第十節 継承と新生⑤
「ったく、ギルはギルで日に日に強くなりやがってよー」
不死鳥の月二十五日の午後三時頃、乱暴に開かれた扉から声と剣が投げ込まれた。
声は大げさなため息で途切れたが、ベッドに向けて飛んだ剣のほうは鞘と刃がぶつかり合ってガチャンと金属音を響かせる。
「むぁっ! 敵襲か!?」
魔符の制作に疲れてひっくり返っていたカッツが騒音に驚いて飛び起きると、おでこに乗っていたエリザベスが転がり落ちてベッドに跳ねた。
「……道具は大事にしたほうがいいぞ」
「すんません」
隣のベッドを横目で見た彼が言うと、寝ていたことを知ったアーレニウスは良くなかったと頭を下げる。
蝶番に錆が浮いており、ギギィとやかましい扉が閉じられてしばし。
文句を言うように明滅しているスライムを踏まないよう、気をつけながらベッドを降りたカッツは魔法の明かりを天井近くに浮かべた。
「焦っているのかね」
「……焦りっつーのかわかんねーんすけど……」
苛ついていた自覚のあるアーレニウスはどっかり腰を下ろすと口を尖らせる。
「剣は、学もねー平民上がりの俺が唯一自慢にできたコトなんすよ」
「リョウ君と自分を比べてもなにも良いことはないぞ。人がドラゴンに戦いを挑むようなものだ」
「そういう導師はどーなんすか。あんにゃろう、魔法まで使いやがりましたぜー?」
「王女様が望むなら、喜んで学院長や魔導師長の座を差し出すとも。その分研究に専念できるしな」
無詠唱で自己変化を使ったことに加え、システィーナやレオナから遭遇戦の話を聞いて、彼の魔法使いとしての実力が自分を上回っているとわかったカッツはそう割り切っていた。
そもそもたまたま魔力があって、なんとなく受けた昇格試験に合格して魔導師位になってしまい、家柄やほかの候補が居なかった関係であれこれやらされているだけなのだ。
他の魔法使いに聞かれると面倒なのでおおっぴらに言わないが、本音を言えば錬金術やスライム研究に没頭していたいに決まっている。
裏を返せば片手間で魔導師になってしまった彼は十分天才の範疇に含まれる。
理力魔法にかけた時間は平均的な魔導師の三分の一以下であり、一本化していたら今頃は大魔導師になれていた可能性だって高い。
だがそれ以上に錬金術の才能とスライム愛に満ちあふれており、いくつもの実績があるからこそ言える余裕でもあった。
「導師は錬金術とスライムもあっからなー」
「フフフ。こちらはそう簡単に譲るつもりはない」
多才で羨ましいっすわ、と肩をすくめたアーレニウスとて凡人とは言い難い。
むしろ剣を握ってからわずか数年、町道場の師範を余裕で追い越して親衛騎士になるなどギルガメシュもびっくりの成長力であり、彼もまた天より才を与えられた者なのは間違いないはずだ。
今は相性のいい師がいないために行き詰まっているが、まだまだ伸びしろは残していると思われる。
縁故や派閥が重要な文官と異なって、実力がなければ決して城に招かれることはないこちら側はほとんどがそういった一流以上の人材なのだ。
緊急事態のいま、そんな彼らを、しかも多方面で凌駕する少年が非常に心強いのは確かなのだが。
王城奪還、王女復権の可能性が見えてきたからこそ、その後のことを思って陰鬱な気持ちになってしまう。
「コトが終わったら、ぜってー貴族連中がリョウに付きまとうはずなんすよ。前みたいに食われたい娘だけじゃなくて、むっさいオッサンがチヤホヤヘコヘコと」
「……なるほど、派閥争いか」
言われてみれば、王女の覚えめでたい彼が事後の勢力争いの中心になるのは間違いない。
処分確定のワール公派は無論、ギルモアやアントンを失い、フォートが裏切った武官最大派閥も力を失った。
共和制に同調した葛葉侯爵派も弱体化は免れず、虎視眈々と勢力拡大を狙う中小派閥はこの機会にのし上がろうとあれこれ画策するだろう。
「しかもカネまでありますからねー。魔法の武器がほしい武官は尻尾をフリフリ、金のにおいをかぎつけた商人もお近づきになろうと濠の回りをウロウロするんじゃねっすか」
「あり得る話だ。せっかく平和を取り戻しても、次は腹黒貴族の陰謀が渦巻くかと思うと落ち着かんな」
城内の派閥にはあまり関わらないカッツですら悪寒を覚えるほどなのだ。
以前のような王都のイグザート旋風という規模では済まされず、国内すべてを巻き込んだ権謀術数まみれの台風が吹き荒れるのは想像に難くない。
「別にあいつが持ち上げられるのはいーんすよ? ただ『イグザート卿に比べてキンディ卿は』って比較対象にされっとうざいんすよねー」
不躾な相対評価で誰かを持ち上げたり見下したりするのは貴族達の得意技だ。
そんな評価に何の意味があるのか分からないし、きっとリョウは気にもとめないだろうが、彼に対しても回りに対しても、ギルモアに遠慮して保たれていた距離は失われることだろう。
「冒険者上がりの後輩が相手では立つ瀬がない、と言うことかね?」
「そーっすよ。最年少入団記録もギルに取られちまったし」
剣の腕まで追いつかれたら引退も覚悟っすわ、と自嘲するアーレニウスが敵対派閥の貴族達に平民上がりと蔑まれていたことはアントンから聞いている。
ギルモアは―――おそらくはトリオーン王も―――親衛騎士にもっとも必要なのは剣の腕であると知っていたため、平民上がりや女が混じると親衛騎士団の品格がどうのと言う雑音は無視していたのだが、本人は意外と気にしていたらしい。
「俺に言うならまだしも、団長とかアイーダにまで絡むんすよあいつら。桜花はガン無視だし、葛葉のジジイが後ろについてっからこっちに集中するんすよねー」
困ったもんですわと肩をすくめるキンディ男爵家当主が、同じか、それ以上の攻撃対象でありながら毅然とした態度を崩さない桜花にぞっこんなのも、もしかしたらそのあたりが一因なのではなかろうか。
優秀な後輩たちを妬んだり疎ましく思うのはお門違いで自分の問題だと分かっているが、唯一の売りがなくなるという焦り。
そして自分に対する揶揄や侮蔑、言いがかりが次の団長の重荷になるのではないかという不安。
それが分かったカッツは、魔符や魔法を込める前の白符が散らかるテーブルに手を伸ばし、飲みかけだったコップを掴むと十は年下の騎士に言った。
「君は君でよくやっているのではないかね。花園で指揮官として先頭に立ち、騎士やメイドたちを気にかける姿はさすが親衛騎士と思ったぞ」
その才能が自分に無いことぐらい分かっている。
集中するとすぐ周りが見えなくなる上に、他人とのかかわり合いに時間を取られるぐらいなら研究していたいと思ってしまうため付き合いも悪く、友人と呼べる相手はアントン一人だったほどだ。
学院の取りまとめをビカルドに任せっきりにして禁書の持ち出しを許してしまった今は、なおさらアーレニウスの面倒見の良さは強みだと思う。
しかし無意識にやっている本人はそう思っていないようで、珍しく赤くなると顔の前で手を振った。
「いやいやいやいや! 俺しかいなかったからっすよ!?」
「先の見えない状況であの日まで保ったのは、君が弱気を見せなかったからだろう」
「んなコトねーっすよ!?」
騎士を目指す前はかなりやんちゃで、第二騎士団時代も王都のあちこちに彼女がいたアーレニウスは、二股どころか五股がばれた修羅場でも取り乱さなかったほど肝が太いはずなのに。
明らかに挙動不審で立ち上がると角の水差しをひっつかみ、器用にもコップを使わず直接口に流し込もうとして―――当然のようにむせた。
「俺おだてたってなんもでねーっす!……ゲフォ!?」
豪快に噴き出して胸までびしょぬれ、思わず手放した水差しが床に跳ねるとけたたましい金属音とともに水たまりが広がる。
「ギャフッ! カハッ! オエッ!」
「くっくっくっ、そんなに照れなくともいいだろうに」
よほど変なところまで入ってしまったのだろう。
親衛騎士団史上類を見ない不名誉な死因で冥界送りになりそうなアーレニウスが、上位巨人と相対したときよりも身近に死を感じたのははたして気のせいだったのか。
必死の彼が四つん這いになって鼻水や涎まで垂らす横では、まだ笑っているカッツがエリザベスを水たまりに転がしていた。
「水をやり過ぎるとゆるくなるんだが」
少し乾き気味のほうが弾力もあるし、さわり心地が良いのだ、などと言いながら水を吸って膨らんだスライムを持ち上げると、ようやく落ちついた顔に近づける。
「顔くらい拭きたまえ。それともエリーに吸わせるかね?」
「え……遠慮、しまっす」
「では濡れたところにあてておくといい」
勘弁してくれと首を振るアーレニウスも、アントンと飲んだときにつまみとして干しスライムを食べさせられたことはあった。
しかし生きている怪物を手ぬぐい代わりに、しかも顔になんて使う気にはなれず、袖で拭っていると濡れている胸元にエリザベスを押しつけられる。
むにょんと形を変えるスライムはしばらくもぞもぞ蠢いていたのだが、先ほどよりもゆっくりと水を吸い込むと服が乾いたところでべちょっと床に落ちた。
「ふふ、便利だろう? 最近ではメイドたちも洗濯に利用しているのだぞ」
「ソーナンスカー」
カッツはだいぶ膨らんで柔らかくなったエリザベスを持ち上げながら誇らしげにいうが、ガーネットたちも進んでスライムを使っているわけではない。
日の当たらない、水場の近いじめじめした地下生活で生乾きの洗濯物を何とかしたくて仕方なく、である。
ただ気持ち悪い上に怖いとしても便利なことは認めており、アントン担当だったキャロルなどは水を欲しがりそうなスライムを騎士たちに捕まえてもらうのも手間なので、絞ることはできないかとか塩をかけてみたらどうかとあれこれ試しているらしい。
今朝には鍋で煮ようとしてガーネットに止められたそうで、その話を聞いたカッツは見所があると大いに喜んだ、と言うのは余談である。
「原理は簡単だ。体組成の九割以上が水分であるスライムは、乾燥して水分が不足すると非常に高い吸水性を発揮するのだよ」
「スゴイッスネー」
彼が可愛がっているエリザベス同様、人里に生息する共生スライムは満腹なら大人しいもので、餌と水の管理をしっかりやれば特性を利用することは簡単だ。
ただ、長いこと腹を空かせているとその場にあるものを手当たり次第に食うように変異する可能性があるし、乾燥してくると水を求めてあっちこっちへ移動しようとするので注意は必要である。
「まれにだが、坑道や鉱脈の露頭に金属を食べる希少種が住み着くこともあるらしい。そいつを使えば、より安全に干物の脱水や乾燥を短時間で済ませることもできるはずなのだ」
「ヘー」
肉食でもできなくないが、多少食われて歩留まりが悪いはずだと語るカッツは、そこで一呼吸おいて生返事のアーレニウスを振り返る。
「……環境は不変でなく、そこで生きるものは常に何かしらの対応が求められる。人であれ、スライムであれ、それは同じだ。自分を変えずに回りを変えさせることなどよほどの強者にしかできやしまい」
「スライムと一緒にされっとビミョーなんすけど……」
「ではスライムより優れていると証明してみたまえ。彼らは自分を変えたり、宿主を変えたり、環境になじんだりと強かに生き抜いているぞ」
「導師と話してっと、ヤツらが究極生命体に思えてくっから困るわ…」
比べられるのは微妙だが、スライムの成長力や適応力を真似をしろと言われると難しい。
知恵の有無も怪しい粘液が、個ではなく種としては強者の部類に入ると感じたアーレニウスがつい漏らしてしまったら、動きを止めたカッツがその発想は無かったと目を見開いた。
「良いことを言うではないか!」
(あ、やべ)
「確かに、確かに! ドラゴンが完全生命体ならば対極に位置するスライムは究極生命体に他ならないだろう! この場合、究極とは―――」
「あー、あー! ヤボ用思い出したんでちょっと出てきますわ!」
ふとした一言でスライム狂の琴線に触れてしまったと、慌てて立ち上がったアーレニウスは投げ出されたままの剣も持たずに逃げ出した。
このまま残っていたら延々とスライムについて聞かされる。
女性が相手なら甘味や服装の流行から愚痴や泣き言まで、幅広く巧みな相づちを打てる彼であっても、訳の分からない理論や専門用語だらけのカッツに付き合うのは荷が重い。
「とっつぁんが死んじまったからため込んでんなー」
弟子でもとった方がいいんじゃねと頭の後ろで手を組んだのだが、他人の心配をしてる場合じゃねーやと苦笑してしまった。
「俺らもどーなんのやら」
王城奪還後の速やかな官職再編が王女の試練になるのは分かり切っている。
誰を選んでも微妙な次期団長の任命はもちろん、ワール公一派の粛清や大幅な入れ替えが必要な文官についても頭を悩ませているのは、雑談の態度からも明らかだ。
ただ、リョウは奪還戦に集中しているのか後のことについて自分から触れず、システィーナが相談しても具体的な回答をしていない。
他の者も口出しできる領域ではないと発言を差し控えており、アーレニウスに至ってはもしも自分だったらと考えるだけで胃が痛くなってくるほどだ。
地方騎士団から誰かを引っ張ってくるにしても問題は多く、かと言って空席のままでは王女の負担が増すばかり。
(団長からは頼むって言われたけど、なー?)
俺にゃムリだろ、と呟いたアーレニウスは桜花とギルガメシュもダメだよなと結論づけ、最後の一人の可能性についてもう一度考えてみた。
(リョウって手もあんだけど、今のままだとかなり荒れるだろうしよー)
彼が実績を得ぬ裏方に徹する以上、新人をいきなり組織の長に据えるのは難しいだろう。
事情を知らぬ者にはおかしいと思われるし、第一の騎士たちが納得している理由を探られるのも困る。
親衛騎士としての権限だけではなく、国防に関わる大きな権力を得た若者に取り入ろうとする貴族たちの反応はさらに過激になるはずだ。
騒ぎ立てられた挙げ句、奪還を主導したのがリョウだと知られた日には、新しい王に相応しいのはどちらなのかと新たな火種にすらなり得るのではないか。
(……待てよ? 隠すと面倒なら、最初からぶっちゃけちまえばいいんじゃねー?)
結婚しちまえばいいという自分の案を思い出したアーレニウスはふと、王女のお相手として大々的に持ち上げて箔をつけてはどうかと閃いた。
救国の英雄と王女の結婚が既定路線なら功績を隠す必要はないし、国が落ち着くのを待つという建前で何年か親衛騎士団長を務めてもさほど文句はでないだろう。
どちらにせよ取り入ろうとする貴族はいるだろうし、側室狙いで近づく娘は後を絶たないだろうが、そこは本人に気をつけてもらえば済む話だ。
(……たぶん姫様はいけるよなー)
結局、リョウの方がどう思っているのか分かっていないものの、嫌いな相手ならここまで力を尽くしはしないのではないか。
場合によっては王女の求婚という大技を繰り出さねばならないが、アーレニウスが知る程度の大陸史でも前例はあるし、お年頃の器量良しなら勝率もかなり高かったはず。
「おお……悪くねーんじゃね? ってか、これしかねーんじゃね!?」
どこでなにを公にするか、どうやってリョウを説得するかは王女と相談する必要があるものの、他の選択肢よりよほどましと思えた彼は思わず声を上げ、誰にも聞かれなかったよなと通路を見回した。
幸い近くを歩いていた者はおらず、顎に手をやりながらもう破綻していないか再検証するも、持ちうる情報の中で一番希望が持てそうな案なのは変わらない。
(それに―――)
その気になれば誰でも選べるであろう少年の相手を決めてしまえば、自分の思い人を奪われることもないはずだ。
ギルガメシュには悪いが本人も相手が悪すぎると諦め気味のようなので、三人の関係が大きく壊れることもないだろう。
さっそく上奏しようと王女の個室に足を向けたアーレニウスは、軽くなった胃のあたりを無意識にさすりながら、問題はリョウだよなーと呟いたのだった。
登場人物紹介を含めると百回目の投稿となりました。
のんびりではありますがここまで続けられているのは
読んでくださる方々のおかげです、ありがとうございます(´・ω・`)




