雨蛙の品評
「ギッ!」と短く声を上げて、ヌシ様が勢いよく身を乗り出した。口を軽く開けたまま、眉間に皺を寄せて目を細めたり見開いたりしてどんぐり湯のみを見つめる。周りの蛙たちも驚愕の表情を浮かべ、もっとどんぐり湯のみを間近で見ようとジリジリ前に移動しながらヒョコヒョコと頭を左右に動かした。
雨蛙はすうっと息を吸い込んで続けた。
「今回使用致しましたどんぐりはクヌギでございます。ヌシ様の御手にあわせた大きさでございまして、大きく、丸く、色合いの大変美しいものを厳選いたしました。しっかりと三日三晩乾燥させたのち、特殊な液体を用いてコーティングを施しました。これにより耐久性、耐水性、つやが各段に増し、美しさを保ちながらも長年ご愛用いただける作りとなっております。今回の品はヌシ様からご依頼頂いたものでございますので、普段よりもつやにこだわりぬかせていただきました。そのため、近くに寄せると己の顔が映るほか、光にかざすと美しく輝くようになっております」
雨蛙はそう言ってどんぐり湯のみを日に照らして見せた。どんぐりとは思えない輝きを放つその湯のみに周りの蛙たちは驚いた顔を見合わせては「本当にどんぐり?」「水面みたいな輝きだ」「自分も欲しい」など、ケリョケリョと騒がしく思い思いの感想を言い合っている。
友人蛙は周りの蛙たちの興奮に圧倒されてしまい、その場に座り込んだまま呆然としていたが、遠目からでもわかる湯のみの輝きに「なんてこった……なんてこった……」と繰り返しながら目を丸くしていた。己の作った湿度計のことなど忘れてしまうくらい、その湯のみの輝きは美しいものだった。以前ねぼけ眼で見た、真冬の風が無い日に張った氷のようなつやをそのどんぐり湯のみは放っている。ただどんぐりを磨いただけで出るつやではない、水で濡らしているわけでもないのにこの輝き、特殊な液体とは一体何を……。感動と混乱が一気に押し寄せ、頭が真っ白になった友人蛙は硬直したまましばらく動かなかった。
雨蛙はゆっくりとどんぐり湯のみを胸のところまで下ろして深く一礼した。
「私からは以上でございます。ヌシ様、いかがでございましょう」
そう言って真剣なまなざしでヌシ様を見た。
ヌシ様はすううっと深く息を吸い込み、ふしゅううと大きく吐いた。そして両手で腹をくるくる撫で回しながら雨蛙を見た。
「わしが注文した時に見た雨蛙の湯のみは、マテバシイの細い細いどんぐりで作られたものじゃった。マテバシイのどんぐりはわしには少し小さいと思ったんじゃが、このあたりに大型のどんぐりをつける木はない。そのまま雨蛙にはマテバシイで注文をしたんじゃが……。まさかクヌギのどんぐりを見つけ出してくるとは! おぬし、隣の森の奥まで行ったな? 隣の森とはいえ奥地に行くには相当な時間がかかっただろう。ご苦労であった。まずはその心遣いと努力を称えよう」
ヌシ様がぽんぽんぽんと軽く拍手をすると、周りの蛙たちも一斉に拍手を始め、その音はバチバチと強い音になり、周囲に鳴り響いた。その音にハッと気がついた友人蛙は少し遅れてバッチンバッチンと誰よりも大きく大きく拍手をした。
拍手をやめるとヌシ様は顎に手を当てながら続けた。
「そして、なんと言っても素晴らしいのはその湯のみの輝き。特殊な液体でコーティングしたというが、濡れている様子ではないのう。しかし濡れ続けているかのように輝いておる。おぬし、その液体とやらはニンゲンの物じゃな?」
雨蛙はピクっと眉を動かすと、
「はい、ヌシ様。その通りでございます。今回使用したものはニンゲンのセッチャというものでございます。幸運なことに、以前森に落ちていた物を入手いたしました。これは手で触ってしまうと瞬時にその液体に手を固められて動かせなくなり、無理に液体を取ろうとすると、手も一緒に失う可能性がある大変危険なものです。しかし同時にセッチャは、細い枝に少量取り、目当ての物に薄く平らに塗りつけて乾燥させることでこのようなつやと光沢を生み出す素晴らしいものです。日ごろ我々はニンゲンを疎んでいますが、ニンゲンには素晴らしいものを生み出す能力があり、その技術はピカイチでございます。私は良い質の物は誰が作ったものでも良いと判断する性質でございますから、例えこのセッチャが憎きニンゲンの生み出したものであろうとも、素晴らしいものであると考えています。もしこれを湯のみに使用したことでヌシ様がお気を悪くされたようでしたらこの場でお詫び申し上げます」
そう言って深く頭を下げた。雨蛙は少し震えているのか、お腹辺りで抱える湯のみがまた少しきらきらと輝いた。
「雨蛙よ、頭を上げよ。わしは気など悪くしておらん。わしもおぬしの言うとおり、良い物は良いと評価をする性質じゃ。ニンゲンは確かに我々の技術をはるかに超えた素晴らしい物を生み出すことが出来ると思っておる」
少し涙目で頭を上げた雨蛙に微笑みながらヌシ様は続ける。
「しかし、それらを我々が使いこなすことは至難の業。何せ蛙用に作られた物ではないからな。ニンゲンには平気でも、我々には毒となるものもある。その為、扱いにはよくよく注意をするように」
そう言ってギッギッギと笑うヌシ様を見て、雨蛙は安堵の表情を浮かべた。
「ああ、すまない。少し話がずれてしまったな。評に戻ろう。まず、雨蛙の使用者に対する気づかいや努力はもちろんのこと、ニンゲンの物を使いこなす技術を高く評価することが出来る。しかも通常の扱いだけでも難しいセッチャを扱うのじゃから、それをどんぐりに美しく平らに塗ることは更に困難を極めるじゃろう。大変素晴らしい作品を生み出したな雨蛙。この湯のみは文句のつけ所が無い素晴らしい品じゃ。」
ヌシ様が今度は立ち上がって拍手をした。釣られるように周りの蛙たちも一斉に拍手をし始めた。先ほどよりも大きな拍手の音に雨蛙は心がじんわりするのを感じた。ちらりと友人蛙の方を見ると、ピョコピョコ飛び跳ねながら誰よりも変な拍手の仕方をしていた。その様子を見て雨蛙はとても嬉しくなった。
拍手が止むと一礼した雨蛙はどんぐり湯のみを箱にしまい、ヌシ様へ渡した。「ご苦労じゃった」と腹を撫で回しながら言うヌシ様に雨蛙は、
「もったいないお言葉を賜りまして、この上ない喜びでございます」と言い、ヌシ様に対して深くお辞儀をした。
するとヌシ様はいつもより少し低い声で、
「ああ、雨蛙。おぬしに一つだけ言っておくことがある。ニンゲンに対して好意を持つことは悪いことだとは言わん。だが、我々蛙とニンゲンが相容れないことを忘れてはならん。何故なら今までがそうじゃったからだ。いいな」と忠告した。
ヌシ様に鋭いまなざしで忠告された雨蛙は驚きのあまり、「はい」と小さな声で返事をした。
雨蛙のどんぐり湯のみで品評会は終わったが、そのあとの酒宴のために広場にはまだ多くの蛙たちが残っていた。雨蛙のどんぐり湯のみと友人蛙の湿度計は酒宴の間、広場の石の上に飾られることになり、どちらの作品にも多くの蛙たちが群がっていた。
「やっぱり君の作品はすごいもんだな」
友人蛙はため息をついて石の上の様子を見ながら雨蛙に言った。
「何を言うんだ。君の作品だって、あんなに多くの蛙たちが見に行っている。さっき君は自分の作品が忘れられるのが怖いなんて言っていたが、そんな様子はちっともない。互角だよ」
雨蛙も疲れからか小さなため息と頬杖をついていた。そして友人蛙のほうを見て続けた。
「それに僕個人は君に完敗したと思っている。僕がヌシ様に褒められて拍手を頂いているとき、君が石の上から見えたんだ。誰よりも変な飛び方しながら半泣きで手を叩く君がね。友達の成功をあんな風に喜ぶことが出来るヤツなんてそうそう居ない。普通は恥ずかしいなって思って尻ごんじゃうからね。あの時、ああ、こりゃ負けたなって思ったよ」
雨蛙はへにゃりと笑って友人蛙の肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「そう言われると嬉しくなっちゃうな。今回の事を踏まえて、ぼくももう少し視野を広げて、作品にニンゲンの物も取り入れても良いかもしれないな……」
友人蛙がふにゃっと微笑むと、周りの蛙たちがギッギ、ギョッギョと騒がしくなり始めた。どうやら酒宴の準備が整ったらしい。
雨蛙はゆっくりと立ち上がると友人蛙に手をさしのべた。
「酒盛りが始まるよ。早く行こう。僕らが揃って主役の酒盛りなんて、そうそうあるもんじゃないからな!」
少し目を赤くした友人蛙は、雨蛙の手を取ってゆっくりと立ち上がると、
「よし、飲み比べで勝負だ!」と言って笑った。
次の日から、友人蛙の姿が見えなくなった。