第二部第十三話:はじまりのTransaction
少し緊張しながら精霊の力を借りて川を渡ると、すぐに土手を駆け上がる。
川のこちら側は、まだ農地開拓が進んでいない、それどころか人の手の全く入っていない森だ。
相当の歳月をかけて盛り固められた高い堤から見下ろしても、枝や葉に埋め尽くされ何も見つけることはできない。堤防を作るときに切り倒したのか、すぐ足元だけは幾分古い道だったようなものも見えるが、その先はうねうねとした木と形とりどりの草が生い茂っている。
それに、俺の魔導魔法のレーダーでも、魔力波が木々や葉の持つ魔力に反射してしまい、森の中の状況まではわからない。あくまで、見通しの良い場所しか探知できないのだ。
しかし、精霊魔法は別だ。
どういうわけか、精霊魔法による探知は、例えば大きな魔力が手前にあったとしても、その奥の微量な魔力までも示してくれる。探知対象又は探知する場所の条件を正確に唱えれば、特定のものを見つけるのも簡単だ。
先程の魔力の爆発のあった方角を指定し、精霊に接続する。今度は『日本語』で精霊への命令を行ってみる。
風の精霊は五つの反応を返した。それほど遠くない。
命令の言語は、中央共通語をはじめ、東方共通語、日本語までも理解してくれるようだ。
――しかし、一つは……エルファバか?
記憶のある魔力の波形だった。西の悪い魔女、彼女の美しい、だが妖しい赤い瞳を思い出す。
彼女の血塗られた瞳は、加護を読む力を持っている。そのうち、加護を読まれないようにする方法も考えなければいけないな、と思いながら、ゆっくりとその方角へ歩を進めた。
茂った下草とそれに隠された木の根が厄介だ。皮でできたブーツは旅を続けるうちに靴底もすり減り、ライエンシュタットで買い替えようと思っていたことを今になって思い出す。
時折立ち止まって方向を確かめながら、慎重に、どこから何が出てきてもいいように木の陰に隠れながら移動する。
不意に一つ、反応していた魔力が消える。エルファバではない。別の誰か、あるいは何か。
消える前にあの、魔力の爆発を感じる。凝縮された魔力が急に解き放たれたような、水の中で大きなものが動いたような感触。
今度はかなり近い。精霊もそう教えてくれている。そして、こちらに近づいてくる。
太くうねった木の幹に身体を隠し、じっと息を潜めていると、がさごそと人が草をかき分ける音が聞こえる。エルファバだ。
自慢の黒いローブの裾が無残に千切れ、お気に入りだった帽子はすでにない。麗しの黒髪は木の葉や小枝がからみつき、赤い瞳が苛立たし気にさらに赤く妖しく見える。
「エルファバ、どうした?」
西へ帰ったはずでは、と言いかけた俺に、エルファバは自分の後方を指さす。
――魔力が、集まっている。
この感覚は知っている。黒いローブの男の館で、蜘蛛の召喚獣と戦ったときだ。あのときも、直前にこれとそっくりの魔力の高まりを感じた。
隠れていた木を離れ、赤い瞳のくたびれた魔女の隣に立ち、指さされた先を見る。
漆黒の、鎧のような体表。たなびく闇色の外套の裏地の赤は血の色を連想させる。背中から生えた翼も黒。龍の翼を思わせる大きな鉤爪。表情のない顔と、昏く湿った長い髪。そこから二本の羊の角が左右に大きく飛び出している。
そして、瞳。赤く黒く、思わず魅入ってしまう、どこまでも落ちていくような瞳。
――……悪魔公爵。
ゲームの中で見たことはあった。むしろ使役していた側だ。しかしこの世界で見るのは初めてだった。襲われる側として見ると、こんなに恐ろしいものなのか、と少し現実逃避気味に呆然としていると、エルファバが魔法の詠唱を開始する。
デモンロードが大きく龍に似た咆哮を上げ、こちらにゆっくりと歩みを開始する。どうやら敵は焦ってはいないようだ。エルファバとデモンロードの力の優劣はわからないが、デモンロードは自分が上、と思っているようだった。
エルファバの詠唱が終わり、デモンロードの足元に魔法陣が展開される。そして、魔法陣に魔力が満ちると、大きく三角錐を形作る光の壁が現れる。
おそらく西の悪い魔女の最大の攻撃魔法なのだろう。俺も咄嗟に避雷針を思いつかなかったら、障壁を破られ死んでいたはずだ。
そして、発動。しかしデモンロードは回避する様子もない。
三角形の死の檻は、眩いばかりの電撃をおよそ力の限り乱舞させる。次々生み出された小さな光の珠からあらゆる方向に放たれる。光の珠の消滅自体も、弾ける電撃となり、『小さなこの世の終わり』を思わせる。
大電力による影響なのか、このあとには微量のアンモニア臭がする。空気中の水分の電気分解がどうとか、水素と窒素の結合がどうとか、そんな話なのかもしれない。
雷の饗宴が終わり、結界が失われ、炭も残らぬはずだった。
悪魔公爵は守るように身体を覆っていた翼を広げ、再び咆哮した。全く効いていないようだった。外套が焦げてさえいない。
「くそっ! ……アークデーモンならいけたんだけどね。」
西の悪い魔女は、瑞々しく美しい唇に似合わない悪態を小さくついた。そしてまだ呆然としている俺に、苛立たし気に怒鳴りつける。
「レルドレザル! あなたも手伝いなさいよ! 死にたいの!?」
我に返った俺は、俺がどうしてエルファバとデモンロードの戦いに巻き込まれ、なぜエルファバの側につく前提で話をされたのか理解できなかったが、デモンロードの目を見る限り、俺を敵と認識しただろうことは想像がついた。
デモンロードがくぐもった声で詠唱を始めている。そう、あれは魔法型だ。ゲームの設定と同じ。だとしたら敵はあの世界の人間。
デモンロードの詠唱が速い。魔法陣が展開される。しかし、俺の魔法陣の発動の方が速い。
見えない魔法陣から放たれた銃弾が、デモンロードの展開した魔法陣の魔力障壁の隙間に食い込む。発動部分は魔法陣が開いている、そこに突き刺さった弾丸がはじけ、魔力吸収の魔法陣を展開する。
逆側から魔力を流し込まれた魔法陣はその存在価値を失い、ぼんやりとした光を残しながら消えていく。
続けて光の矢がデモンロードに突き刺さる。並列詠唱で展開した魔導魔法だ。
こちらの光の矢も、内部に魔法陣展開用の術式が組み込んである。あの球体魔法陣の変形版だ。親指の先程の大きさに調整してあって、これでもかというくらいの魔力吸収術式が詰め込んである。それも、範囲を指定して。
初速はライフル弾を越えている。避けもできなかったデモンロードの腹に、ワイバーンを落とした対空魔法に組み込まれている対装甲榴弾で穴を開け、小型球体魔法陣を内部で展開させる。
魔法を阻害され、腹に穴を開けられても変わらなかったデモンロードの表情が苦悶にかわる。
召喚魔法で呼び出されたものは、魔力で出来ているはずだ。なら、それを吸い取ってしまえばいい。そういう発想で作った魔導魔法だった。そしてそれは、どうやら正解だったようだ。
しばらくうめき声をあげていたデモンロードは、ある瞬間にぱたりと動きを止め、黒い霧となって消えていく。
直後、氷の矢が降り注いだ。魔導魔法の発動の予兆はなかった。常時展開型のレーダー同期障壁がそれを防ぐ。
――精霊魔法使いか。
後ろに気配を感じて振り返ると、ブレストプレートの剣士が斬り込んでくるのが見えた。
「エルファバ!」
斬り降ろされる直前で身体を捻って躱した赤い瞳のエルファバは、短い詠唱と共に両手を前へ突き出す。素早い魔法陣の展開と発動、相手を突き飛ばすだけの初級魔法だった。
だが、剣士はそれを受け止め、飛びのいたエルファバに迫る。鮮血が飛び散っている。どちらの血かはわからない。おそらくエルファバか。
俺は腰の光の剣を構え、白銀の刃を形成する。そしてそのまま前に出て、横薙ぎに剣士の胴を狙う。
再び予兆のない魔法、大きな岩の弾丸が、俺に向かって飛来する。それを無視して俺は剣士と対峙した。俺のレーダー防御システムは、先程すでに迎撃モードに切り替えてある。
飛来した岩の巨大な弾丸が、俺の小型対空魔法に打ち落とされる。
俺の光の剣を見たブレストプレートの剣士は、目を見開いて驚いたようだったが、すぐに表情を切り替え、横薙ぎを躱した姿勢から俺に斬りかかってきた。
同時に、エルファバの足元に魔法陣が浮かぶ。
俺はエルファバの足元の魔法陣に発動阻害の弾丸を打ち込みながら、前方の剣士に障壁をぶつけた。剣士の顔が歪む。それでもなお、剣士は障壁を剣で斬り裂き、肉薄してくる。
おそらくこれは魔法の剣だ。しかも、強力な。俺の障壁が並の剣で斬られるわけがない。
二度三度と斬り結ぶが、剣術では俺に勝ち目はない。おそらくカロカハン卿あたりなら、この光の剣の癖も知った上で相当の腕の剣士でも斬り伏せるだろうが。
西の魔女は怒りにまかせたのか巨大な魔法の詠唱を始めている。雷の結界魔法ではないようだ。
俺は剣士に近接戦闘に持ち込まれ、なかなか魔法を撃つことができないでいる。精霊魔法使いやおそらく召喚魔法を使う魔導魔法使いがすぐそばにいるはずだ。精霊魔法による探知と先程の岩の弾丸で、精霊魔法使いの位置は大よそ把握できている。
この剣士さえなんとかできれば……。とそのとき、剣士の身体が一条の光とともに真っ二つになった。切断面が炭化して血も出ていない剣士だった二つは、ゆっくりと地面に崩れていく。
「カロカハン卿……。」
こんなときにもさわやかな笑顔で、王国騎士は光の剣を眺める。
「少し、遅かったですか?」
「まだ、魔法使いが二人。」
俺はそう言って、精霊魔法使いがいるはずの木の陰を向く。
「逃げ出したようですよ。」
たしかに精霊魔法の探知でも、俺たちから離れていくのがわかった。しかしエルファバはまだ詠唱を続けている。
「……絶対に、逃がすもんですか。」
巨大な、美しい魔法陣がエルファバの前方に展開される。今まで見たことがないものだった。
徐々に魔力が満ち、複雑な手順で魔力が注ぎ込まれていく。5ヵ所、6ヵ所、いや、10ヵ所以上の起点にタイミングを誤ることなく魔力の光を灯す。エルファバのその妖艶な表情は、まさに悪い魔女、と言うに相応しいと思えた。
魔力が満ちた魔法陣が、すっと頭上高くに上がっていくと、その中心から、レーザーとでも言うべきものが散発的に放たれる。
巨大なレーザーを受けた木々はなぎ倒され、燃えることも叶わずに消え去る。大地が抉られる地すべりのような音、そして、一瞬後の爆発。それがただ繰り返される。
「エルファバ……もういいんじゃないか……。」
死闘の後だというのに、俺は少し間抜けな声を出してしまった。20回以上の破壊の光を出した魔法陣が、ようやく消えると、エルファバはその場に座り込む。おそらく魔力切れだろう。あの魔法は、吸収魔法陣が申し訳程度にしか使われていなかった。
「カロカハン卿はなぜここへ?」
誤魔化すように光の剣の騎士に尋ねる。
「レルドレザルと同じです。あんな大きな魔力を感じたら、さすがに放ってはおけないでしょう。」
なるほど、と頷きながら、事情を聞こうとエルファバを見ると、右腕が斬られて血が流れ出ているのに気付いた。先程の剣士の一撃だろう。
まずは治療してやるか、とエルファバに近づき神聖魔法を使おうとするが、そこで少し悩んだ。
「エルファバ、お前は神を信じるか?」
「なんの勧誘?」
やはり、しっかり考えてから発言しなければ失敗する、この歳になって再度実感するとは、と闇に沈んだ森の中で自嘲した。




