52話
寮のスタッフルームのある最上階しか行動を許されずにもう2日を終えようとしていた。
「会いてー」
せめてチラとでもその姿が見えないかと廊下の窓から外を眺めても、門は給水塔の影になっていて、ほとんど遮ぎらている。
それでもかすかに開いた隙間に奇跡を願ってひたすら待ち続けた。
もうとっくに帰ってきているのかもしれない。でもどうしても窓から離れることができず、雨が振り込み始め窓を閉めてからも、姿を待つことを止められなかった。
―――もう少しで届きそうだったのに。
指先が届いたかと思えばすり抜ける。
近づいた距離なんて、あっさり広がってしまう淡い関係。
わけのわからない力が気まぐれで駒を動かすみたいに、もうずっと翻弄されてる。
こんなに。
こんなに好きなのに。
ひょっとしたら本当に縁がないのじゃないかなんて。
叶わない想いなんじゃないかなんて。
そんな後ろ向きな気持ちに傾きそうになる。
もう男同士だからとか、そんなの関係なく、ただどうあがいても結ばれない運命なのかもしれない。
そんなふうに。
けど、だからって、やっぱり気持ちは切り取って捨てられるものじゃなくて。
どうもがいても諦めることはできないから、苦しい。
知央さん……。
痛てぇよ。胸が。
切り刻まれてるみたいにい……。
「っ痛てーっっ!!」
何の心構えもない臀部にいきなり衝撃を受け、思わず飛び上がった。
「……!??」
尻を押さえて振り返れば、形のいい片足が地面におろされるところ。
その姿を目にすれば、心臓が高く跳ね、その名を口にすることもできなかった。
「バカ過ぎんだっ!日韓戦二年連続で落とすとか。笑えねえんだよっ!」
笑顔がこぼれたんだと思う。
「蹴られて笑ってんじゃねえよっ」
そう、眦を釣り上げた美しい人が言ったから。
「知央さんが口きいてくれたから」
「っなもんっ!!……んなもん、お前が誰とどうしようが関係ないんだから、無視する謂れもないだろっ」
関係ないと言われてば切なくもなるけれど、望んだものが消えずに目の前にある幸福に、本気で泣いてしまいそうだった。
「……地央さん、濡れてる」
急に強く降り出した雨に濡れたのであろう髪は湿気を帯び、青いワイシャツの肩から胸にかけては色が変わってしまっている。
「おまえのせいだ、バカ!!クールリザードも終わっちまったしっ!3D結構楽しみにしてたのにどーしてくれんだ、責任とれ、バカ!!そもそもおまえ、こんなとこに居るんなら居るって言えよ!!そのせいで……あああっ、バカ!!」
バカのオンパレード。
顔を赤くして、子供のように怒る地央は、足の裏で尚も真直の向こう脛を蹴ってくる。
写真のことで、きっと呆れられ、とうとう関係を切られてしまったかと思っていた矢先の言葉と行動。驚きで、ただ蹴りを受け流すだけの真直だったが、やっとその言葉の意味を咀嚼できるようになった。
「来週からピクサーの新しいの始まるらしいから」
「じゃあ、さっさと停学終わらせろ、アホ!!」
悪態をつかれることが、こんなに嬉しいなんて。
だって怒る姿は、もうただただ可愛いだけで、もういっそポケットにでも入れておきたいくらいだ。
「地央さん、肩冷やすと風邪ひくよ」
一筋の雫が地央の短い髪の間から垂れ、それを袖口で拭ってやろうと伸ばした真直の手は、気づいて後ずさった地央を目にして、ゆっくりと下に下ろされた。
まあ、そうだ。
この人の中じゃあ、自分に言い寄ってる間も別の女と関係を持つ、年中発情期で節操なしのタラシなんだから。
真直の顔に傷ついた色を読み取ったらしい地央は少しバツが悪そうに眉を歪めた。
「風呂行ってくる」
「……あ……」
自分で風邪を引くとは言ったのだけれど、それでも、手の中からすり抜ける感覚が苦しくて、つい未練がましい声がでた。
「おまえ、スタッフルーム、テレビあんのかよ」
「まあ、それなりのが……」
「後でテレビ見に来るからな!そのつもりでいろよ!!」
「え?」
「はあ?来ちゃダメなのかよ」
「いや。俺は嬉しいけど……」
「おまえのせいで、こないだあのドラマ見れなかったんだからなっ!!バカ!あ!!それとなあっ!!猥褻物を陳列するときは鍵締めとけ、アホ!!」
ちょ……それはもう、なかったことにして欲しい……。
「とにかく、後で飯持ってきてやる。じゃな」
顔をこわばらせたまま廊下を歩き出す地央。
その背中へ声をかけた。
「マジでヤってないから。それだけは信じて」
地央が足を止める。
その両の手のひらが、体の横でギュッと握り込まれた。
「うるさいっ!!」
やっぱり、まあ信じてくれるわけ、ないか。
それくらいに、俺は爛れたせ
「おまえはっ!よそ見しないで俺だけ見てればいいんだ!!」
いかつ……を?
……を?
え。
それ、は……?
耳を真っ赤にして立ち去った地央を見送る真直。
ええーと?
ふにゃりと腰の力が抜けて、壁にもたれたまま下にずり落ちてしまった。
「……殺す気かよ」
微かに震える両手で、情けなく崩れる顔を押さえる。
地央のまさかの言葉に、しばらくそこを動くことができなかった。




