第二部第十五話:Partialを呼ぶ声
――こんなことになるとは……。
俺は今、例のごとく宿屋の一階の酒場で、うまくもない酒を飲んでいる。いつもの雰囲気を味わう、あるいは騒いで楽しむ酒ではない。客がまばらなのは、ここが大通りからは少し外れたギルド員向けの宿屋で、当のギルド員たちは鎮守の杜に出張っているか、あるいは教会で倒れているか、どちらかなのだろう。
商人たちは、運んでいる商品の管理が必要なので、大抵は大通りに面した、馬車や馬を預かってくれる、それなりの宿屋に宿泊することが多い。丁度ギルドの裏手にあたるここは、旅人やギルド員向けの宿屋というわけだ。
ギルドで金を下ろしたときに、俺はなぜか厚紙ギルド員に昇格してしまっていた。
正確には、『暁の深憂』のマーク達と真紅の龍を倒したときから、すでにそうなっていたようだ。あのあとアイン村に引きこもっていた俺は、ギルドに用はなかったので、今の今までそれを知りようがなかっただけだったのだった。
誰が身元保証をしたのかはわからないが、リースのギルド自身なのか、あるいは龍退治に関わった誰かなのだろう。
身元保証のあるギルド員は上級ギルド員、または厚紙ギルド員と呼ばれ、受けられる仕事の幅が広がる。特に指名のない護衛依頼などを受けることができる。どこの誰かもわからない人間に護衛を任せる者などいないからだ。
一般的には嬉しいことなのだが、一つ困ったことがある。ギルドあるいは権力筋からの強制依頼を受けなければならないことだ。
俺は、一般ギルド員とかわらない金属プレートを弄びながら、ジョッキを小さく傾けて少しずつ酒を喉に流し込む。
――デザインが少し違うだけか……。
昔は紙を使っていた名残で、上級ギルド員に交付されるギルド員証の紙質が厚いことから『厚紙』と呼ばれているが、今使われているギルド員証は同じ金属プレートだ。ミスリルの細工が一部異なるだけで、見た目にはそれほど違いはない。
「私と、パーティを組むのは嫌ですか?」
そういうわけではない、と俺は目の前の緑髪の女性に作った笑顔を向ける。
「俺が乗ってきた王都までの商隊は、明後日にはここを出てしまうんだ。」
そう言って自分の「面倒だ」という気持ちをアリスに隠す。緑髪を頭の後ろで器用にまとめ上げている彼女は、俺の気持ちを知ってか知らずか、解決策を提示する。
「移動の馬車なら、また見つければ。ここマインベルグなら、いくらでも見つかりますよ。」
たしかにそうだ。あの小太りとのっぽの商人に拘る必要もない。彼らも、別に俺が客でなければならない理由もないはずだ。
少女というのは少し失礼か、幼顔の女性はきらきらとした目でこちらを見つめて来る。
「なぜ俺なんだ?」
どちらにしろギルドの強制命令だ、面倒だがやるしかない。ギルドの強制依頼を断れば、ギルド員としての資格を剥奪されるばかりか、最悪、投獄もありうる。そうなれば、リベスタリア王国を捨てて、バルドゥーク帝国か西方諸国へでも逃げるしかない。少なくともアイン村での生活は捨てざるをえない。
「『魔術の達人』レルドレザルさんと組みたくない人なんていませんよ。」
いつのまにそんな二つ名がついたのだろう。イェルスリムが広めたか、それともマークが面白がって言いふらしたか。
「アリスと組むのはいいとして……。」
俺の苦笑いを見て、アリスは少し口元を綻ばせている。
問題はあとは誰を誘うかだ。精霊使いと魔導魔術師の二人ではさすがに不安が残る。前衛役と斥候役が欲しい。斥候は最悪の場合、アリスと俺の精霊魔法でなんとかなるとしても、前衛がいなければ安心して魔法が使えない。
カロカハン卿が理想だが、彼は俺に気さくに話しかけてくれるとはいえ王国騎士だ。さすがに伯爵領の魔物退治に手を出すはずはない。
――ああ、そうだ。エルファバ。
西の悪い魔女のことを忘れていた。彼女はどうするのだろう。俺を待つのだろうか、それとも先に進むだろうか。一刻も早く西方に戻りたいと言っていたはずだ、先に行く可能性が高いのかもしれない。俺たちと一緒に魔物退治をする義務はない。
酒場の扉が開き、美しい女性が入店する。肩までかかる黒髪、黒いローブに腰紐が結ばれて、ゆったりとした布でも隠しきれない身体。赤い瞳の魔女は、何のためらいもなく俺たちのテーブルに着く。アリスはその美しい女性が『西の悪い魔女』だと気づいたのか、呆然としている。
「ギルドの強制依頼の話をしてたの? 私も行くわ。」
どこからどういう経路で彼女がそれを知ったのかには興味があったが、まず俺は彼女の言葉に驚いた。まさか行くと言うとは思っていなかった。
「俺の手伝いという意味なら、それは悪い。先に行ってもらってもかまわない。」
エルファバは、ふふん、と鼻で笑うと、右手で輝く黒い髪を耳へ掛ける。
「自惚れないでね。ヴリトラ廠の異変だから行くの。」
暗黒龍ヴリトラとエルファバの関係はわからないが、彼女は大災厄の前から『この世界』にいたはずだ。なんらかの繋がりがあるのだろう。ついて来るというのを拒む理由はない。戦える者は多いほどありがたいし、それが『西の悪い魔女』だというならこれほどの戦力はない。
あとは前衛か。
「とにかく、戦士か剣士か、前で戦える人間が必要だな。」
「いらないわ。」
エルファバが麗しい唇を片方だけ上げて即答する。
「使えそうなのは、みんな死んだか怪我をしてる。足手まといはいらないわ。」
たしかにギルドだけであれだけの怪我人だ。主だった者が多く残っているとは思えなかった。それにしても前衛なしの魔術師三人というのはどうか、と俺が思案顔でいると、エルファバはさらに続けた。
「アリス、って言った? 幻獣は呼べる?」
エルファバは、名前を呼ばれてようやく我に返った精霊使いに尋ねる。
「はい、中位の幻獣なら。でも幻獣を呼ぶと精霊魔法があまり……探知くらいなら。」
アリスは少し緊張しているのか、真剣な表情でそう答える。魔女は妖艶な笑みを浮かべながら、十分、と呟く。
「それに、私のゴーレムがあれば前は足りるわ。」
「ゴーレム? 持ってきているのか?」
通常、ゴーレムは実態のある人形かそれに類するものでなければならない。土や木で一時的に作ることはあっても、それなりのゴーレムを恒常的に使いたいのなら、岩や鉄で人形を作る必要があった。ゲーム内と『この世界』ではそこに違いがあるのだろうか。
「『これ』で、火のゴーレムを作るの。」
エルファバが腰紐にかけられた袋から取り出したのは、小さな金属の筒だった。表面には幾多の魔法陣が刻まれている。見れば、炎形成や魔力吸収の魔法陣に見える。
俺はエルファバに、なるほど、と頷いて、アリスを見る。アリスがこの編成で納得すれば、緑髪の精霊使い、赤い瞳の魔導魔術師、そして紋章魔法使いの三人パーティでヴリトラ廠へ向かうことになる。
アリスは、俺が声に出して聞くまでもなく、耳の横から零れ落ちた緑の髪を揺らして、うんうんと首を縦に振っていた。
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小太りとのっぽの商人にマインベルグまでの運賃の、後払いの半額を支払い、彼らに別れを告げた。二人は俺とエルファバを強力な護衛と思ってくれていたのか、とても残念そうだった。特に小太りの商人の握手はやたらと力強く、そしてなかなか離してくれなかった。
食料と水を準備し、荷運び用のロバも借り受けた。こういったロバや馬は、ギルド仲介によりほぼ適正価格で借りることが出来る。もちろん、途中で怪我をさせて潰してしまったりすれば、それなりの賠償金を支払う羽目にはなるのだが。
ロバを借り受けるためにギルドを訪れた際に、一応三人で討伐メンバー登録をした。俺やエルファバは気にしないのだが、アリスはギルドにおける成績になるから報酬に影響がある、という現実的な理由で半ば強引に手続きを進めたのだ。ギルド職員の、あの白髪の混じった中年の男性は、『西の悪い魔女』の登録に少し指が震えていたようだった。
パーティの名前は『魔女と精霊』という、俺が無視されたものになった。俺の案、『両手に花』を聞いたエルファバが、「私は花じゃないわ。枯れないもの。」とどこかで聞いたような台詞とともに勝手に決めてしまったのだ。
ヴリトラ廠は、魔神ケ・トの神殿の裏手の鎮守の杜の中にある。ケ・トの神殿まではおよそ半日ほど、そこには礼拝者用の簡易な宿泊所のような建物があるため、まずはそこを目指す。
神の月の祭祀の最中なら礼拝者だけでなく聖職者やその手伝い等、それなりに人もいるのだろうが、今の時期は一般人は誰もいないはずだ。一般人でない者、この強制依頼のかかったギルド員は何人か残っているかもしれない。そういった者たちと出会えれば、運がよければ共闘ということになるだろう。
神殿までの道は、年に四回の神の月の礼拝のためによく整備されている。特に信仰する者の多い『聖霊スリア・シルト』の月である4月には、街を上げての祭りといってもよい雰囲気だそうだ。石畳などは敷かれていないが、よく踏み固められた平坦な路面は、少し足取りを軽くする。
所々切り倒された丸太が転がる林の中を、馬車がすれ違うことも容易な太い道が貫いている。しっかりと下草が刈り取られ、新しい切り株と古い切り株がそこかしこに点在するので、途中の小休止の場所には事欠かなかった。
「アリス、幻獣を一度見せてくれないか。戦力を把握しておきたい。」
何度目かの小休止のとき、俺だけが幻獣を見たことがないことに気付き、緑髪を結い直していたアリスにそう声を掛けた。
「わかりました。」
アリスは髪を結い終わると、いきます、と宣言し、契約の言葉を詠唱する。続いて誓約、盟約の地の言葉と続く。
――どれも聞いたことがない。だけど、様式は同じだ。
精霊魔法や神聖魔法と同じ作りの詠唱。それが終わると、緑髪の精霊使いは中央共通語で誰に言うとでもなく話しかける。
「白銀の古狼ハール、出てきて。」
彼女の言葉に周囲の魔力が白く光り目の前の切り株の上に集まると、それは狼を形作った。
目も口も全て白く光り輝いているために、じっと直視することができない。ただ、アリスの方を向いて尾をひたひたと振っている。
「いけ。」
アリスの命令に、白銀の狼は切り株から飛び上がると、木々の間を華麗に飛び回る。
俺は、もしあれが敵だったら、魔法を当てるのも一苦労だな、と感心していると、狼は一つ大きく飛び上がり、立派な大木の大きな枝を噛み砕く。その後は、何事もなかったかのように元の切り株の上に座った。
エルファバは満足げに頷いていたが、黒髪をかき上げた後、気になったのか口を開いた。
「あとは何が出せるの?」
アリスは一瞬何かを考えたようだったが、すぐに魔女の問いに答える。
「『新緑の大鳥イギト』ですね。」
西の悪い魔女はもう一度美しい黒髪をかき上げ、静かにアリスに言う。
「あとは?」
エルファバが何を知っているのか、アリスが何を隠したいのかは俺にはわからなかったが、アリスは諦めたように魔女に答えた。
「……『謳火の麗豹ファイフェル』です。」
狼が、唸り声を上げたような気がした。




