第二節 強くなる時⑨
2/28 旧⑧を推敲ついでに⑧と⑨に分割しました
気配を薄くしたリョウは一定の距離を保ちながらリイナの後ろを付けていた。
アトゥムの外郭門を通りすぎ、見習い魔法使いが灯して回った魔法の明かりが照らし出す大通りを歩く少女は、追跡者がいるなどと夢にも思わずに家路を急いでいたのだが。
ある路地に差し掛かったところでふと、そちらに視線を向けてしまう。
(このままでは門限に遅れてしまいますわ! ……ここを抜ければ近道になるはずですわね)
町の中心へ出てからぐるっと回り込むよりも、放射状に広がる大通りの合間を通り抜けた方が近いのは自明の理。
暗い道を行くより門限を破って母親に怒られる方がよほど怖かった彼女はしばらく逡巡していたが、十七時半を告げる鐘に背中を押されて路地へと足を踏み入れてしまう。
「あああ、なんで暗い方に。襲われるの確定だ」
外郭門を入ったところから自分とは別にリイナを付ける三人が現れており、いま二手に分かれて二人が路地に入っていった。
遠い建物の陰から顔を覗かせたリョウは、回り込もうとしているらしき一人の背中を見つつ眉をしかめてしまう。
三人とも背格好はちょくちょく自分たちをつけ回していた間者のものと異なり、技量も大したことはないだろう。
と言うより二人は明らかに素人で、一人も彼から見れば毛が生えたようなものだった。
「う~ん。大した狙いはなさそうだけど」
路地の入り口に立ったリョウはどうする、と思考を巡らせていた。
どこから彼女が学級を早退している情報が漏れたかは分からないが、偶然とはいえない動きを見せており、何らかの目的でリイナを付けていたのは間違いない。
ただ、彼女が路地に入ってしまったのも偶然であり、それほど強い狙いがあるとは思えなかったのだ。
あるいは、彼女を護衛している自分が狙いという線もありえるか。
マッセ家関連から単純な身代金狙いの誘拐、少女趣味の変態の暴走など考えられるだけの可能性をあげた彼は、どう対処するかを考えかけてすぐリイナと合流することに決めた。
たしかに動いた瞬間に取り押さえ、目的や誰の依頼かを吐かせれば政治的に打撃を与えられる情報が得られるかもしれない。
しかしあからさまな手を打ってくるからにはいつでも切り捨てられるような対処がされている可能性があるし、それすら出来ない考えなしならここで情報を得ずともすぐに尻尾をだすだろう。
なによりリイナを悪意にさらすことはしたくなかったし、未然に防げれば相手を傷つけることも、相手の犯罪歴を増やすこともなくなるはずなのだ。
護衛相手だけではなく、追跡者のことまで思いやったリョウが狭い十字路で立ち止まった瞬間、突如暗がりから凶器が音もなく投げつけられる。
肩幅の広い彼がぎりぎりまっすぐ歩ける程度の狭い場所なので、本来なら投げつけられたナイフに気がついたとしても、左右に避けたり取り回しの難しい両手剣でたたき落とす余裕は無いはずだった。
しかし煌めいた白刃が弧を描き、喉をめがけて飛んだ凶器を易々と叩き落としたので、襲撃者のいる方向からえっと驚愕の声が漏れる。
「悪いな。この鞘は特注品なんだ」
もしも相手がリョウでなかったら不意打ちは成功していたかもしれないが、そこに潜んでいることは最初から知っていた。
さらに、彼も特注品と言ったその鞘は長物を背中に装備するだけあって工夫が凝らされており、上以外に左右からでも抜くことが可能な鞘だったのだ。
積まれた木箱の裏に潜む気配の形すら明確に感じ取ったリョウは、声と残像を置き去りに間合いを積めると木箱ごと襲撃者に剣を突き入れる。
ズコッと言う音とともに二枚の板を突き抜けた刃は狙い通りに襲撃者の顔の真横へ突き刺さり、切り落とされた長い髪がフードの隙間からはらりと闇に舞い落ちた。
「動くな」
「ヒッ!?」
「……女かよ」
壁と木箱と剣に挟まれて身動きのとれない相手は、決して狙いがはずれたのではなく、完全に見切っての一撃だったのだと察して全身を脱力させる。
一方、漏れた悲鳴が女だったので思わず声に出してしまったリョウは、どうするかと複雑な表情を浮かべてしまった。
今まさに暗殺されかけてどうするかもないのだが、狙いが自分に限り素人に毛が生えた程度の相手なら、手癖の悪い女スリが懐を狙ったとか美人局が寄ってきたのと同じ扱いになってしまうのである。
(うーん……)
「…………?」
脅かすために放った殺気も萎えてしまった彼が困っている間、いたぶられ、陵辱された後に殺されると怯えていた相手は怪訝そうに少年の表情をうかがっていたが。
暗殺者や忍者が、任務に失敗したときによくやる自爆や自殺をさせないようにと気を配っていたリョウは、そういうそぶりを見せない相手が完全に抵抗する気を失っていると分かったので、剣を抜いて数歩下がると切っ先で路地裏の出口を指した。
「今すぐこの町を出て戻ってくるな。それから、二度とこんな事はするんじゃない」
先ほどとは違う、静かに言い聞かせるような声に我を取り戻した相手は、しばらくの間なにを言われているのか分からずに硬直していた。
背を見せた瞬間に斬り殺されるのではないかとか、何か裏があるのではないかと思ったが、相手が路地の奥を気にしているようなのでフードを落として言ってみる。
「私を……殺したことにしてくれますか」
「どうしてだ?」
リョウとほとんど年が変わらないであろう、二十歳前の顔には疲れと諦めが強く滲んでいた。
多少貧乏だとか苦労しただけではこうはならない。
目に光はなく、声も力がなく、生に絶望して長く、荒み、傷ついた者特有の表情が―――そうさせる何かが―――嫌いだったリョウは眉間にしわを寄せてしまう。
「私はマッセ家の奴隷なの。たまたまナイフ投げが上手だったから暗殺者の真似事もさせられているけど、毎回殺すか死ねって言われてる。あなたが無事なら私が死ななきゃならない」
「ギュメレリー王国もとっくの昔に奴隷制を廃止したはずだが」
「逃がしてもらっても行くあてなんか無い。……でも、あの家に戻るぐらいなら、右足を切り落として、身体を売ってでも自由になりたい……」
そう言って差し出された右足首に、奴隷の証である赤銅色の足輪ががっちりとはめ込まれていたのでリョウはまさか、と息をのんだ。
―――現在ではギュメレリー王国に限らず大陸の殆どの国で奴隷制が廃止されており、表向き人の売り買いは禁じられている。
これは大陸内の神殿を統括し、さまざまな国に司祭を派遣させている大神殿の意向がきっかけであったが、駅馬車などの大陸公益機関を守るための大陸法が同時に制定、施行されたのも一つの後押しとなった。
大陸法では駅馬車の保護や邪竜出現時の対応など、国の枠では収まらないことを定めているのだが、第五条に『故意に国家およびそれに属する組織や人に害を及ぼす、あるいは及ぼしたと認められる存在については人、怪物などの種族に関わらずあらゆる権利を認めぬものとする』とうたわれたのである。
つまり、野盗や暗黒司祭、妖術師などの悪人には人権を認めない、討伐者は生殺与奪や財産を含めて自由にして構わないと底辺が定義された時、ではいままでそんな扱いだった奴隷をどうするのだという議論が偉い人達の間で巻き起こったのだ。
そこへ当時の聖地の代表が奴隷制を止めませんかと提案した。
当然、各国の代表者は社会体制が崩れるとか労働力の確保だとか歴史がどうとか反対したのだが、神殿側は奴隷制を廃止しない国には、司祭の派遣を止めると言い出したのである。
町の神殿は国によって建てられ、運営されているが、そこに常駐の司祭を派遣しているのは聖地の大神殿になる。
司祭職の多くはいつかは聖地に住みたい、大神殿の要職につきたいと考えており、そのための実績集めや外部研修としてあちこちの神殿や教会で働くのだ。
国としても多くの司祭を派遣して貰うことで格が上がり、住民の平均寿命向上、疫病の蔓延防止がはかれるなど利点が多い。
神聖魔法がある事からも分かるように神々は実在するものであり、神殿の威光と神々への信仰は統治者達にとっても必要なものであった。
そして神殿を大切にできない国主、神殿から大切にされない国主を認めるほど国民は寛容でもなかったのである。
結局五年ほど議論を重ねた結果、当時最大だったレポード連邦が合意したことで他の国もしぶしぶ追従し、廃止と相成ったのであるが。
完全に撲滅できているかといえば、人さらいや闇奴隷商人は無くならないのが現実であるし、奴隷にもなれず仕事もないものが集まる貧民街という社会問題が大きくなってしまったのは皮肉な話である。
当時レポード連邦の一つだったギュメレリーでも奴隷制は廃止され、犯罪奴隷は懲役囚人と名前をかえて鉱山などの強制労働につかされる。
もし娘の言うことが真実ならば、しかるべきところに引き渡せばマッセ家は厳重に処罰されるだろう。
だが、この娘もこれまでの罪で裁かれる事は想像に難くない。
ギリッ、と歯ぎしりの音が路地裏に響いた。
厳しい表情のリョウが見れば、話していて感情が高ぶったのか、娘は目に一杯の涙を溜めている。
「君は、なぜ奴隷に?」
「村を妖術師に焼かれた孤児。命からがら逃げ出して、お腹が空いて、パンを盗んで捕まって。すったもんだのあげくにナイフ投げの腕を見込まれて大道芸の一座に拾われたんだけど」
その一座の団長が闇奴隷商人と繋がりがあり、他に拾われた子供達と一緒に売り飛ばされてね、と言う彼女にリョウはしばし考え込んだ。
理力魔法を悪用する者は魔法使いではなく妖術師と蔑まれてその人権の一切を失うが、そんな者の嗜虐的な行為で村を追われた娘がこんなに辛い境遇のままで良いのだろうか。
自分のすべてが自分のものでなくなってしまう足輪が付けられたままで良いのだろうか。
「こっちを見るんだ」
「?」
低く静かな、しかし空気を震わせるような声にはっと顔を上げた娘はリョウの目を真っ直ぐ見つめた。
「あ、あの……?」
闇よりも深く澄んだ黒曜の瞳に射貫かれ、落ち着かない娘が声を上げる間も、奥底を見通していた彼はやがて決める。
「情状酌量の余地有り。マッセ家による拘束は正当性が認められないため現時点で解除、君をこの場で自由にする」
「えっ?」
言っている意味が分からずに立ち尽くす娘の足に手を伸ばしたリョウは、その人生を不当に縛り付ける足輪を力任せにひねり潰してやった。
「……は?」
娘が素っ頓狂な声を出したのも無理はない。
外される時は死んだときだけと決まっている奴隷の足輪は、頑強な金属の板を特殊な機械で足に巻き付けるため、蝶番や鍵穴など、取り外すための仕組みが無いただの輪っかなのだ。
もちろん道具もなしに人力で破壊できる代物ではない、はずなのだが。
ひしゃげた足輪を道具入れに放り込んだ彼は余り時間が無いなと再度向こう側の気配を探りつつ、返す手で取り出した革袋を娘の手に握らせる。
「これを持って行くんだ」
「これは? ……お金!?」
硬貨がこすれる音で中身を察した娘はなにかの罠かたちの悪い冗談かと目の前の少年を見たのだが、相手はさらに信じられないことを言った。
「金貨が五百枚入っている。当面の生活費とこれまでの慰謝料ってところだ」
「な、何言ってるんです? 何やってるんです!? 足輪を壊して、お金まで渡して!」
あなたがお金を払う必要がどこにあるんですと混乱する娘にしかし、リョウは突如恐ろしい顔になると勘違いするなよと言った。
「勘違いするなよ? お前を殺さずにおいてやったのも、金をくれてやったのも、俺の言いなりにするためだからな」
「……なんだ、結局あいつらと変わらないんじゃない。ねぇ、新しいご主人様?」
冷水を浴びせかけられたかのように現実に立ち返った娘はそんなうまい話があるはずないよね、と一瞬信じそうになった自分を嘲り、好きなようにすれば良いじゃないと服をはだけさせる。
だが。
娘の絶望とは裏腹に、伸びてきた手はあらわになった乳房ではなく、恐怖に震える手をそっと包み込むではないか。
訳が分からずに俯いていた顔をあげると少年は凛とした表情で言った。
「俺の命令はただ一つ、幸せになれ。それだけだ」
「……はぃ?」
耳に悪い悪魔が入り込んだか頭がおかしくなった。
そうとしか思えなかった娘は再び間の抜けた声を出すが、至って真面目な―――信じられない事だが自分を慮っている様子の彼はさらに続けたのだ。
「不運続きで回り道になってしまったが、今から君は自由だ。これからの自分を探しに行け。そして出来ればそれが幸せであるよう、努力するんだ」
俺にはこれぐらいしか出来ない、すまない。
リョウはそう言って襟元を正させると、光の差す方、路地の出口へと強く押しやった。
予想外の繰り返しでつんのめりそうになった娘はそこで振り返ると、大きく息を吸い込んで一気にまくし立てる。
「あなた馬鹿でしょう! さもなくば馬鹿が付くほどお人好し! 自分を殺そうとした相手の命を助けて、境遇を哀れんで、解放して、お金まで握らせて! 私の言葉が本当って保証は何処にもないのよ!? いいえ、本当だとしても普通じゃない!」
「いいや、俺には君が嘘を言っていないと分かった。それに誰にだって幸せになる権利があるはずだ。それを不当に失った迷い子を掬い上げて何が悪い」
「……そんなきれい事、語って良いのはおとぎ話の英雄だけなのに。あなたのそれは一時の気の迷いか偽善でしかないんじゃない?」
「そうだな。もちろん全てが救いきれるとは思ってない、そいつは傲慢ってもんだ。けれど」
伸ばした手が届かないことがあっても。
受け止めたはずの手からこぼれ落ちるものがあったとしても。
救うことを諦める理由にはならない。
救えるものを見逃していい理由にもならない。
そう心の中で呟いた少年は胸を張りはっきりと言った。
「君に、幸せを取り戻して欲しいと思った気持ちに嘘は無いッ!」
感情任せの力ずくな、しかし真っ直ぐな叫びが人らしい気持ちを呼び起こしたのか。
胸をうたれた―――もはや貫かれたと言ってもいい娘はしばらく目を白黒させていたが、急に押し寄せてきた感情の波に戸惑い、胸を押さえて後ろを向いた。
(……胸が、くるしい)
どきどきなのか、きゅんきゅんなのかは分からないが、このまま向かい合っているとどうにかなってしまいそうなほど心臓が騒がしい。
納得はできないものの、ぽーっとした頭でも王都から離れたほうが良いことは分かったので、本当に自由になって良いのならと従うことにする。
「じゃあ、私は好きにしていいのね」
「ただし、行く前に約束するんだ。幸せを取り戻すために頑張る、と」
「そんな口約束になんの意味が―――」
なんの意味があるの、と言いかけて口をつぐむ。
どうしてかは分からない。
理論的な説明など出来ないが、ここできちんと約束すればどんなに苦しくても頑張れる気がした。
頑張り続ければ、本当に幸せを取り戻せるような気がしたのだ。
「分かった、約束する。私、このチャンスを大事にする」
もしかしたら悪い流れを断ち切るおまじないなのかも知れない。
そんなことを考えた娘は振り返って微笑むと、彼と出会えたこと、彼の思いやりに感謝してこれからの自分を誓った。
笑顔を浮かべること自体が久し振りすぎてぎこちなさはあったが、先ほどまでの名残は見られない、リョウの好きな笑顔だった。
「私、ダンセニア村のセラスはあなたの解放宣言を受けて取り戻した自由を手に、償うべきを償い、光あるところで幸せになるよう努力する事を誓います」
「頑張れよ」
うん、と頷いたセラスはそこで一つ思い出し、申し訳なさそうに言った。
「あの、私が投げたナイフ。出来れば回収してくれない? 分かると思うけど良くない毒が塗ってあるの」
「分かった。向こうも接触してるっぽいし、俺はすぐにでも行かなきゃならない」
ありがとうと声には出さず、唇だけ動かした娘はそれでもう一度フードをかぶると闇に溶けるようにその場から居なくなる。
(向こうはまだ動いていないが、急ごう)
リイナが居るはずの路地では緊張を湛えた三つの気配が動かないでいた。
結局、彼女を巻き込んでしまった事を悔やむリョウは自分が叩き落としたナイフを拾い上げると、襲撃用の黒い刃に塗られている紫色の粘液を確認してチッと舌を鳴らす。
「死斑蜘蛛毒まで使いやがって……」
小さな切り傷一つでも相手を数秒の内に死に至らせる猛毒、デッドニードルは暗殺者が好んで使う。
毒性は凄まじいが奴隷が入手できる代物ではない、おそらくは依頼者が投げナイフ程度でも確実に仕留められるよう毎度用意しているのだろう。
こんな危険なものを放置するわけにもいかないので魔法の道具入れに突っ込んだ彼は、今度こそリイナのもとへ向かうべく路地裏を駆け抜けた。




