第十節 継承と新生⑩
(なんだ……!?)
先に戻っていたギルガメシュは壁の向こうから近づいてくる気配に驚いてしまった。
時間が余ったので目を閉じて精神を集中させていたのだが、ゆっくりと広がっていく探知網にとてつもない密度を持つ強大な何かが踏み込んできたのである。
強力な外敵でも入り込んだのかと、人とは思えない未知の存在に身構えていると。
開いた扉から入ってきたのが手に何かを持ったリョウだったので、君か、と無意識に冷や汗を拭ってしまう。
「ギルも出られるようだな」
「ああ。王女様の準備は終わったのか?」
「やれるだけのことはやった。レオナさんにも装備できそうな物を貸してきた」
話しているうちに気配が戻ったリョウの私物は部屋になく、もともと見回りにでていたので剣は持っている。
制御室を制圧するまで物音を立てやすい金属装備をするつもりのなかった彼はギルガメシュの装備も再確認したが、アーレニウス達同様に追加できそうなものは思いつかなかった。
別に在庫がないわけではない。
魔法の指輪一つとっても木箱に詰め込まれていたものから、いかにもといった水晶の箱に飾られていた―――番人たちとの戦闘で入れ物はだいたい壊れてしまったが―――ものまで大量に持っている。
彼が保持するすべてを使えば凄まじい数の魔法の装備で固めた強力無比な兵団を作り上げ、古代魔法文明の再来と言わしめることだって容易いだろう。
―――ただし鑑定できていれば、の話になるのだが。
強い力を持つ道具ほど鑑定を阻害されていることが多く、効果を知るには魔法強度で上回る必要がある。
魔法の修行を中断していた今の彼には太刀打ちできないものがほとんどで、かと言って学院に依頼すればとんでもない数の魔具を持っていると知られ面倒を呼び込んでしまうことになる。
また、装備しただけでは使えない物があるほか、多大な消費や強烈な代償、凶悪な副作用を装備者や周囲にもたらしたり、呪いがある物も数多く存在するため、未鑑定品を試しに装備してみる危険を犯すわけにも行かなかった。
(鑑定の魔法だけでも修行を続けておけばよかったな)
ギュメレリーに来てから急に守りたいものが増えてしまったリョウは改めて、魔法の修行の必要性を感じたものの、今さら言ってももう遅い。
今の最善で臨むしかない、と切り替えた彼は団員用の一着をギルガメシュに差し出した。
「ガーネットたちが頑張ってくれた。ありがたく着ていこう」
「これは新しいサーコート!」
立場を示すものを身につければ自然と注目が集まり、それに相応しい言動が求められるのをこれまでに何度も実感していたギルガメシュは、剣や鎧を身につけるのとは別の緊張に声を漏らしてしまう。
「身が引き締まるな……」
しかも、よりによって神竜の騎士団である。
民衆に見られ、敵に狙われ、味方の期待と責任とともに背負わなければならない看板が余りに大仰すぎて、後込みしたくなる気持ちがないと言えば嘘だった。
(もしかして、君も緊張していたのだろうか?)
団長用のサーコートを羽織ったリョウも内心では冠名に重圧を感じていたのかもしれない。
先ほどの気配をそう理由づけてみたギルガメシュは、僕も負けるものかと気合いを入れて移動を促す。
「いよいよだ! 行こう!」
最後にもう一度忘れ物がないかを確認した二人が部屋を出るなりの事だった。
「第一騎士団、いつでも出撃可能であります!」
まだ十九時を回ったばかりだと言うのに、完全装備の騎士たちがずらりと通路に並んでいて一斉に敬礼してきたのである。
なにやら大勢集まってきている気配は感じていたものの、全員が準備を終えているとは思わなかったリョウは左右を見回して眉を動かした。
「気合い入ってるなあ。皆が動くのは零時前なのに」
第一騎士団から会議に出席するのは、団長に昇格済みのゴライアスと各部隊長、それに伝令係が六名のはず。
他の者は二十時まで完全休養だったのだが、居ても立ってもいられなくて準備してしまったのだろう。
「他の方々もすでにお集まりになっておられます!」
「えっ、僕たちが最後なのか? みんな早くないか!?」
「俺たちも行くところだったし、人のことは言えないけど。とにかく行ってみよう」
驚いたギルガメシュとリョウが足早に作戦室に向かうと、確かにシスティーナ以下の面々が準備万端で待っていた。
「団長様、おっせーよー」
からかうアーレニウスは先ほど渡されたサーコート姿であるし、カッツとレオナもリョウから配られた小綺麗なローブや法衣を身にまとっている。
身だしなみを整えたガーネットもすでに居り、通路では他の三人が聞き耳を立てていた。
「どうしてみんな早いんだ」
「そりゃー、やる気マンマンの団長様を見たからに決まってるじゃんよー?」
アーレニウスがサーコートを渡されたときのことを言うと、レオナやカッツもうんうん頷いた。
騎士たちが早まったのは、司令室に向かうシスティーナや、装備を配る彼を見た者から熱が伝わったからなのだ。
自分が主因と思っていなかったリョウがそんなに垂れ流しだったのかと眉を動かしていると、ゴライアス達が下座に着席し、伝令が壁際に整列したのを見計らったアーレニウスから開催を促される。
「ナンにせよ、揃っちまったんだから始めましょーや」
「そうするか」
同意した司会者が定位置に向かい、上座に座る主君の神々しさに見とれていたギルガメシュもあたふたと続いて全員が揃う。
開け放しの扉からは所狭しと通路に並ぶ騎士たちが見えているので、なるべく大勢に声を届かせようと息を吸い込んだリョウが全員を見回して直前集会が始まった。
「ではこれより、計画名『青のグラジオラス』最終確認会を始める!」
「いつ計画名決めたんよ?」
「少し前だ」
「今朝までなんもいわねーから、特にねーんかと思ってたわ」
確認と言ってもすべて詰め終わっており、ただシスティーナの話を聞くために集まったようなものである。
花園だから花なんかとアーレニウスが口を挟んだら、ゴンっと音を立ててテーブルを叩いたゴライアスから感嘆の声が漏れた。
「密会、用心……そして勝利。それが、グラジオラスの花言葉であります」
「花園作戦の締めに相応しいですね」
いち早く気づいた園芸騎士の補足で納得の空気が漂い、にっこり微笑んだレオナがいいのではないでしょうかと同意を示す。
青がなにを意味しているかは言及するまでもないだろう。
リョウ以外の全員が目を奪われたそれは、いまもシスティーナの首で燦然と輝きを放っているのだから。
「ちーっとばかり乙女趣味がすぎっけどなー、ハハハ!」
別に参加者全員の合意が必要なわけではなく、作戦名や計画名の決定権は最高武官である彼が持っている。
だから問題はないのだが、まさかの花言葉かよとアーレニウスは大笑いだし、ギルガメシュも苦笑いなので咳払いをしたリョウはさっさと続けることにした。
「まずはこれまで失われてしまった命に黙祷を捧げよう。正式なものは後日になるが、トリオーン様を始め悪意に飲み込まれてしまった命に。そして悪意に抗い、我々に希望を繋いでくれた命に。黙祷!」
(お父様……)
(父上……)
(団長……)
(アントン……)
目を閉じた者はもう戻らない大切な人たちの冥福を祈った。
約一名、行方不明の兄は死んでいないと信じている騎士だけが憮然とした表情で口をとがらせていた。
一分ほど厳かな時間が流れた後、終了を告げたリョウが改めて訓辞を願う。
「では女王陛下。お願いいたします」
王女ではなく女王。
彼女はもう継承者ではない、主権者なのだと暗に含ませた言葉でその場全員の目がわずかに見開かれた。
しかし周辺の空気がかすかに揺らぐも、すぐに静謐な沈黙が満ちてその事実は受け入れられる。
とんでもない装備にも見劣りしない、目に見えない何かを彼女は身につけた。
あとは王座を取り戻すだけであり、ここはそのための場なのだから。
「今―――」
椅子を立った女王はテーブルの一人一人と視線をあわせてから口を開く。
「私がこうしてここに居られるのは、数え切れないぐらい大勢の力を借りてのことです。その助力、忠誠に報いるためにも、私が王座を取り戻したならば必ずやこの国を……ギュメレリー王国を、前よりも平和で、皆の笑顔が溢れる国にする事を誓います。ですから今しばらくあなたたちの力を貸してください」
口にするたびに固まっていく想いはすでに、確固たる決意になっている。
強くなければ安全は得られず、豊かでなければ安定は得られず、口先だけで安寧の未来をつかむことなどできやしない。
それでも、そんな国をめざし続けることが私の生き様なのだと断言した女王に、その場の全員が大きく頷いた。
「また、上からの命令に従っているだけの者や、無抵抗な者を必要以上に傷つけてはなりません。彼らは自分の騎士団に忠実だったり、騙されているだけなのです。……そうでない者もいるかもしれませんが、それは後日にしましょう。上から下まで文官武官に限らず、値しない者に資格を与えておくほど私は甘くありません」
以上です、と腰を下ろす衣擦れの音が目立つほどの沈黙で、彼らがどれだけ真剣に自分の話を聞いてくれていたか分かる。
確認会はそれで終わる予定だったが、女王がこの期待に応えなきゃとテーブルの下で拳を握りしめていると、突如立ち上がったアーレニウスが団長様からもお願いしますと振った。
「時間もあることですしー? 団長様からも一言おなしゃす!」
「じゃあ、簡単に」
いきなりことにも動じない少年が椅子を立つと、先ほどとは別の緊張が大勢を包み込む。
花園では規格外が共通認識となっている彼が何を言うのかと、興味をそそられた騎士は多かったのだが、内容は無難で奇をてらったものではなかった。
「―――とうとう、今日と言う日が訪れた。ワール公の暴虐を阻止し、王座を正統な主権者の下へ取り戻すために我々は花園に籠もった。 ……戦いは目の前だ。だが、命を懸けることと捨てることは別だと言うことを決して忘れないように。花園作戦が終わったとしても、貴君らには平和を守り続けるという次の作戦が待っているのだから」
(さすがの団長様もこんな時は普通かー)
すごい鼓舞で志気をあげたりするんじゃないかと期待していたアーレニウスは、無茶ぶりがすぎたかと残念に思ったのだが。
「今回の計画―――」
突如声色も、雰囲気も、視線の強さも、すべてが別人のように切り替わって驚いた。
決して威圧と言う類のものではない。
恐怖や不快感を感じさせるものではなかったが、その場の全員が、システィーナさえも呑まれて呼吸すら忘れそうになったのである。
「みんなはシスティーナを守ってくれ。この国の未来は、俺が必ず切り開く」
十秒にも満たない間に垣間見えたのは、騎士団長ではない別の何かだった。
いち早くそれを理解した女王がギュメレリーを頼みます、と頭を下げたのをきっかけに各自の硬直は解けていったのだが。
(くそ、なぜだか落ち着かない)
静かに言い聞かせるような話し方だったのに、気持ちが高ぶって仕方ないギルガメシュが身じろぎすると、アーレニウスも同様だったらしく足を組んだり髪を触ったりと落ち着かない様子でいる。
レオナは自然に手を組んで神に祈っていたし、珍しくエリザベスから手を離したカッツも目を閉じて理想の教えを思い返していた。
ゴライアス達も鳥肌や武者震いが止まらないようで腕をさすったり足踏みしており、ガーネットはまたすごい場面を見てしまったと妹の嫉妬を心配してしまう。
「ほかに何もなければ閉会とする。俺はそろそろ出るが、落ち着かないならみんなも持ち場につくか?」
まだ夜八つの鐘も鳴っておらず、部隊によっては四時間ほど暗く寒い雨水渠で待機することになる。
防寒具があっても消耗するだろうし、待てるなら花園の中に居た方がいいのは間違いない。
しかし、はちきれんばかりに高揚した勢いを削ぐのももったいないので尋ねてみると、テーブルの全員が立ち上がって頷いた。
「次に全員が集まれるのは祝勝会になるだろう。そのとき誰も欠けてないように。―――総員! 青のグラジオラスを発動せよ!」
ならば始めようと、リョウの大号令に応えた全員の敬礼が一つになった。
このときばかりはレオナやカッツもそれに加わり、ガーネット達も、システィーナも敬礼した。
「神竜騎士ギルガメシュ=V=フォレスト、出撃します! 陽動部隊は続けっ!」
「はっ!」
二十三時半から王都を駆けめぐり、哨戒部隊を無力化しつつ、地方領主たちの順次解放を担う彼らは水門から地上に出て外郭門よりアトゥムへ突入する。
なるべく多くの敵を引きつけ、制圧することが次に行動する女王の安全につながるのだと気炎をはいたギルガメシュ達がまず作戦室を出て行った。
「護衛部隊を残して持ち場につけ!」
「裏門防衛隊、出ます!」
「城門防衛隊も行きます!」
裏門を防衛する部隊は城から見て北に。
本隊が城に突入する前に大通りを制圧し、その後城門を守る部隊は南東と南西に散っていき、塔盾を持ったゴライアスも加わって花園内の人数はどんどん減っていく。
見送る側も、見送られる側も引き締まって良い表情になっていた。
あのとき絶望に濡れそぼっていた心は今度こそ、煽動によってではなく、鋼の忠誠心と未来への希望で燃えさかっていたのだ。
―――王国歴百六十二年不死鳥の月三十日。
後のギュメレリー王国史書に書き連ねられている賢女王内乱記において、その日は次の一節で始まっている。
『運命の夜、アトゥムには強い嵐が迫っていた。
ときおり強い雨を降らせる暗雲が空を走り、町には横殴りの強風が吹き荒ぶ。
しかし女王様とともに花園を出た私には、そのお心に欠片の不安もないと分かっていた。
なぜなら左手には取り戻した王者の盾が。
右手には、未来を切り開く英雄の剣が握られていたのだから』
添えられた挿し絵では、白銀の鎧と青い首飾りを身につけた少女が、風になびく国旗を背に剣と盾を持っていた。
一角獣の国旗には、翌年から加えられることになったグラジオラスの花も描かれていた。
今年もお読みくださってありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
次回より十一節に入ります(´・ω・`)