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第二部第十話:Staticな月の下で

 幌付きの荷馬車の横には、寝袋のような粗末な布が敷いてある。屋根があるとはいえ、ふきっさらしの休憩所だ。幸いなことに風はかすかに吹くだけだったが、木々の揺れる音になかなか寝付くことができない。



 あのあと聞いたエルファバの言葉を思い浮かべながら、まわりの旅人や商人を起こさぬよう、静かに荷馬車を離れる。



 休憩所の屋根が、焚かれた少ない篝火に照らされ、辺りの暗さを余計に感じさせる。申し訳程度に立っている夜の見張りも、柱にもたれてうつらうつらと炎の影に揺られている。



 相変わらずの気持ちの悪いくらいの星空と、元の世界と変わらない月。



――少しだけ大きいか。



 いや、元の世界でも、月が大きい日はあったのかもしれない、と思う。きっと俺がその大きさに興味がなかっただけだ。



 それに、この世界での俺のまわりで起きる出来事にも。



 この世界にやってきて、盗賊を倒したのは成り行きだった。成り行きでツェトラ老を助けた。

 そのおかげで村でのあの平穏な生活が訪れた。


 マークに誘われて、魔物を退治し、遺跡を見つけた。金が手に入り、趣味が増えた。


 ロルフ村の楽師ラウラに頼られ、黒いローブの男サイトを殺した。村の人々に感謝された。


 銀髪の皮鎧の剣士アラモスと貴族の騒動に巻き込まれ、剣を渡した。彼は貴族の息子を斬った。


 素晴らしい生徒エルンストに言われ、塔を作った。快適な生活が訪れた。


 再びマークに誘われ、赤いローブの男を殺した。龍も殺した。死を覚悟したが、生き残った。



 全て『俺が』何かをしたいと思ったわけじゃない。



 フリーダとの光の剣の制作も、彼女が宿屋で相席をしたからだ。夜会での演武も成り行きだ。


 俺が『そうしよう』と思って『そうした』ことは、せいぜい、ここ、レアハイム侯爵領への旅をして、『北の賢者』に会おうと旅したくらいのことだ。



 この世界に来て、ようやく自分の状況が理解できた後は、ただひたすら生きようとだけ思っていた。


 生きるために寝床と食事を求め、シュタイツ司祭に頼った。


 生きるために、生き残るために魔法をいじった。


 生きるために剣を作り、生きるために魔物を殺した。



 もしあの頃に、『北の賢者』に会っていたら。グェンの話を聞いていたら。『呪い子』のことを知ってしまっていたら。



 美しき西の魔女は、赤い瞳を昏く沈ませ、輝く黒い髪をひとすじも乱すことなく、美の女神が嫉妬に狂うはずの麗しい唇で、宣言するように俺に語った。





  呪い子の呪いは『繰り返し』の呪い


  死の数だけ蘇り、そして死に、また蘇る





 俺がその呪いを受けたとしたら、こうして月を見上げていられるだろうか。月が少し大きいなどと、考えていられるだろうか。





  呪い子の呪いは『気付き』の呪い


  蘇るたびに知り、そして死に、またそれを知る





 俺がその呪いを受けたとしたら、狂気にかられずにいられるだろうか。自分に群がる者たちと、穏やかに接することができるだろうか。





  呪い子の呪いは『迷い巡り』の呪い


  ここから出ようと足掻いても、決してあちらには出られない





 俺はいままで、『帰りたい』と思ったことはないだろうか。そしてこれから、『帰りたい』と思わないでいられるのだろうか。





  呪い子の加護は『時計』の加護



  この世界のすべてのものの時を定める加護



  永遠の輪廻を繰り返し、ただ刻む






 赤き瞳の魔女は、血で染め、加護を読む力を得たその目で、呪い子の中に『あの時計』を見た、と言った。






  呪い子は蘇り、知り、足掻き、そして止める。


  この世界の時を止める。


  




  俺の見た、エルファバの見た


  グェン、ブラン、アラモスの見た


  そして呪い子が選んだ『時計』


  選んでしまった『時計』







 俺は帰りたいのだろうか。帰れるとしたら……。帰れなかったとしたら……。





 上空の雲が月を隠し、辺りが闇に包まれる。それでも漏れ出ようとする月明りに、数多くの星たちが助力する。



「帰りたいですか。」



 辺りは暗闇だ。声の主は見えない。



 ついには風の精霊が月の女神に力添え、闇が払われた。

 風の精霊の力の行使の余韻ではない。深いため息が聞こえた。


 月明りの中、魔導士のローブにマントを羽織った姿が見える。

 

「……ホーフェン卿。」


 かすかに吹くだけだった風は、夜が更け、少しだけだが勢いを得たようだ。ホーフェン卿は後ろでまとめた赤毛を馬の尾のようにゆらゆらと揺らしている。


「私は、帰りたいんですよ……」


――ホーフェン卿……


 ためいき卿はまた、大きくため息をつく。


 俺は何も答えることができない。


「私には帰る理由があるんです。」


 そういう者の方が多い、理解できる。理解できるが、わからない。


「子供に、妻に、もう一度会わなければならないんです。」


 おそらく想像のできる答えが帰ってくるだろう質問を、俺はホーフェン卿にする。


「『呪い子』の力を使っても、帰れないかもしれない。」


「たしかに、帰れないかもしれない。でも、帰れるかもしれない。」


 俺はもう、次の問いを続けることはできない。それが馬鹿げた問いだとわかっているからだ。


――ノアの考え、グェンの考えは間違っているかもしれない。


 そう、間違っているかもしれないが、正しいのかもしれないのだ。


 『時』は、魂がどの世界に存在するかの識別子のようなものだ。

 全ての世界は唯一の時を持つ。その世界の魂は、世界と同じ時を持つ。

 ゆえに、世界の時と魂の時は同じでなければならない。同期していなければならない。

 適度なゆらぎは正されるが、大きくゆらげば弾かれる。世界から魂が弾かれる。


 時を司る『呪い子』は、すべてのものの時を管理する。彼は死んで記憶を失っても、いつかその力に気付く。


 人々が切望する、若返りの力。たしかにそれもあるのだろう。

 それを求められ、力におぼれることもあるのだろう。


「『呪い子』を見つけ、『この』世界から弾かれる。『あの』世界に帰る。」


「他に方法は……。」


――くだらない、本当にくだらない言葉だ。


 あるわけがない。世界の理の中にいる俺たちが、世界の理を越える方法など、あるわけがない。



 『呪い子』が力に目覚め、転移者や転生者を世界から追放する。


 次々現れる者たちを、次々に追放する。


 「帰りたい」 「戻る理由がある」 「子供がいる」 「妻が、親が」 「恋人が」


 『呪い子』は、戻る理由を次々に口にする者たちを、追放する、繰り返し、繰り返し。



 時を司る『呪い子』は、すべてのものの時を管理する。彼は死んで記憶を失っても、いつか気付く。



 繰り返し、繰り返し、人々を帰し、それでどうなるのだと。


 『帰れない』、『自分は帰れない』、『生まれも滅びもない』、『繰り返し、繰り返し』


 ただ時を刻み、ただそこに居る。永遠に。



 やがて『呪い子』が、時を止めるのは必然だと老人は言った。人の身に、永遠の時は長すぎると。


 そんな『呪い子』に、僅かでもこの世界の安らぎを与えたいと魔女は言った。人の身に、安らぎは必要だと。



 彼らは俺に言った。


 俺はなんと言えばいいのだろう。


 絶望した北の賢者に、優しい西の悪い魔女に、加護の呪いを受けた『呪い子』に。


 そして今、俺の前で、ただ静かに涙を流す、ため息ばかりの魔導士卿に。



 ためいき卿は、また一つ大きなため息をついた。


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