29話
「頭痛てー」
「はっ、まあそうでしょうよ」
あの後結局ベッドに吐かれ、仕方なく地央を真直の部屋に放り込んでから嘔吐物の処理をし、朝食時間を前に地央が目を覚ました。
「喉渇いた」
出かかる文句を飲み込んで、部屋に唯一ある水分を差し出す。
地央は少々眉をしかめつつ上体を起こしてコーラを受け取った。
「おまえ、ほんとコーラ好きな」
「なんか文句でも?それに言わせてもらえばコーラって二日酔いに効くんすよ」
「マジか……」
「まあ、多分」
基本的に炭酸飲料が好きだった真直、以前地央が白い腕に流れたコーラを舐めとる艶めいた姿を見てから、コーラ一辺倒になってしまった。そしてしばらくあのシーンが自分を慰める夜のお供になったことは極秘事項だ。
今またその腕にコーラを垂らしてくれないかな。
そしたら今度は俺がその腕を……。
いやいや、危険な想像はやめろ、俺。自分が苦しむだけだぞ。
地央は真直のいろいろな感情を含んだ仏頂面を目にし、何か感じるところがあったらしい。
「俺、昨日なんかしたか?」
頭が痛むせいか、それとも反省の念が声に出ているのか沈んだ口調で問うてくる。
やはり何も覚えていないのだ。
先ほど一線を越える前に踏みとどまった、いや、踏みとどまされたことに胸をなで下ろす。
それにしても、あれはやばかった……。
「だっこ」だの「ちゅー」だのと甘えて異常に可愛かったといいかけたが、やぶ蛇になりそうで止めた。
ただ、その流れで啓太郎にも「だっこ」を要求していたことを思い出して無性に腹がたつ。
「まあ、吐いたの地央さんの部屋だし」
「それで俺ここに居るのか。なんも覚えてないわ。……悪い。おまえ、寝られなかったな」
労わるようなことを言われると、つけ込もうとしたことへの後ろめたさも手伝って、嫉妬の怒りや不完全燃焼への不満も少し和らぐ。
「酒は飲まないって決めてたんだけどな……」
視線を下げたまま、やたらと沈みこむ地央。
その姿がやたらと小さく、儚く見えて、思わず抱きしめたくなる。
それでも、夜中のキスが幻だったかのように、その体に手を伸ばすことはできなかった。
ふと、地央の言葉の意味を考えて、少し焦る。
「なんで飲まないって?前も飲んでなんか、したんすか?」
啓太郎も確かに地央は酒癖が悪いから飲まないと決めていると言っていた。
その酒癖の悪さの内容と、シチュエーションがかなり気になる。
エ……エロモードになるってことなのか……?
「あ……あ、うん。まあ。基本覚えてないから」
「や、でも、一緒に飲んだ相手になんか、言われたんでしょ?」
眉間にシワが刻まれる。
頭痛のせいなのか、質問のせいなのか。
「……絡み酒?」
あ、あ、ある意味絡まれたーーーー!!
そっち!?
いやいや、普通はそっちの意味では使わないだろっ。
違うよな?
通常の絡み酒のことだよな!?
たとえ啓太郎に抱っこをねだって、それを普通に啓太郎が受け入れていたのだとしても……。
あー、ちくしょー、岸め!!
「ごめんな」
憂いをプラスした必殺の流し目を送られると、負の感情や苦労など、完全にどこかへ吹き飛んでしまう。
「いや、もう、この部屋中吐き散らかしてくれてもいいっす!」
もう岸さんに甘えさえしなければ!!
調子のいい真直の返事に、地央はそっと視線をはずすと、
「ん。ごめんな」
と言って痛そうな顔をした。
「ああ、やっぱ水買ってきますわ」
地央はいつも紅茶か茶か水を飲んでいて、炭酸飲料を飲んでいるところはあまりみない。意地悪な気持ちの失せた今、少しでも地央の役にたちたいという愛犬精神が頭をもたげ、真直を腰を下ろしていたベッドから立ち上がった。
「黒川っ……」
絞り出すような地央の声に振り返る。
よほど頭が痛いのか、コーラを持つ手に力が入りすぎて白くなっていた。
「……俺……」
笑顔で首をかしげる真直。
地央の唇が、逡巡するかのようにかすかに震えた。
「?」
さすがに様子がおかしい気がする。
もしかまた吐き気か!?と真直が構えた時、
「……俺……、南アルプス……」
と銘柄の指定が入った。
「へいへい。六甲ね」
当然南アルプス天然水を買ってくるつもりでの、ささやかな言葉の意地悪。
けど本当に六甲のおいしい水を買ってきて初めに見せて、じゃーん、実はアルプスも買ってましたー、なんてのはどうだろう。
間の抜けた、本当に他愛のない、ほのぼのとした妄想に口角がほころぶ。
けれど―――。
もしその時真直が振り返り、地央の縋るような表情を見ていたら、これから先は少し違った形になっていたのかもしれない。
この時この瞬間に断っておけばよかったのだと、真直は深く後悔することとなる。




