第一部第二話:設定ファイルを読み込んでいます
俺は、先程馬車が向かった方向へ向かって林の中の小道を歩いていた。
馬車が来た方向に集落があるのか、あるいは向かう方向にあるのか、運でしかない以上、俺を発見しても気にすることなく通り過ぎた者たちは、俺に明確な危険をもたらすことはないと思ったからだ。この先に何か危険があるなら、あの馬車が先に被害を被るだろう。
とにかくこの林の中では、食料の調達はもとより、安全の確保が難しい。せめて、友好的ではないにしろ、いきなり魔法や矢が飛んできたりはしない場所へ行きたかった。現状把握と今後の対策を考えねば。
歩きながらディスプレイを見る余裕はなかった。周囲を警戒しながら歩く。いつ何が起こるかわからないのだ。ディスプレイは、邪魔だな、と思った瞬間に消えた。少し焦ったが、見たいと思えばいつでも表示されたことで安心した。
このディスプレイだけが元の世界との繋がりのように思えた。
どこかで読んだ小説のように、自分のステータスがゲームめいて表示されないか、いくつかの方法を試してみたりもした。
反面、まだ夢ではないかという思いも残っていた。ありきたりに頬をつねったり、何度か腕を平手で叩いてみたりもした。
何れも徒労に終わり、警戒しながら歩くということに疲れ始めた頃、遠目に馬車の姿が見えた。どうやら止まっているようだ。
ゆるやかな斜面と並行な林道には、特に停車する理由があるようには思えなかった。
緊張に警戒を強めながら、ゆっくりと馬車に近づく。
俺を無視して通り過ぎた先程の馬車だ。少し大きめのリアカーに幌がついているだけの簡素な作り。
この世界があのゲームの世界と同じであったとしたら、それほど裕福な者が乗っているとは思えない。
友好的なことに期待をするわけではないが、少なくとも突然攻撃を受ける程、敵対的ではないはずだ。少しでもこの場所の情報が欲しい。言葉が通じたとして、の話だが。
人影は3、幌の中までは詳細に確認はできないが、小さい馬車だ。荷台の物陰に隠れてでもいない限り、3人で間違いないだろう。
静かに、怪しまれないよう堂々と近づく。剣を腰に下げた男は、こちらに気付いているようだ。
「……明日には村に着くというのに、不運だな。」
皮鎧を身に着けたその男が、こちらから視線を外すことなく、馬車の車輪の元でなにやら忙し気にしている髭の中年男性と話していた。
――よかった、とりあえず言葉は理解できる。
「どうかされたのですか?」
俺は、あくまで自然に、と意識しながら声を掛けた。男は、いつでも抜刀できるよう腰の剣を握っている。
「ああ、すまない。俺はこの馬車の護衛だ。あんたが誰かは知らないが、こいつらを守る契約だ。剣から手を離さないのは許してくれ。」
栗色の髪の、20代中盤と思われる男は、軽い口調でそう言った。護衛、たしかに三人の中で、武装しているのはこの男だけだ。
皮鎧に長剣、小さ目の取り回しの良さそうな腕に取り付けるタイプの盾、あのゲーム内では初級から中級の剣士の定番だった。
「車輪が石に乗り上げてな、少し割れちまったんだよ。ここらはちょっと見通しが悪い場所だしな、あんたが盗賊の手下とも限らねえ。そうじゃないならあんまり近づかないでもらいたいね。」
ああ、そうだ。俺も帯剣していたのだ。思案に耽って全く忘れていた。
俺は立ち止まって少し考え、ゲーム内でのプレイヤー間ローカルルールを試すことにしてみる。
剣の鞘を持って腰止めの金具を回転させ、前後を逆にする。これで、すぐには抜刀できない。
当時、こうすることで、敵対意思のないことを証明していた。もちろん、魔法使いには意味のないことなのではあるが、挨拶と礼儀という範疇で、ほとんどのプレイヤーに浸透していたのだ。
「……あんた、王国の人間じゃないな。バルドゥークでもない。そのやり方は、東方だったか? スイ・オンあたりか? まあいい、盗賊じゃなさそうだ。」
聞き覚えのない地名だった。するとここはやはりゲームに似た世界ではあるが、同じではない、か。
非常に大雑把なものだが、情報が手に入り安堵する。
やはりこの作法は、この世界では通用しないか。ただ、丁度このキャラクターは、ゲームでの設定は東方の国出身だ。
「そうです。東方から旅をしてきました。お困りのようでしたら手を貸しますが。」
『生活魔法』がきちんと発動することは先程確認済だ。木の車輪の応急処置程度なら、問題はないはず。
「ああ、あんたもしかして魔導士か。いい成りと上等な魔法の指輪をしてるから、そうかと思ったぜ。」
勘違いされたようだ。おそらく……この世界でも、紋章魔法は下に見られ、他の魔法とは差別されているのだろう。
神聖魔法を使用する、元々地位を示す神官や司祭といった者たちは別として、魔導魔術師又は魔導士、精霊魔術師又は精霊使い、その二つと、生活魔法を使う紋章魔法使いは、ゲームの世界設定でも明らかな区分がされていた。
しばらく他愛のない会話を交わし、馬車の目的地がこの先の村であることを聞いた後、車輪の応急処置を終えた時には、剣士は概ね警戒を解いてくれたようだ。そして、紋章魔法を発動しても、三人は動じた様子はなかった。
ただ、三人目の男、白髪と白い髭のローブの老人は、魔法を見て不思議そうな顔をしていた。とにかくもっと情報が知りたかったため、こう切り出した。
「もしよろしければ、村まで乗せていってはいただけないでしょうか。もちろんお金はお支払いします。」
馬車の持ち主である中年男性は、車輪を修理してくれた礼だと言って、代金を辞退し、そして俺の願いを聞き入れてくれた。
剣士は、マークと名乗った。リースという街を拠点に、護衛や盗賊の撃退を請け負っているとのこと。ギルドに所属しているらしい。この世界にもギルドが存在するのだ。
馬車の荷台に同乗している白髪顎鬚の老人はツェトラといい、この先の村で『加護読み』をしているということだった。
『加護読み』というのは初めて聞いた言葉だ。ゲームのシステムや公式設定上にはない。プレイヤーローカルの言葉で、よほど少数で使用していたものなら別だが。
俺も自己紹介をする。とりあえず自分のゲーム内でのキャラクターの名前を名乗った。
「わけあって旅をしております、レルドレザルと申します。」
当初、車輪をなんとか修理しようとしていた中年の男性は馬車を操作していたためあまり話はできなかったが、二人とは荷台に揺られながら話すことができた。
彼らとの馬車の中での会話で、次のようなことが分かった。
ここはリベスタリア王国の東端、バルドゥーク帝国との国境近くであること。
明日の夕方には、大きな村に到着すること。ツェトラ老はそのアインという名の村へ戻る途中であったこと。
その村から街道に出て三日進めば、この辺りでは一番大きな街リースへ行くことができること。
「ところで、そのアイン村には宿などはありますか?」
この世界の貨幣相場を確認しようと、そう質問した。マークは栗色の髪をかき分けて頭をかきながら答えてくれる。男の俺から見ても、そこそこの男前だと思うのだが、その三枚目的仕草はもったいない。
「ああ、一応あるぜ。このあたりは旅人が多いからな。」
「私はこのあたりは初めてで、おいくらぐらいで泊まれますかね?」
「ああ、銀貨二枚ってとこかな。……ってあんた、東方からバルドゥークを通って来たんだったか? もしかして持っている金、東方通貨か?」
この世界には通貨が二種類あるようだ。中央と西方で使用される通称共通通貨と、主に東方で使用される東方通貨。大きさは東方通貨が若干小さく、価値も低い。俺の革袋の中の「これ」は、東方通貨というらしい。
「ああ、安心してくれ、このあたり、リースより少し西までは東方通貨も使えるよ。それより西に行くならリースで両替したほうがいいが。」
ゲームとは違うな、と思案していた俺が、東方通貨が使えないかと不安がっていると思ったのか、マークは笑う。
「ええと……銅貨10枚で銀貨1枚はかわらないはずで……たしか東方通貨は8掛けだから、銀貨二枚と……」
「銀貨二枚と銅貨四枚ですかね?」
えっ、とびっくりした顔でマークは俺を見た。指を折って数えている途中に、その顔で固まるのはちょっと面白かった。
ツェトラ老も驚いた顔をしているところを見ると、この世界では、金銭を数えることが生きることに繋がる商人や高等な教育を受けている貴族や神官はともかく、簡単な算数も、こういったものなのかと想像した。
「あんた、『算術』の加護持ちか?」
――『加護』 ゲームの設定にはないな。さっきの『加護読み』といい、なんのことだろう。
俺が不思議そうな顔をしていると、マークとツェトラ老は、東方には加護読みが存在しないのか? と不思議がりながら語ってくれた。
ちなみにマークが俺をスイ・オン出身かと聞いたのはただのハッタリで、東方にそういう名前の国がある、ということしか知らないようだった。
『加護』というのは、子供が持って生まれた才能のことらしい。
才能が強い場合、実際にその道具が本人には見えるという話は、興奮を抑えるのに苦労しながら聞き入った。
そして、馬車の同乗に賛同してもらい、俺の隣に座るツェトラ老の職業『加護読み』というのは、子供が生まれたときに、生まれながらに持っている才能を水晶玉に写して見せる、という職業とのことだった。
剣の加護を持って生まれた者は、小さな頃から自分の想像の中で剣と遊び、その才能を伸ばす。
算術の加護を持って生まれた者は、この世界のそろばんのようなもの、算術器を本人の意思で思い浮かべ、早く正確に計算や測量をする。
魔法に関しては少し特殊で、たいていは本を自在に思い浮かべることができるようだ。
魔導魔法は、魔法陣を多く記憶できることが有利に働く。
想像上の本に、多くの魔法陣を書いておける本の才能を持っているか否かは、魔導士にとっては死活問題となる。ただし、当然才能の強さによってページ数はばらつきがあるとのこと。
もちろん、本の才能は魔法陣を記憶する以外にも使い道はあるが、魔導魔法を記憶する以外に使用するのは才能の無駄遣いと言われる。
もしかしたら、ゲーム上におけるキャラクター作成時のステータス割り振りに相当するのだろうか。
おそるおそるPCの画面を開く。二人は特に驚く素振りもない。俺の目前にディスプレイが表示されたことに気付かない。
――『PCの加護』あるいは『パソコンの加護』か?
その言葉の響きに軽く吹き出しそうになる。いや、コンピュータが計算機である以上、これは『算術の加護』なのだろう。
白い世界の白い部屋で、無機質な顔の事務的な声は言った。
『……一つだけ前世での愛着のある物品を、転生先の世界で実現できる無理のない範囲でお持ちいただけます……』
――無理のない範囲、なのだろうか。
たしかに、この世界の剣術や本の加護の力を知らない俺には、その判断はまだ難しいのかもしれない。そう思うことにした。
そしてこの話を聞き終わったとき、はじめてこの世界での現在の時刻を知った。日が天に上り、昼食の時間なのだ。一日三食という常識は、元居た世界と同じようで、俺は少し安心したのだった。
2016/04/12:[訂正]街の名称を「リーセン」から「リース」へ
2016/04/12:[訂正]アイン村-リース間の距離を「一日」から「三日」へ
2016/04/12:[訂正]アイン村の規模表現「小規模な村」から「大きな村」へ
2016/04/19:[修正]改行と空白文字調整
2016/04/23:[訂正]通貨に関する不自然な説明文を調整
2016/04/23:[修正]改行と空白文字調整