第十一節 決戦③
牢屋を出たリョウが屋上から王族階に忍び込んでみると。
起きていた侍女たちは突然現れた少年にもちろん驚いたのだが、襲撃時にシスティーナを守った彼が城から飛び降りるのを見ていたのですぐに状況を飲み込んでくれた。
「では扉を外から封鎖します。朝には効果が切れますが、念のため解錠の合い言葉も伝えておきますね」
予想通り、元々あったはずの硬質化施錠の魔符は徴発されていた。
代わりにカッツが大量に作った魔符の一枚を取り出して言うと、整列した侍女たちが一斉に頭を下げてくる。
「私たちなどの為に、本当にありがとうございます。このご恩は決して忘れません」
メイド同様、侍女の命なんて王族や貴族の前には塵芥なのに。
人質にする価値すらなく、せいぜい盾に使われたり嫌がらせで殺されたり、焦土作戦のごとく後の生産性を下げるためにまとめて処刑される程度の平民を、彼は守りに来てくれた。
聞けば下の執事達にまで同様の防衛策を施しているそうで、実際に危険が及ぶ可能性の有無に関わらず気遣われた者はその価値観に驚き、感謝するだろう。
「いえいえ。その分システィーナを支えてくれればいいですから」
感激と恐縮と申し訳なさで複雑な彼女たちに、当たり前のことですと微笑んだリョウは鉄扉から出ていってしまい、残された侍女達は何とも言えない表情で顔を見合わせてしまう。
「……私、イグザート様担当に配置換えを希望してもいいでしょうか」
「およしなさい。ラピスに睨まれますよ」
「何人付いてもいいじゃないですか。別におひとりに付き一人って規則はないですよね?」
「そこまでにしておきなさい」
王族の侍女を自ら降りたいなんて、不敬ととられてもおかしくない問題発言であるが、サラにだってキスティの気持ちは分かるのでたしなめるだけしておいた。
しかしそれならと頭を捻った彼女は、自分が下りるのが駄目なら彼がこの階層にくればいいとひらめいてしまう。
「なら、姫様と結婚していただくしかありませんね」
「……それなら問題はありません」
サラも、システィーナがリョウに興味を示していたことを知っている。
元冒険者ではあるものの、救国の英雄なら十分に釣り合うはずと考えた彼女たちはにんまりと笑い、ここにもくっつけ作戦の同調者たちが誕生したのだった。
◇
その後リョウは最上階と親衛騎士の居住階を探索したが、ワール公やバストゥークを見つけることはできなかった。
侍女たちが立ち入り禁止となっている謁見の間を含めた二階か三階に居るのだろうと言っていたし、決戦前に見つかれば幸運程度の話なので、時間も迫っていた事もあって戻ることにする。
「戻りました。俺はすぐに行きますが桜花さんも―――桜花さん?」
時刻はまもなく二十三時。
彼が牢屋に戻ると桜花は用意された衣服と装備に身を包み、新しいサーコートを羽織っていた。
すでに作戦書は燃やされて火鉢に灰が積もっている。
食事もきれいになくなっており、置かれていた大刀を前に正座をしているので、集中しているのかと思った彼がそろそろ時間ですよと声ををかけると。
「……ナニコレ」
ギギギギと巡らされた眉間には深い深い皺が刻まれ、低い声から困惑しているのがありありと窺えた。
「あ、もしかして直刀は使ったこと無かったですか?」
確かに桜花が使っていた魔刀は反りのある太刀で、おなじ片刃刀とはいえ剣なら長剣と曲剣ぐらい物が違う。
慣れてないと戦技を使うこともままならないので困っているのかと思ったリョウが、今回の計画においてはその材質が必要なんですと言うより早く。
「これ、宝刀じゃない! なんでリョウ君がこんなもの持っているのよ!?」
鞘に描かれた三本爪の龍を見て、尋常ならざる素性の物だと見破った知識と眼力はさすが侍と言うべきか。
魔力を持つ魔刀の方ならば、魔剣同様に古代魔法文明期にそれなりの数が作られたし、品質はどうあれ自分も持っていたのでそれほど戸惑いはしなかっただろう。
しかし三神の伝承者によって打たれたとされる『霊獣の大刀』は数が少なく、ほとんどが高名な道場や武家―――三神の貴族のようなものだ―――によって厳重に管理されている。
なにしろ存在が確認されているもので六十三本、過去に失われたとされるものや古文書や口伝の中で噂されている未発見を含めても三桁に届かない。
当然国外への流出にも目を光らせており、新しく見つかればなんとしても回収しようとするほどのものなのに。
「ああ、三神に居たとき拾ったんですよ。どうも何かの試作品だったか作りかけだったみたいで霊獣の力も宿っていませんし、厳密には宝刀でないでしょう」
「拾った!?」
「遺跡みたいなところに落ちていたので」
「何でこんな凄いもの使わないの!?」
「魔法騎士の俺には相性が悪いですし、この剣がありますので」
「じゃあ売ればいいじゃない!」
「幸い、お金には困っていないので」
「もうやだこの子……」
それは拾う意味があったのかと桜花はうなだれてしまったが、リョウは一つも嘘をついていない。
重要な部分が含まれていないのは確かだが三神でのことを言うつもりは無かったし、困惑する桜花に『三神の試練の塔で拾いました』とか『三つとも制覇しました』などと言ったところで信じてもらえないか、この後の作戦に影響が出てしまうだけなのだ。
「こんな……こんな凄いもの、私が使っていいのかしら……」
「使ってください。資料にも書いておきましたが、その大刀が必要になるかもしれませんので」
今回の作戦で重要なのは魔封石という素材の特性だった。
この魔法金属はその名の通り周囲のマナの動きを強く阻害して、一定強度以下の理力魔法をすべて打ち消してしまう力を持つ。
純度が高ければ高いほど強力な魔法を打ち消せるのだが、『石』と言われるように武具には不向きな脆さもあるため、飾りに使われたり鋼などに混ぜて使われるのが一般的だった。
敵味方関係なしどころか、装備に付加された魔法も対象になるためにリョウのような魔法騎士との相性は悪いものの、伏兵となる桜花が持てば不利点を補って有り余る利点を発揮するだろう。
「そろそろ俺は行きますが、なにか確認したいことはありますか?」
合図があるまでに制御室の近くに行きたかったリョウは、牢屋の鍵を開けると手早くバスタブなどを回収し、はっと立ち直った桜花は大刀から目を逸らしつつも大丈夫と頷いた。
「大丈夫。ちゃんと時間には配置につくわ」
「……お願いします」
本心では、女性が戦うことが好きではない少年はわずかに表情を曇らせる。
しかし個人的なものであり、今更言っても仕方がないのでもう一度腹に押し込めるしかなかった。
桜花にその役割を与えたのはほかならぬ自分であり、そうせざるを得なかったのも自分の力不足なのだから。
「くれぐれも気をつけて。―――フライト」
『飛行の魔法』でふわりと浮き上がった彼は、いつの間にか雪に変わっていた夜空に向かって飛び上がる。
見送った桜花も行動を起こそうと大刀を吊るし、忘れ物はないかと牢屋内を見回したのだが。
気がつけば、ベッド代わりの石板に畳んでおいたはずの服が残っていない。
「…え!? 服まで持って行っちゃったの!?」
何日も着続けた上に下着も挟んであったのだ。
メイドならともかくお年頃の男子に持って行かれるなど恥辱も良いところで、般若の形相を浮かべた桜花は状況を忘れて叫び声をあげてしまう。
「こらぁぁぁっ! 返しなさーーーい!!!」
幸いに、と言うべきか。
その絶叫は牢屋を取り囲む静寂の魔法に阻まれて、誰にも聞かれることはなかった。
◇
リョウが牢屋を後にしたのとほぼ同時刻。
アーニーは感覚を取り戻すべく身体を動かしたあと、セブンの用意してくれた大量の食べ物をものすごい勢いで食べ続けていた。
開店休業状態の酒場から持ってきた特盛り猪肉定食は二分で空になり、固いパンや干し肉に果物、生野菜と言った保存食を六人前は詰め込んでいるというのにまだ勢いは衰えそうにない。
早食いと大食いも弟との勝負項目らしいのだが、消化に悪かったりお腹がびっくりしたりしないのだろうか。
「さすがに十日以上寝ていただけのことはありますね」
「なんだか無性に腹が減って仕方がない! そんなことよりさっきの続きを聞かせてくれ!」
手と口だけでなく、耳と頭も忙しく働かせる彼にせっつかれたセブンは、町の噂話やここしばらく見聞きしたことの続きを話して聞かせる。
(……王女様は無事花園に合流されたのだろうか? バストゥークは殺れたのか?)
公式発表がうそっぱちで、代理こそが城を乗っ取った簒奪者という認識が住民に広がっているのがアーニーには驚きだった。
聞けばそう言う態度の貴族もそれなりにいて、ワール公派の者たちは青い顔をしながら右往左往しているらしい。
しかし第二の哨戒が減って城に籠もり始めていることや、第一の陽動が止まっている理由ははっきりしなかった。
何しろ自分が離脱する時までは膨れ上がる第二に圧され気味で、このままではじり貧だと言う嫌な空気すら漂っていたはずなのだ。
さすがに腹が膨れた彼が湯飲みを握りしめながら考え込んでいると、噂の黄金の魔法騎士とやらに興味津々だったセブンが探るように言った。
「噂通り黄金の魔法騎士さんが第一に加わったんですかねー?」
「協会の賞金稼ぎだったか。……ふーむ」
アーニーは、それなら陽動をやめて方針転換することもあり得るだろうか、と腕を組むも何かが引っかかる。
(たぶんキンディ卿とポタス導師が一人ずつ増えたようなものだろう? それで上位魔族に勝てるのか?)
自分たちがバストゥークをつぶせない限り聖地の助力が必要になるからこそ、花園は危険を承知でラピスを送りだしたのではなかったか。
「あの~。助けた恩を着せるって訳じゃないんですが~……もし、もしもですよ? 王女様が城を取り戻したら、その人を紹介して欲しいな、なーんて思ってたり……」
「かまわないが、どうしてだ?」
「そりゃ、私も詩人の端くれですからね。いつかは自分で英雄譚を紡いでみたいわけですよ」
詩人達は自作か他作かを非常に重んじ、他作の詩には敬意を表し決して改編を行わない。
そして誰かが詠った題材を別の詩人がわざわざ調べなおして詠い直すことも滅多になく、出来の善し悪しに関わらず作者の名とともに伝わっていくのだ。
だから詩人は皆、自らがすばらしい題材に巡り会い、それを詠う事を望む。
詠った相手が大きければ大きいほど。
長い時を経てなお受け継がれ、人々の心に残り続ける物語であればあるほど、作者の名も残り続けるのだから。
セブンも多分に漏れず新しい英雄を自分で詠うことを夢見ており、目立ちそうな黄金のなんとやらに唾をつけたいと思ったのである。
「こうして旅をしているのも、私だけの英雄を探しているからでして」
「なるほど。しかし、英雄なんて簡単に現れるものでもないだろう?」
「そんなことは分かってますよー。だから、とにかく可能性がありそうな人とお近づきになりたいんじゃないですかー」
ぶーと口を尖らせたセブンとて、他の人が詠っていない英雄候補なんて簡単に見つからないと分かっていた。
なにしろ強いだけ、金があるだけ、目立つだけの者ではない。
巻き込まれて仕方なくとか気がついたらそうなっていた訳でもない。
本人の意志と結果がかみ合い、大勢がその理想と偉業を認めた者にしか英雄の称号は相応しくないからだ。
冒険者としての成功を収め、町や国規模で名が通る者ならちらほら現れる。
しかしそれは二つ名を得る程度、詩で言えば前座やつなぎ、賑やかしに過ぎない。
一国の歴史を変えた、数国や地方に影響を与えた者も数百年に一度は現れるものの、得る称号はその内容や生き方によってさまざまだ。
その中でも『英雄』と呼ばれる事が認められた存在は、詠い手が調べた限り―――政治利用など、意図的に作られた場合を除いて―――数千年の間に数名しか現れていなかったのである。
「前にもしかしたらって人を見つけたんですが、行方が分からなくてですねー」
「ほう、なんて人だ?」
「リョウさんって人なんですけど。さすがにギュメレリーには伝わってないですよね」
なにしろ賢者の石事件は護国三家により超機密扱いとされ、関わった黒髪の少年の詳細は表に出ていなかった。
セブンもやっと名だけを聞き出せたぐらいなのだから、三神の制覇者の事が国外に広まっているわけがない。
「あーあ。どこかに英雄候補が落ちてないかな~」
知ってるわけないですよねー、と頭の後ろで手を組んだ少女が言うなりのことだった。
椅子を蹴ったアーニーが部屋の隅に走り、猛烈な勢いで装備を身につけ始めたのである。
「ア、アーニーさん? いきなりどうしました?」
問われて手を止めた男性の口元には笑みが浮かんでいた。
どんな偶然なのかは分からない。
だが、英雄候補を探しているという少女からその名が出たとき、アーニーの中で何かが繋がったのだ。
「英雄ならこの国に居るぞ。いや、正確にはこれから英雄になるんだろうがな」
「えっ?」
「平和が戻ったら必ず俺を訪ねてくれ。黄金の魔法騎士なんてどこの馬の骨か分からん奴じゃない、本物を紹介してやる」
そう言って装備を再開させた彼の言葉は確信に満ちていた。
冗談でも誇張でもなく、心からその存在を信じて勝利は確実だと思っているのがありありと伝わってきた。
「そんな人が居るんですか!?」
「居るともさ! 王女様がこの国の希望ならばあのお方こそまさしく奇跡! 逆賊の野望など、我らが近衛騎士の前には風前の灯だ!」
「近衛騎士……手配されているフォレスト様かイグザート様ですか? 確かにお噂は耳にしましたが」
「そうだ! リョウ=D=イグザート様だ!」
「そちらのリョウさんは大根そっくりの人ですよね」
―――ちなみにリョウの家名を知らなかったセブンが、手配書を見ていながら単なる同名と片づけてしまったのは三神で得た情報と大根があまりにかけ離れているせいだった。
黒髪ではなく緑の葉。
精悍な顔つきではなく、のっぺりとした逆三角形と適当にばらまかれた凹凸から年齢など読みとれるわけがない。
王都にまで野菜顔をばらまいたフォートが巧妙だったのであって、鵜呑みにしてしまった彼女をぽんこつと決めつけるのは早計なのである。
「大根? いや、フォレスト様のような色男とは違うが、何というか目立つお顔だぞ」
「えっ!? あれ違うんですか!? じゃあ、髪の色は!? 背はどのぐらいですか!?」
「髪は黒で、背は俺より頭一つは大きいな」
「……もし、かして……凄い、両手剣を………持っていた、り……?」
そのときのアーニーの、それはそれは楽しそうで勝ち誇った笑みをセブンは一生忘れないだろう。
「ああ、持っている」
ぐぐい、とさらに口角をあげた彼は胸を張って頷いた。
対照的に俯いた少女はリュートを弾き続けて肉刺だらけの手に視線を落としていた。
同一人物だと気づいたときに覚えたのは高揚や歓喜ではなく、戦慄と恐怖だったのである。
(三神のことがあってからまだ一年も経ってない、のに……)
三神の制覇者が。
賢者の石事件の中心人物が、ギュメレリーでもう近衛騎士という立場に上り詰めていることに戦いた。
逆境を覆してくれると騎士の信頼を得た存在として渦中にあり、まさに行動を起こそうとしている巡り合わせに背筋が寒くなった。
(偶然……それとも、運命?)
待ち望んだ、お手つきでない英雄候補が目の前にいる。
事後、誰よりも早く事件の情報を集めて詩にしてしまえば、彼にはもう詩人がついたと言う認識が広まってほかは諦めることだろう、しかし。
(私、私に……立派な詩を作ることができるのかな……)
言っては何だが、彼女は出たての新人も良いところである。
もちろん練習は欠かしていないし、現代や古典もどん欲に学んだ。
年齢の割に、街角や酒場で出された要望にもほぼすべて応えられるほど持ち歌も多い。
それでも自作は一つもないセブンが、三神の偶然は残念であったものの詠えないことに少しだけ安堵したのも事実である。
(もし、私の作った詩が誰にも受け入れられなかったら……)
識字率や出版にかかる費用、物流などもろもろの都合により物語を広めるのはほとんど吟遊詩人の役割となっていた。
駄作だと歌う詩人も聞く聴衆もいなくなり、やがて偉業は古文書の片隅に残るのみとなってしまう。
それは詩人として耐え難い屈辱であると共に、偉業を成した者を歴史から葬りかねない大罪でもあった。
もっと経験を積んでからなどと言う余裕はないが、自信があるわけでもない。
しかし詩人の大罪を恐れてこの機会をふいにしたら、次はいつ巡り会えるかなんて分からない。
セブンが突然目の前に現れた夢へ至る道と現実の間で悩んでいると、装備を終えたアーニーが困ったなと腕を組む。
「どうやって戻ろうか……」
陽動が止まっている以上、不用意に外に出たところで哨戒の目に留まる可能性は非常に高い。
雨は雪に変わり、街路がうっすらと白くなりつつあるので、足跡から恩人に迷惑がかかることも避けねばならないだろう。
二人の若者が悩む間も時間は進み、二十三時三十分になったその瞬間。
王都のあちこちにある時計塔が、一斉に毎時の半を告げる鐘を鳴り響かせる。
それが、セブンの長い長い旅の始まりの合図だった。
彼の足跡をたどり、彼と関わった大勢とふれあい、詠えることよりも多くの詠えないことを抱えて苦悩する日々の始まりでもあった。
英雄がどうの、悪者がどうの、聖女がどうの、竜がどうの、魔族がどうの程度は過去にも例があるが出てきて一つ、多くて三つがいいところ。
それらをごちゃ混ぜにして全部登場させた上、さらに荒唐無稽で非常識でしたと詠ったところで、聞く側が飲み込めるとは思えない。
彼女は架空の物語を作る作家ではなく、事実を後世に伝える詩人であり、虚構と受け止められたり脚色が過ぎると廃れてしまうのは不本意だった。
また現代物の注意点として、実在の人物によけいな面倒ごとが起こったり危険が及んだりすることも避けなければならなかった。
そのため彼女は、忸怩たる思いながら人々が受け入れられる範囲まで丸め、そぎ落とした表向きの詩を作ることになる。
―――だから私は、真説として知り得たすべてをここに残すのだ。
人ならぬ者から聞いたことも。
人知を超えた存在から伝えられたことも。
セブンが詠えなかった分まで、全部。
いつもお読みくださってありがとうございます(´・ω・`)