第五節 期限つきの平和⑨
シリルがリョウに町歩きの誘いをした日の十九時過ぎ。
やっと今日の仕事が終わったブライアンが執務室の片付けをしていると、珍しくギルモアがやってきた。
「お邪魔しますよ、フォレスト子爵」
「これはこれはブルーシップ伯爵。こんなところまでわざわざお越しにならずとも、呼んでくだされば私の方から参りますのに」
もう何回繰り返したか分からないやり取りに二人は同時に吹き出すと、普段の威厳の欠片もないとぼけた表情で肩をすくめたり、クククと笑っている。
「いつからでしょうねえ、こんな堅苦しいやり取りが必要になったのは」
「もう十年以上前、ギルが親衛騎士に推挙されてからだな」
もともと二人は幼い頃にどこかの貴族の集まりで何回か顔を合わせたあと、貴族学級の入学当初からつるむようになった昔なじみであり、騎士団に入団したのも同期である。
学生のころは二人でいろいろ無茶もした。
酒場で誘われ待ちをしていた新人の神官やエルフの魔法使いを連れて冒険者のまねごとをした結果、オークの集団相手に死闘を繰り広げる羽目になったり、野盗団の根城である洞窟を崩落させたり。
酒を覚えたのもかなり早く、ブライアンなどは粋がって十六の時から味の分からぬブランデーを飲んではこっそり便所で吐いていたし、ギルモアも流行りの冷たいラガーをがぶ飲みしてはよく腹を下していた。
いっぽうで成績優秀、その年にしては剣の腕も突出しており、ちょっと悪っぽいところのある優等生として学級のお嬢様達から黄色い声で騒がれていたのも今ではよい想い出である。
そんな彼らは騎士団に入団するなりめきめきと頭角を現して、今では親衛騎士団長と第一騎士団長なんてやってはいるが、二人しかいない場合はギル、ブライと呼び合う気の置けない仲なのだ。
「用件は二つ。まず一つ目ですが、姫様がそのうちお出かけになるそうです。といっても今回は彼が一緒のようですから、巡回強化もそれほど気を張る必要はないでしょう」
「リョウはお戯れのことを?」
「気づいてます。それとなく相談にきました」
当日の手はずは調えておくので心配無用と答えたギルモアは、非公式な御成りも久しぶりですねと笑っている。
「分かった、日取りが決まったら教えてくれ。それで二つ目は?」
「たまには二人で飲みませんか。積もる話もあるでしょう」
「いいだろう、ニックの店に二十時でどうだ」
「わかりました。ではまた後で会いましょう」
「ああ、片づけてすぐにいく」
にっと笑いあった男達はそれぞれに城を出ると、北の繁華街にある酒場へ足を運んだ。
◇ ◇ ◇
今日最後の、八つの鐘が鳴るのとほぼ同時。
後から来たブライアンが入り口をくぐると、カウンターの中でグラスを磨いていたバーテンダーが視線で奧の座席を指し示す。
「待たせた」
「いえ、私も今来たところですよ。そういえばブライとここに来るのも久しぶりですね。以前は月に一度は来ていたのに」
「お互い立場があるからな。ただでさえ、お前の団は人手不足だ」
どちらかというとそっちのせいだぞ、と笑ったブライアンが剣を外して腰を下ろすなり、目の前に冷えたラガーの入ったマグが並ぶ。
「とりあえずこれでしょう?」
そういって笑っているのはこの店の主人であり、かつては第一騎士団の小隊長だった男である。
年齢的には二人の二つ後輩で有望視される一人だったのだが、突然騎士爵を返還して退団したと思ったら、平民の娘と結婚して酒場の後継ぎになってしまったのだ。
「ああ、ありがとう」
「ニックも元気そうでなによりです」
「ここには他の客を近づけませんので。ごゆっくりどうぞ」
そうは言いつつも、二人とも家庭と責任がある身のため飲むのはかつてのように二杯までだろうし、二十一時には退店するだろうとニックも分かっている。
新人だったころはよく飲みに連れて行ってもらったっけ、と良い先輩だった二人を見比べた彼は、左手に持っていた木の実の盛り合わせをテーブルに置くとここが隠れるようについたてを広げておいた。
「まずはギュメレリーに乾杯」
「乾杯」
ごん、と銅の大マグをぶつけたギルモアとブライアンはほどよく冷えているラガーを一気に半分流し込むと、同時にぷはぁと息を吐く。
「まったく、魔法使い様々ですね。これを知ってしまうと温いエールは飲めたもんじゃない」
「私は薫り高いエールも好きだが、この時期はまだこっちのほうがいいな」
そんな事を話しながら酒場の喧噪に耳を傾け、周囲の気配を探り、こちらをうかがっている者が誰もいない事を確認したブライアンが少し声を落として言った。
「私の方はだいぶ肩の荷が下りたよ。あと数年もすればもう何人か推挙できるだろう」
「それはギルガメシュ君の事も含めてですね?」
「ああ、そうだ」
ブライアンの右肩に乗っていたのが親衛騎士に相応しい若手の推挙なら、左肩に乗っていたのは先行き不安だった息子のことに違いない。
言い当てられたブライアンは素直に頷くと、ここしばらくで実感した胃の軽い気分を味わうかのようにまたマグをあおる。
「今のうちだけですよ。今度は嫁探しで胃が痛い思いをするのですから」
「うちはエリアンヌが巧くやってくれるだろう」
決して恐妻家と言うわけではないが、妻には頭の上がらないブライアンが口出しする方が難しそうだと達観した様子なので、フォレスト夫妻の力関係を知っていたギルモアも確かにと苦笑してしまった。
「本当にできた奥様ですねぇ。羨ましいですよ」
「ロンバルディア君はどうなんだ」
貴族学級にいる彼の一人息子の事は、たまに娘からも聞くが剣を握るでもなく勉強に精を出しているそうだ。
ブライアンが騎士にはしないのかと暗に含ませて問うと、殻付きのクルミを親指と人差し指の力だけで割ったギルモアは残念ながらと首を振る。
「うちのは騎士にはなりませんよ。妻の実家から欲しいと言われてまして、行く行くはモールトア家に行かせることになるでしょう」
「すると将来は地方領主様か」
ギュメレリー南部にあるコロラマ地方の一部を拝領したのがモールトア伯爵家であり、ギルモアの妻はその家の二女である。
立ち位置的にはコロラマ領主の部下であり、いくつかの村が存在する田舎の管理者なのだが、名に治める土地の名称が含まれる、歴とした領地持ちのため継承者の確保はかなり優先度が高い。
あいにく先代に男が生まれなかったため伯爵家自体は長女が婿を取って継がせたのだが、その長女も娘ばかり四人も産んで男ができなかったのだ。
そのため二女が産んだ男の子が五歳になったところで、将来騎士にならないのならモールトア家に婿として戻ってきて欲しいと目を付けられていたのである。
ギルモア自身は一人息子をぜひ騎士として育てたかったのだが、幼い頃から従姉妹四姉妹に囲まれてちやほやされた結果、四人とも嫁にしてモールトア家を継ぐと豪語して憚らないようになってしまい、今ではもう諦めている。
「四人ともアトゥムに送り込んできた義姉の作戦勝ちですねえ。あいにく私もあまりに家に帰れない身ですし、従姉妹にちやほやされては剣の修行に身も入らないでしょう」
「単身赴任の辛いところだな……」
特例で家族が会いに来やすいようにしたとはいえ、基本城に縛られっぱなしの親衛騎士の子育てなんて、ブライアンにだってどうすればいいのか分からない。
慰めの言葉も思いつかず、マグを握ったまま言葉を探していると、すこし温くなったラガーをぐびりと飲み込んだギルモアは明るい表情ででもねと首を振る。
「でもね、今ではそれで良かったと思えるんですよ。彼のおかげで」
「ほう」
「ギルガメシュ君と違ってうちのはお世辞にも才能があるとは言えません。だから、比べられる事にならなくて良かったと思うんです」
一瞬、ロンバルディア君も息子のようにリョウと触れあえばあるいは、と思ったブライアンはしかし、それを口にするのはやめておいた。
誰もがあの規格外の少年と比べても意味がないと割り切れるわけではない。
たとえ父親がそうでも、同じ集団に属すると周囲からの評価は彼を基準とした相対評価にならざるを得ず、誰も幸せにならないのは目に見えているからだ。
そういう点では同世代の新人が比べられないよう特例にしたのは正解だったと思うし、一緒になったのがギルガメシュで良かったと思っている。
ある意味弟子でもある息子だけは師の評価の恩恵を受けられる部分があり、下に見られることを当然と受け止めながらもそれに食らいついていこうとすることができるからだ。
「騎士団の十年後、二十年後を任せられる存在が現れたから、とは言わないんだな」
同世代の息子を持つ親としてではなく、団長としてはどうなのだとブライアンが問うと、痛いところを突かれたギルモアはニックにおかわりを頼んでから、副団長にしても手に余りそうなんですよと正直に答えた。
「今は人手不足だからものすごく助かっていますが。手が足りるようになったら何をさせても持て余しそうなんですよねぇ」
「おいおいしっかりしろ、親衛騎士団長殿」
「ブライだって、少しはそう思ったから私に押しつけたんでしょう?」
「……………」
否定はしなかったブライアンにほらねと肩をすくめたギルモアは、ニックが持ってきた二杯目に口を付けながら続ける。
「彼は紛う事なき英雄候補ですよ。ですが、平時の傑物というのはとても扱いが難しいものでしてね」
「薬にも毒にもなる、と」
「ええ」
「……実は私は、それに対する案を一つ持っている」
驚いて顔を上げると、同じく二杯目に口を付けたブライアンにしては珍しく、からかうような表情を浮かべているではないか。
「だったらもったいぶらずに教えてください。あなたと私の仲でしょう」
「では、今日の支払いはお前もちだな」
「くっ。……まあいいでしょう」
別に支払いが辛いわけではない。
自他ともにライバルと認める相手が思いついたことが、自分は思いつけなかったのが悔しいのだ。
勝ち誇った表情のブライアンは、聞き耳を立てているニックをしっしっと追い払ってから口元に手を当てる。
「……姫様とくっつけてしまうと言うのはどうだ」
「ふむ……!」
その発想はなかったギルモアは、かすかに回ってきた酔いを押さえ込むとゆっくりと吟味して。
扱いとしても、引き留めとしても申し分がないことに気がついてニヤリと笑ってしまった。
「ふふふ、さすが我が親友。素晴らしい案をお持ちじゃないですか」
こちらが扱いに困るのなら、こちらを扱ってもらえばいい。
武官畑の王であれば騎士団をないがしろにする心配もないだろう。
本人の気持ちはどうなのかという根本的な問題はあれど、少なくとも姫の方は毛嫌いするどころかかなり興味があるようだし、外堀を埋めるくらいの努力はしてもいい。
「騎士団が狭いのであれば、活躍の場を広げてやればいい。いやあ盲点でしたね」
「ただ一つ、懸念があってな」
何でしょうと眉を動かすギルモアに、慧眼の騎士は言った。
もしかしたらそれでも狭いかもしれない、と。
「一国に収まらぬ器の可能性も、ある」
そのときはどうする、と二杯目を飲み干したブライアンが問うと、同じく二杯目を飲み干したギルモアはあっけらかんと答えた。
「そのときは笑って送り出しましょう。引き留めるとお互い不幸になります」
せま苦しい思いをさせるのは不本意であるし、無理に押し込めればギュメレリーがぱちんと破裂してしまう可能性だってある。
ギルモアとてリョウのことは嫌いではないが、いろいろと経験した大人ゆえ、国を守る騎士ゆえに、ギュメレリーを狂わせる毒となり得るのであればすみやかに排斥するぐらいの割り切りはできた。
「幾星霜の時を経て、再び大地に降り立った本物の可能性ですか。怖いですねえ……怖いからもう一杯だけ飲んじゃいましょうかねえ」
「付き合おう」
お互い偉くなってから、特に六年前に親衛騎士が減ってからは二杯以上は飲まない事にしていた二人であるが、話が大きすぎた今夜はそれに相応しくもう少し酔いたい気持ちになっている。
注文を、とブライアンが手を挙げると、お会計の仕草と違っていたことに驚いたニックがすぐにやってきた。
「おや、珍しく三杯目も行くのですね。何にします?」
「そうですねえ……あ、あれにしましょう。ブライが昔よく飲んでいたブランデー。確か、古代の英雄の名を付けたとかいう」
「『ギルガメス』ですね。ありますけど、うちのは長熟なので良い値段が―――って、団長達に言うことでもないか。飲み方は?」
「ストレートで良い」
「私は水割りでお願いします」
頷いたニックが鍵を持って酒蔵に向かった後。
持ち手に人差し指を通して空になったマグをくるくると回すギルモアは、いつかは気づかれるでしょうねと意味深な笑いを浮かべている。
「ギルガメシュ君が気づくのはいつですかね」
「親の勝手な願いだ、知らなくていい」
英雄といっても、四百年ほど前この大陸で活躍した伝説の竜戦士のように老若男女が知るような人物ではなく、古典を紐解いて名が登場する程度であるし、酒の方も有名どころというわけでもない。
お節介な誰かが喋ってしまうか、酒の方を偶然知って由来を調べるぐらいでないとたどり着けない場所に込めらた父の願いに、息子が気がつく日はくるのだろうか。
「望外の出会いを得た息子はすでに私から巣立ちつつある。このまま前を向いて歩んでくれれば、父親として願うことはなにもない」
結婚だの子供だのは妻の領分だと呟くブライアンの肩の荷が本当に降りたようなので、これからは職場の先輩として立派なお手本になりましょうとギルモアは言った。
「なら、先達の騎士として彼らの前途を祝福しましょうか」
「そうだな。こちらは簡単に道を譲る気はないからな」
琥珀色の液体が並び、それぞれ右手にグラスを持った彼らは背筋をただすと授爵の儀式の言葉を口にする。
「二人の騎士の未来に、栄光と勝利あれ」
「二人の騎士に、剣の女神と盾の女神の祝福あれ」
双子の妹である盾の女神は、誰かを守りたい気持ちを。
姉で剣の女神はその為に立ち向かう気持ちを糧にすると言われており、信仰というほどではないが、騎士達の守り神のように考えられている。
もともとは剣を捧げられた国王が騎士爵を授ける際に唱えるものであったが、後輩の前途を祝福するときの、騎士達の乾杯の言葉にもなっているのだ。
「「乾杯」」
その夜。
他にはバーテンダーしか知らない小さな円卓の上で、この国を背負ってきた二人の騎士がグラスを掲げあった。
それは後を任せられる者が現れたという安堵と、まだまだ若い者には席を譲らないという覚悟が入り交じった乾杯であった。
日常&世界観説明の五節は終わりになります。
次回から事態が動き始める第六節に入ります(´・ω・`)




