第三節 避けられなかった戦いは⑤&周辺地図
シアード大陸南東にあり、ギュメレリーから見て東側に位置する三神国の、火天宮の町近郊。
護国三家の領地の中心に存在し、御三家会議が行われる場所でもある首都神威から北西に数日、ギュメレリー王国との国境に向かう街道に透き通った笑い声が響く。
「アハハハハッ! じゃあ、赤ちゃんが泣く度に中断を?」
「うむ」
「ふふふ、とてもお優しい方々だったのですね。世間で言われているような剣鬼とか修羅のような方々かと思っていました」
表情をめまぐるしく変えながら、持っている手帳に聞いた事を書き留めている詩人の少女に、答える男性は懐かしそうに顎に手をやった。
「途中から我が師も慣れっこになってきてな―――」
◇
「ふええん、ふえええん」
「……おい、また泣いてるぞ。やっぱり弟子達じゃ駄目みたいだからあんた見てくれや」
死力を尽くす戦いの最中だというのに、赤ん坊の泣き声にげんなりした様子の一人が剣を下ろしてそう言った。
頬から血が滴り、あらぬ方向に折れ曲がっている左腕の激痛さえ感じないほど高ぶっていたはずなのに、赤子の泣き声は気になって仕方がないらしい。
「ぬうっ、またか。すまぬな」
赤子の父であり、対戦相手のもう一人は非常に気まずい顔になると試合場から降りて、何とかあやそうと必死になっている五人の方に向かった。
「息子よ、泣いていては分からぬ。男ならばきちんと言いたい事を申せ」
「ふえええええん!」
「あんた、そう言う所変わってねぇなぁ……」
まだおしめも取れない、一歳ぐらいの赤ん坊に言葉での説明を要求する親などそうは居ないだろう。
あまりの無体に、父親と同じ黒髪の赤ん坊だってますます泣きたくなったはずだ。
◇
「赤ちゃん相手には形無しだったんですねぇ」
娘は遠慮なく笑い、釣られる形で笑顔をこぼした男が目を閉じれば、今でもはっきりとその姿を思い出せる。
「ただ強いだけの男ではなかった。王気を備え、道理を尊び、さまざまな知識や技術に精通していた。……そして」
「そして?」
なんでしょう、と手を止めた彼女に片眉を上げた男は、ひょうきんな表情で本当だぞ、と囁く。
「少しうっかりと言うか、惚けたところがあった」
「ふふふ。赤ちゃんに説明を求めるだなんてそうですよねえ」
頷いた少女は手帳に記された一人の名前のそばにおとぼけさんと追記してから、戦ったという二人の名前の間に線を引いてその関係は、と尋ねた。
「お二人は知り合いだったのですか?」
「詳しくは聞かされなかったが、おそらく」
自分の事は余り語らない人でな、と一呼吸おいて剣匠鉄将=火群は答える。
「彼らの去り際に、苦笑いの師が言ったのだ―――」
「ったく、あんたらに勝てないからこっちに来たってのに。世界は広いが世間は狭いねぇ」
「フフ、巡り合わせとは数奇なものよ。それにしても『泣き虫ダート』が随分と立派になったではないか。安心したぞ」
「こっちはあんたが子連れで寄る年波を感じたわ。ってか、こんなところに居ていいのかよ?」
「うむ。あるいはこの出会いも星の導きやもしれぬな」
「―――とな」
「星の導き……再会ではなく、出会い?」
詩的ですねぇ、とうっとりした少女がその意味を尋ねると、鉄将は首を横に振る。
「そして彼らは道場を去っていった。滞在はわずか四日、その内の二日は死合いに費やされたため、実質二日か」
そこまで話したところで街道の分かれ道が迫った。
このまま直進すれば火天宮の町、左に曲がればギュメレリー王国との国境の関所になる。
「あ、着いちゃいましたね」
「予定通り行くのか? 我が家に寄れば茶ぐらい馳走すると言うのに」
「お名残は惜しいのですが、やはり行きます」
あっという間でしたと左に立つ少女を見下ろした鉄将は、急ぐ旅でもあるまいと言ったのだが、少女は若々しく好奇心に満ちあふれた笑顔で出国を告げる。
「鎖国に巻き込まれて随分長居をしてしまいました。もし鳳家剣術指南の火群様に出遭えなかったら、このまま三神国に骨を埋める事になっていたかもしれません」
「此度の鎖国は無理も多い、そなたのような流れ者を多く引き留めてしまっている。順次、国外へ出す手続きは進むであろうが、順番待ちには数ヶ月かかるであろうな」
「いえいえ、そのおかげで賢者の石事件と、剣聖様のお話を伺えたのですから」
「分かっていると思うが、事件の事は他言無用ぞ」
逆に幸運でしたと前向きに答える娘に、表情を厳しくした鉄将が威圧しながら言った。
しかし臆することなく笑顔で受け流した少女ははっきりと頷く。
「こう見えても詩人の端くれ、謳って良い詩、ならぬ詩の分別はあります。白沢のお姫様の御霊を弄ぶような真似はしないと誓います。それに―――」
何人たりとも私の夢は壊せない。
私の理想は曲げられない。
その為に旅をしているんです、と凜とした表情で言った。
「決めているんです。私が詠うのは私を満たしてくれる英雄の詩。まだ誰も紡いでいない、みんなの心の中に、ずっと、ずっと刻み込まれていく、永遠に語られる神話―――」
「…………」
「まだ、そんな人は見つかってないんですけどね! くすっ」
見つかるでしょうか、とまったく不安を感じさせない問いに、きっとその一途さがあればかなうに違いないと鉄将は頷く。
「では、息災にな。儂の手紙を関所の管理者に見せれば、ギュメレリー側へ抜けられるはずだ」
「何から何まで本当にありがとうございました! 縁がありましたら、またどこかでお会いしましょう!」
勢いよく下げた頭に後れて、長い髪がぴょこりと跳ねる。
七弦のリュートを背負いなおし、手を振りながら去っていく娘を見送った鉄将は、その姿が見えなくなったところで久しぶりの我が家へと戻る事にした。
◇ ◇ ◇
「今帰ったぞ。鬼丸? ……またどこかをほっつき歩いているのか」
屋敷はもぬけの殻で、隣の道場にもほとんど人気がない。
戸を開くとたった一人、板張りの間で木刀の素振りをしていた男が手を止めて鉄将を振り返る。
「師範、お帰りなさいませ! 予定よりずいぶん早いお戻りですね?」
「ああ、少々道連れが必要な者がおってな。儂だけ先に戻る事になったのだ」
「なるほど。それで御三家会議はいかがでした?」
「前回は来られなかった白沢家のご家老も来られてな。ようやく儂らにも、この度の鎖国の原因となった『賢者の石事件』のあらましをご説明頂けた」
「噂は随分出回っていましたがね。跡継ぎではないお姫様の雇った流れの冒険者が白沢、鳳、麒麟の三つの試練を突破してしまい、御三家の面目が丸つぶれとか、お庭番衆もずいぶんやられたとか」
鉄将を含め、大勢の家来を連れた鳳家の当主が神威に向かったのは、半年ほど前にこの国を震撼させた事件の説明が行われるからだった。
象徴となる家の下で国を三分して治める、護国三家と呼ばれる一族の秘密。
それを利用しようとした者の話を思い返した鉄将は、分かったように市井の噂を口にする師範代に、うかつな事は口にするなと厳しい視線を向ける。
「噂は噂に過ぎぬ、実際は余程大事だったのだ。明日より我らも邪教徒狩りに加わる。ミツカミを蔑ろにせんとした者を国外に出してはならぬ」
「ご随意に」
鎖国の理由はそれか、と察した師範代はすぐに頭の中で門下生の編成を始めるが。
こちらもこちらで問題があったのを忘れてた、と冷や汗を垂らした。
「ところで、鬼丸の姿が見えぬようだが?」
「あ~~~~~その~~~~~しばらく前に転移文書が来て、火之迦具土持って出かけちゃいました」
師範代が言うなり周辺の空気が固まった。
大きな町の魔法学院には、軽量のものなら大陸の各地に時間をおかずして転移させられる施設があり、国家間の文書のやり取りによく使われている。
値段はかなり高いのだが、商人や冒険者に託すより確実で早いとあって意外に利用者が多いのが実情なのだ。
三神国は鎖国に入ったとは言え、転移文書の停止まではしていない。
そこをついてのものであろうが、昨今用心棒や冒険者のまねごとをしている鬼丸宛となると嫌な予感しかしない。
「なん、だと? まさか国外に持ち出したのではあるまいな?」
「て、転移文書を使ってくるとなると国外、かと。……それから、その、火蜥蜴の衣も一緒に……」
道理の分からぬ師ではない、と命の危険を感じながらも端的に答えると。
ややあって、雰囲気を変えた剣匠は至らぬ息子をおもって深刻そうなため息を吐いた。
「たわけが。腕はお前に追いつきそうだと言うのに心の育たぬ奴だよ。本当に嘆かわしい」
火之迦具土は、剣術指南役になった時に鳳家から賜った霊刀で、所有者ではなく相手に比例してその力を高めるという、『上位者殺し』の特性を持つ。
高位魔族など強大な敵との実力差を埋めてくれるのだが、中の霊獣を御することができなければ、その炎に焼かれるのは自分になるという諸刃の刀でもあるのだ。
「そのうち誰かにへし折られて反省するかも知れませんよ? この僕のように」
火蜥蜴の衣も持って行ったし、なんだかんだ鬼丸君もかなりの腕前だし、なさそうですけどねと笑った師範代はそこで佇まいを正すと一番気になっていた事を尋ねた。
「―――それで、『事件』の方はどうだったのです? その流れの冒険者についても教えて貰ったのですか?」
すると、まるで旧友に会ってきたかのような笑顔を浮かべた鉄将は、よくぞ聞いてくれたと口を開く。
「おお。それがな、随分と懐かしい名で驚いたのだ」
息子が、今まさにその名と向かい合っているとも知らずに―――
次回からまた主人公サイドに戻ります(´・ω・`)




