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深淵の闇の魔女  作者: 米澤 継紀
ある騎士の夢
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第1話 - 「契約」

 喧噪を詰め込んだ扉が勢いよく開かれた。


「帰ってくれ! ようやくツケを払ったと思ったらまたか! いい加減にしてくれ!」


 荒い息を吐くと、男は両手で掴んだものを店の外へと放り出した。


「酒が飲みたきゃ、ちゃんと金を持ってきなッ!」


 がっしりとした体格の男は吐き捨てるように言うと、勢いよく扉を閉めた。


 店先に放り出された男が、ゆっくりと立ち上がる。

 よれよれの服を身に纏った男は、虚ろな視線を酒場の扉に向けると踵を返した。


 おぼつかない足取りで帰路につく。

 吐き出す息が白いモヤを生んで消えた。


「おぁあう、ぁぁ」


 酷い吐き気を振り払おうと、男は声を出した。が、むろん、効果などない。

 男は、ふと、樹に手をついて足を止めた。


 身体が重く、怠い。胃から逆流してきた酒を吐き出し、のろのろと歩みを再開する。

 自宅までの道のりはまだ半分ほど残っている。


 酒場から叩き出される直前に掴み取ってきた酒を、頼りない足取りで進みながらも一気に呷る。口から溢れ出た酒が喉元を濡らした。


 ただでさえ足下のおぼつかない男は、小石に躓いた拍子に足をもつれさせた。

 勢いよく転倒する。


「あぁぁお、うっぅぅう」


 再び声を発する。


 吐き気は一向に治まる気配を見せない。


 男は、立ち上がるでもなく、身体を返した。

 道端に大の字になって寝転がる。


 空気が澄んでいるためであろう。星の瞬きがはっきりと見えた。


 大きく息を吐き、目を瞑る。このまま眠ってしまいたいという欲求にかられた。

 この寒空の下、ろくな防寒着も着ずに寝入っては、明日の朝を迎える頃にはすっかり冷たくなっていることだろう。


(――それもいいか)


 ぼんやりと考える。


(負け犬には相応しい最後だろう)


 もう一度、大きく息を吐いた。


 男は名をリュノスといった。

 次の朝日を迎えると共に二十五歳になる。

 貧しい家庭の一人息子として生まれた。


 男には夢があった。

 少年であれば誰しもが一度は焦がれる存在――『騎士』になることである。

 多くの少年が夢見る職業。そしてその大半が諦めることになる職業だ。


 貴族中心の社会にあって、貧しい平民出の少年が騎士になるのは難しい。

 しかし、少年は諦めなかった。


 必死の努力の甲斐あって、青年となったリュノスは晴れて騎士となることが出来たのだ。


――『騎士』


 誇り高き王国の守護者。


 才能もあったのだろう。厳しい訓練と弛まぬ努力によって身に付けた実力は、同じ王国の騎士の中でも一、二を争うほどのものであった。


 しかし、哀しいかなリュノスは貴族ではない。


 何の後ろ盾もない貧しい田舎出の若者は、貴族出の者たちから疎まれていた。

 下賤の者に負けることを、彼らの矜持が許さなかったのだ。


 実力があるが故に……。


 貧しい出自であるが故に……。


 青年は貴族の諸子たちの奸計によって、王都から追放されてしまう。


 辺境の町での田舎くさい生活などまっぴらだと、付き合っていた女にも見放された。

 リュノスは女との結婚を考えていただけに、そのショックも大きかった。


 飛ばされた先は、辺境の小さな町だった。


 流刑地とも言える田舎町の衛士となった青年は、己の境遇を嘆いた。

 それでも始めの内は、町の周辺を見回ったり、町の住人と仲良くなろうとしたりと青年なりに頑張ってみた。が、住人たちの反応は冷たかった。


 隣国との国境に程近い町ではあったが、同盟関係にあったこともあり、長らく平和を享受してきた。攻め込まれる心配などなく、守りを固める必要もない。百年以上続く平和の刻が、この国の人々から危機感を奪っていた。


 故に、この町は厄介者の流刑地となっていた。


 リュノスが赴任してくる以前にも、何人もの騎士が流されてきた。

 ガラの悪い連中。落ちぶれた騎士。厄介者。

 前任者たちの素行が、リュノスに暗い影を落としていた。そう簡単に評価は変わらない。


 自分の性格や実力とは関係のないところで、貶められていく。


 小さな兵舎に常駐するのはリュノスだけ。孤独を分かち合う仲間もいない。

 赴任して半年、最早、リュノスは仕事などしていなかった。給金が出ては酒につぎ込み、何をするでもなく、ダラダラとした毎日が過ぎ去ってゆく。


 そして三年。リュノスの町での評価は、前任者たちと同じく地の底まで落ちていた。


 強い意志を宿していた瞳はその輝きを失い、美しい金髪は汚れ、顎は無精髭に覆われている。端整な顔立ちは今や見る影もなくなっていた。服は所々破れており、騎士の命ともいうべき剣も腰にない。兵舎の壁に飾られたまま埃を被っているのだ。


「もういい……もう……」


 絶望の声が酒臭い吐息と共に吐き出される。


(――本当にそれでいいの?)


 突然、女の声が頭に響いた。聞き覚えのない声だ。


(――あなたには願いがあるのでしょう?)


 妙に艶のある声が再び頭の中に響き渡る。


 とうとう幻聴まで聞こえるようになったかと、リュノスは苦笑した。

 もし声の主が実在しているなら、さぞかし美しい女だろう。などとも考えた。


(――あなたには願いがあるのでしょう?)


 繰り返される声。


 無論、願いはある。が、それはもう決して叶うことのないものだ。

 自分はこの町で朽ち果てる。そしてもうすぐ全てが終わる。


(――本当にそれでいいの?)


 優しい声音で語りかけてくる。


 良いわけがない。が、最早どうにもならないことだ。

 絶望に沈んだ男は、心中で諦めの声を洩らした。


(――もし、あなたの願いが叶うとしたら?)


 ふっ、と男は鼻で笑った。


 叶うわけがない。そう、叶うわけがないのだ。王都から追放されたあの日、希望は潰えたのだから。……でも、もし本当に願いが叶うなら……。


(――叶うなら?)


 俺はどんな代償でも払ってみせる。


(――そう。では、あなたの願いを叶えてあげる)


 女はくすりと笑ってからそう告げた。


 出来るわけがない。リュノスは口に出すことなく否定する。


(――いいえ。叶うわ。その代わり、あなたの願いが叶って十年の後。あなたのその望みに見合うだけの代価を頂くわよ? それでもいいの?)


 この時、青年には失うものなど何もなかった。故に……。


「本当に願いが叶うなら、どんな代価だって払ってやるさ」


 絶望に身を浸したリュノスはそう口にした。


 それが恐ろしい契約になるとは露ほども思わずに――。


(――では、契約成立ね。忘れないでちょうだい。あなたの願いが叶ったその十年後を)


 青年は笑った。叶うわけがないと。


(――明後日、太陽が中天に上る時刻。身なりを整えて『朱の丘』へ行きなさい。夢への一歩を踏み出せるわ。いい? 必ず行くのよ。そして忘れてはダメよ。私と交わしたこの契約を……)


 女の声が遠ざかってゆく。もう疲労で身体は動きそうもない。


 ――そして、リュノスは意識を手放した。

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