第四節 王城へ⑥
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「あれ、俺が先か」
リョウが到着したときには鍛錬の間はがらんとしていて誰も居なかった。
扉を閉めて中に入れば、足音の他に音のない張り詰めた空気が心地よい。
「ここしばらくギルの相手ばかりだったし、すこし身体を動かしておこう」
まだ時間は昼過ぎで、窓から差し込む日差しのおかげで室内は明るいのだが、机の上の火打ち石を持った彼はあちこちにある燭台に火を灯して回る。
それから十分に身体をほぐした彼は、ギルガメシュを待つ間に鈍った身体に鞭を入れるべく全身に力を込めた。
「ハアッ!!!」
剣を振るえば空気が震え、跳べば縮地の体さばき。
広い鍛錬の間を縦横無尽に駆け巡り、時には左手、時には両手と自在に持ち替えた剣が振るわれるたびに遠くの灯火が揺れる。
(錯覚かしら? 時々二人に見えたり、三人に見えたり……)
その様子を戸口から覗く少女がいたのだが、あまりの気迫に出るに出られずしばらくその場で立ち尽くす羽目になった。
◇ ◇ ◇
「せーの!」
身体を温め終えた彼は次の訓練に入っていた。
狙い澄ました剣閃が走ると、十五メートルは離れた燭台の炎がかき消える。
それは燭台もろうそくも微動だにしない、炎のみを貫く点のような一撃だ。
「はっ!」
一度の失敗も許さない集中力で十本目を消した頃には汗がにじみ、二十を数える頃には顎からしずくがしたたり落ちている。
三十四本目を狙ったときのことだった。
剣を振り下ろしかけた瞬間に汗が目に入ったせいで集中を欠いてしまい、剣閃は炎を揺らめかせただけに終わる。
「……集中がたりないな」
ふう、と息を吐いて額を拭うとかなり汗をかいているのが分かった。
別に汗っかきというわけではない、それだけ集中力を要することしているのだが、気配の感知のために兜を装備しない彼にとってこの汗も課題の一つであり、これまでに何回か同じ失敗をしていたりする。
五十までは失敗無しでやりたかったリョウが最初からやり直すべく剣を下ろすと、カチッカチッと火打ち石のぶつかる音が聞こえて、入り口近くの燭台に炎が灯された。
「凄いのね。こんなに離れたろうそくを消してしまうなんて」
(おっと、お出ましか)
そこには自称シリルが立っていた。
彼女の正体には推測がついていたものの、何となくお遊びに付き合ってやりたかったリョウは予定通り、知らないフリで通すことにする。
これまで城で通りすがった人達を分析するに、メイドではない同世代の少女が一人で歩き回っているのは良くて文官見習いだろうから、大きな身分差はないと想定し砕けた口調で話してみると。
「さっきは世話になったね。俺はリョウ=D=イグザート、君はシリルさんで良いのかな?」
「ふふっ、知ってる」
それが嬉しかったのか、ぱっと微笑んで歩み寄った少女は火打ち石を手渡しながらよろしくね、と頷いた。
「あれ? 俺は君に名乗ったかな」
「いいえ、ギルガメシュに聞いたのよ」
「そう言えばあいつ、俺の名を連呼してたっけ」
階段前でのやり取りを思い出した彼がふたたび燭台を灯して回っていると、扉を開けてギルガメシュが入ってきたのだが。
リョウより先に少女を見つけ出し、でれでれと鼻の下を伸ばしながらそっちに走っていってしまうではないか。
「あっ! シリルさんではありませんか!」
「ギル、随分遅かったな」
「あら、ギルガメシュ。ごきげんよう」
「ごご、ごきげんよう」
何をしていたんだと尋ねるリョウにも気づかず、地に足がついていない様子の彼は興奮を隠せないのか腕をもじもじと動かしている。
「二人揃ってどうしたの?」
「鍛錬の間でする事と言ったらただ一つ、剣の修行ですよ! 聞いてくださいシリルさん! あのリョウは凄いです! 今日、親衛騎士の方々と手合わせをしたのですが、騎士団の方はもちろんギルモア団長にも勝ってしまったのです!」
「ええっ? ギルモア……様って、騎士団長のギルモア様でしょう?」
胸を張る彼にシリルも驚いた様子だった。
さすがに彼女も、親衛騎士団長のブルーシップ伯爵がこの城で一番の使い手だと知っていたのだろう。
「本当です! だから僕は、リョウから訓練を受けてもっと強くなろうとしているのです!」
彼女の反応が良かったので、まるで自分が勝利したかの如く大仰に頷いたギルガメシュ。
だから僕も強くなれるのですとでも言いたげな彼に倣い、リョウを振り返ったシリルはもうすぐ火を灯し終わる背中を見て凄いのね、と嘆息した。
「へえ……」
実はしばらくリョウの訓練を覗いていたのだが、まったく目で追えなかったのが正直なところだった。
それがどの程度の強さに結びつくのかはさっぱり理解できないが、分身したり残像を置いたり、遠くのろうそくを消すなどの離れ業を見ていたこともあって、相当な腕前だと言うのは信じられる気がする。
「若いのにずいぶん凄いのね」
「そうなのですよ! なあ、リョウ!」
「ギル、自慢話になってる」
「! そ、そうだな……」
振り返って眉を動かした彼の言うとおり、強いのはリョウであって自分ではない。
たしなめられたギルガメシュは、浮かれた自分が彼をだしに会話をしていたことが少し恥ずかしくなって訓練用の剣を取りに走る。
「俺はもう身体が温まってる、ギルが準備したら『合わせ』からやろう」
「わかった!」
「二人とも、親衛騎士団に入れるほど強いのでしょう? どうしてそんなに訓練するの?」
「……僕は強くありません、リョウのおまけなのです。騎士団中でも僕が飛び抜けて弱いのですよ。だから、リョウに食らいついてでも強くならなければならないのです」
午前中に登城した二人がもう本格的な訓練を始めようとしているので、シリルは初日から飛ばしすぎではないかと思ったのだが。
その問いには、かなり声の調子が落ちたギルガメシュがぼそぼそと答えた。
「リョウは? ギルモア様にも勝ったのでしょう?」
「護るべき人がいるんだ、強くなって問題はないだろう? 別に目的もなく戦いを求める狂戦士ってわけじゃない」
ならお城で一番強いんじゃないと言いたげな彼女に、腕を組んでギルガメシュの柔軟を見ていたリョウは遠くを、果てしなく遠くを見据えて己の誓いを心に刻みつける。
(そうだ。俺はもう二度と護りたい人を失ったりはしない。―――絶対にだ)
並々ならぬ決意と、彼方を見やる視線に潜むわずかな陰り。
同年代の少年とはとても思えない、経験と実績を重ねてきた者だけがもつ眼の力に少し感じ入る者があったシリルは、それほどまでに強く思われる護られ人とは誰なの、と無意識に呟いてしまう。
「リョウの護るべき人、って?」
「親衛騎士は国王様や王女様を護るのが使命ですから!」
少女の問いに、もちろん王族の方々ですよとギルガメシュが答えてその話は終わってしまったのだが。
自分には無い、覚悟のようなものを感じ取った彼女の胸に憧れのようなものが生まれた。
(すごいなぁ。私にはまだ無理だよ)
少女は知っているのだ。
その瞳を持つ者の強さ。
絶望的な戦いに身を投じることも厭わぬ、強い意思を持つ者だけが放つ輝きを。
「そろそろ始めるぞ」
「よし! やろう!」
気を抜いた訓練は意味が無いだけでなく、危険だと言うことを知っているギルガメシュは表情を一変させて集中を高める。
「二人とも、頑張ってね!」
少ししてから鍛錬の間に剣戟の音と気合いの声が響き始めたので、しばらく見物していたシリルは一言だけ応援して部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
突然扉がバァンと開かれて、そこから現れたアーレニウスが言った。
「いたー! おい新入りども! 晩飯の時間だぞ! メーシー!」
すでに訓練が始まってから数時間が経過しており、夕食の席に新人達が来ないので探しに来てくれたらしい。
思い出したように手を止めた二人はとっくに窓の外が暗くなっている事に気づいて、暗くなったら一段落の河原の訓練と混同していたなあと顔を見合わせる。
「済みません、燭台のせいでまだ夕方ぐらいかと思っていました」
「そう言えばここは鍛錬の間だったな」
「ったくよー。確かに自由にして良いとは言ったけど、メシぐらいみんなと一緒に食べようとは思わないかねー?」
「面目ない、夢中になっていた」
「リョウが一緒だと、どうも時間を忘れがちで……」
アーレニウスは口ではどんだけ修行好きなんだよと呆れるふりをしたが、そうでは無い自分との差と、このままではすぐにでもギルガメシュに追いつかれかねない現実に危機感を覚えていたりする。
「とにかく行くぞー? みんな待ってっからよ」
「うわ、それは大変だ!」
「ギル、そっちの消灯を頼む」
机の上の火消しをギルガメシュ放り投げたリョウは、自分は走りながら拳を軽くふるって拳圧で炎をかき消していき、吹き消したり火消しを被せたりするギルガメシュの何倍もの速度で消灯を進めた。
「よーし! 今は緊急時なので許可すんぜ! 総員、集会所までかけあーし!」
最後に訓練用の剣を片付けた二人に駆け足を命じ、アーレニウスは凄まじい早さで渡り廊下を走り出す。
「ギル、右からメイドさん」
「うおっ!?」
「リョウ様! 訓練お疲れ様でした! 本日のご夕食は―――」
「これから集会所でみんなと食べる!」
通りがかったメイドや衛兵を脅かしつつ階段を駆け上がり、何度かリョウの警告で衝突を逃れたギルガメシュと、自室のある階の廊下で待っていたラピスへ返事したリョウは、数分もしないうちに集会所にたどり着いていた。
「みなさーん! きいてくださーい! こいつらやーっぱり鍛錬の間で時間も忘れて訓練してやがりましたー!」
「ワハハハ、結構結構! しかしギルは良いが、リョウにそれ以上強くなられると少々困るのである!」
集会所の扉を開けるなりアーレニウスが報告すると、アントンが冗談を言ったので他の三人も笑っている。
さすがに呼吸も乱れていない二人と、ちょっと乱れた一人が着席すると、すぐに食事が運ばれてきたのだが。
水の入った銅製のマグカップを置いたギルモアが新人たちを見回して言った。
「その姿勢は私たちも見習わなければなりません。しかし、国王が元気になられたらまた忙しくなりますので、そのときは訓練ではなく職務のことを第一に考えて下さいね」
「えっ? 団長、国王はご病気なのですか?」
「……上層部のさらに一部でしか知られていないことですが、トリオーン様はいま体調を崩されています。今日までは謁見だけでもと勤めておられたのですが、どうも芳しくないようで、明日からすべてのご公務を取りやめて療養に入られることが先ほど決まりました。ハーヴ高司教やベア師がついていますから心配はいりません」
もちろんあなた達も他言無用ですからね、と凄みをきかせる団長にうんうんと頷いたギルガメシュは、ブライアンもそんな素振りは見せなかったと驚いている。
「父上も全然そんなそぶりを見せていませんでした」
「そりゃ箝口令が敷かれているのなら、昨日までの俺達が知るよしもないだろう」
「幸い秋の王休期間も目の前ですし、今年は少し早めに休暇に入られると言うことで調整はつきました」
(だけどただの体調不良で療養に入り、かつ箝口令を敷くだろうか? もし良くない病気だとしても、高司教位の治療の魔法があればたいていすぐに回復するはずだ)
リョウは高位の司祭を抱えているはずの国王が、体調を崩して公務を取りやめるなど聞いた事がなかった。
季毎の長期休暇が目の前であり、神聖魔法に頼ってばかりだと体力や抵抗力が下がるといってもそこまでする必要があるのだろうか。
なんだかしっくり来ない話だなと違和感を覚えたものの、情報が不足しているせいもあってそれ以上は思考が進まない。
「国王が長いこと体調を崩されるなどこれまでに無かったことですし、対応には慎重になろうと言うのがワール大臣とハーヴ高司教のお考えです。いたずらに臣下や国民の不安を煽る必要もないですし」
「これ幸いと改革派の官僚がうるさくなってもな」
「いただきながらにしませんか? 冷めちゃいましたよ」
結局、箝口令に対するギルモアの補足が入り、国ってのは色々面倒くせぇんだと肩をすくめたフォートを桜花が遮ってようやく食事となった。
【登場人物再確認】
ギュメレリー国王 トリオーン=Z=L=ギュメレリー
大臣 マルコス=G=ワール公爵
宮廷司祭長 ペテロ=Y=ハーヴ高司教
宮廷治療師 ベア師




