16話
どうにも避けられてる。
朝は課題研究があるからと寮を早く出られ、そして授業そのものも体育、社会、理科とやたら嫌がらせみたいに移動が多くてほとんど地央とは別行動だったから、昼に捕まえようとした。そうすれば物理室で他にまだ課題を終わらせていない奴らと食うという。
半年前の再来。
ジュニアオリンピックの前、勇気を振り絞って勝ったらキスしてくれって言ったら、本番までしばらくは受験を免罪符に避けまくられたっけ。
夕べからもずっと、話しかければ返してはくれるが、決して二人きりになろうとはしない。
ああ。もう。マジで。
あれが、昨日の俺のやったことが、そんなにいけなかったか!?
ただ、ギュッとしてもいいかってのと、他の奴に触らせないでって言っただけだ!!
じゃあ何だ?他の男に、触られまくりたいってことか!?
地央のアホっ。
そんな風に心の中で悪態をついてから、誰かにあの絹の頬を撫でられているとこを想像して、自爆した。
くそうっ。
このSHRが終わったら、帰る前につかまえてちゃんと話をしよう。
嫌われてはいないはず。
多分。
きっと。
そう思いたい。
……嫌われてないよな?
「じゃあ、今日はこれで終わります」
終了を告げる担任の声。
委員長の挨拶で礼をして、後ろの地央のもとへ行こうと振り返れば、なんと後ろのドアから地央の背中が消えるところだった。
え?
脱兎の如くとは正にこのことで、一瞬固まってしまった。
何?どゆこと……?
え、俺、そんなに避けられてんのか!?
いや、ちょっと待て、それは―――。
慌てて後を追いかける。
階段から下を覗けば降りていく地央の頭が見えた。
くそっ、逃がさねえっっ!!
気分は小心者のうさぎを追いかける猟犬だ。
が―――。
縮まるどころか離れる距離を追いかけて気づく。
そうだ。はは……。あの人、俺より足早いんだった。
目が悪いくせに結構なスピードで行くから、ぶつからないかとヒヤヒヤしつつ、やっと校門を出たところで捕まえられるかもと思ったら、高そうな黒い車に乗りこんでしまった。
白い手袋をした運転手らしき人物がその後部座席のドアを慇懃にしめたかと思うと、地央を乗せたまま音もなく走り去った。
「お待ちしておりました」
準備中のプレートがかかった重厚な木のドアを押し開けると、カウンターの向こうから白シャツの柔和な目をした青年が微笑みで地央を迎えた。
落ち着いた、軽さのないバーの雰囲気は、なれない地央には逆に落ち着かない。
「あの…」
入り口で戸惑っていると、バーテンダーらしい青年はカウンターから出てきてボックス席のソファーへと手を伸ばした。
「一来さん、起きてください」
そう言われてみればソファーから収まりきらない長い足先が覗いている。
「ん……もうちょっと寝かせ…」
「いいんですか?来られてますよ」
「マジかっ」
声とともにソファーの背もたれからニュッと現れたその顔が以前よりもやつれて見えるのは地央の視力のせいでもあるまい。
それでも地央の顔を目にして浮かべた笑顔は、相変わらず力強かった。
顔の造作ではなく、雰囲気全体での男前だと思う風体の一来。
手招きされて近寄れば、ソファーに座ったまま地央の両手をとり、見上げてくる。
「久しぶりやな」
「うん。……疲れてるみたいだね」
「ほんまムチャクチャや。地央はなんや……えらい別嬪さんになったな」
まっすぐ地央を見つめる一来の目が複雑に揺れる。
別嬪さんと言われたことに文句の一つも言おうかと思ったが、座っていても背の高い一来とのそう遠くない距離、真っ直ぐに見つめられれば気詰まりになって顔をそむけた。
サワリと髪に触れられる。
「伸びたな」
「……こないだ会った時から切ってないから」
「こんなに伸びるまで、会えんかったんやな……。そりゃ電池も切れるわ」
「何、それ」
よほど疲れているのだろう。
雰囲気が少し違っていて、なにやら戸惑ってしまう。
「お肌つやつややんな。……むかつくわ」
髪に触れていた右手が頬まで下ろされ、熱い掌が地央の滑らかな白い頬を包めば、地央の脳裏に「こんなふうに触れられるのは、俺だけだって思っていい?」という真直の声が蘇る。
「……あ…」
慌てて一来の手を引き剥がすと、その手を一来の膝に返した。
そんな自分の行動と、トクトクと少し早まった鼓動とに小さく驚く。
何、黒川意識してんだ。
一来さんは男だって。
それでも一来の男しか愛せない性癖と、それにまつわる事故のような関わりがあったせいか、浮気をしているかのような後ろめたさを消すことができない。
付き合っていないのなら、そんなもの、覚える必要ないのに。
………付き合ってん、のか?
キスしてんだから、そうなのかな?
……男相手に?
何でそんなもん。
色々おかしい。
でも。
そんなことを思って、結局真直を目で追うくせに。
自分で避けておいて、追いかけてまで話しかけてこない真直にイラついてるくせに。
俺は―――なんなんだ。
「じゃあ、お淹れして、僕はさっさと引っ込みますね」
青年はカウンターの中へ戻ると、手際よく並べたカップを温め始めた。




