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第二部第一話:Try-Catchにつかまって

 馬車の中で、ふうっー、という大きなため息を聞く。前後は筒抜けになっているとはいえ幌のついた荷台には、珍しく客席と呼べる古い木板が、左右に一つずつ渡してある。

 この、ぐらぐらと座り心地の悪い馬車の中には、向かい合って座る俺と、そのため息の主だけだ。

 彼は27、8歳くらい、俺の知り合いの魔導魔術師アルフレッドと同じくらいか。アルフレッドをもう少し太らせて、髪の色を赤毛にして、鼻を丸くして……。よそう、全くの別人だ。だが、魔導魔術師特有の、伸ばした髪を後ろで無造作に縛っている。


 同乗者の彼は、ドミニク・ホーフェン魔導士、魔導士爵持ちの貴族様だ。

 俺がなぜ、貴族様と御一緒しているかというと、それには大した理由はない。


 俺は、一か月程前にアイン村から『北の賢者』の住む『荒地』へ向けて出発して、まず北に向かった。中継地点の王国東端ローテンベルグは、さらに北へ行けば、アラモスが向かうと言っていたシュヴァルツシルト地方、西に向かえば王国中央のレアハイム侯爵領、という交通の要所の街だ。

 シュヴァルツシルト地方を経由してレアハイム侯爵領へ通ずる道は、海と崖に挟まれたとても街道とは呼べないもので、馬車も通れない。船を使って海からまわるしかなく、船酔いの酷い俺はアラモスに会うことをあきらめた。彼がロルフ村の楽師ラウラ程美人の女性だったら、俺は迷わず船酔いを選んだだろう。アラモスに会えなくて残念だ。


 それで、ローテンベルグでレアハイム侯爵領行きの馬車を探したが、馬車はなかなか見つからなかった。レアハイム侯爵領は北部にある『荒地』を除き一大農業地帯で、収穫の時期の今、ローテンベルグから買い付けの馬車が一斉に向かった後だった。もう一月早ければ、馬車の群れの中に潜り込めたのだ。


 そこで唯一残っていたこの馬車、それが、ホーフェン卿の予約済みの馬車だった。


 これを逃せば、一月はローデンベルグに足止めになる。もしくは、歩く、かだ。船酔いを覚悟するにしても、まずは歩かなければならない。どちらへ行く馬車もないのだから。


 俺が声をかけると、ホーフェン卿は快く相乗りをさせてくれた。「同じ魔導を志す者」という理由で。


 俺がこの世界に来たときの、白いローブにいくつかの装飾が施された茶色のマントを羽織り、無造作に後ろで束ねた髪型をしていたのが良かったと、そのときは思った。もちろん、『汚れて元は白かったであろうローブ』を、洗って元の白いローブにしてある。


 彼、ドミニク・ホーフェン卿はリースの魔法兵団に所属していたが、本来はレアハイム侯爵のお抱え魔導魔術師だった。それが、急に侯爵に呼び戻された。なにやら侯爵の三男がどうしても魔導魔術師になりたいと駄々をこね、急遽、師匠役として元のお抱え魔導魔術師に戻ることになったのだそうだ。


 この話は、かなり要約してあるが、ローテンベルグを出てからホーフェン卿が俺に延々と語った話だ。このあと、「その三男はちょっと変わった子供で……。」と続く。合間合間に大きな深いため息を挟みながら。


 つまり彼は、それを本当に嫌がっていた。今をときめく魔法兵団に入って、魔導魔法の実力を認められ、ついには魔導士爵を手に入れたというのに、なぜレアハイム侯爵領などという農業以外何もない、彼曰く『ど田舎』に帰らなければいけないのか、という話だった。


 それに、侯爵長男のクリストフが病弱であるために、次男のデトレフと三男のダリウスのどちらが侯爵位を継ぐのかという家督問題も発生するかもしれない、ということだ。次男のデトレフが妾腹であることが問題らしい。


 俺も無理に乗せてもらった手前、あからさまに嫌な顔もできず、かといってこのぐらぐらと揺れる馬車の中で眠った振りをすることができるほど器用ではない。舗装されていない道に木の車輪では、どこかに掴まっていないと転げ落ちることになりかねない。


 それに俺は、別にこの貴族のことを嫌いだと思ったわけではない。それどころか、ローテンベルグで快く俺を乗せてくれた親切と、彼のやさしい語り口調は、十分に『いい人』だと思わせる。この、大きなため息さえなければ。


 レアハイム侯爵領とローテンベルグの間の街道は、とても安全な街道で有名だ。俺が盗賊だったとしても、王国北西部の海運都市群が連なる街道か、南のブラウフリュス伯爵領の森林地帯で仕事をこなすだろう。なにせ、この街道を通る金を持った商人達は、収穫の時期に馬車を連ねて護送船団のように移動する以外は通ることがないのだから。そのせいで、護衛もいないこの馬車の荷台には、俺と、件のためいき卿の二人きりだった。



 ようやく目的地が近づいてくる。レアハイム侯爵領東端の都市にして主都、ライエンシュタットだ。


 と、何気なく外を見ながらため息をついていたホーフェン卿が、大きく目を開き、口をぽかんと開けた。ため息の予備動作ではないことは俺にもわかったので、つられて前方を見る。


 子供、といっても小学生か中学生、13歳くらいか。上品なチュニックとズボン、おそらく農民の子供ではないだろう。その男の子が、なにやら農民達に指図をしている。そしてその少年は、こちらに気付くとたかたかと歩いて近づいてくる。


「……止めて! 止めてください!」


ためいき卿はため息をやめて、御者に馬車を止めるように言った。


 少年はそのままたかたかと歩いて馬車の後ろに回り込むと、ひょいっと荷台に飛び乗った。


「やあ、ドミニク、ひさしぶり。」


 俺がホーフェン卿のファーストネームを聞いたのはローテンベルグで自己紹介をした一か月程前だったので、ドミニクという名前を忘れていたが、御者に話しかけたのでもなく、俺はドミニクではないのだから、少年が話しかけたのがためいき卿だということはわかった。


「お久しぶりでございます、ダリウス様……。」


「やめてよ。ダリウスでいいよ。もうドミニクは魔導士なんだし。」


 彼がホーフェン卿の言う侯爵の変わり者の三男らしい。馬車の中なので立って礼を取ることはできないが、ぺこりとお辞儀をしておいた。


「そういうわけには……。私はレアハイム侯爵家の魔導士ですから。」


 貴族についてはよくわからないが、アルフレッドから聞いた話では、王から直接叙爵される王国魔導士爵と、侯爵以上が独自に叙爵できる魔導士爵では、少し格が違うらしい。ちなみにホーフェン卿はリース伯爵からの推薦を受け、レアハイム侯爵から叙任された魔導士だそうだ。


「それよりダリウス様、このような場所で何をされていたのですか?」


 ホーフェン卿はさすがにため息を抑えているようだ。


「ちょっとみんなと農業の相談を……こちらは? 知り合い?」


 貴族の息子ということなので、ここは無礼な振る舞いをするわけにはいかない。慣れない言葉で自己紹介をする。


「申し遅れました、レルドレザルと申します。少し旅をしております。ホーフェン卿には、ローテンベルグからの馬車がないところを、ご親切に私を乗せてくださいまして。」


「魔導魔術師さん?」


 この世界の13歳は大人びていて、落ち着いているものだと算術や魔法の授業で思ったものだが、どうやら違うか、あるいはこの貴族の三男が違うのか。立て続けの不躾な質問に、早く宿を取って酒を飲みたいと思い始める。


「……はい、少し。」


 この格好で、魔法が使えない、とは言えない。別にこの格好でなくても魔法は使えるのだから、何か別な恰好をしていれば良かった。……だがそうするとホーフェン卿に相乗りさせてもらえず、今頃まだローテンベルグで足止めを食らっていたか。


「じゃあ、是非うちに来てよ! 魔法の話をいろいろ聞きたいんだ。」


 きた。めんどうな話だ。ローテンベルグでこの馬車に乗ったときから、少し嫌な予感はしていたのだ。


「……申し訳ありません。旅を急ぎますので、またの機会に。」


 またの機会など永遠にない。それはこの少年もわかるだろう。


「そうかぁ……」


「ダリウス様、あまり無茶を言っては……。」


 ためいき卿の助け舟は少し遅いと思ったが、少年がもう一度「そうかぁ……。」と言って諦めてくれたので、感謝しておくことにした。



 レアハイム侯爵領ライエンシュタット。丁度街の中央には領主の館がある。レアハイム侯爵カスパル・レアハイムが治める由緒正しい古い街だ。ここ王国中原には、南方や北方と違って、昔ながらの貴族が多い。南方のように、例えばブラウフリュス伯爵領のように伯爵は王都で財務官を務めていて一度も領地に足を踏み入れたことがなく、代わりに別の法衣子爵が統治する、というようなことが少ない。レアハイム家もその古くから続く貴族家の一つだった。


 ライエンシュタットの周辺は、農村地帯然とした牧歌的な風景が広がる。街の中もどこか長閑で、リースと比べると建物と建物の間が明らかに広いのも、そんな印象を与える要素の一つだろう。

 俺はこの街の雰囲気を気に入ったが、宿屋を探すのは少し苦労した。収穫期に買い付けに来ている商人が長期に宿を抑えたり、それでも足りずに空き家を借り上げたりしていたのだった。ただし、それもあと数日で去るとわかったので、少し傾きかけた作りの、中心部からは外れた、鍛冶屋街にある宿屋で何日かは我慢することにした。


 例のごとく一階が酒場になっている宿屋『燕の古巣亭』は古ぼけていて、今にも倒壊しそうな外観だったが、中に入るとそれなりに手入れが行き届いている。外から見たときには柱の傾きが気になったが、内側には新しい柱と梁で補強してあり、古い建物の内側に新しい建物が建っているような、そんな造りをしていた。


 外からは、カン、カン、と辺りの鍛冶屋からの音が聞こえてくる。外観とこの音で敬遠する客は多いだろう。俺も音は気になったが、どうせ昼間は宿に居るわけでもないし、夜には鍛冶屋がうるさくすることもないはずだ。

 俺は迷わず宿屋の受付兼酒場のカウンターにいる店主に声をかける。


 カウンターに立っていた、背はそれほど高くないが、服の上からでもわかる筋肉を蓄えた男は、口髭を動かしながら、顔に似合わず親切に説明してくれた。


 結局俺は、その元鍛冶屋だったという宿の主人に、食事付10日間分の金を先払いすることにした。10日もすれば他の落ち着いた宿に変えてもいいと思ったからだ。


 『北の賢者』はここから北へ向かった『荒地』に住んでいるということは知っているが、正確な場所はわからない。ローテンベルグを含め、行く先々で聞いてはみたが、正確な場所を知る者はいなかった。


――ああ、そうだ。ためいき卿には聞いていないな。


 ここ侯爵領の魔導士なら何か知っていたかもしれない。俺は馬車の中も休憩に立ち寄った村でも彼のため息と愚痴を延々と聞かされるばかりで、自分のことを話す機会はほとんどなかったし、彼に質問でもして彼のため息をもっと聞かされることを恐れ、結局『北の賢者』に会いに行く、ということは言わなかったのだ。


 口髭の宿屋の主人に聞いてみると、俺は今までよりも少しだけ多く情報を得ることができた。


「街の人間はたぶん誰も知らない。賢者様にも荒地にも用がないからな。侯爵様なら知っていると思うが、あんたが行って教えてくれるどころか会ってくれるとは思わんな……。」


 俺はやはり、ため息に我慢して、先にホーフェン卿に聞いておけばよかった、と後悔した。


――仕方ない、会いに行ってみるか。


 まずは少し酒でも飲んで、馬車での旅の疲れを癒そう、そう思った。


2016/05/08:[訂正]落字追加

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