第7話 - 「因果」
リュノスが女の言葉の意味を知ったのは、翌年の夏のことであった。
突如、原因不明の病がこの国を襲ったのである。
突然の悪寒と共に高熱を発し、首や脇の下、股の付け根などが腫れ上がり、やがて全身が出血斑で黒い痣だらけになって死に至る奇病。
医師たちの奮闘空しく、次々と倒れゆく人々。
病の拡大を恐れた周辺国は、国交を封鎖し、この国の動向を静観していた。
猛威は王宮にも及んだ。大臣や女官が病に倒れ、ついに愛息レティウスまでが死病に冒されてしまったのである。
医師と女官による必死の看病も空しく、希望の光りは失われてしまった。
病が移っては一大事と、リュノスとミュレットは息子の死に顔を拝むことすら出来なかった。悲嘆に暮れるミュレットは病に臥せり、翌年の春、息子の後を追うようにしてこの世を去ってしまう。
疫病による人口の減少、そして王子レティウスと后ミュレットの死。王国は灯が消えたかのようであった。
そして不幸とは続くものであるらしい。
その年、天候不順により作物は凶作、飢饉が発生した。
リュノスは城の倉を解放し、蓄えてあった糧食を民に配給した。
同盟関係にあった国からの援助もあったが、まるで足りない。
連日、食料を求めて城に押し掛ける民衆。
飢餓に苦しむ彼らの顔はまるで幽鬼のようにすら見えた。
民の数が日増しに増えていく中、事件は起こった。
詰め掛ける民衆を押し止めようと、城を守る衛士の一人が剣を抜いたのだ。
威嚇のつもりで抜いたその剣に、後ろから押された民が怪我を負ってしまう。
そして……暴動が起きた。
城の食料庫めがけて殺到する民衆と衛士たちの間で、激しい衝突が起きた。流された血に、狂気と怒りが膨れ上がっていく。
暴徒と化し圧倒的な数で迫る民衆の前に、衛士の力など無きに等しいものであった。
「リュノス様! ここも危険です。一時、エスターク宮まで非難した方がよろしいかと」
「しかし、王たる者が民を恐れて逃げるなどあってはならぬ事だ。彼らとは、対話を持って応じるべきだろう」
エスターク宮とは、王都の東二十キロの地にあるエステリア湖の畔に建てられた王家所有の別荘である。いまや右腕的存在となったハンスの注進をリュノスは退けた。
「確かに、平時であればそうでしょう。しかし、彼らは今、正気を失っております。まともな話し合いが出来るとは思えません。ここは一旦彼の地に移り、民が落ち着いたのを見計らって話をするべきです」
なおも言い募る男に、リュノスは頭を振った。
今、リュノスが王都から去れば、民衆は王に見捨てられたと思うことだろう。そうなれば、暴動は拡大の一途を辿るに違いないと判断したのだ。
「ふふふ。そうよね。国王様ともあろう人が、民を捨てるようなマネをしてはいけないわ」
背後からの突然の声。忘れようのないその妖艶な声音に、リュノスは全身が粟立つのを感じた。距離を置くように飛び退き、慌てて振り向いた。
「お久しぶりね。国王様」
「魔女め! 何をしに来た!」
いつの間に現れたのか、振り向いた先には玉座に腰掛け微笑する女がいた。
周囲を見回すも、もう一人の姿は認められない。どうやら注意を向けるべき相手は一人だけで良いようだ。リュノスは鋭い眼光で女を射貫いた。
「ご挨拶ね。誰のおかげでこの国の王になれたと思っているのかしら」
「妻子を奪っておいて、どの口でほざく気だッ!」
膨れ上がった殺気がリリスを包む。
しかし、リリスに動じる様子は見られない。
「あら……私は何もしてないわよ。二人が死んだのはあなたの所為」
「なに!?」
優雅なしぐさで玉座を立つと、猛禽類の目で睨みつける男の元へゆっくりと歩み寄った。
リュノスは腰に佩いた剣に手をかけた。
「息子が疫病で死んだのも、后が悲嘆に暮れて病に倒れたのも、今起きているこの飢饉も……すべてあなたが招いたことなのよ」
「……どういうことだ?」
「あの日、あなたは代価を払わなかった。自ら望んで交わした契約を一方的に破棄しようとしたわ。一度交わした契約を違えるということが、どんな意味を持つか考えもせずに」
「あんな要求……呑めるわけがなかろう!」
「言ったはずよ。あなたに拒否権など存在しないと。それなのに、あなたは私を斬りつけた。斬りつけて契約をなかったことにしようとした。それは因果律をねじ曲げようとする行為にほかならない。生じた歪みはより大きなうねりとなって、あなたと、あなたを取り巻く世界とを覆う。あの時の行動が、今回の災厄を生み出したのよ。この国の民はとばっちりを受けただけ。可哀想にねぇ。あなたの我が侭が、皆に不幸をもたらしたのだもの」
「……戯れ言は聞かん。今度こそ地獄へ送ってやる!」
裂帛の気合いと共に、リュノスは手にした剣を放った。
鮮血が噴き上がり、頬を濡らした。
女は膝先から崩れ落ち、大理石の床に赤黒い模様が広がっていく。
前回リリスを斬り損ねて以来、リュノスはより一層剣の修練に励んできたのだ。
成果に満足するリュノスだったが、しかしそれも一瞬のことであった。
「可哀想なことをするわね」
哀れみを込めた声音が耳朶を叩く。その出所を追って振り向いた先には、たった今斬り殺したはずの女が悠然と佇んでいた。
確かに手応えはあった。足下に視線を移したリュノスは、そこで血溜まりに沈む親友の姿を見出した。
手から滑り落ちた剣が、悲しい音色を奏でた。親友を抱きかかえるも、既に息はない。死に顔は驚愕に歪んでいた。
「……そ……そんな……馬鹿な! ハンス! お……おい、しっかりしろハンス!」
幾度となく呼びかけるが返事はない。玉座の間に慟哭の声がこだました。
斬った相手はローブの女であったはず。混乱するリュノスの頬をた冷い手のひらの感触が包み込む。
「ダメよ。目を背けては。あそこに転がっている剣を見てみなさいな。彼を殺したのは間違いなくあなたよ。国王様」
向けられた視線の先には、血濡れた剣が横たわっていた。