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43話

「あ、あのっ!映画観に行きましょう!!」

 廊下で朝食へ向かうであろう地央の姿を見つけた真直は、昨夜の電話後のテンションそのままに駆け寄って地央の両腕をがっちりと掴んだ。

「お、おはよう。いきなりだな」

 が、正面に愛しい人の顔を見れば急に緊張して直視できなくなり、汗が浮いたような気のする手の平を尻ポケットのあたりにこすりつけた。

「おいおい、人を汚いもんみたいに……」

 地央は真直の勢いに押されたのか、それとも昨夜の電話を意識しているのか、片頬だけに笑みをのせ、ぎこちなく自分の後頭部を撫でている。

「あ、いや、違います!!汚いのは俺の手でっ……あ、いや、便所行った後はちゃんと手洗ってるっすよ!?」

 もう何が言いたのかわからなくなってくる。

「いや、俺、地央さんとちゃんと遊びに行ったこともなくて、だから、映画じゃなくてもいいんすけど」

「ああ、まあおまえ部活忙しいから……。つか部活、あるだろ?」

「明日のテスト終わった後は、自由参加だから」

 自由参加という名目の練習が強制参加であるという事実は、元部員の地央は知っている。だから言ってはみたものの、部活優先の地央には叱られると思っていたのだが……。

「うん。じゃあ明日。楽しみにしとく」

「……!」

 笑顔でくれたまさかの言葉に、小さく指先が震えた。

 昨夜の電話は決して夢ではなかったのだと妙に実感する。

「なんか観たいのある?」 

「……いや。何やってるか知らないんで」

 すると、地央の顔に子供のような笑顔が浮かんだ。

「じゃあ、クールリザードでいい?3Dの!映画館であれ見たい」

 サングラスをかけた竜の出てくるファミリー向けの娯楽映画は、フィクションでまで暗いもん観たくないという地央の当然のチョイス。

「知央さんと一緒ならなんでもいいすよ」

 まあ、多分俺は映画どこじゃないだろうから。

 何気なく溢れ出た真直の本音に、合わさった目線をすぐに逸らしてずれてもないメガネを直す知央。

「主体性が、ないんだよ、おまえ」

 怒ったような硬い声を出した知央の耳が、みるみるうちに綺麗な桜色に染まる。

 え?これ、は、デレてる…のか?

 思わず喉が鳴る。

 かわいいとか、可愛くないとか、もうそんな簡単なことじゃなく。

 ああ。

 この人は子供っぽい映画はもとより、結構恋に恋する乙女が好きそうな王道のラブストーリーを好むのだったっけ。

「……主体性の、塊っすよ。俺が見たいの、知央さんだから」

 夕べの電話の力を借りて、寒いくらいクサイセリフを吐いてみようか。

 案外、知央さん溶けてくんない?

「知央さん以外のは、別になんでもいいんだ」

 桜色からどんどん赤みを増していく薄い耳を見て、ふと昨日腹の底をかき回した怒りの感情を思い出した。

 伸ばした指先でそっとその赤い耳に触れる。

 ピクリと跳ねた知央の体に、真直の心臓までが跳ねた。

「昨日、御崎に触らせてんの、すげームカついた。あんたが、御崎の触ってんのも」

「はあ?……あ、あれはっ」

「上書きさせてくれる?」

 知央が何か言う前に視線を捕まえて問えば、真直の目から逃れるように顔を逸らす。

「別に、勝手にすればいいんじゃないか?」

 他人事のように言う知央の、薄い、熱を持った耳が、顔を逸らしたことでちょうど真直の目の前にきた。

「…あ……っ」

 次の瞬間、知央の口から声が漏れる。

 真直の唇が自分の耳朶を挟んだことに気づいたであろう次の瞬間に、その体を腕の中に抱き入れた。

「上書き保存完了」

 真直の行動と言葉に、地央は耳のみならず顔から首からがもう真っ赤だ。

「ぜ…全然データの内容変わってる…」

「そりゃあ、愛があるもん」

「……よく、恥ずかしげもなくそんなこと言えるな、おまえ」

 そんなことを言いながらも腕の中に留まったままの知央に、急に心臓の速度が早まった。

「いや。すげぇ、恥ずかしい」

 正直な真直の言葉に意表をつかれたらしい知央がクスクスと笑いだす。

「……おまえ、心臓バクバク」

「うん。愛があるから」

「……アホだな」

 うん。アホです。アホほど惚れてる。

 だから。

 キスしてもいいすか?

 聞いたらダメだと答えられるのだとしても、勝手にする分には受け入れてもらえそうな気がするのは気のせいじゃないはず。

 だって、こんなにすっぽり腕の中におさまって笑ってるあんたの心臓だって、俺に負けず劣らずバクバクいってる。

 お互いの鼓動が混じりあうのがわかる。

 ああ、その上がった口角に、下がった目尻に、緩んだ絹の頬に、キスを降らせたい。

 あんたが知ってる唇が俺だけなら、それを忘れないようにもっと深く痕を残したい―――。

 真直が寄せる唇に気づいたように地央の体が一瞬こわばる。

 しかし次の瞬間には、真直の唇を迎えるようにほんの少しだけ首の角度を変えた。

「……地央さん…」

 呼吸が触れ合う距離。

 きっとこれが、本当の意味での口づけ――。

 ガチャリ。

「!!!?」

 ガツッ!!

「ぐっ!」

 目から火が出るという表現は言い得て妙だと後になって思った程の衝撃。

 同じ階のどこかの部屋のドアが開く音で慌てて振り返った地央の側頭部が真直の鼻柱にクリーンヒットした。

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