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23話

 とはいえ。

 とはいえ……。

「…!?…ん…んん!?」

 近くの公園。

 キャップを脱いだ芽依里めいりの以前より一層垢抜けた美しさに目を奪われた瞬間、首をぐっと引き寄せられ唇を塞がれた。

 いきなりのことで、柔らかく小さな舌の侵入をつい許してしまう。

 舌への刺激と、女独特の柔らかさと、匂い。

 体に刻まれた過去の快楽が呼び覚まされ、欲求不満の日々がたたってか無意識で腰に手を回してしまい、気づいて即座に押しのけた。

「ちょっ、何いきなり!?」

 グイっと引き剥がされた芽依里は悲しそうな目を真直に向ける。

 ああ……その目がウザいと、そう言い放ったったことあったっけ。

 そう。付き合ってからはそんな顔しか見せなかったから。

「だって、真直くんにそう言われたから」

「はあ?」

「俺そんなこと言ってなっ…いや……た、か?」

 告白された時、清純派は面倒臭いかとも思いつつも、あまりいない美人だったから付き合うことにした。

 が、セックスは勿論、キスはおろか男と付き合ったこともないお堅いお嬢様の芽依里。

 キス一つにも3週間。

 そんな芽依里に多少の苛立ちも含めて放った言葉が「そっちからいきなり舌入れてくれるくらいじゃなきゃ」だ。きっと他にも意地の悪いことを、たくさん言ったと思う。だからきっと芽依里は悲しい顔ばっかりしていた。

 物珍しさもあって1ヶ月は続いたけれど、髪を撫で上げ、首筋に息を吹きかけただけでこの世の終わりみたいな顔をしたから、間違いなく後腐れすると思って別れたのだ。

 サイテーな奴だったよな、俺。

 でも、なんで一年もたってこんな……。

「真直くん。私とセックスして」

 今にも泣きそうな潤んだ目での、まさかのお願い。

 テレビの中から抜け出たような洗練された芽依里の爆弾発言に頭がうまく働かない。

「えと……何で?」

「私の初めて、真直くんにシテ欲しいから」

 そんなことを真っ直ぐに、美しくも切なげな表情で言われれば、ついドキリとしてしまう。

 いや、違う。

 違います。

 これは男としての生理的な衝動で、特定の対象への固執じゃないっす!

 知央さんがヤらしてくれないからってそんなっ。

「真直くん、好きじゃなくてもできる人でしょ?」

 心の中で地央へ言い訳をしていたら、縋りつくように腕を掴まれた。

 酷い言い草ではあるが、そんなことを言われてもしょうがない扱いをした自覚があった。

 愛情なんて、体繋げてから付いてくるもんでいいんじゃねーのなんて思っていたから。

「う。いや、近いから。とりあえず一旦落ち着け」

 腕からなんとか手を引き剥がそうとするが、桜色のグラデーションをした長い爪が折れそうで躊躇する。

「私、どうしても出たい映画があるの」

「……んん?」

 展開が早すぎて脳が完全に置いていかれている。

 それとも俺がノロいのか?

「監督が抱かせてくれたら考えてやるって……」

「カントク?」

 芽依里の言葉と真直の思考の距離は一向に縮まらず、固まる真直に芽依里がかすかに首を傾げた。

「何だ。結構私頑張ってると思ってたんだけど。テレビとか、見ない人?」

「まあ。寮だし」

「そっか。……私、今一応女優さんしてるんだよ。真直くんに振られた後、なんか自分を変えたくてオーディション受けたの」

 まあ、そう言われればそうなんだろうと納得できる程の美人。

 芽依里は微かに笑って真直を見上げた。

「……役の為に抱かれに行くつもり。でも、初めての相手が不細工なおじさんなんてヤだから。初恋の人との思い出にしたいの」

「いやいや、だからって…」

「お願い」

 美人にそんな風に悩ましげに懇願されてそれを拒む日が来るなんて。

「芽依里、悪い。俺今好きな人いんだ。すげー好きで、裏切れねえ。あ、自分をな」

 地央さんを裏切れないと言いたいところだけれど。

 でも地央にはそんな気持ちはないだろうから。

「真直くん……」

 綺麗な丸い目からボロリと涙が溢れるから、胸が詰まってしまった。

「どうしても、ダメ?」

 グッとくる。

 グッとくるけど、どれほどの美人に言い寄られても俺は流されない。

 実際、もったいないけど。

 もったいなくても。

「ん。どうしても」

 肩を震わせて泣き出すから、そっと最低限の距離を保ったままその肩を抱いた。

「つか、役のために体って、マジでそんなことあんのかよ。騙されてないのか?」

 今までずっと処女を守ってきたらしい貞操の権化のような芽依里。

 その芽依里が真直にこんなことを頼みにくるほど追い詰められているのかと思うとやるせない気持ちになる。

「うん。そういうのは信用できる。でも……初めてがそんなのなんて……」

「いやいや。俺と別れて一年にもなんだし、俺みたいなやつじゃなくても他にいい男いたろ?」

 どう考えても芽依里が自分にいい思い出を持っているとは思えなかった。

 この容姿なら周りがほっておくわけもないだろうし、第一さっきのキスは真直との経験だけのものじゃないだろう。

「―――いい男はね。後腐れしそうだから」

 フワリとしていた空気が、急に冷たい湿気を帯びたような重さへと変わる。

「……」

 そこに居たのは、真直の知らない女。

 美しい顔に美しい化粧を施した、知らない女。

「真直くんなら、今日だけの関係ですっきり終われそうだと思ったから。良く言ってたもんね?」

 芽依里は流れた涙を化粧が崩れないように押さえ、真っ直ぐ真直を見つめた。

「嫌な男だから。真直くんは。意地悪で、エッチなことばっかりしようとしてきて。体だけの関係なんて嫌だったから拒んでたら一方的に別れるって言われて。でも、それでも好きだったから、私、セックスするから別れないでってお願いしたのに。なのに、その時言ったんだよ?お前とあんま関わってると後腐れしそうだからいいやって」

 まるで冷えた湿気をそのまま無造作に投げてくるような口調。

「は。はは……サイテーだな、俺、マジで」

 改めて聞かされれば一層酷さを思い知る。

「非難してるわけじゃないよ。あの時は本当に憎かったけど、今は感謝してるの。今私がこのお仕事してるの、真直くんのおかげだから。でも、残念。真直くん、普通の男の子だったんだ。好きな子に操たてるなんて。

 私ね、今日、真直くんがライブに来るって聞いて、わざわざ会いに来たんだよ?せっかくドラマチックな処女喪失考えてたのに」

 何を言われても何も応えられないでいる真直に芽依里は悲しそうな笑顔を向けた。

「いいね、その子。私がそうなりたかったのに。……私なんて……セフレにすらしてもらえなかった」

 そしてそのまま別れの挨拶もなく立ち去る。

 芽依里の後ろ姿から、しばらく目が離せなかった。

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