓋をする。
「三神国は本当に独自性が強いな。フィフトニス神聖王国ほどには歴史が長くないというのに」
「一説によると伝承者と呼ばれる一人が広めた知識らしい」
賢者の石を求めるにあたり、三神の試練についていろいろ調べているうちに建国記にまで触れていたリョウは、それは何者だと問いかけるギルガメシュに分からないと言った。
伝承者については諸説紛々、歴史学者の見解も様々で、霊獣、魔族、神族と言った異界の存在や魔法文明の末裔などそれっぽい物から、異世界からの訪問者なんてとんでもない説まであったのだ。
―――なお天界や魔界、精霊界に冥界と言った異界ではなく、それらを含むこの世界とは別の世界があるのではという概念が古代魔法文明ごろに登場しているのは、その魔法文明の創設者が別の世界か遠い未来から来たのではないかと思われるほど未知の知識や技術に通じていたかららしい。
「フォレスト様、おかわりはいかがですか?」
「ああ、すまないなラピス」
唯一、このテーブルでメイドという立場を忘れていないと思ったら、わざと深刻そうな表情を浮かべたラピスは頷くギルガメシュに冗談を言った。
「ちゃんとピーマンも避けずに食べてくださいませ。姉さんに言いつけますよ?」
「むぐっ!?」
皿の端っこに緑色の物体を避けていた彼は思わずむせ込み、その様子に王女は声を出して笑ってしまう。
「ふふふふ、リョウったら。ギルが苦手なの知ってるのに」
「ああ、すっかり忘れてたなー?」
「絶対にわざとだろう……!」
「ロナちゃん、さっきはお客様の応対任せちゃってごめんね。大変だったでしょう?」
「いえ! おみやげがあったのでそれほど揉めませんでした!」
身分をあまり気にせず、大勢で和気藹々と食事をする時間。
それは、いつしか食事の手が止まってしまったシスティーナにとって未知の世界。
父と二人か、父が忙しいときは一人が基本であり、周囲の侍女に一挙手一投足を見つめられながらの食事が当たり前だった彼女にとってとても新鮮で、温かな触れ合いだったのである。
「どうした、なにか苦手な物でもあったか?」
「ううん、大丈夫。あなたの料理、とても美味しくて温かいわ」
一人一人の笑顔や戸惑った顔、驚く顔に困った顔。
政治の場である貴族との晩餐会とは全く異なる、自然な感情が行き交う場を見つめる王女の胸に、願いと言うにはありふれた、小さくほのかな気持ちが生まれる。
(毎日じゃなくても良いから、できるだけ皆と一緒の食事がいいな……)
それが王宮であろうとも、別の場所であろうとも、リョウなら望めば実現のために力を貸してくれるに違いない。
なぜだか分からないが、この場を設けた彼を見てそう思えた。




