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英雄は約束を守るようです  作者: ショボン玉
第一章 二人の騎士
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第十一節 決戦②

 二十時一分。

 リョウは八つの鐘が鳴り終わるのとほぼ同時に城の敷地内へ入り込んでいた。


 盗賊ギルドの直前報告にビカルド捕縛成功が含まれていたので、城から離れた場所で飛行の魔法を使い、厚い雨雲に覆われた夜空に紛れてすんなりと侵入を果たしたのである。


 城壁や中庭には無数の篝火が焚かれていたが、降りしきる雨から薪を守るための鉄傘がかぶせられていて上方が影になっているのも都合がよかった。


 物見の塔の先端に身を隠しながら下の様子を見てみれば、モニクの報告通り二十時の交替が行われている真っ最中。


 中庭の正規騎士たちはすみやかに引継をしているのだが、城壁にいる防具もばらばらの連中は投射武器の受け渡しに手間取っているようだ。


(やはり弓に弩、投石器が主体だな。魔具持ちは六人、司祭は二人ずつか)


 何人かが魔符や精霊珠を遅番に手渡している様子や、司祭とおぼしき姿も確認した彼が様子を見ていても戦技を使えそうな者はいなかった。


 魔法使いなら当然、戦士でもある程度の腕があればこんな雑兵扱いで働く必要はない。


 人数を絞って精鋭を集める方法にも利点と不利点があるし、それならそれでリョウには考えがあったので結果はほとんど変わらなかっただろう。


 これなら行けると判断した彼が西棟の窓に視線を走らせれば、そこにはメイド姿のモニクが待機している。


 彼女はメイドや執事たちが混乱に巻き込まれたり人質に取られないよう、そしてワール公たちの連携や退路を断つため、カッツが作った大量の魔符を使って各所を封鎖して回るのだ。


 用事がなければ部屋での待機を命じられている者達は扉や窓が開かなくて驚くだろうが、そこは数時間のことなので我慢してもらうつもりである。


(―――来た!)


 目立たぬように合図―――明かりの魔法とは真逆の、暗闇を生み出す魔法―――を飛ばすと、緊張の面もちで待ちかまえていたモニクはスカートを翻して走り出す。


(さて)


 次は桜花さんだ、と足下の塔に視線をやったリョウはどうしたものかと少し考えてしまった。


 この下が彼女が囚われている牢屋になるのだが、ねっとりと絡みつく殺気が尋常ではないレベルで漏れ出しており、うかつに近づけばどんな反応があるか分からなかったのである。



             ◇


 襲撃があった翌日。

 牢屋の壁を吹き飛ばしそうなほどの怒声が塔全体に響きわたった。


「この裏切り者! 二度と顔を見せるなと言ったはずよ!」


「落ち着いてください、お嬢様」

「落ち着けですって!? 私に薬を盛った張本人が言うの!?」


「ですから、本来は大旦那様のもとへお連れするはずだったと―――」

「うるさい! 刀があれば、すぐにその首をはねてやるというのに!!」


 怒髪天をつくと言うのは三神の言い回しだが、普段は後ろで束ねている髪を振り乱した姿はまさにそれだった。


 鉄格子を握りしめる両手は怒りに震え、いらだちを隠せずに足踏みをするたび、左足に繋がった鎖がガチャガチャと軋む。


「さっさと失せなさい!」


 叫ぶ主人にため息をついたエクレットは今は会話にならないと鉄格子の前を離れた。



 ―――今では桜花つきの担当メイドをしているが、もともとエクレットは桜花の父親であり、文官長でもある葛葉侯爵家で働いていたメイドである。


 今でも葛葉家と深いつながりがあって定期的に桜花の様子を報告していた彼女は、侯爵によって城に送り込まれ、いざというときは薬を盛ってでも桜花を実家に連れ帰れとの密命を受けていたのだ。


 裏側には共和制移行後の親衛騎士団解体か、桜花の解雇という侯爵と大臣の密約があり、議会の行われる前夜に実行せよと指示もあった。


 山積みの書類に囲まれて憔悴する桜花の飲み物に薬を混ぜて寝かせたところまでは良かったのだが、そこをフォートに抑えられてしまったのである。


 桜花は牢屋に捕らえられてしまい、エクレットは身の回りの世話を命じられているが、彼女自身も塔の上層から下には降りられない虜囚のようなものだった。


「これからどうなってしまうのかしら……」


 寝台と言うにはあまりにも硬すぎる石板に腰を下ろしたエクレットは、数日もすれば話を聞いてもらえるだろうと思ったのだが。


 もともとこうと決めたらてこでも動かない桜花は聞く耳を持たないままで、毒味をして見せても食事を取らず、飲み水の代わりに垂れる雨水を啜るほどの拒絶を示したのである。


 大事な人質に死なれては困るため、様子を見に来た高司教が二度ほど無理やり魔法で癒しているが、やせ衰え低下していく体力とは裏腹に眼光は鋭く殺気は増大を続けており、まともな会話などできないまま時間だけが過ぎていく。


 侯爵も愛娘を取り戻そうと動いているだろう。

 しかし未だ外部から隔離されたままであることから、期待はあまりできそうになかった。


             ◇


(大叔父様……お兄さま……)


 悔恨の涙も枯れ果てた桜花はもともと、刀術ではそれなりに名の知れた道場に入り浸りの大叔父っ子だった。


 匠位の大叔父に対して祖父は文官派閥で頭角を現しており、次男の傍流でありながら本家と同じ侯爵になるほどだったが、その分忙しくて補佐役の息子とともに城から出てこない日も珍しくない。


 家は隣同士で年齢も近かった事からはとこを兄様と慕い、手習いを抜け出しては一緒に道場で木刀を振り回していたのである。


 桜花の才能を見いだした大叔父は彼女をたいそう可愛がり、面白がっていろいろと教え込んだ。


 当主がそうなので誰も口出しできないまま数年が経ち。

 十二を過ぎて家庭教師をつけられたころにはさすがにじゃじゃ馬はなりを潜め、学業や手習いに打ち込むようになった。


 葛葉本家の跡継ぎであり、道場で頭角をあらわすはとこに釣り合いたかったのか。


 また別の想いがあったのかは語られていないが、数年もすれば見た目麗しい三神撫子としてどこの貴族に嫁に出しても恥ずかしくないとまで言われるようになったのだ。


 しかし政略結婚させたい祖父と、娘はどこにもやらぬと言う父の骨肉の争いが激しさを増した頃に起こった邪竜襲撃がすべてを狂わせた。


 騎士団も冒険者も傭兵も道場主もない、王都の全戦力を投入しなければならなかった戦いで大叔父、従兄弟違い、はとこは帰らぬ人となる。


 師範代も軒並み戦死してしまったため、道場は閉鎖。


 移住してきた中の主流が途絶えてしまったため、傍系だった祖父が繰り上がることになったのだが、激務に次ぐ激務で身体を壊し翌年に病没。


 残された父は血反吐を吐くような思いで王都の安定に力を尽くす一方、一人娘を箱に閉じこめるような言動を繰り返すようになっていく。


 そんな中、桜花は葛葉家の者として、侯爵家の者として自分になにができるのかを考えた。


 死人にくちなしとばかりに生き残った他の道場が大叔父たちをこき下ろし、虎視眈々と入れ替わりを狙う貴族たちに没落を願われ、ちょっかいを出されながら尻の青い小娘なりに悩み抜いた末。


 刀で身を立てて前例のないことを成し遂げれば流派の名声となるだろう、それが国のためになれば葛葉家の権威となるだろうと思ったのだ。


 そして人手不足と言う止むに止まれぬ事情や、冒険者となって飛び出されるよりはと考えた父親の工作もあって、困難と差別を乗り越えた彼女は王国初の女性騎士になり、その実力で親衛騎士へ推挙されるまでになる。


(―――やっと……やっと、ここまで来たのに…どうして……)


 信頼していたエクレットに裏切られたことも、それを見抜けなかった自分にも腹が立って仕方がない。


 なによりも、身内の暴走で積み上げてきたものがすべて崩れ去ろうとしている事実が我慢ならなかった。


 どれだけ体力を失おうとも怒りだけは収まらない彼女が歯噛みしていると、突如、轟音を立てて天窓が蹴り破られる。


「―――は!?」


 試してはいないが鎖や鉄格子同様、脱走防止のため魔法で強化されているはずなのに、というより固定のための枠や周辺の石ごと抜けていた。


 それに消耗しようとも研ぎ澄まされた感覚は気配の接近を見逃さないはずなのに、今の今まで真上に誰かがいることも分からなかったのだ。


 採光のためのガラスは木っ端みじんに砕け、ひしゃげた残骸がガシャンと床に落ちる。


 二重の意味で度肝を抜かれた桜花がふらつきながらも立ち上がると、踏み抜いた足が引っ込んで、雨風とともに滑り込んできた人影がしれっと言った。


「おひさしぶりです桜花さん。ああ、音なら遮断してあるので声を出しても大丈夫ですよ」


 そうじゃなくて、とか。

 どうやってここに、とか。

 音の遮断ってなに、とか。


 言いたいことが多すぎて口をぱくぱくさせる桜花に歩み寄ったリョウは、足をつなぎ止める頑丈な鎖を見るやこれも『開鍵(アンロック)』はいらないな、と呟いて。


(えーーー!?)


 メキッと無骨な破壊音とともに解放された足を見ても現実感などあるわけがない。


 半ば強制的に張りつめていたものを途切れさせられてしまい、ぺたんと座り込んでいたら眼前に霊薬が差し出された。


「念のために確認しますが、桜花さんはシスティーナの味方ってことでいいですよね?」


 違うと言ったらこの瓶は引っ込められてしまうのだろうか。

 中身が安全な保証もないが、飲むべきなのだろうか。


 混乱する桜花が硬直しているので、呑むためとはいえ急ぎすぎたかと眉を動かしたリョウは栓を抜いた瓶を手に握らせながらゆっくりと言った。


「俺はシスティーナの味方です。いろいろ質問もあるでしょうが、まずはこの霊薬で体力を回復させてください。見た感じ、ほとんどなにも食べていないのでしょう」


 頭が回らないのは栄養不足のせいもあるだろう。


 手の中の瓶を見下ろす桜花はなにやら考え込んでいたが、そもそも丸腰で衰弱した自分では逆らいようもないと気づいたのか一気に飲み干した。


 薬効の輝きが消えたあと。

 すさまじい空腹感と精神的疲労はあるものの、体と頭が軽くなった桜花は助かったと頭を下げる。


「……ありがとう、楽になったわ」

「いえ、怪我なくてなによりです。見回りが次にいつ頃来るかわかりますか?」


「そんなものこないわ。エクレットが食事を持ってくるぐらいよ」


 その夕食も木製のトレーにのったまま冷え切っていた。


 塔の出入り口には人が居たものの内部はがらんどうなので、手が足りてないのか牢屋の強固さを信じているのかは定かでない。


 見張りを誤魔化すための準備が無駄になってしまったが、それならそれでいいかと頭を切り替えたリョウが問うと、孤立無援の状況から解放されて少しだけ余裕のできた桜花は肩をすくめる。


「エクレットさんが外ということは、あの日桜花さんが集会所から消えた理由も……」

「ええ、お父様と繋がっていたみたい。そこをフォートに邪魔されたって言っていたわ」


「では彼女も外に?」

「出られないみたいね」


 なるほど、とうなずいた少年が取り出した手帳に書き留めるのを見ていた桜花は、変わらない様子に相変わらずねとつぶやきを漏らす。


 事前情報通り葛葉侯爵に対する人質なのだろうと判断した彼は、立ち尽くしている女性に視線を戻して話を進めることにした。


「何か聞きたいことはありますか? それともまず俺から説明しますか?」

「正直、なにから聞けばいいのか……」


 エクレットやペテロ以外の誰とも接触しておらず、情報から遮断されて長い彼女がそう言ってうつむいたので、分かりましたとうなずいたリョウが襲撃の夜からの流れをざっと説明すると。


「魔法騎士!? 君、理力魔法まで使えるの!?」


 どうやってここまで来たか、音の遮断とは何かと言う段になって、桜花は素っ頓狂な声を出した。


 囚われている間に最低最悪の想像もしていたため、ギルモア達の戦死やフォートの裏切りもあり得ることとして飲み込めた。


 しかし目の前の少年が実は魔法まで使えるなんてさすがに思いもしなかったのだ。


「そう言うことです。向こう側の魔法使いは排除済みなので、このまま桜花さんを連れて抜け出すことも簡単でして」

「頭が痛くなってきたわ……」


 花園の者達がしばらく前に感じた衝撃を矢継ぎ早に詰め込まれては仕方がない。


 汚れ放題の髪に手をやった桜花は常識と非常識の狭間でしばらく唸ったあと、まともに考えても無駄なのだと気づいて大きく息を吐き出した。


「正直理解は追いつかないけれど。裏切り者を処刑して、汚名返上の場を与えられるってことでいいのよね?」


 彼女にとって大切なのは葛葉の家名と流派を汚さぬことである。

 まずはエクレットからだと殺気を漲らせたら、腕を組んだリョウがうーんと唸った。


「うーん? エクレットさんも侯爵の命令に従うしかなかったのでしょう。処罰はあるでしょうが殺す必要はないのでは」

「なにを甘いことを! 親衛騎士の業務妨害は重罪なのよ!?」


 見習いに粉をかけて出入り禁止を言い渡されたどこぞのお嬢様とは訳が違う。


 彼らの活動が王族の安全に直結している以上は当然の措置であり、故意に薬を盛ったとなれば王族へ危害を加える意思ありと見なされ死罪は免れない。


 しかし、大事にするとエクレットばかりか父親と一族まで巻き込むことになるとリョウは言った。


「そこをつつくと指示を出した侯爵も対象になりますよ? ただでさえ共和制提議に賛同してますからね、爵位剥奪では済まされない大事になりますが」

「そ、それは……」


 葛葉の名が逆賊の仲間入りをしてしまったら、自分がいくら騎士として汚名を返上したところで意味がない上、三神にある総本家にも迷惑がかかるだろう。


 王女の復権は喜ばしいことだが、結果として葛葉の終焉を招くことに気づいた桜花がどうすればいいのか分からずに立ち尽くしていると。

 少し考えたリョウが踵を鳴らして敬礼をした。

 

「桜花=葛葉!」

「は、はいっ!?」


「神竜騎士団長リョウ=D=イグザートの権限により、貴君を新たな親衛騎士団に迎える! 以降は奪還作戦に加わり、女王のために戦え!」

「はいっ!」


 ギルガメシュ同様、ためらう彼女に必要なのは騎士としての命令なのだ。


 それが分かったリョウが団長として言うなり、反射的に敬礼を返した桜花の表情が一変する。


「簒奪計画の中心人物とおぼしきワール公、バストゥーク主計長、ハーヴ高司教、マッセ第二騎士団長以外の者は、抵抗の意思がなければ極力殺さずに捕縛するように!」

「了解です!」


 エクレットや葛葉侯爵を王国法や親衛騎士の権限で裁くことは簡単だった。


 しかしこの国の未来に害をなす邪悪でないかぎり、罪人として裁く強さを見せるか、猶予を与える優しさを見せるかは王者が決めること。


 たとえ膨大な手間や危険があるとしても命の可能性を知っている以上、機会を与えるのも悪くないとリョウは信じているのだ。


 ただ二度目はないし、大切な人を傷つけたり傷つけようとしたら即座に苛烈な対処が行われるのは変わらない。


 その線引きがはっきりしているせいなのか、いろいろなやっかいごとに巻き込まれて鍛えられたのかは分からないが、彼の邪悪を見分ける目は確かだったりする。


「……もしかして、気を使わせちゃった?」


 桜花は頑固一徹を地でいくが、決して頑迷固陋ではない。


 もはや騎士としてやるべきこと、やれることなど決まりきっているのに家のことを思って思考停止していたら、背を押されたと分かったのである。


 しかし、なんのことでしょうと肩をすくめたリョウは、話を続けますと道具入れに手を突っ込んでしまう。


「俺は一度、城の最上階に忍び込んできます。その間に桜花さんは準備を整えておいてください」


 主目的はモニクの手が回らない侍女たちの安全確保及び情報入手だが、もしワール公やバストゥークが近くにいるようならその場で決着をつけるつもりだった。


 忍び込むってどうやってと疑問に思った桜花はしかし、目の前にあれこれと並べられてその問いを口にする余裕がなくなってしまう。


 なにしろ一番最初に出てきたのはなみなみとお湯の張られた猫足のバスタブであり、冷たい牢屋内に立ち上る湯気は違和感しかなかったのだ。


「風呂とお湯、手ぬぐいにセッケン、着替えに装備、それからサーコートと……」

「ちょ、ちょっと、なにこれ!?」


「こっちの大瓶にもお湯が入っているので足りなければ使ってください。少し熱くしてあるので火傷に気をつけて」

「湯浴みするの!? ここで!? そんなに私臭い!?」


 垂れ流しだったわけではないものの、臭いが気にならないと言えば嘘になる。


 だとしても、まもなく激しい戦いが起こるのに入浴なんてしてていいのかと興奮気味に言ったら、その余裕が役に立つかも知れないとリョウは言った。


「まず、行動開始までには時間があります。そして桜花さんが整った格好で伏兵になれば、人質だったことを知る者はどう思うでしょうか」


「……だいたい二種類の反応に分かれるんじゃないかしら? 君を知らない者ならわざと捕まっていたとか、内通者が居たとか考えそうね」


 そしてリョウを知る者は、またあの非常識が何かしたのだと思うだろう。


 桜花はそこで先ほど説明を受けた基本方針を思い出し、なるほどと頷いた。


 何日も幽閉されていたはずの自分が颯爽と解放軍に加われば、城内も王女の手中だったのだと思う者は少なくないはず。

 

「ああそうか、基本は全部王女様の策だったことにするんだっけ」

「加えて、葛葉侯爵を恩を売れればなと」


 静かな牢屋にはっ、と息を呑む音がした。

 少年の言う恩が、恩義だけでなく恩赦も含んでいると分かったのだ。


「……リョウ君は……葛葉を、助けて…くれるの?」

「侯爵の出方と、システィーナの判断次第としか言えませんが」


 ただでさえ大臣や主計長といった主要文官の処刑が避けられない状況である。

 

 共和制提議に関係した貴族全員を処罰していたら国政が回せなくなるのは確実だが、足元を見られて泣く泣く見逃すのと、文官長に首輪をつけられるのでは地盤が違う。


 どのように再編するのかはシスティーナの自由だが、リョウはなるべく有利で多くの選択肢を残してやりたかった。


「それでもいい! 可能性があるだけで十分よ!」


 誰の都合であれ、崖っぷちから二歩ほど飛んでしまった葛葉が救われるかもしれない。

 

 桜花の離脱は侯爵の利己的な行動がきっかけではなく、女王によるなんらかの策だったことにしてやると手が差し伸べられるのなら。


 葛葉の家と流派が守れるのならば何だってすると意気込むなり、そのためには何か足りませんかと腹が苦情を申し立てた。


 ぐぎゅるるる、ぎゅるるるる、と言う音が牢屋内に響きわたって数秒。


 硬直していた桜花は腹を押さえてしゃがみ込み、真っ赤な顔でこれは違うと繰り返す。


「こ、これは違うの! 違うって言ったら違うの! こんな……うわああああん!」


「食べてなかったんでしょう? 別に恥ずかしいことではありませんよ」

「三神では武士はくわねど高楊枝っていうの!」


 騎士や、並の貴族以上に体裁を重んじる彼らの精神を受け継ぐ彼女が涙目になっていると、リョウは温かい弁当を取り出して微笑んだ。


「脂っこいものだと胃がびっくりするから簡単なものにしておきましょう。味噌汁もありますよ」

「……君はいつも余裕だね。私の方がお姉さんなのに……」


 お色気以外ではまったく揺らがない少年が相手だと小娘の気持ちになってしまう。


 その姿にいつも鷹揚で男女分け隔てなく接してくれた大叔父が重なってしまった桜花は、忘れていたものを思い出したような気がして胸に手を当てた。


「そちらのサーコートはあとでアントンに送るので、危険のない範囲で汚さないよう気をつけて。だいたいの事はこれにまとめてあります、読み終わったら焼いてしまってください」


 渡された紙束には時間ごとの各部隊の動きや役割などが詳細に記されている。


 ぱらぱらとめくった桜花は緻密な内容に感心していたのだが、火の気のない牢屋内を見回したリョウが火鉢までとりだしたので思わず呆れ声をだしてしまった。


 まったくこの少年ときたら、暗く冷たい牢屋を快適空間に変えかねない。


「それ、なんでも入ってるんだねぇ」

「なにがあってもいいように町で買えるものはだいたい入れてありますから」


 何回か壊したり交換されている彼の魔法の道具入れホールディング・バッグだが、今使っているのは遺跡で拾った容量不明のものになる。


 通常品と異なってかなり余裕があるとは言え、忘れたら取り出せなくなる道具入れにあれこれと詰め込んでおけるのはひとえに細かい台帳管理があってのことだろう。



 ―――ちなみに。

 古代魔法文明期には魔石を補充したり循環機構にスライムを入れたりすれば保温や浄化が働いて二十四時間入浴可能なバスタブなんてものも存在していたらしい。


 魔法の使える使えないで差別が行われる前、文明の創設当初はそういった革新的な道具や技術が多く世に放たれて人々の暮らしが激変していったそうだ。


 それが百年経ち、二百年経つうちに上級民族を名乗りはじめ、三百年を過ぎる頃には下級民族をゴーレム兵団や人型兵器で蹂躙して圧制を敷くようになっていったのである。


 果たしてそれが、言語や通貨を統一し、便利な技術や道具を作り続けた魔法文明創設者の遺志だったのかは今も分かっていない―――

いつもお読みくださってありがとうございます(´・ω・`)

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