第一部第四話:インストールされたアプリケーションを確認しています
木製の簡素な机に椅子、お世辞にも清潔とはいえないベッド。6畳ほどの宿屋の一室に、小さな窓から夕陽が静かに差し込んでいる。
椅子に座ったまま、思案する。
ツェトラ老は助かった。
あれから丸一日、昼夜問わず、馬車の中で治癒の紋章魔法を断続的に使用しながら、翌日の朝には村までたどり着いたのだ。
村とはいっても、このあたりでは一番大きな集落で、軍事施設はなかったが、旅人のための宿屋兼酒場、いくつかの商店、そして小さいながらも教会があった。
司祭は一人だけだったが、神聖魔法の心得があり、ツェトラ老は瞬く間に回復した。
『司祭』というのは俗称で、正確には助祭という階級らしい。部下のいない小さい教会で何年か一人で務めると、階級としての司祭に昇格して大きな教会に異動するとのことだった。
ツェトラ老は、この村では、かなりの重要人物のようだった。
長老のようなものだろうか。
アイン村へ入るとすぐに大勢の村人が駆け寄り、すぐに司祭が呼ばれ、回復したことがわかると俺とアルフレッドとマークは、倒れるように眠りこんだ。宿までは村人の誰かが運んでくれたらしい。
俺が起きたとわかると、すぐに歓迎の宴に誘われた。
そして今、宴の準備の間、あてがわれたこの部屋にいる。机と椅子がある部屋、というのは、この村の宿では最上級のものなのだそうだ。
これは夢だ。そう思う。ありえない。昔遊んでいたゲームと同じ世界が存在し、そこへ転移する。ありふれた小説だ。そこで強大な力を持って、事件が起きたり世界を変えたりする、そんな話は何度か読んだ。
逆にこれが現実だとする……。世界が複数存在すると、全てが白い世界であいつは言った。ゲームの世界が本当に存在するからこそ、ゲーム制作者はそれを想像できた。
元の世界のゲームや小説の創作者たちは、無から何かを想像するのではなく、他の世界を感じ取っているだけだとしたら……。
どちらにしても、夢の中だとしても、死ぬのは嫌だ。
今日一日で、この身体で腹が減るのはわかった。
馬車に長時間ゆられて、足腰が痛むのもわかった。
紋章魔法を断続的に使って、魔力を使うと疲労するのもわかった。
馬車への襲撃者達の死体を見て、人が死ぬのもわかった。
実際に見るのは初めてだったが、解剖図で見たことがある臓器が飛び出ているのもわかった。
現実とかわらない夢なら、せめて目が覚めるまで、現実のように生き残らなければならない。出来ることをしよう。そう考えて、PCのディスプレイを表示した。
ネットワーク接続は切断されている。まあ当然だろう。
『紋章』フォルダの中身を確かめる。5000を超える紋章が並ぶ。まだ手に入れていない紋章があるかもしれない。これは時間をかけて整理しよう。
表計算ソフトや簡易DBソフト等の仕事で使っていたものは残っている。興味があって試しに入れていた3Dモデリングソフトも動く。
ディスプレイ上のカメラは意識するとインとアウトの切り替えができる。写真撮影機能も、動画撮影機能も生きている。
音楽再生を確認したときは、スピーカーはキーボード側にあったため、機能しないだろうと油断した。
お気に入りだった音楽を再生したときは、焦りながらすぐに止めた。外の誰かに気付かれていないことを祈った。録音機能も確認したが、これも生きている。
こちらは音量に細心の注意をしながら行った。
ふと気になって、時計機能を確認する。右下に時間が表示されているが、これは元のままだ。そこに意識を向けると、現在日時がポップアップする。
――『紀元歴798年3の月15日目』
紀元歴、という部分以外は、俺が事故にあった日と同じだった。
ただ、時間は午後2時少し過ぎたあたりだったのが、こちらでは朝だったが。
暦は、ほぼ元の世界と同じだった。暦や天文学には詳しくないが、暦が同じで一日が24時間ということは、地球で言えば場所が違う、経緯度による時差によるものなのかと思うことにした。ちなみに曜日は存在しなかった。
それにしても、俺がゲーム『ウィザーズ・オンライン』で遊んでいたときの公式設定では紀元歴ではなく、王国歴500年代だったと思ったが。このへんは『似た世界』ということなのだろう。同じだと思って致命的なことをしでかさないよう注意しなければ、と改めて思う。
次にシステムログを確認する。
これは少し驚いた。開始は俺が目覚める少し前。白い世界のことは記載がないが、そこから俺に起こったことが、大雑把にではあるが記載されていた。
まず、目が覚める前に、虫が顔の上を通過したことがわかった。
それから、『ReadMe!』ファイルのオープンはもとより、魔法の発動、歩行開始、頬をつねったり、何度か腕を平手で叩いたりしたことも。
ログにはいくつかの区分があるようだったが、頬をつねるのが「通常能動」区分で、腕を平手で叩いたのが「被ダメージ(微細):打撃」となっていたのはちょっと謎だった。
ダメージ量は数値ではなくかっこ内に文字で出るのか。ちなみに馬車で足腰を痛めたのは「通常受動」となっていた。こちらのほうがダメージが大きいはずなのに。
少し期待して、システムパフォーマンスのウィンドウを開いてみる。
体力や被ダメージ、耐久力などが表示されるかと思ったのだ。
残念なことに、そこまでゲーム的なものは出なかった、現在処理中のプロセス欄に、開いたままにしてある各種アプリケーションが表示されるだけで、パフォーマンス等のタブも存在しなかった。
システム詳細でもCPUやメモリといったPCに関わる情報は全て空欄となっていた。
ああ、言語、そうだ、気付かなかったが、マークやツェトラ老と話していた言葉は、日本語ではない。
言語設定を確かめる。PCの言語設定は、『日本語』となっている。ただ、その下には選択できる言語として『中央共通語』『東方共通語』と二つの言語がリストに入っていた。
おそらく、中央共通語を話していたのだろう。今、思考は日本語でしているが、意識すると、知らないはずの二種類の言葉を流暢に話すことができた。
――そういえば……ここまでは必至で忘れていたな。
カメラをインに設定して、自分の顔を見てみる。部屋には鏡がなかったからだ。
「……そこはキャラクターじゃないんだな。」
自分の顔だった。元の世界の。短めの黒髪、さえない顔、平均的な日本人……不細工だとは思いたくはないが、美男子だとは思わない。35歳と言われればそう見えるだろう顔。
――まあいい、問題はそこじゃない。
当面の目標を確認する。
この世界で、とりあえずは生きていく。これは確定事項だ。
すると金を稼がねば。そのためにどうするか。
馬車の車輪の修理の件からして、どうやら紋章魔法はこの世界でも『生活魔法』として需要があるようだ。ただ、ツェトラ老に不思議そうな顔をされたことは要注意だ。
この世界での紋章魔法の立ち位置がわかるまでは、出来るだけ隠しておいたほうがいい。
剣術はこのキャラクターはともかく、自分の身体で経験したことはない、これも確認すべきことだろう。ただし、中級レベルでしかないので、使えたとしても利用できるかは怪しい。
彫金技能はまだ試していないが、使えるようならこれを使おう。そこそこのものは作れるはずだ。
彫金の材料の調達をどうするか。加工は紋章魔法を見られずに使えばいい。紋章魔法の立ち位置がわかれば、魔法を主にできるかもしれない。
帰る方法がわからない以上、目標はそうならざるを得ない。
今日寝て、明日起きたら元の世界に戻っていれば一番いい。
もし夢の中だとしても、これから感謝の宴を開催してもらえるのだ、気分良く歓待を受け、そして寝よう、そう思った。
「レルドレザル様、宴の準備ができました!」
思案に耽っている間に、下の階がざわつき始めていたようだ。ノックの音と、ここに案内してくれた宿の従業員の女性の声でそれに気づいた。
――楽しんで、寝よう。
もう一度、そう思った。
元の世界とは比べられないが、たくさんの肉と野菜の見たことのない料理。
簡素な味付けだが、これはこれでおいしい。
この世界の酒は、冷蔵庫がないせいか、ぬるいままだが、それでも美味い。
回復したツェトラ老とアルフレッド、マークとも沢山の話をした。司祭も姿を見せていた。この世界の司祭は別に酒が禁じられているわけではないらしい。馬車を操作していた男の姿も見えた。
もちろん、自分は東方出身の旅人、という設定だ。
目的地等も聞かれるのは当然想定していたので、東方で商人のところで雇われをしていたが、世界の見聞を広めようと西方までの旅の途中、ということにしておいた。
そして、路銀も心もとなくなってきたので、何かいい仕事はないか、とふってみたところ、司祭がそれに答えてくれた。
司祭の名前はシュタイツといい、30になったばかりだという。
階級は助祭。
1か月前にこのアイン村に赴任したばかりで、いろいろと大変だそうだ。その中でも、教会の仕事の一つである学校の運営は、前任者が引き継ぎをうまくしてくれなかったせいで、赴任から今まで一度も授業を行えていないという話だ。
もしよかったら、それをしばらくの間、手伝ってくれないか、という。
授業は3日に一度で、主に算術を教えてほしい、商人の雇われなら、簡単な算術はできるだろうと言われた。
どうやらマークが、レルドレザルは算術の加護持ちだ、とこの席でふれまわったらしい。
それに、報酬は金では出せないが、三食と寝床は教会で用意してもらえるとのこと。その傍ら、何か金になる仕事を探せばよいのでは、と。
算術といっても、簡単な足し算と割り算、掛け算程度のことのようだ。俺は渡りに船、と飛びついた。
嬉しそうにニカっと笑った司祭に、明日の午後、教会の雑務が終わった頃に訪ねると約束した。
一つ懸念が残っている。アルフレッドだ。俺の火弾と治癒を見てから、彼は俺を警戒している。
当然だろう。『生活魔法』で魔導魔法と同じことをしてしまったのだから。宴も中盤に差し掛かった頃、俺はアルフレッドに、
「明日ちょっと話ができませんか?」
と声を掛けた。
彼は応じ、明日の朝、この酒場で会う約束をした。宿の主人には、朝食の時間の後、少し場所を借りると伝えた。
少し飲みすぎた、と後悔しながら、ただ、とりあえずの居場所は得た、と喜びながら眠った。次の朝、俺はまだ、この世界にいた。覚悟はしていたが、目覚めに大きくため息を吐いた。
++++
「あれはいったいどうやったのですか?」
アルフレッドは単刀直入に切り出した。起きてから朝食を食べ終わる時間までで、言い訳を考えてあった。東方で師匠から直伝で教わった魔法だ、と。
師匠は誰か、と聞かれたが、両方とも答えられない、とわざと難しい顔をしてみた。秘術に関わる部分だ、とも。
我ながら苦しい言い訳だとは思ったが、魔導魔法にも門外不出の技術はあるのだろう、案外あっさりとアルフレッドは納得してくれたようだ。
「それにしても、魔法陣なしであんなことができるとは……。」
「……秘術を使ってあの程度、ということです。あれ以上のものは無理です。」
そう言っておいた。そして、ここで「もし無理なら断っていただいてかまいませんが……」と昨日考えておいたお願いをする。
「魔法陣を使った魔導魔法に少し興味がありまして、昨日見た火弾をもう一度だけ見せていただけませんか。
魔法の研究の参考にしたいのです。」
「ああ、ええと……見せるくらいならかまいませんが、ここではちょっと難しいので、村の外へ出ましょうか。」
思ったより簡単に応じてくれた。
酒場を出て、村の外へ向かう。アイン村は小さくはない村だが、酒場は外周にあるので、外へ出るまでにそれほど時間はかからない。村を出て5分程歩いたところで、アルフレッドは火弾を見せてくれた。
もちろん、PCの動画機能と録音機能をONにしてある。これが目的だ。
魔法陣をしっかり見たいと肩越しになったときには、少し怪訝な顔をされたが。
詠唱が始まり、魔法陣が展開、おそらく魔力を流し込むタイミングをはかるためだけに、中央共通語で魔法名を声に出す。昨日の詠唱で知ったとおり、魔力感知技能はこの世界でも機能したので、どのタイミングで、魔法陣のどこに魔力を流し込んでいるかも確実に記録できた。
そうこうしているうちに、昼時となってしまった。シュタイツ司祭と約束があるので行かなければいけない旨を伝えた。
しかし、アルフレッドにはこの世界での魔法についてもっと聞きたいことがあった。
なんと声を掛けようか迷っていると、彼のほうからこう切り出してくれた。
「レルドレザルさん、私もあなたの魔法に興味があります。明日、もう一度お話しできますか?」
「もちろんです。こちらこそいろいろと教えてください。」
何度もお礼を言って、村に戻り、彼と別れた。
宿泊している宿屋の一階で食事をとったあと、村の中央にある教会へ向かった。エリック司祭に会うためだ。
昨日は酔って簡単に請け負ってしまった。
よく考えれば読み書きはできるのか、と直前になって不安がよぎった。しかし、これは杞憂に終わった。
古ぼけた一冊だけの教科書は、中央共通語で書かれていたが、すんなりと読むことができる。
ただ、算術を教える前提として、文字の読み書きも教えなければいけない。
教える対象は、主に村の商店の子供と司祭を手伝う修道士だ。そうでない者も一人だけいるらしい。猟師の息子だが、本の加護があって将来魔導魔術師を目指すために文字や算術を習いたいらしい。
「皆、熱心に勉強してくれますよ。」
と司祭用の白いローブを着たエリック司祭は言った。
最初の授業は3日後と決めて、シュタイツ司祭に、教会の横にある修道士の宿舎へ案内してもらった。ここが当面の生活の拠点だ。
2016/04/19:[修正]改行と空白文字調整
2016/04/23:[修正]改行と空白文字調整