12話
「嫌だ」
地央の華麗な作り笑顔とともに即答された。
「何で?」
聞けば笑顔は瞬時に消えうせて、ジト目を向けてきた。
「お前、なんかするだろ」
「何を」
敢えて聞けば、地央は無骨なフレームの眼鏡を手の甲で押し上げ、早足であるきながら言葉を投げてきた。
「さっき物理教室でエロったっ」
「いや、あれは無意識で……。なんもしませんって」
なんだかエロホテル前で入るかどうか揉めてる男女のようだ。
まさか自分がこんな風に頼み込む立場になるなんて
「ああ。無意識ったら、お前が寝惚けて誰にでもやることだよな」
違う方向からの、攻撃という名の抵抗。
そうきたか。
自分の知らない自分が首をしめてきやがった。
真直は地央の肩を掴むと、顔をよせ、その瞳の視界を探して、そこに自分を映した。
「それは、俺がそういうことしたいの地央さんだけだから、今の無意識は誰ともわからない相手じゃなくてあんただからな。例え俺がどっかの誰かを押し倒しても、俺の中じゃそれはあんただ」
言い切る真直に、地央の戸惑いが肩から伝わってくる。
「お……れは、そういうことは…」
「そういうことって?……ねえ、俺がギュッとすんの、嫌?」
「そ、それは…」
返事に困って真直の手から逃れようと体を捻るが、振り回されて、煽らればかりの今回、真直は珍しく引き下がらない。
地央に嫌われていないのはわかっている。
キスを交わす度、迷いのようなものが減っているのがわかる程には、特別な存在になれてるんじゃないかって自負も。
けれどささやかな自信は今日みたいに、友が現れただけで簡単に揺らいでしまうから、だから、体を許して欲しいとかそんなんじゃなくて、ただ傍に居ていいんだという確証が欲しい。
「……地央さん、嫌?」
同情に流されてるだけなのだとしても、なんでも。
流れてきてくれるのなら、それで。
「あ…えと、だから俺は……」
真摯な真直の視線を感じ、地央は俯いてしまう。
「ねえ、こっち見て」
地央の首に手を置き親指で顎を上向かせた。
「こんなふうに触れられるのは、俺だけだって思っていい?」
言葉が無理なら頷いてくれるだけでいい。
そしたら俺は、そんだけで満足するから。
その時―――。
地央が急に動き出して、何事かと思えばポケットから携帯を取り出していた。
助かったとばかりの忙しい動きに苛立つ。
いつもはこんなに慌てて電話に出たりしないくせに。逃げようって腹だな。
小さく睨めば、目の前の地央の顔がパァ、と花咲くようにほころんだ。
「……あ、啓太郎」
純粋にその電話を喜ぶ、普段目にすることのないような柔らかい表情に心を奪われ、そしてそんな表情に、電話一本でさせてしまう相手に抉られる。
「もしもし、元気か?」
地央の猫目が、まるで喉を撫でられているように細められる。
しなやかな体がスルリと、当然のように真直の腕から逃れて行った。
「いや、お前、勉強忙しいと思ってさ。あ、ちょっと待って。…なあ、悪いけど先帰って」
「え、なんで?待つし」
「いや、帰れよ。俺、佐藤にも電話するし」
完全に逃げを打った。
「ああ。悪い。待たせた。ん?いや、大丈夫大丈夫」
何が大丈夫だよ。
聞くの結構勇気のいったのに。
すっかり棚上げにされてその上放置プレイって……。
これじゃまるで恋人との電話を見せつけられてる間男だ。
「大丈夫じゃねえし」
呟きは地央の耳には届かず、その自分には見せない、安心しきった甘い笑みに背を向けた。
そんなん。見てられるか。
越えられない壁。
啓太郎は別格だ。
あまりにも雑すぎる自分への扱いと啓太郎への態度の差に不平をも言えない、傍にいるのはあの人じゃなく俺なんだからと自分にいいきかせるだけの、嫉妬をぶつけることさえままならない絶対不可侵領域。
カラカラと派手に空回る地央への感情に胸が焼けきれそうだ。
三歩進んで二歩退がる。
進む歩幅と退がる歩幅は、どうやら同じではないらしい。




