第八節 選択①
街道から外れた場所を走る二つの影。
気配も消さずに移動しているせいか、耳のいい動物や鼻の利く怪物、このあたりを縄張りにする妖魔の見張りなどは獲物がやってきたと立ち上がる。
ところが一定距離まで近づいたところで、ある群れは尻尾を股に挟んで逃げ帰り、ある怪物は即座に死んだふりをするはめになった。
ゴブリンの偵察などは小便をまき散らしながら集落に駆け戻ると今すぐの移転を叫んだほどである。
その様子はいつかの獣人が言った、上位竜に遭遇してしまったときの反応とまったく同じものだった。
ここは王都アトゥムとテンペの町の直線上にある草原。
街道から大きく離れた人の立ち入らない場所であり、いわゆる外敵との遭遇率が格段に高い危険地域のど真ん中だ。
ダイアナに向かうと言ったのは転がる男たちに向けた偽情報であり、アトゥムを出たリョウ達は周囲に人気が無いことを確認するとすぐ進路を北北西に向けたのである。
「けど、味方が連絡を取りたいときに困るんじゃないか?」
「アルには伝わってるはずだ。前にそういう話をしたことがあってさ」
「街道を使わなくても平気なの?」
「このあたりに出現する外敵でやっかいそうなのはいない。今は目撃者となりうる人との接触の方を避けたいんだ」
最初の休憩の時、だいたいの質疑応答を終えたギルガメシュ達が納得できたようなので、霊薬の空き瓶を回収したリョウは月明かりに照らされる草原を見回して言った。
「転移文書を使える向こうが、どこまで素早く体制を整えてどんな情報を流すのかが知りたい。できれば身を隠せる拠点を手に入れたいが、俺たちのテンペ到着よりも早く質の高い手配書が出回っていた場合はそのまま北のフィフトニスに抜けよう」
手配関係はフォートとリョウが担当していた部分であり、似顔絵を描く絵師との面識もあった。
地方で配られたり掲示される手配書は地方の絵師による複写になるが、送られる原本はかなり似せられている事を覚悟しなければならないだろう。
またその精度と速度次第で、業務に慣れているフォートが関わっているのか絞り込めるかもしれないと彼は考えていた。
「手配書を確認ってどうやって?」
「どこの町でも詰め所や人通りの多い場所、町の入り口そばに手配書を張り付けてるから。遠くから見れば分かる」
そんな遠くから見えるものなのかしらと首を傾げた王女がギルガメシュを見てみると、達観した様子の彼は目の光を失ったままリョウですからと頷いている。
何となく深くつっこむべきではないと察した彼女がそれでいいわと言ってだいたいの話は終わった。
「まともに入り口から入らなくてもいいしな。テンペは十の町の中で唯一城塞のない町だ、巡回の目をくぐり抜ける方法なんていくらでもあるさ。……落ち着いたなら行こう」
「ああ、分かった」
「リョウ、お願いね」
今は頼もしいことこの上ないが、治安を守る騎士としては聞き捨てならないことをしれっと言った彼は出発を促してシスティーナを背負い、屈伸をしていたギルガメシュに先行して夜の草原を駆けていった。
―――ちなみに。
テンペの町だけ城塞化されていないのは作られてまだ若い町であること、貧民街とはいえ人の住む区画が少しずつ大きくなっていることなどが理由と言われている。
領主であるテンペ公はそろそろと思っているらしいのだが、予算の都合もつかないことから工事開始にこぎ着けるにはもうしばらくかかるかもしれない。
◇
夜が明けて国葬、襲撃のあった日の翌日。
必死に―――ギルガメシュだけかもしれないが―――走り続けた彼らは、正午を回ったあたりでちょうどいい林を見つけたため休憩を取ることにした。
周辺に誰もいないことは当然、林の中にも怪しい気配が潜んでいないかを確認してから奥に進んでいくと、ここでいいかとリョウが振り返るのと同時にギルガメシュががっくりと座り込む。
「ほら」
「ハアッ、ハアッ……」
差し出された瓶を受け取る腕も重い。
何とか呼吸を整えた彼が回復の霊薬を飲み干すと、少しして薬効の輝きが現れ、ようやく全身の疲労感が抜ける。
「ふぅ。……すまないリョウ、なんだかんだで二十本近く使っているな」
ちょうど良い水分補給にもなっているギルガメシュは情けなさそうに言うが、手帳に書き写してあったこのあたりの地図を確認していたリョウは気にするなと首を振った。
「いや、ギルが頑張ってくれたおかげでずいぶん距離を稼げたぞ」
十五時間ほど移動を続けた三人はすでに三百キロ近くを移動しており、テンペまでの半分も見えてきたところである。
それでも、彼より強くなければ王女を背負うことは許されない。
軽く汗を滲ませている程度のリョウは水筒の水を飲んだだけで、一本たりとも霊薬を口にしていないのだ。
(持久力も課題か)
今は大切なお方を背負える羨ましさよりも、その差が悔しいギルガメシュは事が落ち着いたら走り込みも訓練に取り入れてみるかなどと考えてみる。
「また移動するの?」
「いや、これ以上飲んで中毒になってもまずい。いったんここで休憩にしよう」
自分は背負われているだけ、しかもあまり揺れないようにと気遣われているシスティーナが木漏れ日を見上げて言うと、これまでに使った霊薬の効果を思い返したリョウはそうだな、と二人を見回した。
「町売りの弁当ですまないが軽く食事もとっておこうか。あと、ここからいくつか細い街道を横切ることになるから二人には変装用の装備を渡しておくぞ」
言いながら魔法の道具入れを探った彼はおにぎりの入った包みを二人に手渡すと、次いでローブや杖、衣服などを草むらに並べる。
「これは魔法使いのローブか」
「こっちは神官の法衣ね」
「冒険者の三人組なら戦士、魔法使い、神官が基本だからな」
「なるほど」
遺跡や敵の拠点に入ったりしなければ罠発見や解除、解錠などの技能を持つ盗賊は必須じゃないと言われ、そんなものかと納得したギルガメシュがあたりを見回したら、ちょうど茂みに隠れようとするシスティーナと目があった。
「の、覗いたら許さないわよ!」
「しませんしません!」
そんな不敬なことなど考えもしなかった彼がリョウを見てみれば、とっくに後ろを向いて道具入れを探っているではないか。
素早い奴だと肩をすくめたギルガメシュは灰色のローブを羽織ると、フードを目深に被ってからあちこちの具合を確かめてみる。
「かなり大きいから剣も鎧も隠してくれるが、走るのには邪魔だな」
「風の抵抗が気になるようなら俺を風除けに使ってくれ。あとはこの杖を持っているといい」
手渡された杖は単純な樫の棒ではない、魔法使い向けに処理されたもので魔法制御補助の機能を持っているものだ。
握りの色が変わっているので、処分待ちにしては使い込まれた後があるなと思ったギルガメシュは、戦士役であろうリョウはどう変装するのかと聞いてみた。
「君はどうするんだ?」
「サーコートは脱いでるし、記章も外したしでこれで良いだろう」
そう言って濃い青のフード付きマントを取り出した彼は、鎧の肩にある留め金にかけるとフードをすっぽりと被って見せた。
「ずいぶん簡単だな。少なくともその目立つ剣は隠した方がいいと思うが」
「魔法の道具入れに入ってくれないからな。布を巻くぐらいはしておくよ」
「変装するならできるだけ―――いや、なんでもない」
ギルガメシュはできるだけ平凡がいいんじゃないかと言い掛けて、詮無いことだと口をつぐんだ。
没個性の対極に位置するリョウがなにをしたところで目立つときは目立つに違いない。
そのあたりはきっと彼自身も分かっていて、この程度でだめそうなら別の手を考えるのだろう。
「一応、自己変化と他者変化の魔符は用意してある。それでも囲まれたら力づくかな」
察した彼が三段階ぐらいは用意してあると言ったので、ほらなとつぶやいたギルガメシュが肩をすくめていると、法衣に着替えたシスティーナが寝間着を片手に茂みの裏から現れた。
元のブーツとブランケットはそのままなので、肌が白いとはいえ見事な赤金髪をフードに押し込んでしまえば目立たないに違いない。
「どう? 変じゃない?」
「上等上等、あとは髪をまとめれば簡単に王女だとばれないだろう」
それも預かるよ、というリョウに寝間着を渡したシスティーナは、くるりと回って自分を見回すが。
「そんな簡単にいくの?」
「システィーナが自由にしているかどうかが肝なんだ。どうせ向こうは俺とギルを王女誘拐犯か何かに仕立てるに決まっている」
「……なるほど。本当のことを言ったらどっちが逆賊かばれてしまうし、王女を護る近衛騎士に手を出したら重罪だからな」
察したギルガメシュに頷き、倒木に腰を下ろす王女に視線を戻したリョウは、誘拐犯ならさらった相手をどう扱うだろうかと言った。
「すると、三人組のうち女性は拘束されているなり自由を奪われているなりしなければならない。あるいは大きな荷物を載せた馬車の二人組のほうが疑われるんじゃないか」
「私たちに追っ手を差し向けるための理由が必要で、その理由に基づく思いこみの裏をかくのね」
驚異的な移動速度で手配に先んじる可能性も高い。
もし手配書が出ていたとしても、昨夜説明されたように顔で分かるようならテンペに入らないし、年に性別や背格好、人数程度の情報で簡単に割り出せはしない。
システィーナも言われればなるほどと思うのだが、世間を知らない自分には考えもつかない作戦に住む世界が違うのかしらなどと思ってしまう。
「あるいは王女とは無関係な三人組の犯罪者とされる可能性もあるが、若い三人組の冒険者なんて大勢いるからそう簡単に絞り込めないだろう。ギルと少し離れて別パーティを装えばなおさらだ」
「うん。リョウがいろいろ考えてくれていて、素人が心配する事じゃないって分かったわ」
いくつもの予測と対策があっての事だと分かった王女は任せておけば安心だと倒木から立ち上がり、腕を組んでいる彼の前に立った。
そこでふと、昨夜の脱出から今の今までずっと感じていたことを口にする。
「リョウって、騎士より冒険者の方が向いてるのかもね」
「……そう、か?」
突然の言葉に、上手く反応できなかった彼は眉を動かしてそれだけを呟く。
「お城にいるときより活き活きしてるって言うか……自然な感じがするって言ったら変かも知れないけど」
感覚を上手く言語化できないシスティーナにも他意はなかった。
背景には以前にもリョウの振る舞いを見抜いた彼女の符号解読能力があったと思われる。
それでも、その一言はリョウの心を大きく揺さぶっていた。
「染みついた生活と言うのはなかなか抜けないからな。ソファに慣れたって、根っこはまだ冒険者なんだろう」
どれほど彼がベッドやソファを使うのに苦労したか、毛足の長い絨毯に落ち着かなかったかをガーネット伝いで聞いていたギルガメシュが言ってその話は終わる。
「このまま二時間ほど休憩しよう、明日の夜にはテンペに着きたい所だ」
「分かった」
「うん」
気は張っていてもやはり疲れは溜まっていたのだろう。
差し出された毛布にくるまった二人から寝息が起こるのに時間は掛からず、見張り役のリョウは角度を変えていく木漏れ日をじっと見つめている。
(冒険者の方がむいている、か)
明確な迷いを感じたのは、城の上層でみんなを護りたいと思った時だった。
あの時は王族近衛騎士として逃げる道を選んだが、冒険者であったなら別の道もあったのではないかという小さな疑念がずっと胸の中で渦を巻いていたのである。
(騎士、そして冒険者。……いや。その二つに限らず俺に合った生き方ってなんなんだろうか)
護りたいものがあると気づいた時の思考の広がりは、騎士という生き方をせま苦しいと感じてしまった。
もしかしたらそれがブライアンの言っていた、他人の夢の限界なのかもしれない―――が、今は王族近衛騎士という道の途中であり、投げ出すことなど許されない。
「まずは騎士としてシスティーナとギルを護る。それがブライアン様との約束だ」
だからそれらのもやもやは、落ち着いてから考えればいいと心の奥にしまっておくことにした。




