序節 歌声は蒼月に満ちて&大陸地図
シアード大陸の中央にある聖刻の地から見て、南東に位置するギュメレリー王国。
この国の北の国境付近に位置するヤンシュルの町は、太い街道上に位置することもあって国内でも中ぐらいの規模であり人口もそれなりに多い。
今日の町は普段よりも活気に満ちており、市場だけではなく街路にまで露店が店先を並べて昼間から酔っぱらいが往来を闊歩していたが、それも当然だった。
まもなく十八歳となる女王の誕生祭兼、即位のお祝いが国内全ての町で行われており、七日続いた騒ぎも今日が最終日とあって一層大きなものになっている。
そんな浮かれた空気の中、誰とも視線を合わせないように俯きながら街路の隅を歩く少年がいた。
「今日は宿に入るか。ギュメレリーを出るのは明日でいいだろう……」
せめて祭が終わるまでは、と呟いた少年は、年の頃なら十七、八歳ぐらい。
背は人間の成人男性より頭一つぶんは高く、がっしりした体つきは戦士らしき装備にふさわしい以上の恵まれた体格だ。
背中の両手剣と身につけている蒼銀の板金鎧は彼の年齢には似合わない立派な代物で、見る者が見れば魔法の力を持ったとんでもない装備だと一目で見抜くだろう。
髪は人間の他、エルフ、ドワーフのような亜人間のなかでもあまり多くはない黒だった。
瞳も黒と言えば黒なのだが、底が見えぬほど漆黒の瞳は非常に珍しい。
べつに忌避される色ではないものの、表情や雰囲気一つで神秘的になったり不気味さをかもし出しかねない、まるで黒曜石をはめ込んだような瞳である。
ただその瞳も今は切なげで、まるで雨の中をさまよう子犬のごとく所在なさげだった。
「満室だらけだな」
少年はしばしの間、濃い青のマントを吹き抜ける南風に煽らせながら物憂げな視線を巡らせていたが。
満室の看板の出ていないと言う宿屋に入ると、カウンターの恰幅の良い中年に声をかけた。
「一泊したいのだけど、空き部屋はありますか?」
「いらっしゃい、一人部屋が空いてるよ」
「じゃあ夕食と朝食をつけて一人一泊でお願いします」
「一泊銀貨四枚、夕食銅貨二十枚、朝食銅貨十五枚で合計四銀貨と三十五銅貨だ。風呂が必要なら共同浴場を使ってくれ、東通りの手前にあって二十時まで営業している」
まだ駆け出しの冒険者が泊まるよりは一つ上の部類ということか。
当然風呂はなく便所も共同だろうが、雨露がしのげれば構わないと扉を閉じた少年は、懐から硬貨の入った革袋を取り出しかけて。
「……共通金貨でお釣りあります?」
「金貨ぁ? 出せなくはないけど勘弁してくれや、せめて半金貨か十銀貨はないのかい。ウチは連邦貨でもかまわんよ」
「あちこち行っていたもので、地域通貨はあまり持ってないのですよ」
「うーん。部屋は取っておいてやるから、両替してきてくれよ」
さすがに銀貨百枚分は大きすぎる、と主人が顔の前で手を振ったので、ちょっと行ってきますと頷いた少年は外へ出て行った。
「ケケッ、小銭は持ってないってか。はぶりが良さそうなガキだなぁおい?」
やり取りを耳ざとく聞いていた一人がエールのジョッキをおいて主人に絡んだ。
彼はこの宿つきの冒険者で、いわゆる三流に位置する初心者に毛が生えた程度の戦士なのだが。
「やめとけやめとけ。お前さんが絡んだところで相手にされんよ」
主人にも冒険者向けの宿屋を営んで二十三年の経験があり、その目で見ればあの少年は本来こんな宿に来るようなレベルではないのが分かったのだ。
装備もそうだが本人に隙がない、かなり腕も立つはずだ。
おそらく祭りのせいで他の宿で部屋が取れなかったかして偶然立ち寄っただけなのだろう。
そんなことを考えていたら、ギィィと軋む音を立ててまた入り口が開く。
「すみません、宿泊で部屋は空いてますか? それから私は詩人なのですが、今夜酒場で一曲やらせていただけませんか。そちらのお代は要りませんので」
そう言って入ってきたのは焦げ茶色のローブと、背負う七弦のリュートが目につく少女だった。
「運が良かったな、最後の一部屋があいてるよ。しかし、報酬がいらないってのはどういうことだね?」
出された台帳に書き連ねられている宿泊客の名前に目を走らせてから、簡単なことですよと少女は笑う。
「とある詩を国内で歌い回る依頼を受けているもので。お代はそちらからいただいているのですよ」
「……なるほど」
雇われた詩人が特定の人物や物事についてふれ回ったりすることは、噂を広める盗賊ギルドや時事を伝えるかわら版と同じで情報戦略に長けた者がよく使う手だ。
しかしながら、無料―――むしろ詩人が来れば酒場が賑わい利益が伸びる―――とはいえ、根も葉もないでたらめの発信地にはされたくなかった主人が考え込んでいると、口元に手を当てた少女はそんなことは分かっていますとばかりに囁いた。
「じつは私のご依頼主はこの国のやんごとなき御方でして、事実無根なことを口にするつもりは毛頭ございません。むしろなにがあったか、真実はどうだったのかを知らしめるために歌わせていただきたいのです。できれば街頭でも呼び掛けて、人集めをしたいと思っているのですが……」
囁く少女が左手で襟元を広げると、隠れていた首飾りと白銀のメダルきらりと光る。
そこに刻まれたギュメレリー王家の―――一角獣の紋章を見た主人はただ、かくかくと頷いたのであった。
◇ ◇ ◇
荷物をおいた少女が、呼び込みにいってきますとと出ていってからしばし。
十五時半を告げる鐘が鳴り響くのと同時に両替にいった少年が戻ってきた。
「両替してきました、十銀貨一枚と半銀貨一枚でお願いします」
「じゃあお釣りな。銀貨六枚、それから銅貨十五枚だ」
釣りを渡した主人は宿帳を出し、記帳する相手の装備に見とれていたのだが。
やんごとなきお方の依頼なれば自分も協力しようと、花街にいくより良いことがあると言った。
「そういや、今夜詩人が来ることになったんだ。遊びに行くつもりかもしれんが、良ければ聞いてやってくれ」
「そうですね、朝が早いのであまり遅くならなければ」
是非たのむ、と付け加えた主人は書き加えられた名を確認することもなく宿帳を棚に放り投げた。
もともと何人がどの部屋に何泊したかを書き留めておく帳簿向けのものであり、身元を確かめるためのものではない。
締め日に数えられれば誰が泊まろうとも関係ないのである。
「部屋は二階の一番奧の右だ。これが鍵な」
「ありがとうございます」
少年が鍵を受け取ると同時にまた誰かが入ってきたので、場所を譲った彼は酒場奧の階段に向かった。
途中にある掲示板に張られた冒険者向けの依頼に目を通していると、長期滞在らしき女性と主人との会話が伝わってくる。
「おかえり。仕事はどうだったよ?」
「ぼちぼちです。今日で祭も終わりですし、そろそろ次の町へ行こうかなと」
「行き先も占いで決めるのか? ハッハッハ」
そんなやり取りを背に階段を上がりきると、開け放しの窓から周辺の様子がよく見えた。
眼下の雑踏では誰もが笑顔で心から女王の即位を喜んでいる。
大人達は昼間から酒を飲み、肩を抱き合い、女王陛下万歳と連呼。
子供達も出店の料理を手にしながら、かわら版屋の売り文句に顔を輝かせており、泥酔して路上で寝ている男に苦笑いの衛兵もいまは仕方がないと肩をすくめて理解を示している。
そこにはまさしく平和があった。
「……ああ、やっぱりこれで良かったんだ」
そんな人々につられてか、自分も微笑んだ少年の表情は年相応で、柔らかくて、大きな達成感に満ちあふれていた。
◇ ◇ ◇
「なにか食事をお願いします。とくに好き嫌いとかありませんが酒は結構です」
自室で勉強していた少年は、日が落ちたあたりで酒場兼食堂に下りてきていた。
注文してから見回せば、すでに詩人らしき少女が壁際でリュートを調律している、どうやらぎりぎりだったらしい。
料理ができたら持っていくという主人から三と書かれた札を受け取り、ほとんど満席のテーブルの、たまたま空いていた席に歩み寄って向かいの女性に声をかける。
「すみません、相席よろしいでしょうか?」
「……ええ、どうぞ」
愛想良く笑った少年の瞳に見入りそうになった彼女はんっんっ、と咳払いをして集中を高めなおすと、手にしていたタロットカードを奇妙な形に並べ始めた。
占いがどうのと聞こえたので占い師なのかも知れない。
珍しいなとその様子を眺めていると、この規模の酒場には入りきれないほどの客が集まっているらしく、立ち見や窓から覗く者まで出始めているようだ。
やがて、湯気を立てながら運ばれてきた食事に少年が手をつけた時だった。
調律を終えたらしい少女が立ち上がって咳払いを一つ。
「本来であれば、お客様のご要望に応えるべきなのですが」
そう言う声が緊張にやや上擦り、リュートを持つ手が震えていたので、観客の何割かは彼女が新人で場慣れしていないせいだと思っただろう。
「実は今日は、新作の披露をさせていただきたいのです」
通常詩人は、他人が作った新しい詩を歌うときも新作と言わない。
少女自身が物事を知り、調べ、詩にしてこそ新作と言えるのだ。
「新作ってあんた、誰の伝説よ?」
しかし、誰かの問いに彼女はいいえと首を振る。
「いいえ。今はまだ……まだ、伝説ではありません」
「はぁ?」
ざわめく酒場には、どこの馬の骨とも分からない若造の話を聞きに来たんじゃねーぞ、という声もあった。
おそらくその男は少女の呼び込みを聞いていなかったのだろう。
逆に呼び込みを聞いて集まった者達に容認の空気が漂っているので、よしと気合いを入れた少女は年不相応な迫力で、でも年相応にはちょっと―――いや、かなり物足りない胸を張って続ける。
「みなさんもご存じでしょう? この度、この国で起こった大事件のことを」
たった一言で、酒場内は水を打ったように静まりかえっていた。
先ほど文句を言った男がまさかと周囲を見回せば、老若男女問わずに目を輝かせながら次の一言を待っている。
「―――大臣が国王を毒殺。唯一の王位継承者である王女様も亡き者にせんと画策」
目を閉じた詩人が低い声色で囁きだせば、透明感のある声は静寂を貫くように響いた。
この声質だけでも少女は、偉大な詩人になるための素養を一つ備えていると言っても良いだろう。
「騎士団は分裂。親衛騎士団すら消滅。王都を二分する内乱すら起こったこのギュメレリーが、それでも今こうして平和なのは何故か? 王家の血は、古きロシュディの流れは、誰によって護られたのか?」
占いの手が止まり、グラスを拭く手も止まり。
その場のほぼ全員が呑まれている中で、食事の手を止めた少年だけがそっぽを向いた。
どうやら聞くか残るか迷っているらしく、視線は込み合う酒場を通って階段に戻れるかどうかを確かめている。
「この詩は、その動乱の中を駆け抜けた、二人の騎士の物語です!」
「「「うおおおおぉぉ!!!」」」
つま弾かれたリュートの音色と興奮する観客の声 が周囲に響きわたり、喧噪を聞きつけた人々が酒場の前へと集まりだしている。
「始まりはギュメレリー王都、アトゥムでした―――」
満天の星空と蒼い月の下で、熱気と興奮がヤンシュルの町を包み込もうとしていた。
当作品へようこそおいでくださいました(´・ω・`)
よろしければ引き続きお楽しみください。




