第8話 - 「夢の終わり」
『親友を手にかけた』
信じたくない、しかし紛れもない事実を突きつける剣。
「お……俺……俺が……」
「そうよ。あなたが殺したの。掛け替えのない友を……愛しい妻と……息子と同じように。何の罪もない民たちを巻き込んだように……全てはあなたがしたことよ。リュノス」
正面に回り込んだリリスが、リュノスの瞳を覗き込む。
紅玉の瞳に捕らわれ、リュノスは硬直した。
「あの時、契約を交わさなかったら今頃皆どうなっていたか……知りたくない?」
呆然とするリュノスに薄く笑う。
「見せてあげるわ。それであなたの犯した過ちがどれほどのものか分かるでしょうから。そうね、まずはそこで血塗れになって冷たくなってる男の辿るはずだった未来を見せてあげる」
突如、リュノスの脳裏に鮮明な映像が浮かび上がる。
そこにはリュノスのよく知る二人が映し出されていた。
玉座に座る男と、彼と口づけを交わす美しい女性。
「ハンス……ミュレット…………」
そんな二人に駆け寄る小さな影が二つ。
「あなたは本来、この国の人間じゃない。じゃあ、あなたが現れなければ、誰が今のあなたの役目を担っていたと思う? 歪みの生まれなかったこの国は、今なお平和。ミュレットも……ハンスも……死なずに済んだ。彼らは幸せな家庭を築く事ができるはずだった。二人の姫だけじゃないわ。今頃、彼女のお腹には待望の男子が育まれていたはずよ」
ミュレットに耳打ちされたハンスが驚きに目を見開き、次いで彼女を抱き上げた。子供を授かった、と報告したのだろう。二人は幸せそうに笑い、二人の娘もまたつられて笑う。
国は賑わい、餓えや狂気とは無縁。誰もが幸せを享受する世界。
「あの日、あなたが朱の丘へ行きさえしなければ、この国は平和を保つことが出来た……」
「う、嘘だ。これが本来あるべき姿だと、どうやって証明する!?」
リリスはくすりと笑った。
「勿論、信じる信じないはあなたの自由よ……でも、分かっているんでしょう? これは紛れもない事実だって」
口では否定するものの、なぜかリュノス自身、目の前の女の見せるこの映像が真実であることを疑っていなかった。ただ、嘘であって欲しいと願っていたのだ。
虚ろなリュノスに、リリスは冷然と告げる。
「本来であれば、この国もあなたの故国も向こう百年は平和の中にあるはずだったのよ。少なくとも、因果律を曲げようとせず、息子の命を素直に差し出してさえいれば、ここまで大きな災厄が降り掛かることはなかった……あなたの欲望が……行動が……この国に災厄をもたらしたの」
酸素が不足しているのか、リュノスは呼吸を荒げていた。鼓動は早鐘を打ち、見開いた目は充血して赤く染まっている。
「ふふふ。じゃあ、次は今現在のあなたの故国を見せてあげるわ」
満足そうに笑うリリスが指を鳴らすと、映像が切り替わった。
金髪碧眼の男の映像だ。歳はリュノスとそう変わらないであろう。美しい后と三人の子供に囲まれ、幸せそうに笑っている。
リュノスはこの男に見覚えがあった。確か故国で騎士となった時に同期だった男だ。剣の腕こそリュノスより劣ったが、真っ直ぐな目をした男だった。同じ平民の出ということもあって話も合った。これは男の現在の映像なのだろう。
「あなたが私と契約を交わしたことで、その男は本来あなたが辿るはずだった未来を手に入れたのよ。唯一の善行というところかしらね」
「……彼は今……どうしているんだ?」
「知りたいの? なら教えてあげる。彼は今、あなたの故国であなたと同じ立場にいるわ」
「…………何!?」
「良き国王として、とても民に慕われているわよ」
「……つまり、俺はお前と契約を交わさなくとも、国王になれたという事なのか!?」
「話が早くて助かるわ。彼は本来、あなたの片腕として近衛騎士になる未来を持っていたのよ。でも、あなたがいなくなった事で、代役が回ってきたの」
愕然とするリュノスに、リリスは満足そうな笑みをこぼす。
「し、しかし、平民出の人間があの国で王になどなれるはずがない!」
「あら、知らないわけじゃないでしょう? 故国で大きな戦があったことくらい。なぜその戦が起きたと? ある貴族が起こした事件がきっかけとなって、多くの貴族が取り潰されたこと、そして、王の処遇に不満を抱いた者たちが内乱を起こした。そのくらい、あなただって報告を受けて知っているはずよ?」
確かに以前、リュノスはそんな報告を受けた事があった。
貴族の数など多くの民衆と比べればたかが知れている。特権階級とは、数が少ないからこそ価値があるのだ。絶対的存在である王と、彼に従う民や誇り高き騎士たちの前に敗れるであろうことは、疑いようもなかった。
この国の王位を継いだばかりの頃の話だ。リュノスにとっては、他国の内紛よりも自国の抱える問題を解決する事の方が遙かに優先度の高かった時期だ。そのため、事の詳細にまで気を回すことはなかったのだ。
「その事件をきっかけに、貴族たちの力は大きく削がれることになったのよ。彼らの不正は暴かれ、被害者には救済措置が取られた。あなたには知るよしもなかったことなのだけど、彼はあなたを呼び戻すための使者として、あの日の夕刻に町を訪れていたのよ? あなたは内乱が起こる前に王都へと戻ることが出来た。貴族による支配が崩れはじめた国で、大きな功績を立て出世街道を歩くことが出来た……功績を挙げ近衛騎士になって……姫と恋に落ち……そして……一切の代償を支払うことなく、全てを手にすることが出来たのよ。あなたは故国で王となり、綺麗な后と愛らしい三人の子供に囲まれて、戦争も飢餓もない平穏な国の立派な王として生涯を終える事が出来たるはずだったの」
「そ……そ、そんな馬鹿な!?」
血の気の引いたリュノスの顔を細い指でなぞると、耳元で囁くように続ける。
「自分がどれほど愚かしい選択をしたのか、理解できたかしら?」
リリスは、がたがたと全身を振るわせるリュノスからゆっくりと離れた。
「な……なぜ……なぜ、こんな事を!?」
リュノスは背を向ける女に向け、震える声を投げかけた。
「お、お前が……お前さえ俺の前に現れなければ、すべて……」
上手くいっていたはずなのに……。
「なぜですって?」
リリスは小首を傾げた。不思議なことを問うものだと言わんばかりに。
「俺が、王になるべき人間だったからか?」
どういう思考を辿ってその結論に至ったのか。リュノスはそう口にした。
玉座の間に、さも可笑しそうな女の笑い声が響き渡る。
「ふ、ふふふ。あはは……何を言い出すかと思えば……ふふふ」
リリスはひとしきり笑った後、目元の涙を拭いリュノスの元へと向き直った。小馬鹿にした様子で続ける。
「馬鹿ね。そんな事が理由になると思ってるの? 私たちにとっては、王も騎士も、浮浪者や娼婦であっても……何も変わらないわ。所詮、人間なんてちっぽけな存在でしかないもの。絶望、渇望、欲望、嫉妬、憎悪、私たちはそういった負の感情を好むけれど、そこに身分の差など存在しないわ。人間誰しも持っているものですもの。大きければ大きいほど甘美だけれど、それは別に誰のものであっても構わない。事実、あの日のあなたは浮浪者となんら変わらなかったはず。自惚れるのも大概になさいな」
「な……ならば、なぜだ!?」
浮浪者扱いされた事に不快感を示しながらも、リュノスはそう聞かずにはいられなかった。
「んー。そうねぇ……強いて言うなら……面白そうだったから。かしら?」
「なッ!?」
リリスは、絶句するリュノスに対し、悪戯っ子のような仕草で応じる。
「どうせ価値など変わらないんですもの。だったら、過程を楽しめる方がいいじゃない?」
「そ、そんな理由で、お前は俺の……皆の人生を狂わせたというのか!?」
「別に良いじゃないの。私もちょっとは楽しめたわよ。沢山の負を生み出してくれたし、その点については褒めてあげてもいいかしら。できればもう少し、上手く踊って欲しかったところだけれど、仕方ないわね。次はもっと楽しませてくれる人だと良いのだけれど……あなたは精々、絶望の内に死んでちょうだい」
酷薄な笑みを浮かべて告げる。
「さぁてと、そろそろ時間みたいだし、私は行くとするわ。じゃあね。国王様」
リリスは片目を瞑ると、背を向けて歩き出した。手をひらひらと動かし、ゆっくりと歩き去る。その姿は扉の前で霞み、溶けるように消えた。
こうしてリュノスは、あるべき幸せを壊され、多くの者たちを不幸と死の淵へ追いやり、歴史に不名誉な名を刻むことになったのである。
大した理由もなくその人生を蹂躙された男は、床に座り込み、茫然自失の態であった。
遠く廊下から大勢の怒声と足音が近づいてくる。暴動を起こした民衆のものだろう。
狂気に取り憑かれた彼らに、王の言葉が届くことはない。
すべてを失った王が抗うことは、最早ないだろう。
いや、迫る足音すら耳に入ってはいない。
この国は、長い混乱の時代を迎える。
死の足音は目前にまで迫っていた……。