第八節 選択④
リョウの説明はそれなりに長い時間を必要とした。
タッシュの作ってくれた夕食を挟んだ後。
ギルモアの調査結果を聞く機会がなく、まだ自分の中では推測でしかない国王の毒殺に触れなかった彼は、すでに転移文書を受け取っていてもおかしくない補佐官が情報公開を遅らせているのは命令系統の混乱が背景にあるのではと締めくくる。
「王都の混乱に加えてテンペ公が不在だからな。補佐官は急いで戻ってくるはずの公を待っているんじゃないかと思う」
「なら、もろもろの発表がテンペ公からではなく補佐官からだったなら、君の心配したとおり地方領主が抑えられてしまった可能性が高くなるのか」
ギルガメシュがなるほどと顎に手をやっていると、眉間にしわを寄せたタッシュが唸るように言った。
「国王が病死された途端、大臣が武装蜂起するとはな。しかしこの分だと君たちも何らかの罪を着せられるのでは?」
正統後継者の無事は喜ばしいが、情報の発信地である城を抑えられてしまっては、国内外に知らしめられる話は二人にとって非常に不利な内容になるだろう。
彼が濡れ衣を心配すると、移動中にそのあたりを予想済みだったリョウは余裕のある表情で頷いた。
「王女誘拐犯あたりだと予想しています。逆に情報の公開なしに手配書だけを張り出すわけにも行かないでしょう。町の入り口に検問もなにも無かったのは俺たちが早かったのと、公の不在が関係しているのではないでしょうか」
これがもっと王都に近い町なら事情が異なったのだろうが、訓練を受けた者が街道沿いに早馬を乗り継いでも王都からテンペへは三、四日かかる。
ましてや誘拐した王女を連れての移動ともなれば足が遅くなるのは当たり前で、テンペ補佐官や関係者たちもまだ余裕があると思っているはずだ。
「確かに。どうやったのかは知らんが、四十八時間以内に王都から移動する術などそうないな」
そう言いながら、さすが冒険者向けの宿の主人であるタッシュは『転移』の魔法か魔符を使ったか、力業のどちらかだと大体のあたりをつけていた。
超一流の冒険者は常識に縛られないという、ある意味一番大切な常識を彼は知っているのである。
「お話は分かりました。それで、イグザート殿はどうされるおつもりか」
彼らが王族近衛騎士であり、正統王位継承者であるシスティーナ王女が信頼する者達であることは厳然たる事実だろう。
ならばこのギュメレリー王国の一員として、ロシュデイの血を支持する一人として、協力しないわけにはいかないとタッシュが深々と頭を下げたので、慌てたセラスもそれに倣った。
「な、なんなりとお申し付けくださいっ!」
(この助力もお父様の治世と、リョウが居てこそのもの。私自身は何もできていないのに……)
ずっと背筋をのばしてリョウの説明を聞いていた王女は、何の実績もない自分に流れる血を信じてくれる民と、事情は分からないが協力者を得られるリョウの人柄にただ感謝することしかできなかった。
「イグザート殿ってがらじゃないですし、口調や態度から感づかれてもよくありません。俺たちは知り合いに会いに来た流れの冒険者と言うことで」
だから顔をあげてくださいと二人を促したリョウはすべては情報を集めてからだと腕を組む。
「まずは情報集めからです。俺たちの取り扱い、王都の状況、そして誰がどう動くのか」
「なるほど」
彼にとって避けたかったのはテンペ入りを難しくする情報伝達への遅れであり、こうして町の中に入り込んで信用できる拠点を手に入れたいま、心配事は多いが何がどうなっても二人を守るという約束に大きな問題はない。
なので、情報収集は大切だなとタッシュが納得したところで今日はもう休もうと言った。
「明日、明後日には何かしらの動きがあると思う。なのでシスティーナ、ギル。二人はもう休んでくれ」
「えっ? 私は大丈夫よ」
「僕もだ」
気丈に振る舞っているが、王女はここまでずっと背負われっぱなし、揺れっぱなしで消耗しており顔色も良くない。
霊薬を飲んで体力は回復していたとはいえ、気を抜くと寝不足でぼんやりしてくるギルガメシュも同様に疲れが隠せなくなっているのだ。
二人の状態を分かっていたリョウは優しく微笑むと、今は休んでいいんだと首を横に振る。
「ここまでの強行軍でだいぶ疲れがたまっているはずだ。もともと面の割れやすいシスティーナを表に出すつもりはないし、護衛は必要だからギルが付いていてくれればいい」
つい先ほど気づかれた前例がある以上、表に出るわけにいかないのは明らかだ。
焦燥感と無力感ばかりが募る王女はテーブルの下でぎゅっと拳を握りしめたものの、今の自分にできそうなことはなにも思い浮かばない。
「……分かったわ。私にできることがあれば何でも言ってね」
「セラスちゃん、二階右端の部屋に案内を」
「はいっ!」
セラスがカウンター奥の棚から鍵を持ってきたので、立ち上がったシスティーナと少し不満そうに戸口を離れたギルガメシュは軋む階段を上がっていった。
廊下を歩く三人の気配がどこかの部屋に消えたあと。
「タッシュさんはいつも通り店を開けてください。俺も情報が公開されるまでは動きようがありませんので。ただ、泊まりは何かしら理由をつけて断ってください」
「分かった」
鋭い者というのはほんの小さな違いに違和感を覚えてしまう。
今は平常を演じてほしいといったリョウは、とりあえずの宿代と迷惑料として共通金貨五十枚をテーブルにおいた。
「さすがに多過ぎないかね」
「念のためです。この先何があるか分かりませんし、お湯だのなんだのいただくことになりますので」
残念ながらこの宿に風呂などついておらず、共同浴場にも行けない王女が身を清めるには大量のお湯が必要になるだろう。
移動中の野営やもろもろの不便に文句一つ言わず耐えていた彼女であるが、なに不自由のない城での暮らしとの格差にずいぶん参っていたのは知っていたのだ。
「……あと、済みませんがセラスに女性用の下着やら、女性の必需品やらを買ってきてもらいたいのです」
「フハッ、なるほどな」
困ったようにお願いしたリョウもさすがに女性用の、しかも王族が身につけるような高級な下着は持っていなかった。
否、正確に言えば鋼鉄の鎧以上に防御力の高い、絹以上に着心地のいい魔法の物が無くはないのだが、システィーナに合いそうな大きさではなかったのである。
世の中には時間経過で破損が直り汚れが消える『復元の奇跡』が付与された衣服なんてものも存在するし、魔法の強度によっては洗濯や装備者の風呂まで不要になったり回復力が底上げされたりするのだが。
『清めの聖衣』と呼ばれるそれは本来は第二位以上の司祭職に神殿から与えられるもののため、逃亡中で素人の神官を装う彼女に着せるわけにいかなかったのも理由の一つだ。
思わず笑ってしまったタッシュはそういう事ならと金貨を受け取り、開店の準備をすべく椅子から立ち上がる。
「じゃあワシは店を開けるとしよう。何か気になる噂話があったらすぐ連絡する」
「お願いします」
同じく立ち上がったリョウが頭を下げたあと階段を上がっていくと、セラスが向こうの空き部屋から毛布を持ってくるところだった。
「ああ、ありがとう。それは俺が持って行くから、セラスは店を手伝ってくれ」
「分かりました」
一番奥の部屋ですと言い残して階段を下りていく彼女を見送ったリョウがそっと扉を開けてみれば、室内に一つしかないベッドではシスティーナがもう横になっていた。
「ほら、毛布。俺が外にいるから装備を外して横になっていいぞ」
「しかし、君も寝ていないんじゃないか?」
こういう場合、どう休めばいいのか分からず所在なさげに突っ立っていたギルガメシュは、同じく襲撃のあった朝からほとんど寝ていないはずのリョウも辛いのではと心配したが。
「親父の訓練で―――」
「訓練でしばらく寝なくても平気なんだな? では済まないが休ませてもらう」
最後まで聞かず、また父親の訓練かと遮ると毛布を受け取るなり装備も外さないまま床に寝っ転がってしまう。
すぐに寝息を立て始めた彼に苦笑し、部屋を出たリョウは剣に巻いてあった布を外してから扉の前に座り込むと、手帳を取り出して情報の整理と今後の方針を練り始めた。
(―――閉店後にもう少しセラスから話を聞きたいが、もう大臣が主犯と思って間違いなさそうだ)
地方領主や地方騎士団が頼れない可能性も一応頭にはあったが、中央と地方の両方が抑えられてしまうと王女が頼れる相手がいないのは確かだった。
友好国に援軍を頼むなど論外、向こうのように国に所属しない冒険者や傭兵を募って第一騎士団の看板をつけさせるのにも時間的制約がある。
なにより自国のことを自国の中で解決できない、反乱を速やかに収められない弱い血だと人民に思われてしまったら、城を取り戻したところでロシュディ家の治世は長続きしないだろう。
(システィーナがどうしたいか、だな)
なんにせよ、王都の情報が入ったところで王女に大方針を選んでもらわなければ始まらない。
まずはタッシュに告げたとおり情報収集だと手帳を閉じたリョウは、やがて酒場から聞こえ始めた喧噪に耳を傾けながら体を休めることにした。
◇
翌朝。
八つの鐘が鳴ってすぐ、普段通りにしてくれと説得されたセラスがしぶしぶ学級へ向かった。
アトゥムからの強行軍が堪えたのだろう、システィーナとギルガメシュの気配はまだ眠ったままで、二階建ての赤髭亭で動いているのは朝市から帰ってきたタッシュと相変わらず廊下に座り込むリョウの二人だけである。
夕べセラスから聞いたマッセ男爵家での事を思い返し、あれこれと考え込んでは手帳に書き留めるということを何時間も続けていた彼が、強ばった体をほぐそうと立ち上がったときだった。
「おはようございます! 新しい手配書の配達に参りました!」
「ああ、いつもお疲れさん」
おそらく西方騎士団に所属する衛兵だろう。
大きな声で挨拶をした男性が、なにやらタッシュと話し込んでいる声がかすかに伝わってくる。
(きたか?)
「……で、……らしい………」
「…なんと……!」
具体的な内容までは聞き取れない小声だが、相づちも緊張をはらんでいるのは感じられた。
「……と言うわけです。怪しい者を見かけたら詰め所まで通報ください!」
「ああ、気にするようにしとく」
では失礼します、と具足が床板を踏むゴツゴツという音が出て行って一分。
いきなり誰かが入ってこないよう主人が扉に鍵を掛けたところでリョウは階段を下りていく。
「おはようございます。いま、衛兵が手配書を配りに来ていたようですが」
「リョウ君、いま呼ぼうと思っていたところだ! テンペ補佐官から君たちの手配書が出たぞ!」
「補佐官からでしたか」
関係者が入れ替わったにしては発行まで早い。
作成と各町への配布に経験者のフォートが関わっているのではと思いつつカウンターに歩み寄った彼は、置かれていた手配書を手に取るなりなんだこれと呟いてしまう。
「なんだこれ。ぜんぜん似てないのによく発行できたな」
似ていないどころの話ではない。
指名手配されたのはリョウとギルガメシュなのに、描かれていたのは目鼻をくっつけた大根とジャガイモとでも言うべき前衛的なにかだったのである。
発行承認者はマルコス=G=ワール国王代行となっており、二人の罪状は予想通り王女誘拐犯、賞金は一人あたり金貨三十万枚。
唯一の正統後継者の救出を含むにしてはずいぶん安い気がするが、金額といい、野菜顔といい、作成者がまじめにやっていないのがよく分かる内容だ。
(誰かの援護だろうか)
雑すぎる手配書に気づいたワール公が再発行を命令したところで時間はかかるし、似顔絵の異なる版が入り乱れると検問や賞金稼ぎたちも混乱する。
なにかしらの意図が隠れていそうだ、と思ったところで非常に険しい表情で近づいてきたタッシュがにわかには信じられない、信じたくない事を告げた。
「配りにきた衛兵の話なんだが……神竜の月三十日、トリオーン王を毒殺し、武装蜂起した第一騎士団長は即日処刑されたとの事だ」
「なっ!? ……ブライアン様が処刑された!?」
「それだけではない。それに協力した親衛騎士のブルーシップ伯爵とシタデル子爵も処刑されたと」
絞り出すように馬鹿な、と言う声が漏れる。
無意識のうちに手配書を持つ手が震え、握りつぶすあまりの強さに羊皮紙がめりめりと千切れた。
「親衛騎士団および第一騎士団は即時解体、任務は反乱を鎮圧した第二騎士団が引き継ぐとされている」
「鎮圧……」
それが上辺だけの話なのか、本当に彼らがやられてしまったのかは分からない。
逃げた自分たちに絶望を突きつけ、再起を諦めさせる狙いも少しはあるだろう。
ただ、三人が処刑されたというのが事実ならば、撤退戦の結果が芳しくなかったのか、あるいは―――
(あるいは―――それすらも計画の内だったと言うのですか、ブライアン様……!)
第一騎士団は逃げ延びつつ、敵に勝ちを確信させる状況を作り出すと彼は言った。
そのために自分を捨て駒にする事も厭わぬのが騎士ならば。
王国の礎になることを迷わぬのが騎士ならば、その魂はあまりにも強く高潔だ。
だとしても、他に手は無かったのだろうか。
その命は本当にここで失われなければならなかったのだろうか。
俯くリョウは繰り返し自問するも、答えは見つからない。
「そして君たちに王女を誘拐されてしまったため、国政は暫定的に大臣であるワール公が代行する。……ここまでが第一報だ」
現実は非情で世界は厳しくて、人の命など驚くほど軽いことを、多くの冒険者の名を未帰還者名簿に書き連ねてきたタッシュは知っている。
淡々と語った彼がそう締めくくって少年の反応を待つと、沈黙に歯を食いしばる音がギリギリと響いた。
取り乱さないように努め、怒りを抑えつけるように握りしめる拳の骨が軋んだ。
しばしあって。
こう言うときほど冷静さを失ってはならないと、大きく息を吐いて体中の熱を追い出した彼は低い声で告げる。
「二人に伝えてきます」
父を毒殺された娘の、濡れ衣を着せられた父を処刑された息子の衝撃はいかほどのものか。
タッシュはただ頷き、ゆっくりと階段を上がる背中を見送ることしかできなかった。
◇
「二人とも起きてくれ」
「……どうしたんだ、怖い顔して」
毛布から顔を覗かせたギルガメシュはすぐに立ち上がり、いままで聞いたことのない低い声に飛び起きたシスティーナも、ただ事ではないと感じ取ってベッドから降りた。
「どうしたの? 急に、改まって」
「いいか、落ち着いて聞いてくれ―――」
トリオーン王が大臣たちに毒殺されたこと。
ブライアンがその濡れ衣を着せられ、ギルモアやアントン共々処刑されたと発表があったこと。
静かな告白の最後、王女誘拐犯として手配されたことなどまったく耳に入らなかった二人はそれぞれベッドと床にへたりこんでしまう。
「お父様は、マルコス達に殺された……」
「ち、父上、が……?」
頭の理解はおろか、心が受け止めるにもかなりの時間を要すると思ったリョウはただ、じっと戸口に立ったまま待った。
「マルコスッ!!」
突如沈黙を突き破り、敵の名を叫んだギルガメシュが弾けるように立ち上がると剣を掴んで戸口のリョウへと突き進む。
「どいてくれ、リョウッ!」
「……駄目だ。ギルが一人で行って何ができる」
「じゃあどうすればいい!? ただこうして逃げるだけなのか! 母上やリイナがどうなったかも分からないのに!」
ブライアンに国王毒殺の汚名が着せられた以上、フォレスト子爵家は取り潰されて一家揃って処刑になるのは目に見えている。
今さらテンペから急いだところで間に合うはずもないが、魔剣の束に手をかけたギルガメシュは感情のまま叫んでいた。
「絶望的じゃないか! 王都も地方も抑えられ、父上も団長もアントンさんも殺されて! 何が城を取り戻すだ! 僕らには何も残っていないじゃないか!」
「ブライアン様を信じろ。きっと第一騎士団は無事だ。事前に察していた以上、エリアンヌ様やリイナちゃんにも何かしらの手は打ってあるはずだ」
「……ただの希望的観測じゃないか……」
「残って戦うことを選んだアルやポタス導師だっている」
「たったそれだけの戦力で、何ができるって言うんだ……」
みんな君の心配した敵の罠にかかってしまったかも知れないんだぞ、と消え入るように呟いたギルガメシュは糸が切れてしまったかのように座り込んでしまう。
そして王女も彼の言い分に賛成だった。
もし第一騎士団の大半が無事だったとしても、自分が地方を束ねることができない以上、奪還計画は頓挫したも同然である。
戦いのことはよくわからないが、放棄する前提だった先の戦いと、籠城する気満々の相手を突き崩すのでは攻城に必要な戦力だって何倍も違うのではないだろうか。
「……くそっ! くそっ! ……父上……父上ぇっ……! ううっ、うう………」
ギルガメシュの嗚咽が室内に響き、力任せに床板を殴り続ける拳に血がにじむ。
システィーナは自分のために起こった戦いと、失われてしまった命の重さにただ呆然と天井を見上げていた。
(戦いが起きて、きっと多くの命が失われた。……ロシュディの血にそんな価値があると言うの? 私は―――彼らの忠誠と命に、どうすれば報いることができるの?)
二人が動けないようなのでそっと廊下に出たリョウは扉に背を預けると、命がこぼれ落ちてしまった両手を見下ろして唇を噛む。
(分かっています。分かっています、ブライアン様。あなたは騎士だ。騎士として、一番と信じる道を選んだだけなのですよね)
きっとギルモアも、アントンも同じだったのだろう。
彼らだけではない。
付き従った第一騎士団も、一部を除けば自分たちの正義を信じた第二騎士団もそうだったのではないだろうか。
(でも……それでも、俺はあなたを、みんなを護りたかった!)
城を出ない案や、自分たちも町のどこかに潜伏する案だったら未来は変わったのだろうか。
王女を騎士団に任せ、力のある自分が先陣に立つべきではなかったのだろうか。
今となっては別の立場や選択を選び直すことなどできるはずもなく、自責の念が滴となって頬を伝い、手のひらにぽたりと落ちる。
―――謳い手には、時勢に飲み込まれてしまったものまで気に病む彼の苦しみは分からない。
不条理に対して怒りを覚えたところでただの徒労だ。
多くの者は天災同様に仕方がないことだと、到底あらがうことなどできない事なのだと自分をごまかし、不運だったと言い聞かせて日々を生きてゆく。
別の観点からすれば王国に忠誠を誓った騎士が正統王位継承者の為に命を懸けるのは当然だし、王を毒殺され、反乱を起こされた騎士団の罪も決して軽くない。
ただそれでも。
相手が個人であれ、世界であれ、運命であれ、偶然であれ、悲しみを誤魔化さない純粋さが、抗おうとする意志こそが彼の進もうとする道に必要な資質の一つ一つであることは確かだった。
やがて十の鐘が鳴り、さらに十一の鐘が鳴り。
正午近くまで固まっていた彼の中で、混沌とした何かが形になろうとしていた。
今は二人を守るという約束があり、悲しみに目を背けてばかりではいられないという状況も胸中のもやもやと向き合う覚悟を決めさせたのだろう。
(もっと多くのものを、もっと大きなものを守れるようになるには―――)
力不足、経験不足だった三神での悲しみに打ちひしがれ、迷い子のように訪れたギュメレリーで受けた傷が、皮肉にも理想を抱く少年に進むべき道を選ばせることになる。
ほしいと思ったのは王侯の血の権威とはまた別の、ただそこにいるだけで味方を鼓舞し、敵を挫く存在感。
そして単純な力のみでは届かない、一朝一夕には積み上がらぬ信頼と実績の裏付けが必要な、あらゆる選択を許される自由だ。
「―――そうならなければ守れないのなら、なるだけの事だ」
顔をあげた瞳に宿る強い意志は、まさに英雄候補として一歩目を踏み出したことを証明する輝き。
想像を絶するほど困難で果てしない道を選んだ男に相応しいものだったのである。
だから近いうちに必ず、ワール公らは思い知ることになるだろう。
彼の涙は決して安くないと言うことを。
そして自分たちの行いが、何を生み出してしまったのかを。




