第六節 動き出した悪意⑤
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ギルガメシュの装備を調えてから三十分ほどして。
最後に大きく鼻を啜った音が聞こえたと思ったら、薄布の中から静かな―――しかし、決意に満ちた呟きが漏れた。
「しっかりしなきゃ。……私が、しっかりしなきゃ」
(あれ? このお声―――)
聞きつけたリョウはいよいよかと思考の海から浮上したのだが。
聞き覚えがあるというより、いつも聞いていたいと思っていた声だったギルガメシュはまさかと息をのむ。
「よしっ!」
「うわあああああ!! やっぱりシリルさん!!!?」
そして。
勢いよくカーテンの内側から現れた少女が、赤金の髪を持つ彼女だという事実に思わず叫んでしまった。
「どどど、どうするリョウ! シリルさんが王女様だったなんて!?」
あまりの大声にびりびりと窓が震えて数名の侍女が眉をひそめる中、革のサンダルをつっかけた少女は改めて顔合わせをしようと二人の前に立つ。
「挨拶に来たのに待たせたわね」
「いいえ、お気遣いなく」
取り乱しているのは自分だけ。
リョウもシリルも平然としているので、なにかの冗談かいたずらなのだと胸をなで下ろしたギルガメシュは二人とも人が悪いと視線を巡らせた。
「……なんだ、二人して僕を驚かそうとしたんだな。で、システィーナ様はどこにいらっしゃるのかな?」
「ギル。現実は早めに受け入れた方がいい」
諦めろと肩を叩かれて強ばる身体。
居もしないもう一人を捜す視線は助けをもとめるように室内をさまよっていたのだが、瞬きの回数が異常に多くなって瞳孔が開きかけている。
「だだだだだだだってふふ、二人とも平然として、してして」
「俺はそうじゃないかと思っていたから」
「どどどどうして!?」
「うーん、たとえば……」
「やっぱりリョウは気づいてたのね」
リョウがあれこれと理由を告げる前に、そんな気がしていた王女が割り込んだので一人置いてけぼりのギルガメシュはたまったものではない。
「気づいたならそれとなく教えてくれるのが友達だろう!?」
「すまない、確信があったわけじゃないんだ」
仲間外れにして笑っていたのかと詰め寄る彼を手で遮ったリョウも嘘は言っていない。
王女が、あの人と同じような狙いで偽名を語ったかどうかも想像でしかないのである。
「それにしたってだな!?」
「ギルは私がシスティーナだと困る?」
小首を傾げた王女に覗き込まれ、だらだらと変な汗を垂らすギルガメシュはパクパクと口を動かしていたが。
「そ、そんなことはありません!」
観念して直立不動の最敬礼で答えた。
初恋の人があなた様なのですとか、貴族のお嬢さんならば自分が立派になれば結婚相手にならないかとか妄想していましたなんて言えるはずがなかった。
しかし―――
「私は気づかれるならギルの方かなって思ってたんだけとな。だいたい、求婚した相手が分からないなんて薄情じゃない?」
「ぷっ!?」
記憶の底に埋もれてしまったとんでもない過去を突きつけられ、鼻水が出そうな勢いで噴き出したギルガメシュの脳裏に初恋の相手と出会ったときのことが蘇る。
「五歳の誕生会の時だったかな? 先々代の第一騎士団長とブライアンに連れられて挨拶に来たとき、会うなり『僕のお嫁さんになってください』って」
「え、あ、あ」
「それとも忘れちゃった?」
「う、あ、その」
もうはっきりとは思い出せないぼんやりとした情景に、そんな事を言ったようなというひっかかりが残っていた。
目を丸くした大人達が大笑いした理由も、真っ青になった父があちこちに頭を下げる理由もわからずきょとんとした記憶もだ。
(死んだッ! ギルガメシュ=V=フォレストはいま死んだ!!)
覚えていたと答えても、忘れていましたと答えても詰む事を直感した彼は、今すぐあそこの窓から身投げするべきかどうかを真剣に考えてしまう。
「そう言うシスティーナ様の結婚のご予定は」
その辺りの情報も得ておきたいリョウが割り込むと、あまりからかっても可哀想だと思ったのか、振り返った王女は肩をすくめた。
「お父様にはあちこちから売り込みはあったみたいだけど、なにも決まってないわ」
嫡男が生まれなかった貴族のように、婿入りの旦那に国の主権を継がせられるかは国それぞれのやり方があるだろうが、どちらにせよ家族が大きな支えになることは想像に難くない。
貴族や平民、文官や武官の支持とは訳が違う、一番の支えも無いままに独りで立つおつもりなのかと王女を試すような、意志を確認するような事をリョウは言った。
「では、このまま王位を継承されるおつもりと」
「―――っ。……ロシュディの血を引く私にはこの国を護る義務があります。それは、国民の血税でここまで育てられた私の役目でもあります」
一瞬詰まったあとに出てきたのは、己の義務は理解しているという聞き分けのいい言葉。
それは自ら立ちたいと言う意志や覚悟ではなく、他に道がないのならせめて前向きに胸を張ってやろうという気概の方が大きいように見受けられる。
それでも若干十七歳、しかも一部の貴族からは意欲を疑われていた少女がきちんと義務を理解して、この国で一番重い物を前向きに受け止めようとしている姿は立派だと思えた。
(共和制という逃げ道ができても、支えてくれる人が居れば大丈夫かな?)
才覚があるかはまだ分からない。
過去には正統でも暗愚な後継者が主因で国が滅びた例もある、愚直に血筋で選ぶよりは政治慣れした有能な文官に主権を譲った方が国としては幸せになれるのかもしれない。
だがそれは結果論でしかなく、本人の気持ちと周囲の手助けがきちんと正しい方向を向いていれば、破綻を迎えてしまう可能性は限りなく低いのだ。
ならばその気持ちも守ろうと頷いたリョウはまだ固まっているギルガメシュの肩をたたき、頭を冷やしてこいと退室を促す。
「じゃあギルは先に荷物を集めてきてくれ。戻ったら俺がでるから」
「あ、ああ。行って、くる」
失礼いたします、とぎくしゃく挨拶した彼は鍵の開けられた鉄扉を押し開けて出て行き、見送ったリョウが振り返ると王女は四人掛けのテーブルについていた。
「リョウもいらっしゃい」
呼ばれて従者よろしくテーブルの側に立つとシスティーナは向かいの席を指さして。
「座って良いわ」
「足腰には自信があります」
「言葉遣いも前みたいにして。私のこともシスティーナでいいから」
(……そんなところまで同じじゃなくても良いじゃないか)
やんわり断りをいれても聞き入れない王女は言葉と態度を戻すように求め、いつか誰かに同じことを言われた彼の胸がチクリと痛む。
「リョウは気づいても合わせてくれていたんでしょ? それを続けて欲しいの」
出来なくはないはずよと椅子の上から見上げてくる瞳には、隠しきれない重圧に対する不安や孤独になった恐怖が浮かんでいた。
まだまだ何年も父親が国王を務めるから大丈夫。
やがては立派な男の人が夫に選ばれて、国を治めるのを手伝ってくれるから何とかなる。
そんなふうに遠い未来の事だと逃避していた責任が、いきなり目の前に降ってきては無理もないだろう。
「……騙そうとしたのは謝るわ、ごめんなさい。でも私、あなたたち二人とは友達のままでいたいのです」
「お気持ちは分かりますが、他の目もありますので」
彼女の気持ちは分かるし、確かに自分はそれを出来るのだが。
二人きりならまだしもこの部屋には、気配すら感じさせない巧みさで控えている侍女が四人いる。
「少なくともこの部屋に居る時は平気です。それに―――あなたは礼節を欠かさない人ですが、それ以上に誰とでも対等に接する人よね?」
(うーん)
あちこちの噂から知ったのか、ときどき会ううちに感じたのかは分からないが、彼女の言葉は確信に満ちていた。
どうした物かと侍女たちに視線を向けてみると、私達は見ていませんとばかりにそっぽを向かれてしまった。
見てはならぬものを見ないようにという表情ではない、みな分かりやすく口元が笑っている。
どうやら揃って王女の良き理解者であるらしい。
考えてみればあれほど自由に城内を徘徊するには多くの協力者が必要だし、国王もお転婆を黙認していた―――あるいは諦めていた―――のだろう。
高貴な者が気さくなことには恩恵もあるし弊害もある。
主従関係を重視し、馴れ合いやそこから生まれる甘えなどの弊害を嫌う貴族は彼女の資質に疑問を呈したが、気さくな交流による信頼関係の構築は、平民における王女の人気上昇に役に立っているのではないだろうか。
「……分かったよ。俺も似たような事をラピスに頼んだしな」
これは因果だと頷いたリョウが了承するなり、辛い立場の中で一つの憩いを取り戻した彼女は本当に嬉しそうに、友達と接するような口調と表情で改めて椅子を勧めた。
「うんうん、それで良いのよ。あなたはそうしている方が自然だわ。さぁ、座って」
「あ、その前に聞きたいこととやっておきたい事が」
「なあに?」
決めてしまえば切り替えも素早く、本当にギルガメシュと話すような雰囲気、言葉遣いになったリョウは別の理由で椅子を断ると首を傾げた王女に今後の予定を尋ねる。
「葬儀の予定は決まったか?」
「ううん、まだマルコスから連絡が来てないわ」
ふむ、と腕を組んだリョウは視線を天井に向けた。
彼女の証言は日程を決めるための緊急議会が、突然の共和制提言で紛糾して結論は出なかったという情報に一致する。
問題は次の議会がいつ招集されるのか、そして本当に共和制が提言されるのかだが。
(大臣の怪しい動きを王女に伝えるタイミングは―――)
資質を疑われ、主権を譲るような提言をされればきっと彼女も面白くないだろう。
それを知るのはいつがいいのだろうかと考えていると、手を振って三十歳前後の侍女頭―――王女付きの侍女の中で一番偉い―――に飲み物を要求したシスティーナが言ったのだ。
「もしかしたら、私がちゃんとできるかどうか不安で揉めてるのかも知れないね。仕方ないわよ、謁見の見学やお父様の手伝いもあまりしてこなかったし」
でも家庭教師のティフィンには成績優秀だって誉められたのよ、と艶やかな赤金髪を掻き上げる。
「ここだけの話、大臣のマルコスもいい年だしそろそろ引退したいんじゃないかって思ってるの。そこへこの代替わりでしょう? 苦労かけちゃいそうだわ」
「ワール公の後任は決まっているのか?」
リョウがさっと手帳を取り出す様子をおかしそうに見つめていた王女は、音もなく目の前に置かれたカップに手を伸ばし温かい紅茶を一口飲んでから答えた。
「お父様が何も言わなかったなら、マルコスの息子―――今、主計に居るバストゥークになったと思う」
「君が女王になった時も?」
「……別の候補を考えてるわ。私の家庭教師であるティフィンを大臣にしたいなって。王都大学の歴史の中でも有数の女史なのよ」
女史、と聞いて大臣関連の情報をまとめていたリョウの手が止まった。
「女性を任命したいのか」
「やっぱり難しいよね。でも教わっている私でも分かるぐらい本当に有能なのよ。私も女だし、うちには桜花もいるし、特例とかで何とかならないかなー」
どこまで本気かは分からないが、テーブルに頬杖を付いてうーんうーんと唸っている少女の印象がこの短時間でどんどん代わっていくのにリョウは驚いていた。
国政に興味がないなんてとんでもない、何も知らないわけではない上に彼女は彼女なりに考えようとしているではないか。
ただ彼女の考えがどこかから漏れていたら、大臣も共和制を提唱したくなるだろうなとも思えた。
(多くの国においてこういった役職は、爵位と違って必ずしも世襲制と言うわけじゃない。ただ世襲にした方が多くの知識や派閥基盤を引き継げて、波風無く代替わりしやすいのも確かだろう)
それを押してでもティフィン女史を任命したいというのであれば、周囲の支持が得られるかは別として国主の権限において正当であり可能なことである。
共和制提唱の一因なのかもしれないと記載したリョウは手帳を閉じると、もう一つやっておきたい事について触れた。
「あと国王にお会いしておきたいな。このままだと顔を見たこともないまま葬儀になってしまう」
「良いわ、今から行きましょう。サリー、ちょっと出てきます」
違和感の残る国王の死については、待っている間に可能性や手段を考えられるだけ考えてある。
それらのどれかに合致するかも知れないと、情報を仕入れたい彼の申し出に頷いたシスティーナは紅茶をくいっと飲み干すと侍女頭に伝えて椅子を立った。




