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37話

 ふと、人の気配に気づいて目を開けた。

 すぐには焦点があわず、目の前は黒い満月に覆われる。

 数回目頭を揉み、手にした眼鏡をかけてから、こちらを見ていたと思われる人影へ目を向けた。

「黒川?何だよ、居たんならなんか言えよ。さっさと昼飯行こう」

 歩き出した地央に、「ああ、いや、はい」と、真直は弾かれたようにして後に続いた。

 真直のまとう空気が一瞬挙動不審に戻ったかと思われたが、

「すんません。久我センセーにつかまって」

 言って横に並んだ時にはもう変わった様子は見られなかった。

「ところで岸さんって何者なんすか?虫も殺さないような顔してマフィア関連の人っすか」

「何言い出すかと思えば」

「まあ、性格がいいんだろうってのは、地央さんとずっと友達って時点でわかるんすけど、桐山とかサッカーのキャプテンとか、なんか完全掌握というか……」

「なんか、聞き捨てならないこと言わなかったか?」

「やだなあ。地央さんはすぐ悪い方にとる。

 いや、さっき桐山と一触即発って時に、キャプテンが岸さんの名前出しただけでおとなしくなったから」

 学年、キャラクター、どうにも接点がなさそうな二人は図書委員の活動を一緒にしたのが縁で仲良くなったらしい。啓太郎にはやたらと懐いているようだが地央が一緒の時は近づいてくることがないので、それがカイへの野生の獣のような印象を一層強くした。

「ああ、あんまりよくは知らないけど、桐山がサッカー部入れたのが啓太郎のおかげとかなんとか。とりあえず、まあ、啓太郎はああ見えて凄い奴だって話。なんたって俺の幼馴染だからな」

 地央さんと友達だから云々に返す嫌味のつもりで付けた足した最後の言葉。しかし返ってきたのは想像とは違う反応だった。

「ほんと、嬉しそうっすよね。岸さんの話するとき」

 自分で明るく啓太郎の話をふってきておきながら、うって変わっての硬い声。

 何、その感じ。

「……やたら、啓太郎のこと目のカタキにするのな」

 前々から気にはなっていたのだ。

 啓太郎の話になると頑なになる真直の態度が。

「してませんよ。地央さんの大切な人は俺にとっても……ふんふふふん、ですしー」

「何、その含みのありそうな言い方」

「別に」

 お互いの声が徐々に硬質な空気を孕んでいく。

「何、その某女優さんみたいな返しかた。あの人あの後大変だったろうよ」

「俺女優じゃないもん」

「ないもんじゃねえよ。何、そのひねくれ方」

 特別教室の棟から食堂のある棟に移動すると、とたんに人とすれ違うことが多くなる。地央はこの痴話喧嘩じみた会話に辟易してしまった。

「おまえ、ホント面倒くさい」

 多分啓太郎に妙な嫉妬心をもっているのだろうが、見当違いも甚だしい。

 何より、そんな風に思われることがもう、啓太郎を貶めるみたいでイラッとする。

「……じゃあ」

 真直が足を止めた。

 何気なく視線を向けた地央の目に、どこか痛そうな顔をした真直が映った。

「じゃあ聞くけどっ!、二人が遭難しててどっちかしか助けられないとしたら、どっち助けますかって話っすよ!」

 一瞬「地雷」という言葉が過ぎった。

 そう、地央は真直の地雷を踏んでしまったのだ。

 いきなりの問いかけに、地央は固まってしまう。

 ……どっち?

 それは……。

「……」

 気の利いた切り返しどころか、声も出ない。

 真直はそんな地央の返事など端っから聞くつもりもないようで、即座に言葉を継いで歩き出す。

「ああ、言っとくけど、俺は地央さん如き非力な人に助けられるほど、か弱くないんで、来てくれなくていいっすからね」

 つまらない仮想の選択。でも地央には選べない。

 だって、そんなもん……。

 うまくおさまる言葉を探そうとし、できないまますぐに食堂の喧騒が間近になった。

「ああー、もう、地央さんが呑気な話してるから、親子丼売り切れてるじゃないすかー」

 気まずさを払拭するように声を上げる真直。

 券売機には、何種類か売り切れを示す赤いランプが点っていた。

 

 

 

 


 嬉しそうに啓太郎の話をする地央を見て、つい最悪の質問をしてしまった。

 触れては行けない不可侵領域。

 自分が被弾するのは十分理解していたのに……。

 結局HRを残すところとなった今もなんとなく気まずい空気をひきずっている。

 ああ。またこれだ。

 俺はいったい何をやってるんだ。

 地央の啓太郎好きなんて今に始まったことじゃないのに。

 自ら全力で壁にぶつかって、その反動で跳ね返って痛がってるみたいな自分にため息しか出ない。

 地央の座る席へ目をむければ、隣の奴と話をしていた御崎が後ろの地央の席を振り返るところだった。

「あ、やっぱ平林さんピアス超似合いそうな耳っ!」

 いきなり話を振られ携帯から目をあげた地央の耳たぶを、なんと御崎がフニフニと指ではさんだ。

 ぶっっ……!!

 な、なんだ、こら、御崎っ!!

 貴様、ポッキーゲームのみならず、何気安く地央さんの耳たぶ揉んでんだっ!!

「うわ、うっすっ。いいなー、おれ福耳すぎて絶対似合わねーもん」

 唇を尖らせる御崎に、地央がどれどれとばかりに手を伸ばしその指でクニクニと御崎の耳の厚みを確かめた。

「おー、なんかふかふかして気持ちいー」

 ……く……。

 なに、触らせてんの?で、なんで触ってんの?

 挙句言うにことかいて気持ちいいって……。

 なんかもう、腹の中がさあ、ほんとに―――。

「うわっ、黒川、なに?なんつー顔してんのっ。人殺しそうだぞ?」

 樋口が振り返りざま、真直の顔を見てのけぞった。

 えげつないくらいムカついてて、樋口の言葉にロクな返事ができない。

 だって、そうだろ?

 誰にも触らせないでくれって頼んだのに、それどころか自分から別の男触って気持ちいいなんて、そんなん、よく俺もいる教室でできるよな?

 あんたにとって、俺がいかに軽い存在かってのがわかるよ。

 例えば俺と岸さんが二人して溺れててどっち助けるかって?

 簡単な話だ。

 俺も溺れてることを、あんたは気づかない。 

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