第4話 - 「栄光の階段」
夕暮れ時。リュノスが警護の任に当たっていた町に、一人の騎士が訪れていた。
金髪碧眼の真面目そうな青年騎士だ。馬に跨り、厚手の外套を羽織っている。
「もし。すまないが兵舎の場所を教えて頂けないだろうか?」
彼は町の入り口で、通り掛かった女たちに声をかけた。姉妹であろうか。漆黒のローブを目深に被った女の後ろに、赤いローブを羽織った妹らしき女が身を隠した。
馬上から見下ろしていることもあって、どちらもその表情を窺い知ることはできなかったが、姉と思しき黒いローブの女は、くすりと笑ったようだった。
「騎士の方ですね。兵舎なら、この道を真っ直ぐ北に抜けた少し離れた場所にありますわ」
「そ、そうか。助かった。ありがとう」
艶のある声に、どきりとしながらも彼は黒いローブの女に礼を述べた。
「リュノス様にご用ですか?」
「ん? あ、ああ。そうだが……」
「それでしたら、少し遅かったようですわ」
女の言葉に、騎士は疑問符を浮かべた。
「夢を実現するために旅立ったようですから」
夢の実現というのが何を表すかは分からなかったが、どうやらリュノスはこの町にいないらしい。しかし、彼には是非ともリュノスに伝えたいことがあった。
「それはいつ頃のことだろうか?」
「分かりません。でも、もう随分遠くまで行かれてしまったことは確かですわ」
夢を実現する為に旅立ったというのだ。戻ってくることはないだろう。追いつくことも出来ぬとあれば、引き返すしかなさそうであった。
「そうか。では、会うことはかなわないか……残念だ」
騎士はそう呟き、唇を噛んだ。
「すまなかったな。ありがとう」
馬首を返し、元来た道を戻り始める。
ふと、気になって振り向くも、女たちの姿は既になかった。
「残念だ」と、騎士は再度呟いた。
彼は、リュノスを王都へ呼び戻すために旅をしてきたのだ。
詳しい話までは伝えられていないが、リュノスを貶めた貴族たちの一人が王族の末席に名を連ねる者に対して、無礼を働いたらしい。王の逆鱗に触れたというから、余程のことだったのだろう。王は貴族諸子の行いについて徹底した調査を命じた。
結果、多くの罪が発覚し、リュノスの一件についても冤罪であったことが確認されたのである。
騎士はリュノスと同期生であり、彼もまた平民の出であった。
彼自身は上手く立ち回ることで、これまで何とか騎士団に身を置いてきたが、状況次第ではいつリュノスのようになるか分からなかったのだ。
そんな身の上もあって、実力がありながら貴族諸子の妬みによって王都追放にまで追いやられたリュノスに対し、彼は同情的であった。
故に、今回の一件で使者を立てると聞き、その役目を買って出たのだ。
しかし、ようやく無実が証明され王都に戻れるはずだったのに、一体リュノスはどこへ行ったのか……。
貴族の被害者はリュノスだけではない。彼は他にも、何人かに知らせを運ぶ任を帯びている。待って会えるならばともかく、そうでない以上、この町に長く留まる意味はない。皆、この知らせを待っているはずだ。騎士は今日中に隣の町まで行くことを決めた。
町に背を向け、馬を駆る。
騎士の背が、見る見るうちに遠ざかって行く。
それを木陰から見つめる二対の瞳があった。
女の一人が薄い微笑を張りつかせてふり返る。黒と赤の視線が交わった。
「……運が良かったわね」
遠ざかる背に、リリスは意味深な台詞を洩らした。
「せぇあぁぁッ!」
甲高い金属音と共に、細身の剣が宙を舞った。離れた場所で地面に突き刺さる。
称賛の声と拍手で会場が沸き立った。
「ふう……まいったよ。リュノス」
その中央で、剣を弾き飛ばされた青年が完敗だと言って苦笑する。近衛騎士ハンスである。差し出された手を握って身を起こす。
「これで俺も晴れて近衛騎士の仲間入りってことだな」
先輩騎士を負かしたリュノスが、満面の笑みを浮かべた。
落命した二人の近衛騎士を弔い、リュノスがミュレット姫たちの故国へと渡って既に一年の時が経過していた。
ハンスと共に護衛の任を果たしたリュノスは、そのままこの国に留まることになった。
再び騎士となったリュノスだったが、どこの馬の骨とも知れぬと、この国でも風当たりは強かった。
しかし、故国にいた時と違い、今は近衛騎士ハンスとミュレット姫の力添えがあった。
衛士をしていた時こそ落ちぶれていたが、元々、真面目で実力もある青年なのだ。訓練によって本来の力を取り戻したリュノスは、近衛騎士の選抜試験に出ることを許された。
そして、今日はその試験の最終日であった。現役の近衛騎士と戦い、その実力を示すこと。それがリュノスに課された合格基準であった。
騎士をはじめ、城に詰める文官や武官、王宮の人間と、大勢の観客が見つめる中で行われた試合で、リュノスは見事その実力を示して見せたのである。
ふと、高台に設けられた席を見上げると、ミュレット姫が小さく手を振っているのが見えた。
「これでミュレット様を護ることができるな」
その呟きに、ハンスが口の端を上げる。
目の前の青年と、高台で手を振る女性。二人が惹かれ合っていることをハンスは知っていた。騎士と姫。二人の願いは必ずしも叶うものではない。
だが、もしもその時がきたならば、必ず笑って祝福しようとハンスは決めていた。内に秘めた想いを忠誠心に変えて……。そして自分は二人を護る楯に、そして剣になるのだ。
親友となった男の幸せを願い、ハンスは晴れ渡る空を眺めやった。
「ふふふ。どうやら願いは叶ったようね」
歓声に手を挙げて応えるリュノスを遠目に眺めやり、呟く声があった。
漆黒のローブに身を包み、長く真っ直ぐに伸びた黒髪が風に靡く。
リリスであった。
その傍らには赤毛の女の姿もある。
「今日、今この時から十年……あら? ……そう。まだ望みは叶っていないの」
口元に細い指を当てて微笑を浮かべる。
「あの男、思いの外、欲の深い人間だったようですね」
「いいことじゃない。私たちにとってはそういう人間の方が都合が良いわ」
赤毛の女の声に、リリスが応じる。
「さてと、それじゃあ、もう少しだけ待ってあげるわ。望みは遠からず叶うようだし……その時が楽しみね。でも、ちゃんと代価を払えるのかしら?」
くすりと笑うリリスの目には、近衛騎士の剣を下賜されるリュノスの姿が映っていた。