第二部第十七話:閉ざされたExcept
魔力探知にも確かに反応がある。動く灰と動く炭。ゆっくりと、這いずり回るそれ。
いつでも対応できるよう、俺の使える最大の魔法障壁を準備を終えて、俺よりも魔物との遭遇経験が多いはずの二人に確認する。
「不死者は、死ぬとこうなるのか? それとも、リッチの支配の効果か?」
「いいえ。」
西の悪い魔女は魔法の行使に少し乱れた黒髪を気にすることなく、そして、赤い瞳を『それ』から逸らすことなく俺に短く答える。
俺は不死者とは戦ったことはない。だが、不死者が不死身だと聞いたことはないし、一般的な魔物の知識はマークたちから聞いて知っているつもりだ。特にグレンは、ギルド員としての経歴も長く、その情報も信頼できる。不死者は、死体又は霊的な何かを元にした魔法的生物というだけで、寿命という概念はないにしても、物理的又は魔法的な手段で、死あるいは消滅に至るはずだ。
灰と炭の動きをじっと見る。何か敵対的な行動を取っているようには見えない。じりじりと、俺たちの左手に進んでいる。ヴリトラ廠へ行こうとしているのか。
――リッチに呼ばれているのか?
そういった力が不死の王にあるのかはわからないが、ふとそう思った。
「……なぜ不死者に『加護』があるの。」
エルファバは表情を変えずに言った。
「不死者には『加護』はないのが普通なのか?」
彼女は俺を見ずに答える。魔女の黒髪を撫でる風はない。『それ』が自身で動いているのは明らかだ。
「普通は『見えない』の。彼らの身体は魔力そのもので動いていて、『加護読み』できないから。本当は持っているのかもしれないわね。あの姿の意味はわからないけど、今は見える。」
言いながら、エルファバの視線は『それ』を追い続けている。
俺たちは灰と炭がその場を去るまで、じっとその様子を見つめることしかできなかった。緑髪の精霊使いは、歳より幼く見える顔をふるふると横に振り、冷静ではない様に見える。エルファバの言葉も気になったが、アリスがこの様子では進む選択はない。
「一度戻ろう。」
俺はそう言ってアリスの腕をつかみ、半ば強引にその場を後にした。アリスの元々白い顔が、さらに白く、青く見える。
「……助けを……求めてた……救いを……。」
「アリス、今はまず神殿まで戻ろう。」
何か言いかけたアリスを遮って道を急ぐ。エルファバも足早に歩いている。だが、足場の悪い森の中だ、焦る気持ちのようには進まない。状況が不明だ、警戒して進まねばならない。俺はエルファバに先導を頼み、アリスに続くように言うと、時折後ろを確認しながらいつでも障壁を張れるように進む。もちろん、精霊魔法による哨戒と、魔導魔法によるレーダーも展開している。
森が、来たときよりも暗く見える。しかしまだ太陽は昇る時間のはずだ。気持ちが暗いためにそう見えるのか、それとも雲がかかったか。上に生い茂る木々の葉のせいで、時間すらもわからなくなったか。
――くっ。
足元の滑らかな岩に生えた苔に、皮のブーツの底がとられる。何度目になるか、後ろを確認したとき、微かにレーダーに反応があった。
立ち止まり、反応のあった位置をじっと観察する。木々の間、岩の陰。今通り抜けてきた場所だ。
「あぐっ!」
アリスの声に振り向くと、うずくまって腕を抑えている。その横に一瞬見える黒い影。
「なんだ!?」
あわててアリスに駆け寄るが、すでに黒い影は見えない。アリスの腕に、刃物で切られた後のような黒い筋が浮かんでいる。
「気を付けて!」
エルファバはそう言って、魔法の詠唱を開始する。
わからないが、『何か』いる。
俺はアリスを囲むように魔法による障壁を張り、再度レーダーと精霊魔法による探知を行う。しかし何も反応はない。
エルファバの、巨大な魔法陣が俺とアリスも含めて周囲の地面を覆うように展開される。
――浄化?
魔法が発動する。辺りを覆うような目もくらむ光が上空に向かって放たれ、俺たちもそれに飲み込まれる。
これは、穢れを払ったり、呪いを解くための魔法のはずだ。たしかに不死者には効くのかもしれない。エルファバのことだ、考えがあるのだろう。
光が薄まってくると、エルファバの横に影が見える。俺は躊躇することなく、魔力吸収の弾丸を放つ。魔物なら魔力吸収が効くはずだ。
ところが、俺の放った魔法陣の弾は、そこに何もないとばかりに黒い影をすり抜ける。
――実体がなければ、当たることがない、ということか……。
「ぐ、ぐぐ……。」
アリスは黒い傷のせいか、しゃがみこんだまま呻き声を上げている。早くなんらかの処置をしなければならないのかもしれない。
「レルドレザル、範囲魔法で。できれば物理じゃないのを!」
西の悪い魔女は俺に無茶を言った後、再度浄化の魔法の詠唱を開始した。『物理じゃない』魔法など、魔導魔法には存在しないというのに。俺はアリスから少し離れ、とにかくその注文に応えられるだろう唯一の魔法の詠唱を開始する。ロルフ村の美しい女楽師の声での詠唱を三つ同時、それから、紋章魔法による並列術式も同じく三つ。発動するのは、エルファバの魔法が終わった後だ。
本来これは、おそらく司祭の仕事なのだろう。神聖魔法であれば、不死者に対抗できる。しかし、俺の神聖魔法ではここは信仰する人間が少なすぎる。より高位の聖職者なら、「もっとましな」神への接続を確立できるのかもしれないが。
ふと、シュタイツ司祭のニカっとした笑いが浮かぶ。ああ、彼は別に『高位の』聖職者ではないが、彼なら可能なのかもしれない。
西の悪い魔女の、悪くない魔法が発動する。視界が光に包まれ、消え去るとともに黒い影が現れる。
――まずい!
緑の髪の、うずくまるアリスの目の前だ。はっきりとではないが、黒く長い腕が長い刃物のようにアリスに斬りかかるところだった。
俺の展開した球体魔法陣を、薙ぎ払うように黒い影に向ける。
しゃがんでいるアリスの頭上を通過した球体魔法陣が、黒い影を掠めると触れた部分が消滅する。影は魔法陣を恐れたのか、後ろに下がる。
展開し終わった魔法陣を動かすのは少々骨が折れたが、若干傾きながらも魔法は暴走していない。球体だったために、転がすように移動させることができた。魔力吸収の魔法陣は、『あれ』にも効くようだ。
球体の魔法陣を維持したまま、アリスを引きずって後ろに下がる。
「エルファバ、下がれ! 危ないぞ!」
自分で発動しておいて「危ない」も何もないとは思うが、あれはまだ未完成で制御しきれない。以前発動したときのように吸収した魔力を熱量に変えず、そのまま再び魔力吸収に使用する魔法だ。近くにいては魔力欠乏のような状態を引き起こす恐れがある。
実際、黒い影はその球体魔法陣に囚われかけていた。
後ろに下がろうともがいているように見えるが、しかし、徐々に魔法陣に引き寄せられている。苦しむアリスを抱きかかえて魔法陣から離れ、エルファバが横に並んだときには、ついに黒い影は球体の中へ吸い込まれていった。
球体は吸い込まれた影に、黒く染まっている。
俺は腰の革袋から赤い魔法石を一つ取り出すと、球体の縁に当てる。魔法陣から取り込まれた魔力が魔法石に還流され、赤かった魔法陣が黒く変色する。
この魔法石の表面には魔法陣が刻まれていて、内部の魔力を俺だけが知る鍵の紋章魔法によって取り出すことが出来る。つまり、俺以外にはこの封印は解けないようになっている。黒い影の正体が何なのかはわからないが、よほど強力な力でなければ、内部からの破壊も困難だろう。
俺は一つ大きく息を吐いて魔法石を革袋にしまうと、アリスの怪我の様子を見る。
二の腕に刃物の切り傷のような痕があり、そこから腕の先に向かって黒く変色が始まっている。俺はすぐに治療の紋章魔法を使うが、良くなる様子はない。
「不死者の、レイスの呪いよ。神聖魔法でないと治せないわ。」
苦しむアリスとエルファバの冷静な分析の対比が、少し腹立たしい。しかし腹を立てるべき相手は西の悪い魔女ではないはずだ。
「神殿まで戻ろう。誰かギルド員が戻っているかもしれない。」
――そうすれば、神聖魔法で治せるかもしれない。
誰か人がいれば、少なくともあと3人か4人。そうすれば、エルファバの言うようにこれが呪いであれば、俺の神聖魔法で治せるはずだ。アリスを背負い、紋章魔法による補助を行使する。
森は相変わらず暗かったが、俺はそれを振り払うように歩を進めた。
++++
神殿に戻ると、幸いなことに二組のギルド員が戻ってきていた。全部で10人、これで神聖魔法が使える。彼らは『西の悪い魔女』の姿に驚いていたようだったが、緑髪の幼く見える女精霊使いが怪我をしているようだと知ると、宿泊施設の一番広い場所をすぐに空けてくれた。
神との接続をし、祈りの言葉で祈祷する。こちらの世界の神を全く信仰していない俺がするのはとても滑稽だ。慣れることはないだろうな、と考えながら、成功してもらわなければ困るとも思う。
幸い、ダリウスのときと同じように、信心は効果に影響を与えなかった。アリスの腕は本来の色を取り戻し、背負っていたときには荒かった息遣いが、正常に戻りつつあるように感じた。
「本当にあなたは意味がわからない存在ね。」
西の、美しい魔女は麗しい唇をそうであろうとするように動かして、赤い瞳の視線を俺に向ける。
たしかに俺も意味はわかっていない。だが、神聖魔法がそういうものだと思えば、信仰する者がそうであって欲しいと思えば、効果は望むようにあらわれるのだろう。ただこれは、全く北の賢者の受け売りではあるのだが。
「魔導魔法、精霊魔法、それから神聖魔法。あなたは一体なんなの?」
魔女の問いに俺は答えず、小さく笑うだけにしておいた。
「それはそうと、カロカハンが明日、来るそうよ。」
「カロカハン卿が? なぜ?」
アリスへの治療が上手くいったことで気分が落ち着いたのか、エルファバはいつになく微笑みながら言う。いつもの妖艶な笑みだ。手入れをする余裕はなかったので、黒髪は少し乱れてはいたが、それでも濡れたようにしっとりと輝いている。
「マインベルグ伯爵の兵が動くそうよ。カロカハンは状況確認と王国への報告のため、らしいけど、剣が振りたくて来るんじゃないの、きっと。」
エルファバは楽しそうに言う。
確かにカロカハン卿は剣を振っているときは楽しそうに見える。しかし今は頼もしい味方に違いなかった。おそらく俺の作った光の剣で、敵をなぎ倒してくれるに違いない、という希望にも似た想像が膨らむ。これも彼の、騎士としての、貴族としての才能なのだろう。
「前も兵を出したと聞いたが。結局解決しなかったのにか?」
兵を出して討伐し、それでもなお増える。前回もリッチかあるいは別の危険な魔物だったのかはわからないが。
「倒しても増えるからといって、倒さないわけにはいかないでしょう。私たちみたいなのならともかく、領地を守る貴族としては。」
言われてみれば確かにそうだ。倒せないからといって諦めることが出来るのは、守るものがない者の特権だ。貴族には領地と領民を守る権利と義務がある。面倒なものかもしれないが、それはそれで羨ましい、と俺は思う。俺には何か守るものがあるのだろうか。
平和な生活、アイン村での生活、それくらいか。エルンスト、マークたち、ラウラ、フリーダ、今はアリス、まあついでにエルファバ。今まで出会った人々の顔が浮かぶが、どれも『守るべきもの』という感じはしない。
「ところで、西の悪い魔女。」
「なによそれ、魔術の達人。」
「説明してくれないか。」
俺はじっとエルファバを見つめる。エルファバもまた俺を見る。赤い瞳だ。これに恐怖を感じるか、美を感じるかは人によるのだろうが、俺は後者だった。
しばらく考えるような素振りをした後、エルファバは黒髪を指で耳に掛け、言った。
「聞かなかったほうがいいと後悔すると思うけど。……ああ、あなたの魔法についても教えてくれるなら教えてあげる。あなた、何なの?」
西の悪い魔女は、俺のあの球体魔法のことを言っているのだろう。しかし、俺もエルファバの赤い瞳については知りたい。そんな設定はできなかったはずだし、そもそも『加護読み』どころか『加護』すらもない世界だったはずだ。キャラクターの力ではなく、この世界で得たものなのだろう。
それにしても……。
――俺は一体何なのか。
もちろん紋章魔法使いだ。生活魔法使いだ。それがたまたまこの世界では、魔導魔法や精霊魔法、神聖魔法の基礎となる魔法だっただけだ。
そして、魔法についていろいろ調べる内に、それらの魔法に少し詳しくなっただけだ。龍を倒して調子に乗って……あれだけ死人や怪我人を出しながらだったのを忘れて調子に乗って、緑髪の愛らしい女精霊使いに怪我をさせた、ただの生活魔術師だ。
世界を見て回りたいなどと余計なことを考えて、賢者の塔でくだらない現実を見せられて、いや、勝手に見て回ってグェンの呪いの言葉をいつまでも引きずっている、ただの中年男だ。
考えれば考えるほど、悲しくなってくる。
少々魔法が使えるからといって、だから何なのだ。マークの長剣やグレンの大剣、イェルスリムの弓やミスティーナの魔法、どれにも及ばないではないか。派手な魔法を使えることが力ではない。そう、今回も、マークたちがいてくれたら、こんなことにはならなかった。アリスは助かったが、たまたま助かっただけだ。あれが腕でなく首だったら、頭だったら。
俺はもっとエルファバやアリスを信用し、俺の力を知っておいてもらうべきだったのだと思う。命を預ける仲間、そう思うべきだったのだと思う。紋章の秘密を知られたくない、だとか、平和な生活を守るための隠し事など、それこそがくだらないものだったのではないか。
それとも俺は、エルファバの赤い瞳の、何か俺の知らない能力でこんなことを考えているのだろうか。
そうだとしても、もういい、全てを話し、ただ、全てを話してもらおう、そう思った。




