第一節 冒険者の少年と貴族の少年④
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小規模な宴席ができるほど広いフォレスト家の食堂にて。
二十人は余裕で座れる長大なテーブルをたった五人が囲んでいた。
一番上座にはもちろん一家の長であるブライアン。
その隣に妻エリアンヌ、長女で妹のリイナが続き、向かい合う形で奥から招待客であるリョウと長男のギルガメシュといった席順だ。
壁際には給仕を行うシーバスやメイド達が立っており、食卓のやり取りを興味深そうに見つめていた。
リョウは改めて自己紹介をし、続いてギルガメシュが昼間なにがあったのかを話して聞かせると、エリアンヌやメイド達は彼が危険な目に遭ったことに驚いたものの、怪我がないことを知ってほっとした様子。
当家にとっての恩人であり、ブライアンが招いたのも当然―――という空気の中、ただ一人リイナだけがリョウを汚いものを見るような目つきで睨んでいた。
(まあ、仕方ない)
彼もそれに気づいてはいたが、町の外を知らない人達にとって冒険者なんて落ちこぼれとか社会不適合者とかはみ出し者でしかない。
リョウ自身、その通りかも知れないと思うところがあるのだから、こんな反応も当然として受け止めるほかにないだろう。
「それで父上。リョウも募集試験を受けてみたいのだそうです。良ければこのまま家に留まってもらい、一緒に訓練を受けさせたいのですが」
「彼が騎士に?」
きりの良いところでギルガメシュが切り出すと、その必要が感じられなかったブライアンが訝しげに問うた。
「この歳で単独の冒険者と言うのもなにかと面倒でして。しばらく腰を落ち着けるのもよいかと考えました」
「ふむ」
根無し草の冒険者が急に生き方を変えられるかは疑問だが、たとえ募集試験に合格したところでしばらくは半人前の見習い騎士でしかない。
厳しい訓練期間を経て一人前になり、国王に謁見し叙爵式が行われて初めて正騎士になるのだが、別に一生騎士であることを強制されるわけではなく、騎士爵を返上して別の道に進む者もなくはないのだ。
極論すればしょせん生き方の一つであり、特定の枠組みに生きる公務員でしかないのである。
「ならば、冒険者仲間を増やせばいいのではないか?」
至極もっともな、そしておそらく最適解であろうブライアンの指摘に彼ははっきりと答えた。
「俺はまだ未熟です。仲間の命に責任を持てません」
「……なるほど。自分でそう言うのならば構わぬだろう」
この場合、では騎士仲間の命はいいのかという疑問もあるかもしれないが、危険だらけの町の外で寝食を共にし背中を預ける間柄と、基本町中の同じ職場の同僚では距離感が違うのは当然のことである。
おそらく彼自身の言う若さ故の苦労と、ギルガメシュと知り合った事による一時的なものだろうと考えたブライアンはそれでも、リョウとのふれ合いは息子にとって必要な事だと思えたので滞在を許可することにした。
「ありがとうございます、ブライアン様」
良かったとギルガメシュが胸を撫でおろし、エリアンヌも依存はないと頷いた瞬間である。
静かな食堂にはとてもそぐわぬガンッと椅子を蹴り飛ばす音が響いたかと思ったら、立ち上がったリイナが足早に出ていってしまった。
乱暴に開け放たれたままの扉をマリーが閉じ、音もなく近づいたシーバスが椅子をさっともとの位置に戻したのだが、空気は冷え切ったまま。
「……すまない、あれは人見知りが激しい上に反抗期でな。あとで私から言い聞かせておく」
「いいえブライアン様。本来自分のような者がいること自体、場違いなのですから」
なにを不満に思っての反抗なのか皆分かっていたが、それは家長の判断に背くものであり本来許されないことである。
客として迎えた相手に対する態度ではない、と謝罪するブライアンにリョウはとんでもないと首を振ったのだが、今度が隣のギルガメシュがそれは違うと言った。
「それは違うよ。君は僕の友達だ、胸を張っていてほしい。ただまあ、それ以前に父上の客人ならこの家の者は諸手を挙げて歓迎しなければならないのだけどね」
「……ありがとう、ギル」
迷いも照れもない言葉に彼が微笑んだのも当然だった。
いろいろあって友達が居なかったギルガメシュ同様、幼い頃から父親について流れの冒険者をしてきたリョウにもこれまで同年代の人間の友達と呼べる者がおらず、お互いに初めて得た存在だったのだ。
自分を友達と言ってくれたことが嬉しかった。
そう言ってくれる限り、そばに居ることを遠慮するのはやめようと思った。
代わりに自分ができる事でこの家の役に立とうと決めた。
「せっかくの料理が冷めてしまう、いただくとしよう」
そこで全員の手が止まっているのを見たブライアンが促し、和やかな食事が再開される。
と、始めに気づいたのはその家長だった。
家族の食卓とは言え、正式な作法が求められる席である。
あまりの自然さに誰も気づいていなかったが、リョウは隣のギルガメシュと見比べても遜色ないほどの作法を身につけているようなのだ。
いま着ているのは平服だが―――残念ながらこの家にある男性用の礼服では、背の高く胸板の厚い彼にあうものがなかった―――礼服で身を包めば上級貴族の嫡男と言っても違和感がない。
むしろ生まれた時から躾けられてきた、隣のギルガメシュのほうが見劣りしてしまうかもしれない。
「ギルガメシュも競い合う相手がいればいろいろ勉強になるだろう。私も明日は休みだし、リョウと試合をしてみるのも良いかもしれぬな」
「父上、リョウは強いです。一呼吸の間に三人の冒険者を無力化するなんて、父上でもなかなかできないのでは? ……もちろん相手によると思いますが」
笑いながらとってつけた息子であるが、その考えこそ息子に必要な転換だとブライアンが狙ったことだった。
今のギルガメシュはフォレスト家という狭い枠組みしか知らない。
なにをするにも父を天井として考えるふしがあり、己の限界をその中だと決めつけている。
それは己の成長を諦めるも同然のことなのだ。
世界は広いと知ってほしい。
子が親を超えられぬ道理などない、子は親を超えていくものだと目標を高く持ってほしい。
風のように現れた不可思議な友人を通してそれを学ばせたかったのである。
「状況を聴取した衛兵から聞いている。だが訓練された剣というより、実戦で培ったものという印象を受けた」
「ええ、正式な訓練を受けたことがないそうです」
「それは本当かね?」
「はい、親父の訓練しか基礎がありません。あとは剣を合わせた相手や見たことを覚えたぐらいで、恥ずかしながら剣術と体術を合わせた喧嘩殺法です」
見て覚える。
受けて体得する。
一言で言うには容易く、実行するのは剣匠ですら難しいことをリョウはあっさり言った。
どうやら彼は彼でギルガメシュと反対に天井を設定しているらしい。
いや、もしかしたら天井などないのかも知れない。
「父の名は?」
「ハスラム=D=イグザートと言いました」
(ハスラム……ハスラム、か)
どんな父親ならこのような息子が育つのだ、と興味が出たブライアンは目を閉じてリョウの告げた名をなんども繰り返す。
しかし、確実に記憶のどこかに引っかかる物があるのだが、今はそれが何かを思い出せなかった。
「旅をしていれば疲れも貯まるだろう。今日はゆっくり骨を休めてくれ」
「お心遣い、感謝します」
◇ ◇ ◇
「総歴一九九二年、人間の月十日。アトゥム入りしたその日に、ギルガメシュという友達ができた、と………」
食事の後。
客室に戻ったリョウが今日あったことを軽く手帳に書き留めていると、ギルガメシュがやってきて風呂に入らないかと言った。
「風呂? 俺は最後でいいよ」
「いや、もう残っているのが僕たちだけなんだ。広いから二人でも平気だし、早くしないと執事やメイドを待たせてしまう」
「じゃあ、男同士裸のつきあいといきますか」
浴室は一階の東側だと言い残したギルガメシュにすぐ行く、と答えたリョウは数少ない着替えを取り出して部屋を出た。
「風呂があるのは羨ましいな」
広い脱衣所を見回して呟きが漏れる。
一般的に中級以下の冒険者が使うような宿には風呂はついておらず、ほとんどは共同浴場を使ったり水浴びだったり、身体を拭くだけで間に合わせるのである。
共同浴場も町ぐらいの規模でなければ作られてないし、また、ほとんど男湯のみの話なのだが、危険な病気を持っている者も平気な顔をして湯に浸かるので、痒くなる病気をうつされて神殿の世話になる被害者も少なくない。
会場直後でなければ湯は泥水になっているし、脱衣所に残した貴重品や装備を狙おうとする不届きな輩もいる。
幸いにしてリョウは金に余裕があるので町にいるときは風呂がある宿ばかりを狙っている。
しかし町を離れている野宿の間はできて水浴びであり、十番目の月の夜は肌寒く風邪をひきそうな風呂事情が続いていた。
「冒険者はあまり風呂に入れないみたいだな」
「ミツカミには温泉が多くて楽だったんだけど……おお、随分と広いんだな」
脱衣所から中に入ってみれば、なるほど二人でも余裕がある広さの浴室だった。
これほど大がかりな風呂に水を張り、湯を沸かすとなると下働きの苦労が忍ばれるが、それも給金の内に入っているのだろうから遠慮をする必要はないのだろう。
「フォレスト家自慢の風呂さ。ほら、これを使うといい」
「……なんだこれ?」
顔を向けると床を滑ってきたのは不格好な乳白色の塊だった。
持ってみるとなにやらぬるぬるしているが、今まで風呂場で見た記憶がないものである。
「セッケンだ。古代魔法文明の錬金製品を宮廷魔術師長のカッツ様が復活させたんだ。その泡で身体を洗うんだよ」
「ああ、これがセッケンなのか。なるほど面白い」
これまで汚れ落としにはムクロジの実や、灰脂玉と呼ばれる動物を焼いた脂と灰を混ぜたものが存在していたが、これほど白くはないし泡立たないものだった。
灰脂玉のほうは絶望的なまでに臭いがひどく、髪などを洗った日には一日中気になるので、そのあと香草を浸した水などで洗い直さねばならないほどだったのである。
ギュメレリーで新しい汚れ落としが作られたというかわら版は目にしていたが、実物を見るのが初めてだったリョウがお湯をつけてこすってみると、みるみるうちに泡立ってくる。
その泡を手ぬぐいにまぶして身体を洗うと、なるほど普段よりもさっぱりきれいになった気がした。
「ふう、極楽極楽」
泡を流してから湯につかる二人。
と、目を閉じたリョウが分からない言葉を呟いたので、顔をばしゃばしゃと洗ったギルガメシュが首を傾げる。
「ゴクラク? なんだそれ」
「三神だと風呂に入ったときにこう言うんだ。極楽てのは向こうでいう安息の楽園の事らしい」
光の神々を信仰する国の宗教観では死後、裁きの大河を渡った善人の魂が向かうと言われているところであるが、霊獣信仰の三神国では少し違っているらしい。
武器屋に向かう間にそんな事を聞かされたっけと納得したギルガメシュはしかし、今は街道が封鎖されていることを思い出してそう言えばと続ける。
「そういえば何ヶ月か前に鎖国したって聞いたけど。君は大丈夫だったのか?」
「ああ、ちょうどぎりぎり抜けられたんだ。いろいろあったし、しばらく他国とかかわっている余裕がないんだろう」
(……まるで、関係者みたいな言い方をするんだな?)
少し彼の言い回しが気になったが、ぎりぎりまで滞在してたと言うからには事情にも詳しいのだろうとギルガメシュは自分を納得させた。
―――ちなみに三神国はギュメレリーと地続きであり、街道以外を進めば鎖国中でも出入りが不可能と言うわけではなかった。
ただし飛竜や怪蛇種の縄張りなどがある危険地帯のため、ちょっと密輸で儲けたい商人などが気軽に通れる場所でもない。
無理に入国しても街道や町で、関所で渡される滞在許可証の提示をもとられる事も多く、所持していないと即逮捕されるのでやる者は多くないそうだ。
「……それにしても、凄い身体だな」
鎧の上からでは分からなかった、筋肉質なリョウの体躯と自分の細い腕を見比べたギルガメシュは力こぶを作ってみたが、お世辞にも筋肉がついているとは言い難い。
見ているだけで男としての自信を失いそうな肉体から視線を外して湯気のこもる天井を見上げると、同じように湯船のふちに後頭部を預けたリョウがこれからだと慰めてくれた。
「剣を振り回していれば自然にこうなるさ。ギルもこれからだよ」
「そうだな、本物の剣を持ったことだし」
「訓練はどこでするんだ? ここの庭か?」
「いつもはそうだけど、明日は父上が一緒だから城にある騎士団の訓練場へ連れて行ってくれると思う」
「ということは、王城警備の騎士もいるのか。良い勉強になりそうだな」
そんな会話を繰り返しながら、十分に暖まる。
さすがにこれ以上はのぼせてしまいそうなので風呂を出ると、ちょうど廊下の向こうをリイナが歩いているところだった。
どうやら空腹を我慢できず食堂にいった帰りらしい。
「リイナ」
「お兄様? ―――はっ!?」
今度は大丈夫かなと兄が声をかけたとたん、彼女は笑顔で振り返った。
ところが隣に邪魔なのが居ると知るなり表情を一変させると、ダダダと貴族の少女にあるまじき速度で逃げて行ってしまう。
「あ、こら!」
「……どうやら妹さんには嫌われているみたいだ」
「すまない、わがままな妹で」
父上はリイナに甘いからなと腰に手をやったギルガメシュであるが、彼も甘やかされているのではというのは今は言わぬが花だろう。
「きっと難しい年頃なんだろう」
「単なる反抗期だと思う。分からなくもないのだが……」
言葉を濁したギルガメシュ自身、そういう時期があった事は否めない。
ブライアンに反抗的な態度を取ったり、エリアンヌに乱暴な言葉を使った事もある。
学級で辛い目にあっていたと言うのは言い訳に過ぎず、思い出すだけで恥ずかしくなる過去を慌てて思考から追い出した彼は、隣のリョウにもそんな時期があったのだろうかと何気なく尋ねてみたのだが。
「君は、反抗期とか……どうしていた?」
「反抗期? そんなものなかったよ」
えっ、と意外そうなギルガメシュに苦笑するリョウも最初は、うちの親父は厳しくてさと言う感じで思い出話を始めたのだが―――
「物心ついた時から親父と旅していて反抗する気なんかこれっぽっちも生まれないほどしごかれていたんだよ。だいたい、小枝で岩を斬れとか平気で言う親父だぞ? 割るならともかく斬れって六歳にやらせる事なのか? 戦闘訓練も容赦ないから小さいころは数日意識が戻らないとかしょっちゅうで手ぶらで山中で生活させられたり山のような書物と一緒に真っ暗な倉庫に押し込まれて読み終わるまで出してもらえない事が続いたり繰気訓練だって水の入った樽を壁越しに粉砕させられたり―――」
「お、おい?」
乾いた笑顔とはこういう事を言うのか。
早口になる声からはどんどんと抑揚が無くなって、瞳の輝きが消えて闇一色になっているのに表情だけは貼り付けたような笑顔なのだ。
「―――右手だけで生活させられたかと思えば左手だけで生活させられたり指だけで崖登りなんかほとんど日課で突然魔法原語を覚えろと言われた次の日には字列変換された魔法書の解読をさせられたりすれ違う人の寸法を目視させられたり政治経済の専門家に弟子入りさせられたかと思えば礼儀作法や舞踊を教え込まれたり怪物図鑑を全部暗記させられたり毎日使う言語が異なったり―――」
「頼む、戻ってきてくれ! 僕が悪かったから戻ってくるんだ、リョウ!」
引きつらせた口角から流れ出るのは禍々しい呪詛なのか。
聞いているだけで寿命が縮み、心に深い傷を負わされそうな、修行と言うにはあまりにも恐ろしい内容だった。
リョウの肩を掴んで乱暴に揺すり、何とか現実に引きずり戻したギルガメシュはきっとそういう冗談だろう、と尋ねるのも怖かったのだが。
残念ながら事実である。
悲しいがすべて過去にあった現実なのだ。
そして恐ろしいことに、これらもほんの序の口だったりする。
肺の空気が無くなるまで喋りつくして少し気が晴れたのか、大きく息を吸ったリョウは静かに言った。
「―――でも、俺のためを思って鍛えてくれていたのは知っていたから頑張った。それで今まで冒険者として生きてこられたんだから、親父には感謝してる」
(ああ、そうか……)
自分が親や生まれを選べなかったように、親も子供を選べないのだ。
子供が一人立ちするさいに踏み出す最初の道を、できるだけ順調に進めるようにと育てるのは当然のことで、リョウはそして冒険者という一歩目を生き抜き、今、騎士となる選択肢を考え始めている。
同時に、自分は騎士になることを期待されているが、どのような騎士になりたいかという目標がない事を気づかされ、がぁんと頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
騎士といっても役割はさまざまだ。
父のいる第一騎士団だって王城、王都警備と言えば聞こえがいいが、下部組織である衛兵隊を指揮して火事の消火にあたったり、闇市の摘発、怪しい取引の抜き打ち監査をしたりする。
後進の育成に力を注ぐ教官役の者もいれば、予算管理や各種手続きの受付など事務仕事が中心の者もいるし、地方騎士団なら町に近づく外敵と戦ったり、認可村の駐在員としてそこに住み着くなど仕事内容は多岐にわたる。
(僕の一歩目は騎士になることだ。だけど、その後は?)
募集試験に合格するのは絶対だ。
だが、騎士になったあとに何をしたいのか。
そして、何ができるのか。
騎士の役割が多岐にわたる以上、騎士の血を証明する方法は剣の腕だけではない。
ならば剣の腕には期待できない自分にも、まだ可能性は残されているのではないか。
階段を上がるリョウと玄関前の広間で別れて自室に戻った後も、剣を手に入れた高揚とはまた別の興奮がギルガメシュの全身を包み込んでいた。
「もしかして―――もしかして僕は、まだ僕を諦めなくても良い、のか?」
新たなる気づきによって広がっていく未来を感じ、出来損ないと蔑まされたり周囲の目に怯える閉塞した世界から一歩だけ踏み出せた彼はその夜、ベッドに入った後もなかなか寝付くことができなかった。