第一部第三話:整合性チェック<戦闘>を行いました
昼食は簡易な旅のもので火を使うことはなかったが、目的地が近く、用意した水が残り少ないことと、このあたりに水場がなかったため、俺の魔法で全員分の水を用意した。これには三人は大きく感謝の言葉をかけてくれた。
ツェトラ老は言った。
「先程の車輪の修理でも思ったが、お主の魔法は不思議だな。魔法陣が見えない。」
俺はちょっと驚いた。
――紋章魔法は、ゲーム上では、紋章は術者にしか見えないはず。魔法陣を使わない魔法は、特に珍しくもないと思うが……。
「……すこし工夫してありまして。」
この世界のことはほとんどわかっていない。慎重にそう答えた。ツェトラ老はとりあえずは納得したようだ。
小道の脇に座り込み、そんな話をしながら、干し肉と乾燥させた何かの穀物をツェトラ老がゆっくりと食べ、俺も車輪と水の礼だと受け取った同じ物を少しずつ齧る。少し強くなった日差しが木々の間から差し込む中、あたりの林を出来るだけ見渡せるように、大きめの石の上にマークだけが立っている。彼だけが警戒を緩めてはいない。
――誰か来る。
俺は、ゲームのキャラクターが持っていた『警戒』の技能が、この世界でも機能していることにもう驚きは感じなかった。マークも気付いたようだ。少し曲がりくねった斜面の向こう、馬車の進行方向から、馬に乗った人影が現れたのはそのすぐ後のことだった。
「ご無沙汰をしていました。ツェトラ老。」
現れた人物は、アルフレッドという名前の魔導士、つまり魔導魔法使いだった。同行者である我々にも、ここに現れた理由を語ってくれた。主には、護衛であるマークの警戒を解くためではあったが。
彼は、馬車の目的地であるアイン村の出身であるらしい。それから次のようなことを語った。
アルフレッドの加護読みをしたのがツェトラ老で、『本の加護』を見抜いて彼に援助し、ついにはリースの街の魔法兵団の仕事につくことができ、それを恩に感じていること。
リースの街へ行ってから、10年ぶりの帰郷で、ツェトラ老に援助の感謝と礼に赴いたが、不在であったこと。
そして、アルフレッドが村に着いたその日に、ツェトラ老が1年毎に行う隣村での『加護読み』から戻る予定と聞いて、いてもたってもいられず、迎えに出たこと。
なるほど、20代中盤と見える彼の身体は、鍛えてあるようには見えない。その代わり、上等な赤黒いローブと簡素だが刺繍の施されたマント、何より魔導士であることの象徴たる杖を身に着けていた。また、黒髪を無造作に束ねているのは、身だしなみに気を使わない研究者を象徴しているのだろう、とも思った。
次の瞬間、矢が飛来した。微かな空を切り裂く音とともに、ツェトラ老のローブの右胸に、鮮血が染み出る。全員が完全に油断していた。
「ぐっ……」
ツェトラ老は呻き声とともに、突き刺さった矢をつかんだまま、地面に倒れこんだ。マークが苦虫をかみつぶしたような表情で、ただしすぐに動く。斜面側から現れた、皮鎧と小剣を手にした二人に抜刀して斬り結ぶ。
それを確認した俺は、それとは別の矢の飛来した方角に、指さす。ただし、心は平常ではない。ゲーム中では幾度となく遭遇した事態だが、現実ではもちろん経験がない。夢であってくれたらいい現状は、とりあえずは現実と認識したほうがよい。このキャラクターは|ウィザーズ・オンライン《ゲーム》の中では幾度となく死に、同じ数だけ生き返っていたが、この身体がそうである保証などないのだ。むしろ、そうであるわけがない。そう思うと足がすくんで、ゲーム内のとおり動くことなどできない。
アルフレッドはすぐに、棒立ちの俺の指さした方角に、第二射目を弓につがえようとしている男を発見すると、魔法の行使を始めた。最初に魔法文字を読み上げる詠唱、続いてアルフレッドの前に、両手を広げたくらいの直径の、少し赤みがかった光の円形魔法陣が現れる。
「炎よ、火球となりて、敵を打て!」
火弾だ。|ウィザーズ・オンライン《ゲーム》と同じく、魔法陣から火の玉が現れ、それは矢と同じくらいの速度で敵に向かって飛び、爆発する。
弓をつがえていた男は火弾の爆発に吹き飛ばされた。
ここからではしっかりとは見えないが、四肢のどこかが飛んでいくのと、血しぶきが出たことは確認できた。
――魔法陣と魔法発動のエフェクトは、あのゲームよりリアルだな。
魔法陣のエフェクトは、ゲーム内で見た簡素な省略されたものよりかなり複雑で、つい魅入ってしまっていた。
その中に、ふと目に入ったものがある。紋章だ。
円形の中に織り交ぜられた文字の一つが、俺が紋章魔法で使用する火弾術式の中の一つと同じだったのだ。
――どういうことだ?
俺はその光景に、襲撃されているということを忘れて、しばしそんなことを考えていた。
ぼんやり見ていると、ふと悪寒を感じて振り返る。
マークと切り結んでいた男の一人が、こちらに向かってくるのが目に入る。
魔導士から狙うのは戦いのセオリーだ。アルフレッドはまだ気づいていない。このキャラクターの『警戒』技能は非常に高い。
――火弾
躊躇なく、俺は紋章魔法を発動した。紋章魔法に詠唱は必要ない。そして、この複雑な術式も、俺にとっては造作もない。一瞬で火球が生成され、小剣を持った襲撃者は、弓の男と同じ運命をたどった。
時を同じくして、マークがもう一人の小剣の男を斬り伏せていた。
アルフレッドは、俺の魔法を見て、驚きの顔を見せていたが、すぐにツェトラ老へ駆け寄った。俺もそれに続く。矢が右胸に刺さったままだ。
ゲーム内では怪我は数値で表されるし、俺は医療の知識もない。酷い怪我だということはわかるが、どうしたらよいのかはわからない。
ただ、この世界には魔法がある。なかなか治癒の魔法を使用しないアルフレッドに向かって、俺は当然のように言った。
「アルフレッド、治癒の魔法を!」
アルフレッドは苦悶の表情でそれに答える。
「……私には使えません。」
単純に使えないのか、使えるが使うことができない理由があるのかはわからなかったが、このままではツェトラ老があぶない。出血が酷い。血の気が引いていくのが素人の俺にもわかる。治癒の紋章魔法は試したことがないが、すぐに行動に移る。
ディスプレイを表示し、記憶を頼りに紋章の並び、組み合わせを選んでいく。忘れている紋章は検索で見つける。すぐに治癒の術式は出来上がった。
――治癒
ツェトラ老の顔に赤味が戻るのがわかった。
「応急処置でしかありません。早く本格的な治療のできる場所へ。」
治癒魔法の発動に、彼らは理解がおいついていないようだったが、俺の言葉にうなずいて村へと急ぐことになった。
2016/04/19:[修正]改行と空白文字調整
2016/04/23:[修正]改行と空白文字調整
2016/04/23:[訂正]アルフレッドの登場「人影」から「馬に乗った人影」